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4 私は悪くない


 ソフィアの日常は、あの日から、特に変わることはなかった。


 あの日感じた嫌な気持ちは、日々を過ごしていく中で、だんだんと小さくなっていく。



 そして、ソフィアは貴族学園に入学することになった。

 この国の貴族の子どもが、十五歳から十八歳までの三年間通う学園だ。

 一学年につき、初級、中級、上級、特別の四クラス編成である中、ソフィアは中級クラスにあてがわれた。子爵家の出で、当主の実子ではないソフィアが編入するクラスとしては、妥当なところである。


「ソフィア。入学決定、おめでとう。サーシャが学園に通っていない分、お前は沢山学ぶんだぞ」


 そう言って、入学祝いの品を沢山くれた父サイラスに、ソフィアも笑顔になる。


 あれから、サイラスは収入を失うことはなかった。

 昔と変わらず家にいるようになり、相変わらず、日中に何をしているのかはさっぱり分からない。

 けれども、笑顔が絶えない、家族を大切にしてくれる父が戻ってきた。子どもであるソフィアにとっては、それだけで十分だった。


(お父さんは、お仕事を少しさぼっているかもしれないけれど……ちゃんと『できる人』への引継ぎはしたんだし。それに、この世の中、みんなが正しく生きている訳じゃないわ)


 ソフィアの世界はとても狭い。

 彼女の世界は、サルヴェニア子爵邸の中で完成されている。


 しかし、それでも分かることがある。


 少しばかりさぼっている時間のある侍従。

 真面目で視野の狭い同僚に仕事を押し付けて、休暇を取る料理人。

 要領がいい侍女が、要領の悪い侍女の仕事を肩代わりしている姿。それに乗るようにして、自分の仕事も頼んでいる小狡い侍女。


 人は皆、毎日ほんの少しずつ、()()をして生きている。

 だけど、ほんの少しずるをしていたとしても、皆、全く仕事をしていない訳ではないのだ。

 それなりに仕事をしながら、ほんの少し、自分にとって効率よく生きているだけ。


 父サイラスもきっと、ほんの少しずるをしているのだろう。


 だけど、彼がそのままの様子で過ごしているいうのであれば、それはきっと、『ほんの少しのずる』なのだ。


(サーシャ姉さんも、そうすればいいんだわ)


 あの七歳のときからというもの、ソフィアはサーシャのことをほとんど見かけなくなってしまった。

 元々生活圏が違うと感じるくらいには接触がない状態だったけれども、ここ八年は、それにさらに拍車をかけた。


(子爵として働いているっていう話だけど。子どもにできることなんて大したことじゃないはずなんだから、逃げてしまえばいいのに)


 大人の父サイラスだって逃げたのだ。

 子どもであるサーシャが逃げて、誰が責められるだろう。


(貴族学園に通えばよかったのよ。学園に通うからって言えば、きっとお仕事からだって逃げられたはずだわ)


 一学年年上の兄セリムが既に入学し、ソフィアが来月入学する貴族学園に、二学年年上のサーシャは通っていない。子爵としての仕事を優先したいというのが、その理由だと、ソフィアは侍女から聞いていた。

 そのことに、ソフィアはずっと不満を抱いていた。


 貴族学園は、通う義務があるものではない。

 しかし、あの学園は、ただの『学校』という訳ではない。貴族としての、社交の場でもあるのだ。

 何しろ、学園に通うのは、次期当主や官僚候補、騎士候補達、彼らの伴侶や、王宮での使用人候補達といった、未来ある子ども達ばかりだ。彼らの学ぶ場に参加し、彼らと有用な関係性を築くことのメリットは、正直計り知れない。

 それに、貴族学園を卒業すると得られるものもある。

 卒業資格がある者は、官僚や騎士等の公的な立場に着任する際、着任当初から一代男爵の地位を賜ることができるのだ。要は、エリート枠での採用という扱いになるのである。


 だからこそ、騎士を目指す兄セリムはサーシャと違い、率先して貴族学園に通いたがった。


「父さん、僕は来年から、貴族学園に通いたいんだ」

「いいぞ」

「騎士になりたくて……えっ? いいの!?」

「ああ。うちは金には困っていないからな。サーシャも通っていないから、その分金も浮いているし」

「父さん、ありがとう!」

「ソフィアも、通いたければ再来年から行きなさい」

「わ、私もいいの!? お父さん、ありがとう!」


 一年前、貴族学園へ通うことを許されたソフィアは、自分が裕福な家庭で生まれた、恵まれた貴族の子であるという幸福な事実を噛みしめたものだ。貧乏貴族でなくてよかったと胸をなで下ろしたあの日のことは、一年経った今でも記憶に新しい。


 その分、サーシャのことが理解できないのだ。


(こんな大切なチャンスを、棒に振るなんて)


 今、ソフィアの目の前には、来月の貴族学園への入学という未来が広がっている。

 卒業後は、王宮で勤めるのもいい。サルヴェニア子爵領の近隣地を治める永代貴族の伴侶として、人脈を繋ぐ架け橋になるのもいい。

 それは、貴族の子として、順風満帆な未来だ。


 そんなふうに浮かれながら、サルヴェニア子爵邸の廊下を歩いていると、ソフィアの若草色の瞳に、サーシャの姿が映った。


 自分よりも少し背の高い彼女。

 領主としてジャケットを羽織ってはいるものの、ぼさぼさの金色の髪を一つにまとめ、若草色の瞳は曇り、目の下にクマを作っている、げっそりとした様子の、ソフィアの従姉。


 そのふらふらとした足取りから、ソフィアは目を離すことができなかった。


 先ほどまで思っていたことを、伝えることもできなかった。


 ――サーシャ姉さん。久しぶりね。

 ――なんで、そんなに頑張ってるの?

 ――お仕事なんて、できる人に押し付けてしまえばいいのに。


 その言葉が、喉で止まって、どうしても音になってくれない。

 ソフィアが固まったまま、視界の先にある廊下を横切る彼女を見ていると、ふらついたサーシャが何もない廊下で躓き、そのままこけて倒れこんでしまった。書類が床に落ち、それを彼女は、よたよたと拾っている。侍女もつけていないらしく、彼女の周りには誰も居ない。


「……大丈夫?」


 なんとか絞り出したのは、その言葉だけだ。

 しかし、その言葉はサーシャに届き、彼女は驚いたような、不思議なものを見るような顔で、ソフィアの方を見た。


「……大丈夫」

「……。そう」


 肌は荒れ、クマの濃い顔で、ぼさぼさの金髪を一つにまとめ、よろよろと書類を集め、立ち上がろうとしている当主のサーシャ。

 手入れされた艶やかな金髪に、整った肌、王都ではやりの美しい女性用のワンピースに身を包み、健康な姿をした、当主の従妹であるソフィア。


 ソフィアは、何かを言おうとして、何も言えなくて、そのまま背を翻して自室へと戻った。


 学園に入学すれば、学園の寮に入ることになる。サーシャとは、三年間、殆ど会うこともなくなる。


 だから、早く入学してしまいたいと、心からそう願った。





あと二話くらいで転落予定。


「疲労困憊の子爵サーシャ」二日前から発売中です!

帯内側にあるQRコードで読み取れる特典小説などもついてるので、是非是非お手に取ってみてください。


ちなみに特典SSの内容は、「その後のダグラスと鉱員達」で、あれだけワーワー言ってた鉱員達がダグラスにデレデレになってる誰得全8ページです。

ダグラス閣下の爆笑で、スカッとしていただけるかと。

よろしくお願いします!


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