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7 ヴェスター=ウェルニクス伯爵(後半)



 しかし、その一ヶ月後。


 大丈夫ではないことを、ヴェスターは思い知った。


 サイラスとウィリアムから助けを求める訴えが入り、慌てて領内の状況を確認して、ヴェスターは青ざめた。


 全ての事務が停滞している。

 停滞しているだけならばまだいい。サイラス子爵代理が携わった事務は、全て混ぜ返されていて、手順も誠意もあったものじゃない状態だった。

 ウィリアムはというと、任された仕事は三つしかないのに、そのどれもがほぼ進んでいない状態だ。


 そして、サルヴェニア子爵家の家令に直接状況を聞き、懸案事項全てを洗い出させた結果――というか、それを読み切らないうちに、愕然とした。


 一件一件の案件が、重すぎる。そして、揉め事になりすぎている。

 採掘事業や業者認定、立退勧告から補助金の処理まで、全ての事業で住民がクレームを入れてきており、それが伯爵領よりも圧倒的に数が多く、大商人から鉱山長、村長から農民まで、クレームを入れる住民も幅広い。


「何故、たかだかこの補助金を出すだけで、このように揉めるのだ!」

「この大商人とこちらの村長は友人同士で、文句を言えば必ず得することが起こると豪語しながら、新事業を行うと、必ず一度はクレームを入れてきます。鉱山長は事業や給付の理屈が理解できないと主張するので、こちらから事前に人や手紙を送り説明をしますが、領主から説明しろと必ず怒鳴り込んできます。ちなみに、事前に領主を送り込んでも更に一度説明しろと怒鳴りこんできますし、事前に人や文書を送らない場合は集団で殴り込みにきます。それで何度か逮捕していますが、鉱山長がいなくなると、鉱山周りの職人達の治安が乱れて、街として崩壊しかねない状況に陥ります。こちらの領民達は、クレームをつける彼らを領主は優遇しているのではないかと団体で主張しています。そんな様子を横で見ながら関与してくるのが……」

「もういい! もうやめろ!」


 叫ぶヴェスターに、家令はおとなしく口を噤む。


 ヴェスターは混乱した。

 土地全体を見ながら収益を上げるどころの話ではない。

 こんなふうに一々揉めるのでは、一つの事業をこなすだけでも、ウェルニクス伯爵家の優秀な官僚達、ヴェスターがつきっきりに火消しに走る必要がある。

 それが、全事業に渡っている。


 どういうことだ。

 一体今まで、どうやってこれを……。


「……今まで、処理できていたんだろう! 何故、それができない!」

「サーシャ様がいらっしゃらないからです」

「はぁ?」


 驚きすぎて情けない顔をするヴェスターに、家令は淡々と述べる。


「サルヴェニア子爵であらせられるサーシャ様は、九歳の頃から、全ての事務を取り仕切っておられました。子爵代理サイラスは、そこにいるだけでございます。そして、次代を担うウィリアム様も、サルヴェニア子爵領の自領への統合を申し出たことのあるあなた様も、この子爵領の実態を見にきたことはございませんね」

「な、何だと……」

「現場を見ていたのは、サーシャ様だけです。全てを丸く収めていたのも、彼女の力量があってこそ。彼女は報告書を読むだけでなく、現場を知り、あるべき理屈を考え、全員の利害を把握した上で決断を下してきた。あなた達のように、関係者の一部から都合のいい証言が出ただけで調査を止めるような、杜撰な事務しかできない者には、この子爵領は治められません」


 調査と言われ、何のことか分からないヴェスターに、家令は失笑する。


「あなたが、子爵領の実態調査を行ったことは存じ上げております。それが、粗雑なものであったこともね」

「……!」

「あなたは、ウィリアム様の証言を信じた。あなたの依頼した調査員も、サイラス子爵代理が全てを取り仕切っているという関係者の話を信じた。そうして、伝聞で全てを終わらせ、サイラスをこの地の実質的当主と信じたのでしょう。けれどもこの九年間、疑問に思い、より詳しい調査をする機会はいくらでもあったはずですよ」


 実のところ、子爵領内の関係者達はみな、サーシャ子爵が子爵領を取り仕切っていることについて、口をつぐんでいた。口裏を合わせた訳ではなく、大人である彼らにとって、やり取りをしている相手が子どもだということは、プライドに障ることだったからだ。要するに、聞いている側が少し押せば、簡単に崩れる嘘言だった。


 しかし、ヴェスターは、そうした最初の証言()を簡単に信じた。


 事業の関係で官僚にサルヴェニア子爵領に問い合わせをさせた際、対応した相手方がサーシャ本人だったという話を聞いたことはあった。ヴェスターは、子どもでも伝達要員程度の手伝いはできるのかと思い、聞き流した。

 子爵代理サイラスの無能ぶりを知りながら、放置した。

 そもそもこの九年間、子爵サーシャ自身と深く話をしたことがなかった。

 全てが、伝聞と、憶測で……。


「現場の理解が甘い。実態を知らない。気になった点の再調査を促さない。報告書の穴に気がつかない。上に立つ者として、それは怠慢であり、無能の証拠だ――この子爵領には相応しくない」


 気がつくと、ヴェスターは目の前の家令に殴りかかっていた。


 そして、サルヴェニア子爵領の護衛に、それを阻まれた。


「お前! お前、平民ごときが!」

「今私がいなくなれば、この領地は崩壊しますよ」

「……お前!」

「ウェルニクス伯爵がお帰りだ。さあ、馬車まで案内しなさい」


 ヴェスターは、そのまま馬車に押し込まれ、子爵領の城下町まで押し戻されてしまった。


(あの家令! 絶対許さない、絶対に!)


 しかし、今あの家令がいなくなると、この子爵領は崩壊する。

 それはまごうことなき真実だった。

 そして、このまま家令がいたとしても、子爵領が沈むのは時間の問題だ。


(どうしたらいいんだ。私は、どうしたら……)


 後日、サルヴェニア子爵領家令からの要請により、ウェルニクス伯爵家から執務応援のための官僚を送ったが、送り込んだ官僚達からも悲鳴のような苦情が上がってきている。


 しかし、ヴェスターの力では、どうしようもなかった。

 自領の統治に忙しいからと、目を塞ぎ、耳を塞ぎ、サイラス子爵代理や息子ウィリアムの悲鳴のような嘆願を無視して過ごした。


 そして、サーシャが失踪してから三ヶ月後、国王アダムシャールから、サーシャの捜索願いを出すよう、サイラス子爵代理とヴェスターに対して指示があった。


 国王はどうやら、王家の調査員を派遣し、事態を把握したようだ。

 ヴェスターが、この件について、国王に報告、相談をしなかったこともバレてしまった。


 乾いた笑いを浮かべることしかできなかったヴェスターの元に、さらにその二ヶ月後、国王アダムシャールからの召集状が届いた。


 ヴェスターは、全てを諦め、その招集に応じ、国王の間にたどり着く。


 そうして、そこに見つけたのだ。


 金色の髪、若葉色の瞳の、十代後半と思しき令嬢。

 サーシャ=サルヴェニアが、そこに居たのである。


「あ、あれです! 宰相閣下、サーシャです。いました、見つけました!」


 ヴェスターの背後から、サイラス子爵代理の声が聞こえて、ヴェスターは驚いて振り返った。

 そこには、サイラス=サルヴェニア子爵代理と、三男のウィリアムがいた。二人とも、青白い顔をして、目の下に大きなクマを作っている。身なりに気を遣っているが、髪はパサパサだし、肌もボロボロだった。

 サルヴェニア子爵領が大変な時に何故この二人がここに来られたのか疑問だったが、もしかすると、短期間であれば、むしろこの二人がいない方がまともに事務が進むということで、あの家令に追い出されたのかもしれない。

 王による緊急招集なので、王都への転送魔法陣の使用を許されているだろうから、田舎の子爵領から王都までの往復にもさほど時間も要さない。そういった事情も込みで、子爵領から送り出されたのだろう。


(やはり、あれがサーシャか!)


 まだ国王が来ていないとはいえ、国王の間で発言の許可なく叫びだすサイラスはどうかと思うが、おかげで、目の前の令嬢がサーシャ=サルヴェニア本人であることがヴェスターにも分かった。

 本人と直接会うのは、何年ぶりだろうか。

 成長していて、姿を見た直後は確信がなかったが、サイラスが言うのであれば間違いないだろう。

 ウィリアムからは、サーシャはいつも疲れていて、細身で身なりに気を遣わないと聞いていたが、今この場にいるサーシャは、髪も肌も艶めいていて、健康的な様子であるし、なにより貴族令嬢として着飾ったことにより、その美しさを花開かせていた。こういうところでも、愚息ウィリアムの虚言に騙されていたと感じ、ヴェスターは歯噛みする。


 騒ぎ立てているサイラスは、宰相が黙るよう指示し、国王が現れ、玉座へと座した。


「全員集まったな。座るといい」


 疲れ切った顔で集まった者達を見渡す国王アダムシャールの後ろには、アイゼン王太子とイーサン第二王子が補助として立っている。


 そして、おかしなことに、サーシャ=サルヴェニア子爵の隣には、黒髪に青い瞳、日に焼けた肌をした若い男が寄り添っており、さらにその隣には、彼にそっくりな50歳近い貴族がいた。

 その貴族のことは、田舎の伯爵家で、人の名前を覚えるのが苦手なヴェスターでも知っている。

 国の南端を司る、ガードナー辺境伯だ。


 国王の間は、玉座への道を挟むように、背もたれのない椅子が並べられており、国王の右手側に、ヴェスターとサイラス子爵代理、ウィリアムが。国王の左手側に、サーシャと若い男、そしてガードナー辺境伯が座らされている。ガードナー辺境伯側には、何人か知らない男が同席していた。


 嫌な予感がする。なんだ、この状況は。

 胸に広がる不安に、ヴェスターが冷や汗をかいていると、国王が宰相を促した。宰相は挨拶を述べた後、直ぐさま本題に入る。


「本日は、こちらにおられるガードナー辺境伯閣下から、サルヴェニア子爵領に関する訴えと提案がありましたのでお集まりいただきました」


 宰相がガードナー辺境伯の方を見ると、彼は頷いている。


「ガードナー辺境伯閣下によると、サルヴェニア子爵領は、九年前から、当時九歳だった子爵サーシャ=サルヴェニアが統治していたとのこと。彼女の失踪により、子爵領内の事務の停滞により交通が乱れ、現在国中の経済網に悪影響が生じているが、これはサイラス子爵代理及びウェルニクス伯爵が、国家へ虚偽の報告をしたことにより、未成年のサーシャ=サルヴェニア子爵一人に負荷をかけたことが大きな原因であり、その責は子爵代理と伯爵の二者にあるとのこと。よって、両者の爵位剥奪、更迭、国への損害賠償を要求。また、サルヴェニア子爵領を侯爵領へと二階級昇級させ、サルヴェニア侯爵として外務官のダナフォール伯爵を就任させるよう、推薦が出ています」


 宰相の言葉に、ヴェスターは頭の中が真っ白になった。

 もう、終わりだ……。


「いや、でも、サーシャが! サーシャが出ていったから、こうなったんです! あの子はもう成人だ、責任を取らせて、子爵として戻すべきです!」


 サイラス子爵代理の言葉に、ヴェスターはハッとする。

 そうだ、サーシャだ。アレが戻りさえすれば、ウィリアムでなくてもいい、ヴェスターの息子と結婚させてしまえば、何とかなる。

 国内で一目置かれるサルヴェニア子爵の血にウェルニクス伯爵家の血を入れたならば、いつかこの失態を取り戻せる。


 ヴェスターは、サイラス子爵代理とは違い、発言の許可を得た後、主張する。


「陛下。全て反論の余地がありますが、少なくとも、サーシャ=サルヴェニア子爵は、子爵領に連れ戻すべきです。ウィリアムでは不足なのであれば、嫡子のウォルドを差し出しましょう、二人が婚姻すれば、より強力な統治体制が!」

「父さん!?」


 父に切り捨てられたウィリアムが、驚きの声をあげるけれども、ヴェスターはそれどころではない。


 国王アダムシャールは、ため息をつき、ガードナー辺境伯に発言を促した。

 ガードナー辺境伯は、余裕の笑みを浮かべている。


「今のウェルニクス伯爵閣下のお話、大変興味深いものではありますが、実現は難しいと思われます」


 ガードナー辺境伯が、チラリとサーシャとその隣の男を見ると、男は意を得たりとばかりにサーシャの腰を抱き、サーシャは顔を赤くして抗議の目線を男に送った。

 そんな二人を見たウィリアムは「浮気だ!」と叫んでいる。


「サーシャ=サルヴェニアは、失踪したその日、一成人として子爵という爵位を国に返上し、これにより、サルヴェニア子爵とウェルニクス伯爵家の令息との間の婚約は失効いたしました。その後、我が愚息と婚姻し、現在の彼女はガードナー次期辺境伯夫人です」


 愕然とするヴェスター達に、国王アダムシャールは告げる。


「そういうことだ。では、三人とも。まずは過去の経緯について、申し開きを聞こう」


 国王アダムシャールから注がれる憐憫の目に、ヴェスターは、ようやく思い知った。


 ヴェスターが何度、サルヴェニア子爵領を統合すると訴えても、王都の貴族達は、誰も相手にしなかった。国王もそうだ。自信満々に統合を申し出たヴェスターを、落胆した様子で見ていた。

 ヴェスターが、サルヴェニア子爵領の現状を知らずに、憶測と、根拠のない自信だけで話をしていることが、彼らには分かっていたのだ。

 分かっていなかったのは、ヴェスターだけ。


 ――サルヴェニア子爵領を、そなたに任せることはしない。そなたが共倒れになったときの影響は計り知れないからだ。


 ――あの地はそなたが思う以上に難しい。


 こうして、ヴェスターはようやく、サルヴェニア子爵領に手を出した自分の過ちに気がついたのである。




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