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21 初めての仕事



 それから、ソフィアは仕事に邁進した。


 初めての仕事は、勉強しかしてこなかったソフィアには新鮮で、驚きの連続だった。


 自分で最善と思ったことが、周りには迷惑になってしまうこともある。

 相手に伝わってなかったり、わからないことを聞くだけでも、タイミング次第では周囲の邪魔になってしまう。


 だから、ソフィアはやり方を教えてもらうときは、メモを取るように心掛けた。


 聞き取りながら、すべてのことをメモに取ることはできない。

 ポイントやキーワードを抑えながらメモを落とし、可能な限りその場ですべてを覚え、寝る前に習ったことを、別のノートに一通り箇条書きにしながら、頭の中で思い返し、脳みそにそれを刻み込んでいく。


 待機時間や作業時間も耳を澄ませて、周囲の先輩達が何をしているのかを把握しながら、やり方を盗み取る。

 特に大切なのは、顧客の情報だ。

 商家によく現れる人物の名前と顔、位置づけ。いつも声をかけるやり方、商会の誰と仲のいい顧客なのか、求めている商品は何で、取引の量とそのタイミングを、それとなく記憶に留める。これについては、安易にノートに落としてはいけない内容だと察知し、小さなメモ帳に暗号や記号を交えた形で記録を取り、起きているときだけでなく、寝ている間も身につけるようにした。


 それだけでなく、先輩達が、ソフィアの質問に答える時間を捻出する分の労力をカバーすべく、朝早く出勤して職場の掃除をし、雑用をこなして、できるだけ見習いの自分が周囲に与える負担を少なくするよう心掛ける。


「ソフィア。ちょっと根を詰めすぎじゃないか?」


 主人のライアンに心配されたときは、ソフィアは、さすがにやりすぎたかと眉尻を下げた。


「すみません。そんなに必死に見えましたか」

「いや、いいことなんだけどな。体調さえ崩さなければ、頑張りは応援したいと思っている」

「ありがとうございます」

「まあ、おおよそ大丈夫だろうとは思っているけどな」

「え?」

「お前さん、楽しくてやっているだろう」


 ニカッと破顔するライアンに、意表を突かれたソフィアは思わず頬を赤らめる。


 元々、ソフィアは何かに集中し始めると、それに対して根を詰める傾向にあった。

 それが、貴族学園でも中級クラスで常に成績トップであり続けることができた、彼女の本来の姿である。


 反復継続により知識を体にしみこませ、知識だけでなく実際にやってみて、現場を見て、手にやり方をなじませる。与えられた資料だけでなく、周囲の反応や教えている者の癖を知り、次に自分に与えられる()()がどのようなものなのかを予測する。


 立ち向かうべき壁に向かって、まるで遊戯のように攻略を極めていく。


 それがソフィアの本質に合ったやり方なのだ。

 これをすることで、ソフィアはさらに、()()()()()()()()()()()()()()


「よく、わかりましたね」

「そりゃあ、お前さんの師匠だからな。それに、俺は商人だ。人を見る目があってなんぼってことだよ」

「……はい」

「それに、見る目があったのは俺だけじゃない。ウィリアムのやつもだな」


 目を丸くするソフィアに、ライアンは面白いものを見つけた少年のような顔をしている。


「お前さんをこの商会に誘いたいって言い出したとき、奴は言ってたよ。彼女はこの仕事に向いている人物だってね」

「向いてる、というと」

「空気を読めて、勝気で利発で――人や物ごとの機微を読むことを楽しめる人だとさ」


 驚いて言葉もないソフィアに、ライアンはニヤリと笑った。


「あいつもなかなかのもんだろう?」

「……はい」


 ソフィアが嬉しそうにしている理由を察したのか、ライアンは「ま、ここから先は野暮な話だな」と言いながら去っていった。


 自分が褒められたことは、もちろん嬉しい。

 ウィリアムに、認められていたことも。


 けれども、きっと一番嬉しい理由は、他にある。



****


 こんな会話をした頃には、ソフィアが就職して一ヶ月が経過しようとしていた。


 要するに、初めてのお給料が出たのである。


「ソフィア、今月も頑張ったな。給料は口座に振り込んであるぞ」


 ライアンに言われて、その日は早めに仕事を切り上げることにした。

 作ったばかりの通帳を記帳にいく足取りの軽かったこと。


 ちなみに、その頃には、ソフィアは、『ソフィア=ライアット』と名乗るようになっていた。

 通帳も、ライアット名義で作った。

 これは、『サルヴェニア』の苗字を名乗っていては商売にならないだろうというライアンの勧めによるものだ。とりあえず、商家での職名登録をソフィア=ライアットで登録しておいたと言われたので、特段異論のなかったソフィアは、それをそのまま使っているのだ。


「ソフィア、初めてのお給料はどう?」

「……」

「ソフィア?」

「少ない」


 一緒に銀行にやってきたウィリアムは、その言葉に目を丸くした後、声を上げて笑い始めた。

 不満げにしているソフィアにジト目で見られて、せき込みながら、必死に笑いをこらえようとしている。


「ええと、念のため聞くけど。何と比べて?」

「お給料、もっと多いはずって聞いていたのに」

「多いよ。多いとも。でも、そうか。給与明細を見るのも初めてだったよね」


 僕がそれを見るわけにはいかないから、ざっくり説明するね、と言われ、ソフィアは明細と通帳の内容を見ながら頷く。


「といっても、簡単なことだ。お給料が二十万ジェリー入るとします」

「はい」

「そこから、税金が約三千ジェリー引かれます」

「……はい」

「さらに、組合費が約五千ジェリー引かれます」

「…………はい」

「追加で、国に対して医療保険料と、働けなくなった時の積み立て金を合わせて約二万ジェリー払います」

「………………はい」

「これらは、全部、お給料をもらった時点で君が支払いをしなければならないものなので、全部引いた後の金額が君の口座に振り込まれています」

「……………………はい」

「なので、二十万ジェリーのお給料のうち、君の口座に入るお金は」

「十七万二千ジェリー」

「相変わらず計算が早いね」


 くつくつ笑っているウィリアムに、ソフィアは不満げな顔を向ける。


「ついでに、来年になると税金が一万ジェリー近く上がります」

「!?」

「前年度のお給料に応じて払う税金っていうのがあるからね」

「税金なんて滅びればいいのよ」

「元領主一族の言葉とは思えないね」

「もう平民だからいいの」

「それで、どう?」


 ウィリアムの言葉に、ソフィアはこれまでの不満そうな顔を止めて、思わずと言った様子で破顔する。


「嬉しい」


 通帳を大切そうに抱きしめているソフィアに、ウィリアムは「僕もそうだった」と頬をほころばせる。


 浮かれた気持ちで銀行を出た後、ソフィアはウィリアムと共に、飲みに出た。

 ウィリアムが、初給料祝いに食事に誘ってくれたのだ。

 もちろん、会場はあのときに入った、カジュアルな個人レストランである。


 白を基調としたそのお店は、温かい雰囲気でソフィア達を迎えてくれた。


「先日は途中で飛び出してしまって、すみませんでした」

「ソフィアさん、いい顔になったね」

「ジョゼフさん」

「初めてのお給料、おめでとう」


 ウィリアムの知人であった店員ジョゼフは、嬉しそうにソフィアを寿いでくれた。

 頭を下げるソフィアをエスコートして、二階の個室席へと案内してくれる。


 実は、このお店はラングレー商会の商談でよく使う店なのだ。

 だから、二ヶ月に一回しか来ることができないと言っていたウィリアムが、顔なじみになることができている。


「ソフィアはもうここでの商談に連れてきてもらった?」

「一回だけ」

「いいなあ。その分、僕が連れてきてもらう回数が減ったんだよね」

「でも、仕事だと思うと、全然気が休まらなくて。だから、ウィリアム様と食べる今日のお肉が、一番美味しい」


 その言葉に、ウィリアムは声を上げて笑った。


「僕と初めて来たときよりも?」

「あのときと比べる?」

「それもそうだ」


 それから、二人は色々なことを話した。

 初めての職場で苦労したこと。楽しいこと、苦しいこと。

 一人暮らしを始めて、驚いたこと。毎日の食事を自分で用意しながら働く大変さ。掃除や洗濯が行き届かなくて、自分達が侍従侍女達にどれほど助けられていたのかということ。


「それにしても、自分でお金を稼ぐって、こんなに素敵なことだったのね」

「税金と領主が、割と本当に恨めしいよ」

「現領主一族の言葉とは思えないわ」

「ふん、領主一族って言っても、三男なんてほとんどただの平民なんだから、こんなもんだ」

「ふーん」

「そういえば、サーシャはそのお給料のほとんどを、サイラスに取られていたわけだけど」

「なんてことなの。そんな悪い奴は北の修道院に送り付けてやればいいのよ」

「それ、君が言う?」

「言う言う。なによ、サーシャ姉さんを放っておいた奔放な元婚約者様は、私の暴言を止めるの?」

「いや、全力で同意するね」

「そうでしょう?」


 二人でけらけら笑いながら、グラスワインを手に、改めて乾杯する。

 こんなに心の底から笑ったのは、いつぶりだろう。

 あまりに笑いすぎて、腹筋が引き攣れそうだ。

 きっとソフィアは、この日のことを一生覚えているのだろうなと、心のどこかでそう思う。


「ここは私が払います」

「後輩におごってもらうなんて、先輩の風上にも置けないやつになっちゃうだろ」

「前回、おごってもらったもの。今日は私のお給料が入った日だから、私が払うんです」

「僕のお給料が入った日でもあるんだけど」

「あら」


 受付前で笑いあう二人に、店員の目は優しい。

 結局、二人はお互いがお互いの支払いをするということで合意して、その場で支払いを終えた。


 後日、ソフィアは初めてのお給料で、ウィリアムに万年筆を贈った。

 ウィリアムは驚きながらも、とても喜んでくれた。


 その笑顔を見ながら、ソフィアはふと思う。


 ウィリアムのためになけなしのお金を使ったけれども、惜しいとは思わなかった。


(お母様を養うためだと思うと、とても惜しく感じたものだけど)


 自分の心の変化に、ソフィアは不思議に思いながらも、結論を出すことなく、そのままにしておくことにした。


 変わっていく自分。

 不思議に思うことはあっても、その変化はソフィア自身にとっても心地のいいものだ。


 だから、きっとそのままにしておいて大丈夫。




ライアット……どこかで聞いた名前ですね……。


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