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5 ガイアスとサリエラ




 ガイアスは、一目見ただけで、サリエラを気に入った。


 小柄な体に、一つに結ばれたストレートの金髪、若葉色の瞳は親しみやすく、何よりその顔は非常に可愛らしい。

 着飾ってはいないが、着飾ればかなりの美女になる。

 美人の原石、しかも自分の魅力に気がついていない様子なのが、ツボに入った。自分の女として磨きあげたい男心である。


 そして、話をして、更にサリエラを気に入った。

 減らない口、会ったこともないガイアスを即座に次期辺境伯と判ずる知識と知恵、男慣れしていない素ぶり、何もかもがガイアスの心を捉えた。


 要するに、どちゃくそ好みだったのである。


 それに、気になることもある。


「私にご用がおありでしたら、上司と共に参ります!」

「仕事の話じゃないんだがなぁ」

「業務命令でないなら、退室いたします」

「業務命令ってことにしてもいい」

「ガイアス卿!」

「何をそんなに逃げる必要がある? 少し話をするだけだ」


 サリエラには、逃げる必要しかないのだ。

 ガイアスに目をつけられても、サリエラには何のメリットもない。デメリットしかない。

 サリエラがサーシャ=サルヴェニアだとバレた場合、実家や王家に告げ口されるだろうし、身柄を拘束されるに違いない。

 そうではなく、気に入られて出世するのであっても困るのだ。何やら、ジェフリーという高官がサリエラを気に入っている様子で、統治部に呼ばれる気配がひしひしとしているが、今のサリエラは支出担当の経理以外のことをするつもりはない。


 警戒するサリエラに、ガイアスは使用人に命じて、茶を出した。


「何のおつもりですか」

「いや、な。暇だから話に付き合え」

「私は業務を抱えています」

「俺が許す」

「……」


 結局、サリエラは諦めた。

 というか、茶に添えられた菓子に釣られた。


 サリエラにとって、子爵家での数少ない楽しみがお菓子だったのだ。

 しかし、旅をし、こうして平民として働く中、頻繁に菓子を楽しむことはできない。

 仏頂面で警戒していたサリエラが、幸せそうにモリモリ菓子を頬張る姿を見て、ガイアスは失笑した。

 その笑い声で、サリエラは我に返り、頬を真っ赤に染める。


「失礼いたしました!」

「いや、食えといったのは俺だ。そんなに美味しそうな顔を見られるとは思っていなかったが」

「……!」

「あんた、どこから来たんだ? この辺の者じゃ――というより、平民出身じゃないんじゃないか?」


 お茶のカップを手に取る動作一つをとっても、サリエラの仕草は洗練されている。幼い頃から無意識に叩き込まれているやつだ。


「そうですね、奴隷出身です。と言ったらどうするんです?」

「まあ別にどうもしないが」

「まあ、奴隷の方が後腐れないですものね。どこぞの貴族やその一族だった方が、後々面倒でしょう」

「それで、お前はそうなんだろう?」

「いいえ? どちらかというと奴隷でしたね。仕事の奴隷」

「あー、あんた仕事できそうだもんな。言い得て妙だ」

「効率について考えろと言われた役立たずですよ」


 肩をすくめるサリエラに、ガイアスはくつくつと笑う。


「それを言った奴は大した自信家だ」

「……もう仕事に戻っても?」

「いいよ。邪魔して悪かった。後で経理部長には根回ししとこう」


 こうして、サリエラはよく分からないままに、ガイアスから解放された。


 ……と、思っていたが、当然ながらそんなことはなかった。


「よぉ。また中庭で食ってんのか」

「……閣下」


 ゲンナリした顔で迎えるサリエラに、ガイアスは朗らかに笑う。

 ガイアスは毎日、中庭で昼食を摂るサリエラの元にやってくるのだ。そろそろ経理部でも噂になっていて、やりづらいことこの上ない。


「まあそんな顔せず付き合えよ。ここに戻ってから、話の合う女が居ないんだ」

「選り好みしすぎでは?」

「それはまあ、そうだ」

「大体、私達、話が合ったことあります?」

「俺は鼻っ柱の強い、頭のいい女が好きなんだ」

「毎日夫婦で嫌味の応酬でもしたいんですか」

「夫婦とは気が早い」

「私とあなたのことじゃありません!」

「あんた、初心だよなぁ」


 顔を真っ赤に染めるサリエラに、ガイアスは楽しそうに笑う。


 実のところ、毎日中庭で話をしているうちに、サリエラはガイアスとの時間を楽しみにするようになっていた。

 ガイアスとの会話内容は多岐に亘り、国の情勢から近くの美味しいパン屋まで、何でも話をした。そして、どの話題であっても、阿吽の呼吸で返事が返ってくるのは心地よかった。

 そして、言葉や態度は雑だったけれども、いつだってガイアスはサリエラの言葉に耳を傾けていた。意見が違っても、頭ごなしに否定しないし、彼女の考えを尊重してくれる。

 大人の都合に巻き込まれ、利用され、働かされてきたサリエラにとって、ガイアスの彼女に対する態度は、乾いた土に水を撒かれたような、とても貴重で、嬉しいものだったのだ。


 だから、まずいと思った。


(これ以上は、ドツボにハマるわ)


 仕事の引継書をこっそり作り、家の荷物をまとめ、週末に家を出た。辞表は申し訳ないけれども、郵送で送ることにした。そして、日の高い中、ちょっと旅に出ますよーという体で、乗り合い馬車の順番を待っていたところで、体をひょいと抱え上げられた。


「えっ、なっ、何っ!?」

「やっぱりな」

「ガイアス様!? 何でっ……」

「そろそろ逃げると思ったから、見張らせてた」


 ガイアスの乗ってきたお忍び用の馬車に詰め込まれ、座席の奥に追い詰められる。


「なんで、その、逃げるなんて」

「実際これだろ?」

「ちょっとした旅行です!」

「休暇申請もせずに?」

「日帰りで」

「それにしては大荷物だな」

「女性の荷物は多いんですよ」

「そうか、じゃあ俺が運んでやろう」

「いい加減にしてください」

「サーシャ」


 サリエラは、ビクッと体を強張らせる。


「失踪中の、サーシャ=サルヴェニア子爵。あんたのことだろ?」

「……違う」

「そんな顔して、違うも何もあるもんかね」


 青ざめた顔のサリエラに、ガイアスはため息を吐く。


「私を、引き渡すの?」

「ん?」

「連れ戻すくらいなら、ここで殺してほしい」

「そいつはまた物騒だ」


 うーん、と頭をかくガイアスに、サリエラは耐えきれなくなり、はらはらと涙をこぼした。

 それを見たガイアスは、ギョッと目を剥いて慌てふためく。


「いや、待て。そうじゃない、落ち着け」

「……」

「とりあえず、話を聞きたい。何があった?」

「……」

「なあ。事情が分からなきゃ、あんたを庇えない」


 パチクリと目を瞬くサリエラに、ガイアスは拗ねたような口調で、「ったく、信用ねーな」とごちる。


「庇うつもりなの?」

「内容次第だがな。ま、あんたのことだ、大した悪さはしていないだろう」

「なんで?」

「ん?」

「ガイアス様には、関係ないでしょう?」

「関係あるさ。惚れた女の進退に関わる話だ」

「え!?」


 周りをキョロキョロと見渡すサリエラに、ガイアスはつまらなさそうな顔をする。


「なんだ。あんたまさか、気が付いてなかったとでもいうのか?」

「な、何を」

「……あんた本当にこういうの、慣れてないんだなぁ」

「えっ、でも、わ、私!? いやでもあの、嘘よね?」

「何でこんな嘘をつかなきゃならない」


 ぐい、と至近距離に寄ってこられて、サリエラは壁際ギリギリまで体を寄せるけれども、馬車の中なので逃げようがない。

 慄くサリエラに、ガイアスは獲物を捕まえた狼の笑みを浮かべる。唇を指でなぞられて、サリエラは体に火がついたみたいに恥ずかしい。


「ちょっと、離れてください!」

「俺はあんたが好きだよ。その鼻っ柱が強いところも、口が達者なところも、そういう慣れてないところも」

「……そんなこと、急に言われても」

「急じゃないと思うがな」

「私、だめです。逃亡中だし、ガイアス様に相応しくないから」

「へぇ。別に嫌って訳じゃないんだな」


 揶揄うような口調に、サリエラは顔を真っ赤にすることしかできない。


「俺に相応しいかどうかは、俺が決めるさ。周りが邪魔するなら、排除してやる。あんたがやることは、大好きな俺のことを信じて話す、それだけだな」

「誰が誰を大好きなのよ!」

「お前が俺をに決まってるだろ。惚れた女の気持ちくらい分かるさ」

「自惚れ屋!」


 結局、散々渋ったあと、サリエラはガイアスに事情を話した。

 そして、「なるほど、特に問題ないな。あとは任せとけ」と言ってのけたガイアスの腕の中で、サリエラは――サーシャは、わんわん声を上げて泣いたのである。




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