12 兄の提案とガードナー辺境伯領
それから、ソフィア達一家は王都へと向かった。
ジェファソン子爵家を訪ねた半月後に、王都で、騎士になるための夏試験が行われていたからだ。
騎士試験は年に4回行われており、出世の早い上級試験と、見習いから始まる一般試験が同日中に行われる。
冒険者として名を上げた訳でもなく、貴族学園の卒業資格もないセリムが受験できるのは、一般試験だけであった。
セリムは貴族学園での基礎知識を活かして騎士試験に合格し、翌月から勤務が始まることとなった。
しかし、その頃には路銀が尽きかけており、セリムは毎日のように苛立っていた。
「二人とも何やってるんだよ! 仕事をしろよ!」
「仕事ならしてるわよ。家のことを管理してるじゃない」
「何を言ってるんだよ、母さんは金を使うばかりで何もしてないだろ!」
「私の仕事はお金を使って家の管理をすることだもの」
「浪費は仕事じゃない! 家事の一つもしないくせに!」
「家事は私のような高貴な存在がするものじゃないのよ!」
「何が高貴だ、母さんは今も昔も、結局は平民じゃないか!」
顔を赤黒く染める母ジェニファーに、セリムはくだらないものを踏んでしまったかのようにやるせない顔で部屋を出ていく。
ジェニファーは子爵令嬢だった。貴族の子供は貴族として扱われるけれども、実際のところ何かの爵位を有している訳ではない。
子爵の妻や、子爵代理でいる間は、一代子爵の身分を手にすることができる。しかし、けれども、子爵代理の妻にすぎないジェニファーには、貴族としての身分が元々与えられていなかった。
そのことは、ジェニファーにとって耐え難い屈辱であったらしい。
「あの人が言ったのに」
「……」
「苦労させないって。爵位はなくても、お金だけは使えるって、言ったくせに!」
中古で買った机を爪でカリカリと引っかきながら、恨みのこもった目で宙を見つめる母に、ソフィアは気配を消しながら台所に下がる。
ソフィアはこれからの行き先に悩んでいた。
母ジェニファーは家のことは何一つしない。
兄セリムも、騎士試験の受験を盾に、家のことは何一つしない。
ソフィアは、三人分の家事を一手に引き受けながら、しかし就職には前向きになることができず、この半月を浪費してしまった。
(いえ、浪費じゃないわ。買い物一つとっても、慣れていなかったんだから。洗濯だって、こんなに毎日したことはないし……)
ソフィアは王宮侍女の基礎講座の中で、洗濯や炊事関連は一通り学んでいた。とはいえ、貴族学園卒業者は、そこまでの下働きをすることは少ない。チーフとして洗濯担当に指示を出すことがある程度だ。
だから、こんなにも毎日、家事をするということは、ソフィアの負担になっていたのは事実だった。
(……)
しかし、だからといって就職活動ができなかった訳ではない。
ソフィアは持ち前の優秀さで、この生活のための肉体労働にも早々と慣れ、効率化を図ってきた。
言い訳なのだ。
母に家事を手伝うように言わないのも、兄に苦言を呈さないのも、全て自分を誤魔化す言い訳。
(私が働いても……私の分まで、学費は貯まらない)
それが、ソフィアがここから動けない本当の理由だった。
二年以内に、貴族学園の学費を貯めれば、復学することができる。
けれども、母と兄と自分の三人が馬車馬のように働き、多少の借金をした上で、兄一人を残り一年、通わせることができるかどうか。
しかも、兄が復学した後は、母とソフィアの二人で、借金の返済費用と生活費を稼がないといけないのだ。
どう考えても、そこにソフィアの二年分の学費を貯める余力はない。
ソフィアは唇を噛み、悩みながらも、自分の復学への道が見えず、家事をしてただその日を過ごしてしまう。
そんな彼女に話を持ちかけてきたのは、意外なことに兄セリムだった。
「ソフィア。お前、ガードナー辺境伯領まで行ってこい」
「えっ」
「お前が働かない理由は分かってる。けど、このまま母さんとお前を養ってたんじゃ、僕も共倒れだ」
「兄さん、いいの? ……兄さんの学費だけでも貯める方が、まだ」
「母さんが動かない限り、そんなの無理に決まってるだろう! お前一人が働いて、学費と生活費を稼げるっていうのか! それとも、二人分の学費や生活費を借りる当てがあるとでも!?」
兄の怒気に、ソフィアは俯くことしかできない。
本当であれば、セリムとソフィア、二人分の学費を借りることができればよかったのだ。
学園卒業後のセリムとソフィアの得る給料を見込んで、お金を貸してくれる人がいれば、なんの問題もなかった。
けれども、貴族学園の二人分の学費となると、相当な金額だ。その辺の商人が、平民であるソフィア達に簡単に貸せる金額ではない。
かといって、慈善事業として奨学金制度を打ち立てている貴族を頼るには、ソフィア達一家は、あまりにも評判を下げすぎた。母方の実家、ジェファソン子爵家が、手切れ金を最後に、お金を貸してくれなかったのだ。
唯一道があるとしたら、ガードナー辺境伯家。
ソフィアの従姉妹、サーシャ=ガードナー。
「サーシャに縋ってこい。借金を頼み込むんだ。ようやく、往復の旅費が貯まった」
「兄さんが行かなくていいの?」
「行きたいに決まってるだろう! 僕が今、どんな気持ちで働いていると思ってるんだ!」
セリムは騎士団の中で、針のむしろなのだ。
爵位を持つ騎士達からは、あのサーシャ=サルヴェニアに酷い扱いをした非道な人間だと避けられ、蔑まれている。
平民の騎士達も、セリムの噂を知っているらしく、入団したばかりの彼を腫れもののように扱う。
何より、貴族学園を卒業した顔見知りの先輩達が、一代男爵の地位を持った状態で、エリート騎士としてスタートしているのだ。
他の部署に行くたびに、元先輩達の視線が痛い。
何より、来年には卒業し、自分もそこにいたはずなのにと思う気持ちが、セリムを追い詰める。
「……僕が今、仕事を辞めたら、全て終わりだろう」
銀貨の入った袋をソフィアに渡すと、セリムは「無駄遣いするなよ」と言って、背を向けた。
ソフィアは、セリムに頭を下げて、「兄さん、ありがとう」と言ったけれども、返事はなかった。
****
ソフィアは、すぐさまその金を持って、ガードナー辺境伯領へと旅立った。
とうとう一人になってしまったその道のりに、ソフィアは思った以上に、精神的な負荷を感じる。
今まで、なんだかんだ、ソフィアの周りには人がいた。
誰に責められても、母はソフィアの近くにいたし、何より、兄セリムに守られてきたのだ。
女性の一人旅だ。
旅路で襲われないよう、髪はまとめて帽子に入れ込み、汚い平民の少年服に身を包み、口数も少なくして、そこそこの路銀を持っていることを悟られないよう、用心しながら進んでいく。
(サーシャ姉さんは、どうしていたんだろう。こんなふうに、ガードナー辺境伯領まで、たった一人で……)
嫌にならなかったのか。
恐ろしくはなかったのか。
そんなふうに思ったところで、ソフィアは、違うと首を振った。
そんなことが気にならないほど、サーシャはサルヴェニアが嫌だったのだ。
ソフィア達の横で、それほどまでに、彼女は追い詰められていた。
そこまで思って、ソフィアは目からこぼれ落ちるものに気がついて、慌てて目を拭う。
違う、違うのだ。
これは、ちょっとした気の迷い。
一人で歩いているから、少しふらついただけ。
そう念じながら、ソフィアはただ、ガードナー辺境伯領を目指す。
そうして、なんとかガードナー辺境伯領に辿り着き、狭いけれども安全そうな清潔な宿で、湯浴みをし、汚れを落としたときには、何故か涙が止まらなかった。
次の日になり、唯一大事に包んでいた面会用のドレスのシワを伸ばして、なんとか身につけたソフィアは、鏡の前で自身の姿を確認する。
旅の間に、金色の髪も白い肌も日に焼けて荒れていたけれども、まだなんとかドレスを着こなすことができる見目だった。
こんなことになる前の美しい自分の姿を思うと泣けてくるが、今は泣いている場合ではない。
ソフィアは安いけれども見目の良さそうな靴を買い、バッグを揃えて、見た目の仕上げに入る。
こうして、ようやく彼女は、ガードナー辺境伯家の前までやってきた。
お待たせしました、更新が遅くなって本当にすみません!




