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8 情の薄さ


 新学期が始まり、ソフィアは貴族学園に戻った。

 貴族学園の第二学年として、一学期の授業を受け始める中、セリムの言葉が頭をよぎる。


『いいから、領主になれそうな男を見繕ってこい』


(無茶苦茶ばっかり言って)


 しかし、ソフィアにも自分に残された選択肢が少ないことだけは分かっている。


(サルヴェニア子爵になれそうな夫を見つけるなんて無理よ。だとしたら、どうすればいい?)


 あの子爵領から逃げる方法。

 けれども、貴族としての立場を失わない方法。


 ソフィアは覚悟を決めて、クラスメートの男子に声をかける。


「ごきげんよう、ネイサン」


 声をかけた相手は、ネルブス子爵家の嫡男であるネイサン=ネルブスだ。

 どこにでも居そうな茶色の髪、鈍い青色の瞳の、冴えない同級生。

 けれども、彼は嫡男で、何よりソフィアのことを気に入っていた。いつも食事に誘われては、ソフィアはすげなく断っていた。


「ソ、ソフィア。ごきげんよう……」

「ねえ、ネイサン。今日は新学期も始まったばかりで授業も少ないし、よかったら放課後に」

「いや、ごめん。実は放課後は、友達と約束があって」

「そう? でも、日にちを変えても全然」

「ああ、ええと。第二学年に上がったばかりだし、そろそろ勉強に集中しようと思うんだ。俺はクラス一位のソフィアと違って、授業についていくだけで精一杯だからさ」


 そう言われてしまうと、ソフィアには言い返す術がない。

 気まずい様子を隠すこともなく、へらりと笑って逃げるネイサンに、ソフィアは苛立ちを感じながらも、笑顔で退散する。


(何よ。今まであんなにしつこく誘ってきたくせに)


 いつも遊びに行こうと誘い、日にちを変えてもいいと言っていたのはネイサンの方だった。ソフィアが「みんなでなら」とすげなく断ると、クラスメートたちも、「ネイサンは諦めが悪いなあ」「ソフィアがお前なんかになびく訳ないだろ!」とからかってきていた。

 だというのに、この態度はなんなのだろう。


 それから、何人か、貴族学園でソフィアに声をかけてきていた男達に、ソフィアの方から声をかけてみた。

 クラスメート、部活動を同じくする先輩、中級クラス繋がりで学年を超えて行うグループ活動で一緒になった後輩。

 しかし、全員がそれとなくソフィアの誘いを断ってくる。


(なんなの? 偶然にしても、全員が予定が合わないなんてことはあるの?)


 気のせいだと思いたい気持ちで、苛立ちを押し消そうとするも、違和感は段々大きくなっていく。


 そして、おかしいのは男達の様子だけではなかった。


「ね、リアナ。レポートチーム、一緒に組みましょうよ」

「……ごめんなさい、ソフィア。もう他の子と組んでしまったから」

「えっ。でも、一人くらい増えたって」

「もう作業を進めてるの。だから、ごめんなさい」


 そそくさと去っていくクラスメートに、ソフィアは目を塞ぐことができなかった。


 ソフィアはおそらく、クラスメート達に避けられている。


 極め付けは、一番仲が良いと思っていたライカの態度だった。

 ソフィアのクラスメートで、ラフォルト伯爵家の傍系の令嬢。


「ねえ、ライカ。一体なんなの?」

「……ソフィア」

「最近のあなたの態度、酷いわ。言いたいことがあるなら言ってよ」


 あんなに仲がよかったのに、今はソフィアが近寄っていっても、大した会話もなく去っていってしまう。数ヶ月前のテラス席でのことだって、ちゃんと謝って仲直りをしたというのに、今度は一体なんなのだ。


 ライカが一人でいるところに、そう持ちかけると、ライカは周りを見た後、ため息をついて席を立った。


「ライカ!」

「……ここじゃなんだから。集団自習室を借りましょうか」


 そう言ってライカはソフィアに冷たい目線を向けた後、自習室へと誘う。その視線に、一瞬怯みながらも、ソフィアは彼女の後を大人しくついていった。

 自習室に入り二人きりになると、ソフィアは今まで抱えて来た憤懣やる方ない気持ちを抑えられず、ついきつい口調で問い詰めてしまう。


「それで、一体なんなの?」

「ソフィア。あなた、学園中から避けられてるわ。気がつかないの」

「気がついてるわよ。だからそれがなぜなのかって聞いているの!」

「あなたがサルヴェニア領を放って、この貴族学園でのうのうと過ごしていることを、軽蔑しているからよ」


 え、とソフィアはその場で固まる。

 言われた言葉が頭に入ってこなくて、何度も彼女の言葉を脳裏で反芻する。


「ソフィア、あなた知らないの。サーシャ=サルヴェニア子爵の失踪と捜索について、全貴族に対して、国王陛下主導で通知が来たのよ」

「……知ってる」

「でも、それがどんな意味を持つか、考えなかったのね」


 射抜くような視線で見てくるライカに、ソフィアは返す言葉がなくて黙りこくる。

 そんなソフィアに、ライカはため息を吐いた。


「サルヴェニア子爵領のこと、私も知っているわ。統治の難所。子爵が何人も逃げて、サルヴェニア一族が着手してからようやく落ち着いたって」

「……そう」

「サーシャ=サルヴェニアが失踪した理由は、国王陛下からの通知には載ってない。だけど、彼女が失踪した後、サルヴェニア子爵領が荒れていて、官僚が逃げるように辞めていってることは、みんな知ってる」

「えっ……」

「ソフィア。私はいつか聞いたわね。同じ質問を、もう一度するわ。――あなた、なぜ今、この学園に通っているの?」


 ライカの真っ直ぐな瞳を、ソフィアはもはや受け止めることすらできなかった。


「未成年の当主であるサーシャ=サルヴェニアが、貴族学園に通っていない。そして、彼女は失踪した。彼女が居なくなってから、自領は荒れに荒れている。婚約者のウィリアム様も、統治を手伝っている。だというのに、傍系のあなたとあなたの兄は未だに貴族学園に通っている」

「……サーシャ姉さんの分まで、勉強を」

「そんなことをしている場合ではないと言っているのよ」

「で、でも! 私が戻って手伝っても、大したことはできないわ。学園を卒業して、社会人になってから」

「それならせめて、卒業後は領地に帰るべきね。なのにあなたは最初から、王宮勤めを目指していたわ」

「それは」

「今もそうでしょう。いえ、今目指しているのは、貴族の嫡子の妻かしらね?」


 カッと顔を赤くし、顔を歪めたソフィアに、ライカは動じない。


「あなたにそんなこと、言われたくないわ」

「そう?」

「ライカ。あなただって傍系だわ。それでも、貴族学園に通ってる。あなたと何が違うのよ!」

「私の本家は、安定しているもの」

「だから許されるっていうの!? そんなのずるいじゃない!」

「そうよ、ソフィア。私は得をしている。そして、あなたもその仲間だと思ったから、私は『貴族の一族は得』だと言ったの。だけどあなたは違うみたい」


 違うと言われ、ソフィアは目の前が真っ赤に染まったような錯覚を覚えた。

 なぜソフィアだけが、こんな目に遭うのか。ライカだって、他のクラスメート達だって、こんな目に遭っていない。ソフィアよりも勉強ができず、努力を怠り、それでも貴族の一族でいられるというのに、ソフィアだけがこんな目に!


「ソフィア。正直なところ、得をしている私は、ソフィアが得をしたいと思っていたとしても、責めるつもりはないわ」


 ライカの言葉に、ソフィアの水色の瞳に希望の灯がともる。


「……なら、助けてよ」

「……」

「もう、嫌なの。サルヴェニアのことで悩まされるのは、沢山。何も贅沢をしたいと思っている訳じゃないわ。あの土地に生まれたばっかりに、こんなふうに悩まされるのは、もう沢山なの」


 真っすぐ前を見て生きていくことを邪魔する、サルヴェニア子爵領。

 ソフィアはあの憎くて邪魔な土地から離れて、自由に生きたいだけ。


 そう告げるソフィアに、ライカは目を伏せた。


「それはできないわ」

「な、なんでよ! 少し――そう、親戚を紹介してくれるだけでいいわ。あとは自分でなんとかする。ライカの家みたいに伯爵家とまでは言わないわ。子爵家や男爵家の嫡男を紹介してくれれば」

「あなたは、薄情だから」


 固まるソフィアに、ライカは伏せた目を上げ、隙のない貴族令嬢としての顔でソフィアに向き合った。


「サルヴェニアのことは気の毒に思う。それだけ優秀な頭脳を持ちながら、ソフィアが逃げ続けている気持ちも、分からなくはないわね」

「なら!」

「だけどソフィア。あなた、サーシャ=サルヴェニアを見捨てたでしょう」


 体の芯から凍るような気持ちになり、ソフィアは体を震わせる。


「あなたは、二つ年上の従姉を見捨てていた」

「知らなくて」

「そんな訳はないわ。私達のクラスで誰よりも優秀で、目端の利くソフィアが、気が付かないだなんて、そんな馬鹿なことがある訳がないもの」


 まさかの言葉に、ソフィアは息を呑んだ。


 中級クラスで、いつだって成績トップを維持してきたその頭脳。

 ……本当は、上級クラスでだってトップを取る自信があった。けれども、中級クラスに甘んじて入学した。その頂点で、()()()つもりになっていたけれども、まだ足りなかったのだ。

 まだ油断してはいけなかったのに、手を抜いて、中級クラスでクラスメートに才を見せつけてしまった。


 ソフィアは逃げきれていなかった。


 サルヴェニアを治めなければならないという、サルヴェニア一族の呪いから。


 ふと、下級クラスまで下げるべきだったと後悔したその瞬間、父の顔が思い浮かんだ。

 貴族学園で下級クラスに所属していたという、父サイラス。


『私もサーシャも、お前達と同じ年頃には、既に足掻いていたよ』


 サーシャが居なくなったと分かったときの、父の機敏な動き。才覚がないとは思えない理解の速さ。

 父は分かっていたのだ。

 「知っていて見捨てた」「できるのに手を出さなかった」とそしりを受けないよう、ソフィアの年頃には既に全ての対策を終えていた。


「身内を見捨てるあなたに手を差し伸べても、いつ私が捨てられるか分からない」


 ハッとソフィアが顔を上げると、ライカはもう、何の感情も浮かべてはいなかった。

 ただ、最後とばかりに、ソフィアのことを眺めている。


「だから私は、もうあなたの友達でいることはできないのよ。ごめんなさい」


 静かにそう告げ、去っていくライカを、ソフィアは追うことができなかった。



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