6 ヴェスター=ウェルニクス伯爵(前編)
「なんてことをしでかしたんだ!」
ウェルニクス伯爵家の当主、ヴェスター=ウェルニクス伯爵は、自分の三男ウィリアムを叱り飛ばしていた。
サーシャ=サルヴェニア子爵が失踪した。
これは、ウェルニクス伯爵家の失態である。
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サルヴェニア子爵領は、交通の要所だ。
ここがうまく機能するかどうかで、国全体の経済に影響すると言っても過言ではない。
そして、統治の難所としても知られた土地だ。
しかし、当時の王弟の友人であったグスタール辺境伯三男ザックスが、先々代のサルヴェニア子爵として統治を開始したことで、あの土地は落ち着いたのだ。
あの要所の管理を任されるというだけで、年配の貴族達は一目置く。
隣地の伯爵領を統治する伯爵ヴェスター=ウェルニクスは、常にそのことを不満に思っていた。
王宮の社交に出ても、ウェルニクス伯爵を田舎の伯爵家と軽んじ、サルヴェニア子爵をもてはやす貴族が多かったからだ。
(何故、子爵如きが、伯爵である私より注目を浴びるのだ!)
統治の難しさと言うが、ヴェスターが伯爵になったときには、既に隣地サルヴェニア子爵領は落ち着いていた。
サーシャ=サルヴェニアの父、スティーブ=サルヴェニア子爵も、難なく子爵領を統治していた。
きっと、大変だ、大変だと口にしていただけで、それほど統治も難しいものではなかったに違いない。何しろ、子爵如きが治めることができているのだ。ヴェスターのような優秀な伯爵が治めれば、より良く土地からの恵みを得ることができただろう。
(いや……今からでも遅くない。そうすればいいのではないか?)
サルヴェニア子爵領には、鉱山もある。交通の便の良さ故に、人の出入りも多い。ともすれば、広大なウェルニクス伯爵領の税収より、小さなサルヴェニア子爵領の税収の方が多いかもしれない。
そう思い、王都の社交の中で、それとなく宰相を担う侯爵家や官僚輩出の多い伯爵家の者にそれを提案したけれども、一蹴されてしまった。
隣地を治める伯爵ヴェスターに任せるより、優秀なサルヴェニア子爵に任せるべきだと、皆口を揃えて言うのだ。
ヴェスターは、さらに憤りを募らせた。
そうこうしているうちに、スティーブ=サルヴェニア子爵は、妻と共に事故で亡くなった。残ったのは、九歳の一人娘のみ。
ヴェスターは笑った。
これは、チャンスだ。
ヴェスターはすぐさま、国王に、正式に、サルヴェニア子爵領を、ウェルニクス伯爵領に組み込むことを提案した。
しかし、なんとそれは通らなかった。
「ウェルニクス伯爵。そなたには、自分の地を治める責任があるだろう」
「私は伯爵です。多少の領地が増えても、治めてみせましょう」
ヴェスターの言葉を聞いた国王アダムシャールは、落胆したようにため息を吐いた。
ヴェスターは内心、怒り狂ったが、国王に怒りをぶつける訳にはいかない。
「サルヴェニア子爵領を、そなたに任せることはしない。そなたが共倒れになったときの影響は計り知れないからだ」
「共倒れになど!」
「そこまで言うなら、次代はそなたの血筋に任せよう」
驚いた顔のヴェスターに、国王アダムシャールは告げる。
「今のサルヴェニア子爵領は、子爵代理サイラス=サルヴェニアが統治している。サイラスが潰れたら、他の者を子爵代理として宛てがう。そして、子爵サーシャ=サルヴェニアが成人した暁には、その婿が子爵代理として、あの地を治めることとなる」
「陛下」
「その婿を、お前の息子から選ぶこととしよう。歳の頃が合うのは、三男のウィリアムか? まあ、好きに選ぶといい。そして、教育を怠るな。あの地はそなたが思う以上に難しい」
ヴェスターは、謹んでその王命を承った。
こうして、ヴェスターの三男ウィリアムは、サーシャ=サルヴェニア子爵の婚約者となったのだ。
ウィリアムには、サーシャの心を捉えておくように、口を酸っぱくして言い聞かせた。
そして、長男と同程度の教育を施し、通わせるのは嫡男だけでいいかと考えていた王都の貴族学園にも通わせた。
下級、中級、上級、特別の4クラスのうち、ウィリアムは特別クラスには編入できず、上級クラス止まりだったが、特別クラスは王族や侯爵家、辺境伯家あたりがゴロゴロしているクラスなので、出自が田舎の伯爵家の場合は、編入できないこともあるだろう。
上級クラスでの成績は上々で、これならば国王も満足するに違いない。
できれば、サーシャ=サルヴェニア子爵との仲睦まじさを学園内でもアピールしておいてほしかったが、肝心のサーシャ本人が貴族学園に通っていないのだという。
なにやら、サイラス子爵代理とウィリアムからの情報によると、子爵サーシャは自堕落で、統治は全てサイラス=サルヴェニア子爵代理に任せ、多少統治の手伝いをする以外は遊び呆けているのだという。
「ウィリアム、お前、そんな相手が婚約者で大丈夫なのか?」
「大丈夫だよ。会うと僕の話に夢中で、僕に惚れているみたいだし。でも、心配だな。あの子、いつも疲れていて、大変そうにしているんだ。学園にも通わずに手伝いをしているだけのはずなのに、要領が本当に悪いんだと思うよ。現に、サイラスおじさんはいつも僕を出迎える余裕があるみたいだしさ。結婚後が心配だよ」
「まあ、そこはお前がフォローしてやってくれ。国王陛下も、そう思って、お前を彼女の婚約者にしたんだ。子爵領の実権を握りやすくていいじゃないか」
「まあね」
余裕の笑みを見せるウィリアムに、ヴェスターは安心していた。
そして、確信を抱いた。
やはり、サルヴェニア子爵領の統治の難しさというのは、誇張されていたのだ。
サイラス子爵代理は、貴族学園で会ったことがあるが、大した男ではなかった。へらへら笑いながら、下級クラスでだらだら日々を過ごしていただけの不真面目な学生だった。そんな彼がサルヴェニア子爵領を治めていて何の問題もないのだから、サルヴェニア子爵領の統治は、間違いなく、大して難しいものではない。
国王を始めとする国家中枢部は、『サイラスは優秀さを隠していた』『さすがはサルヴェニアの血筋』などと評価していたが、とんでもない。あれは、知性に劣る、モラルのない、怠惰な男である。
こうなったら、後はサーシャの成人を待ち、ウィリアムが婿としてさらにサルヴェニア子爵領を盛り立てていけばいい。そうすれば、ウェルニクス伯爵家の力を、国中が認めるだろう。今後、ウェルニクスの血筋から、新たな伯爵、いや、侯爵を生み出すことだって、夢ではない……。
そう目論んでいたのだ。
そこでまさかの、サーシャ=サルヴェニア子爵の失踪である。
サルヴェニア子爵領を任されたサイラス子爵代理、そしてウェルニクス伯爵家が、子爵サーシャの管理を徹底できていなかったことは火を見るより明らかで、これで両者に対する国王の信頼はガタ落ちになったことだろう。
ヴェスターは、顔から火を吹く勢いで、ウィリアムを叱り飛ばした。
「ウィリアム、お前は何をしていた!?」
「……」
「サーシャはお前に惚れていると言っていたではないか。そのお前に、なんの相談もなく、彼女は消えたのか!?」
「……少し、喧嘩をして……」
「なんだと!?」
話を聞いてみると、どうやらサーシャは、ウィリアムと喧嘩をした後、姿を消したらしい。
つまり、子爵の失踪自体に、ウェルニクス家が直接関わっている。最悪の事態である。
「なんてことをしでかしたんだ!」
「父さん、待ってよ! そんな、家を出るような内容の喧嘩じゃないんだ。僕はその、少し、本当のことを言ったくらいで」
「何を言ったんだ」
「……要領が悪いんじゃないかって」
「それだけで家出までするはずないだろう!」
「そ、そうでしょう!? だから、僕のせいじゃない!」
ヴェスターは唇を噛んだ。
詳細はよく分からないが、息子との喧嘩の後に、サーシャが失踪したのは事実だ。
ウェルニクス伯爵家の力を見せるどころの話ではない。
なんとかしなければ……。
「ウィリアム。お前、今すぐサルヴェニア子爵領に行け」
「えっ。で、でも、卒業式が」
「それどころじゃない、お前の未来がかかっている。サーシャが失踪したら、次の子爵は叔父の子爵代理サイラスだ。その跡目は、サイラスの息子セリムか娘ソフィアが継ぐことになるだろう。息子のセリムは、騎士を目指している。恩を売りながら、娘のソフィアの婿の地位をもぎ取れ」
青ざめたウィリアムは、反論することなく頷き、自室に下がった。ようやく、自分の立場が分かったのだろう。遅すぎるようにも思うけれども、まだ間に合わない訳ではない。
別に、十八歳の小娘が居なくなろうとも、子爵領の統治は恙無く進むのだ。ならば、そこでの有用性を、ウィリアムが示せばいいだけのこと。子爵代理の娘でしかないソフィアに、我が伯爵家の息子との婚約よりも、いい縁談が湧いてくることもあるまい。
まだ大丈夫。
奇しくも、サーシャが毎日唱えていた言葉を呟いたヴェスターは、まだその時は笑うことができた。