3 ガイアス=ガードナー次期辺境伯
「サルヴェニア子爵が三ヶ月前に失踪した?」
黒髪碧眼のその男は、新聞を見ながら、眉根を寄せた。歳の頃は二十の半ば頃だろうか。豪奢な執務室で、椅子に背を預けながら、不快も露わにその記事を見る。
『サーシャ=サルヴェニア子爵(十八歳)、失踪』
『親族が探している。見かけた方は、ご一報を』
『ストレートの金髪セミロング、瞳は若葉色』
「姿絵もないのに探せというのも大概だな。しかしまさか、子爵本人が消えるとは恐れ入った」
「サルヴェニア子爵領なら、珍しいことではないですがね」
「そうなのか?」
男は机の傍に立つ執事に目をやると、六十代の執事は頷いた。
「坊ちゃんはご存知ないでしょうが、あの土地は特殊なのですよ」
「坊ちゃんはやめろ」
「では何と申し上げれば?」
「……若旦那、とか」
「坊ちゃんがご結婚なさったら考えましょう」
苦虫を噛み潰したような黒髪の男に、執事は素知らぬ顔だ。
この黒髪の男は、ガードナー辺境伯の嫡男、ガイアス=ガードナーである。十五歳から十八歳まで貴族学園に居たとき以外は、基本的に、この南の端の辺境伯領にて生活していた。
ガードナー辺境伯領は、とにかく暑い。冬でも暖かい。海に面しており、日焼けは当然。なによりの問題は、暑過ぎてドレスで着飾ることも難しいということである。
「こんな地に来てくれる、領地経営の知識のある賢い女性など居ない」
「別にいいではありませんか。お可愛らしい、お子を産んでくださる妻を娶ればそれでよいのです」
「……」
「うちの女性官僚の中から選ばれては?」
「もう少し、会話のキレと鼻っ柱の強さが欲しい」
「選り好みしていたら、あっという間にヨボヨボですよ」
「三十路を越える、くらいにしてくれ……」
ガイアスは、貴族学園で、上級クラスの上、特別クラスにいた。成績も良かったし、何より、辺境伯の嫡男であるガイアスは将来の辺境伯であり、貴族としての地位が高かったからだ。
するとどうだろう、同じクラスの女性陣は、美しいだけでなく、上位貴族の妻となる、はたまた女性官僚となるような優秀な女性が多かった。領地経営の話一つをとっても、内容を理解し、新たな提案までしてくる知的な女性達。ガイアスは、彼女達と過ごす魅力に、囚われてしまったのだ。
そして残念なことに、そういった女性達は、王都近くの貴族に嫁ぐか、王宮で働くことを望む者が多い。
三年間の学生生活で、甘いロマンスを体験することができなかったガイアスは、王妃級の知性を持つ女性への憧れだけを胸に、この常夏の辺境伯領に一人で帰ってきてしまったのである。
「母みたいに、『分かんなーい、すごいのね〜』しか言わない女性は嫌なんだ」
「さようでございますか」
「そこそこの知識のある女性は、身支度にも気を遣っていることが多い。日焼けの危険のある、ドレスを着られないこの辺境伯領には、来たがらない……」
「さようでございますか」
「誰かいないか?」
「……」
「……爺?」
「それよりも、サルヴェニア子爵領の話でしたな」
目を逸らす執事に、ガイアスは怪訝に思いながらも、続きを促す。
「あそこは交通の要所で、人の出入りが激しく、住民の気性も荒いのです。統治者にとっての難所で、先々代のサルヴェニア子爵が着任するまでは、短期間で領主が代わり続け、治安が乱れて手がつけられなかったのですよ」
「へぇ」
「逆に、あの地が落ち着いたことで、この国の経済レベルは一気に上昇しました。前子爵が倒れた時に、どうなるかと国中が固唾を呑んで見守っていたものです」
「結局、どうなったんだ?」
「前子爵の弟の子爵代理が立て直したということですよ。子爵本人は、当時九歳の娘でしたからね」
「その娘が、成人するや否や、失踪したと。……探さなくていいんじゃないか?」
失踪宣告で死亡扱いにすれば、その前子爵の弟とやらが、子爵となる。子爵代理からの出世だ。実態に形が伴うだけなのだから、問題ないだろう。
「それが、どうにも様子がおかしいようです」
「うん?」
「子爵が失踪してからというもの、子爵領内から官僚の流出が止まらないようですよ」
「へぇ……」
悪い顔をするガイアスに、執事は咳払いする。
「坊ちゃん」
「分かったよ。手は出さない」
「覗きにいくのもだめです」
「それは親父次第だな」
「……」
「父上次第だ。俺の一存じゃ決められない」
嫡男とはいえ、まだ結婚もしておらず、父の辺境伯が現役のガイアスは、こういった火種になりそうな問題の情報収集に、領内各地に出かけることもある。そして、ガイアスはそういったお忍びを好んでいた。その行き先が、領地の外になるのであれば、心躍っても仕方あるまい。
執事がため息を吐くと、ガイアスは執事に向き直った。
「それでさ」
「はい」
「俺の妻候補は、どんな子な訳?」
楽しそうなガイアスに、執事は嫌そうな顔をする。
「爺」
「身元調査ができてませんので、秘密です」
「爺は俺を結婚させたいのか、させたくないのか」
肩をすくめるガイアスに、執事はため息を吐いた。
「多分、坊ちゃんの好みだと思いますよ。会えばイチコロです」
「うん分かった、今すぐここに呼ぼう」
「ですからだめです」
「爺」
「だめです」
こうして、擦ったもんだの末、ガイアスは半月前から辺境伯領で文官として働いている、金髪緑目十八歳の娘の存在を聞き出したのだ。