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8 ガイアスを信じて任せた結果(前編)


サーシャ視点で少し過去に戻ります。






 サーシャが――私が、ガイアスを信じて任せることにした次の日。

 私とガイアスは逢引き(デート)をすることとなった。


「そうよね、まずはデート――なんでよ!」

「プロポーズするからだよ」

「!?」


 驚いて言葉もない私に、ガイアスはわざとらしく苦悩した表情を見せる。


「俺だって、本当はこんなふうに急ぎたくはない。もっとこう、外堀も中堀も埋めて埋めて埋め立てて、あんたが『はい』か『イエス』しか言えない状況に追い込んでから求婚したいと思っているさ」

「怖いこと言わないでよ!」

「お、顔が赤いな。もしかすると内堀はもう埋まってるか? あんた本当に、初心でチョロい……」

「それ未来の妻にしたい人物に言うことかな!?」


 頬を真っ赤に染め上げている私に、ガイアスは嬉しそうに微笑む。


「あんたを守るにしても、次期辺境伯夫人になるかどうかで、やり方が変わってくる。俺としては夫人になる方を選んでほしいところだけどな」

「じ、次期辺境伯、夫人……いや、でも、ちょっと急すぎると思う」

「仕事は機動力と決断力だろ」

「……仕事なの?」

「……。サーシャ、その顔は卑怯だ」


 ……どんな顔をしているというのだ!

 一瞬心細くなったところで、照れたようにそんなことを言われて、ますます私は体温を上げてしまう。


「とにかく、今日は俺があんたを口説く日だ。心の準備だけして、後は任せてくれ」


 そう言って、ガイアスは私の頬にキスを落とす。

 そして、たったそれだけでへなへなと腰砕けになった私を侍女達に預け、彼は笑いながら去っていった。


 そこから二時間、本当に大変な目にあった。

 洗って磨いて揉んですりこんで、着せ替え人形のように服を当てられ、ああでもないこうでもないと化粧をされ髪を結われ、昼前に仕上がったときには既に疲労困憊である。私は子爵だったけれども、こんなふうに自分を女性として磨く機会も暇もなかったので、女性の身支度がこんなに大変なことだとは思わなかった。


 そうして完成形を姿見で見せてもらった時には、本当に驚いた。

 春でも暑いガードナー辺境伯領の街行き用のドレスは、薄手で軽く、ひらひら舞うフリルが華やかで、体への負担も少ない。キラキラと輝くラメが入った青いグラデーションは、ガードナー辺境伯領によく植えられているハイビスカスを思わせる、力強く情熱的な美しさを醸し出していた。


 支度が終わったと知らせを受けて部屋に入室してきたガイアスも、着飾った私を見て、しばらく驚いて固まっていた。


「美人だとは思っていたが、ここまでとは」

「……」

「本当に綺麗だ、サーシャ。……まずいな、他の男に見せたくない」


 口元を押さえて照れているガイアスに、侍女達が「坊ちゃま、室内デートだけなんて許しませんよ」「本日はサーシャ様の美を見せびらかす日です」と、やいのやいの苦言を呈している。

 そんな中、珍しく静かな私を、ガイアスが後ろから抱きしめてきた。


「サーシャ?」

「……お母様に、そっくり」

「……そうか」


 九歳のあの日、着飾った母と共に、父は出かけていき、そして事故で亡くなった。

 あの時の綺麗だった母を忘れたくなくて、けれどもだんだんと記憶が擦り切れていく中、こんなところで()()()とは思わなかった。


 私が感極まってお礼を言うと、ガイアスは嬉しそうに微笑んでいた。


 その後、街を歩き、素敵なカフェに行き、海辺で遊び、夜の海と夜景の見えるレストランで食事をした後、もう一度夜の海辺へと出る。ガイアスが何をするにつけても私を褒めちぎり、隣にいるだけで嬉しそうな顔をしているから、私は何度も心臓爆発の危機を迎えていて、本当に大変な一日だった。


 そして、私は、月明かりに照らし出された海辺の砂浜で、ガイアスにプロポーズされた。


 本当に嬉しくて、けれども私は、すぐに頷くことができない。

 そんな私を見て、ガイアスは静かに私を待ってくれている。

 早く答えないといけない。そう思うと、なかなか声が出てこなくて、目頭が熱くて、視界がじわりと歪む。


「……怖いの」


 ようやく絞り出した言葉が、それだった。

 手の震えは、その手を握っているガイアスにも伝わってしまっているだろう。


「ガイアスのことは好き。この土地のことも好きよ。食事も美味しいし、領民も優しいし」

「そうか」

「だけど、あなたの妻は、責任のある立場だわ。また、怒鳴られるんじゃないかって、怖いの。また、ずっとずっと働いて、叫ばれて、理不尽なことを言われて、矢面に立たされて」

「サーシャ」

「私は……きっと、だめなの。今まで頑張ってたけど、結局耐えられなくて、弱くなっちゃった。だからきっと、ガイアスに相応しくない」


 はらはらと涙をこぼす私を、ガイアスは優しく抱きしめる。


「サーシャは一人で頑張ってきたんだな」

「……うん」

「だけどこれからは、あんたの傍には俺がいる」


 私が目を見開くと、ガイアスは腕を緩め、改めて私に向かって微笑んだ。


「うちの領民は、穏やかなのが自慢でな。サーシャが治めていたサルヴェニア子爵領みたいに、理不尽に怒鳴るような領民はほとんどいない。いたとしても、一定のラインを超えた時点で逮捕だし、周りが相手にしないから、ずっとそんな態度で領内でのさばっていられなくなるってのが実際のところだ」

「そう、なの」

「とはいえ、領主夫人だからなあ。そういう罵倒を受けたり、立ち向かったりする機会がゼロとは言わないさ」


 不安な気持ちのまま、ガイアスを見上げると、彼は朗らかに笑う。


「だけど、そういうのは全部俺がやるよ。というか、夫人一人に立ち向かわせてどうする?」

「全部って、でも」


 そんなこと、できるのだろうか。

 そして、許されるのだろうか。


「あんたがやることは、俺が来るまでの時間稼ぎだ。俺が遠出するときは当然あんたを連れて行くし、どうしても一人で残ることがあっても、親父や弟達を盾にすればいい。上手い言い訳を見つけて、部屋に籠ってればいいよ。そういう理屈の整理は得意だろう?」

「そんな、いいの?」

「もちろんだ。というか、現辺境伯の親父だって俺を盾にしているし、俺は弟達や官僚達を盾にしてるぞ。全部親父や俺がやってたら身が持たないのは当然だ。末端に過負荷がかからないよう調整は必要だし、大切な場面では代表面して顔を出すけど、そもそも俺達領主陣営が最初から全面的に関わってたら、そこで失敗したとき、さらに責任を取る上司がいなくなっちまう」


 その言葉に、私は目を見開く。

 それは、視界が開けたような、不思議な感覚だった。


 今まで、サルヴェニア子爵領で『領主を出せ』と言われ続け、できるだけ矢面に立たないようにしたいと思っていたけれども、実際には殆どの案件に関して、私が前に出て対応していた。

 私以外に、事態を収められる人材がいなかったからだ。

 官僚達も、激務と職場環境の悪さが故に入れ替わりが激しく、人材を育てることができなかった。親族もサイラス子爵代理はあの状態だし、従兄弟達は学生。家令は事務調整だけで手一杯であり、頼る人のいない中、全てを私が取り仕切り、担っていた。


 けれども、このガードナー辺境伯領は違うのだ。領主を始めとする統治機構が、組織として機能している。

 そして何より、彼がいる。


「俺があんたを守るよ、サーシャ。だから、安心して嫁いできてほしい」


 目の前の彼はきっと、言葉どおり、私のことを守ってくれるのだろう。

 ならば、私が迷う必要はないはずだ。


 私は、ガイアスの求婚(プロポーズ)を受けた。


 彼は私に何度か確認した後、「やった!」と声を上げて、私を抱き上げ、その場でくるくる回った。


「ちょっと、ガイアス!」

「断られるかと思っただろーが!」

「そ、それはそうかもしれないけど、ちょっと危ない――わぁ!」


 結局、ガイアスは重心を崩し、私共々、砂浜に倒れこんでしまった。

 二人とも着飾っていたのに、最後の最後に砂まみれになってしまって、私達二人は夜の海辺で大笑いした。


「あーもー、格好つかねーなぁ」

「そんなことない。ガイアスは誰よりも格好良いよ」

「お前さあ、急に素直になるのやめろよな。心臓に悪い」

「こういうの、どうせ好きなくせに」

「そうだよ、だから困ってる」


 ガイアスがそっと私の唇を奪い、私は思わず、ふふ、と笑う。


「砂の味がする」

「俺もだよ。……帰るか」

「うん」

「サーシャ、愛してる」


 最後の最後に耳元で囁かれて、私はこの男に全面的に陥落した。


 ボロボロ泣きながら彼に抱き着き、横抱きにされたまま馬車まで運ばれ、よれよれ砂まみれの様子で護衛達を驚かせながらも、私は幸せ一杯だった。

 これだけ幸せな気持ちにしてもらえたのだから、ここから先何があってもまあいいかなあと思ってしまうくらいには、彼に絆されてしまったのである。




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