8 侯爵の提案
家に帰り、泥のように寝て目を覚ました翌日。
仕事場に行く必要がなかったノーマンは、ずっと家でだらけていた。
何かしないといけないという気持ちはあったのだ。
しかし、頭の中で、今回の件について、ああでもないこうでもないと悩んだ結果、ノーマンの頭では分からないことだらけで、何を行動に移したらいいのかさっぱり分からず、ただゴロゴロと怠惰に過ごすことになったのである。
家具の少ない、ごみが隅に寄せてある殺風景な一間、その片隅に置いてある寝台にあおむけになったまま、ノーマンは舌打ちする。
(どうしてこうなった? 前とは違う。なんであのクソ領主は、俺達がいないのに、なんで採掘ができる?)
今どこを掘っていて、どの場所が危険で、どういった掘り方をして、何が必要で――。
そういった情報は、ノーマン達が、鉱山で働いていた先人たちから連綿と引き継いできたものだった。
そして、この情報がないと、鉱山の採掘はできないはずだったのだ。
『この情報はな、俺達の宝なんだ』
『宝?』
『そうだぞ、ノーマン。この情報がないと、採掘なんて危なくてできたもんじゃねぇ。場所を乗っ取ったとしても、しばらくは鉱山の状態の調査に時間がかかるから、採掘自体は止まる。するとどうなる?』
『ど、どうなるんだ?』
『一ヶ月、はたまた数ヶ月も調査に時間をかけてみろ。街にルビーが渡らなくなって、大暴動よ』
ガハハ、と笑う先輩達に、当時若造だったノーマンは尊敬のまなざしを向けたものだ。
彼らは既に現場を引退していったけれども、ノーマンは彼らの意思を引き継いでいる。詳しい理屈はノーマンの頭では分からないが、とにかく、この情報を渡さなければ、採掘をすることはできないのだ。だからこの宝を、ずっと大切に守ってきた。
なのに、何故。
(分からねぇ。俺には、分からねえ……)
ノーマンは、寝台の上で、ごろりと寝返りを打った。
仕事と、仕事帰りの酒以外に、ノーマンにやりたいことは無かった。
そして翌日、ノーマン達は領主官邸に集まってきた。
皆、見た目が多少こざっぱりとしている。牢獄に入っていた一ヶ月、伸び放題だった髭を整えたからだろう。
しかし、髭を整えた分。無くなった筋肉、衰えた顔つきがより露わになっていた。
この一ヶ月の牢獄生活と、鉱山を奪われた衝撃が、皆の体と心に大きな負担をかけている。
(あのクソ領主のせいだ。あの、悪魔……)
ギリギリと恨みの炎に燃えるノーマンの前に、その悪魔は現れた。
相も変わらず、顔に笑顔を貼り付けている。
「やあ、諸君。待っていたよ。今日は君達に提案があるんだ」
「その前に、これは一体どういうことだ。鉱山に手を出すとは、何のつもりだ! 説明しろ!」
怒鳴りつけるドミニク鉱山長に、ノーマン達は勢いづいた。
この一ヶ月、そしてここ数日のフラストレーションを全てぶつける勢いで、叫び散らした。
そうして数分後、ようやく落ち着いた会議場の中、ダークブロンドの悪魔は肩をすくめた。
「満足したかね? 本当に元気なことだ。羨ましいくらいだよ」
「俺達を煽るな。これ以上そういった態度をとるなら、こちらもそれ相応の覚悟を決める」
「なるほど、それは失礼。ではまず、これまでの経緯について説明しよう」
静まりかえった会議室の中で、悪魔はようやく、話を始めた。
「私は、君達を逮捕した。君達がやったことは、この国、この領内では犯罪だからね。しかし、君達がいなくなったことで、困ったことになった。我がダナフォール侯爵領のルビーを採掘する者が半数以下に減ってしまったのだ」
「なら、俺達を捕まえなきゃいいだろうが!」
「そうはいかない。悪いことをしたら、罰を受ける。その法則を捻じ曲げることはできない。だから、私は領主として、足りないものを補充したのだよ。北部オルクス鉱山は知っているかね」
全くピンと来ていない様子のノーマン達に、新領主はふむ、と顎に手を当てた。
「北部の有名なルビー鉱山だよ。鉄分の多い黒みがかった美しいルビーを産出している。そのオルクス鉱山のあるオルクス辺境伯領の隣地が、私の実家なのだよ。だから、隣地のよしみで、鉱員を融通してもらった」
足りないものの補充。物の話だと思ったそれに、人材のことも含めるというのか。
唖然とするノーマン達に、ダークブロンドの男は、悪魔のような笑みを浮かべる。
「いいかね? 私は、この地の領主だ。そして、鉱山は、私が管理することにした。もうあそこは、君達の鉱山ではない。君達が牢屋にいた一ヶ月で、私が認めた鉱員だけが採掘を行うことができる、領主直轄の鉱山に生まれ変わったのだ。そして、私の鉱山では、君達の存在は必要不可欠のものではない」
ノーマンには、理解できなかった。
何を言い出すのだ、この男は。
あの地は、ノーマン達のものだ。
ノーマン達でないと、採掘のできない、自分達だけの場所……。
「何故こんなことをする」
思考の海に沈みかけたノーマンの意識を揺り戻したのは、ドミニク鉱山長だった。
彼は、折れずにまだ、新領主に立ち向かっていた。
この悪魔のような男に。
「決まっているさ。君達の態度が、この街の癌だからだ」
悪魔はここで、今まで見せていた笑顔を消した。
怜悧なダークブルーの瞳が、冷たく光る。底冷えするようなその視線に、ノーマン達は息を呑む。
「君達は、気に入らないことがあると、声を荒げる。人を睨みつける。パニックを起こし、怒りのままに叫び散らす。酷いときは手が出る。優遇されてなお、それを当然のこととして、粗暴な態度を改めることもない。そしてそういった行為を、集団で行う」
怒りを露わにするダークブロンドの男に、もはや誰も、声を発することができなかった。
それは、ノーマン達が、当然だと思ってやってきたことだ。
ノーマン達の立場を守るために、必要なことで、正しい行為のはずだ。
なのに、この男は――。
「それは、この街にとって、不要なものだ。領地の発展のために、認めてはならないものなのだよ。怒鳴れば、希望が通る。そんな原始的な理屈がまかり通る世界など、このダナフォール侯爵領には不要」
この男は、それを否定する。
そしてその結果、この悪魔は、ノーマン達が守ろうとしたものを全てを奪ってしまった。
怒りと悔しさで、手が震える。
鉱山の周りにいた、兵士達を見た。
街をうろついていた兵士もだ。
そして今、目の前の悪魔を守るために配置された、護衛達。
今までのサルヴェニア領の兵士達とは、訳が違う。
装備は手厚く、魔法武器を持ち、何よりも、部隊長以上になると、ノーマン達に怯まず向き合ってくる気概がある。
今までのように暴動を起こしたところで、勝てる相手ではない。
そのことが、頭の悪いノーマン達にも、手に取るように分かった。
けれども、同時に気が付いてしまったのだ。
もう、手がない。
鉱山を奪われた。領民の協力もない。奪われたものを、奪い返す力がない。
このままだと、ノーマンの手には、何も残らない。
ずっと守ろうとしたあの場所、皆と生きていこうと思った世界、ようやく手にした仕事――ノーマンが守りたかったものは、もう戻ってこない。
あとは、どう落とし前をつけるか。それだけだった。
何も残らないノーマンに、ノーマン達に、できることは――。
「だからね。君達に、けじめをつける機会を与えようと思ったのだよ」
最後の最後に、全てを投げ捨てて戦おうとしていたノーマン達の戦意を削いだのは、目の前の領主だった。
気が付くと新領主は、先ほどまでの冷たい表情をしまい込み、今までのように笑顔を顔に貼りつけている。
けれども何故だろう。
不思議なことに、ノーマンにはその笑顔が今、彼の心からのものに思えた。
「私の前任がね。君達を必要だって言うんだよ。まあ、そう言っているのは前任だけじゃないのだが」
「……サーシャか?」
「そうだとも、鉱山長。サーシャ=サルヴェニア前子爵。彼女は君達のことを、信じると言っていた。君達も、守るべき領民なのだと」
ノーマン達は呆然としながら、目の前の侯爵を見た。
ノーマン達の肩からは力が抜け、驚きが怒りを頭から押し出している。
サーシャ=サルヴェニア。
あのちんまりした小娘。
ノーマン達が怒鳴り散らすと、半泣きになりながらも立ち向かってきたあの領主が、なんとノーマン達を庇っているのだという。
「私には、君達を排除するだけの力がある。それは既に君達にも分かっていることだろう。けれどもその力は別に、君達を排除するためにあるものではない。領民が安心して暮らせる、官僚が安心して統治できる領地を作るために使うものだ。そして、サーシャ=サルヴェニアの言うとおり、君達も間違いなく、このダナフォール侯爵領の領民だ」
領民、と呟いたノーマンに、ダナフォール侯爵は満足そうに頷く。
「君達はこのダナフォール侯爵領に住んでいる人間だね。人の移り変わりの激しいこの侯爵領において、少数派ともいわれる定住者。その質が悪いのであれば、公正な手続の上、その排除もやぶさかではないのだが――やっかいなことに、まだ、君達を信じている者達がいる」
言葉とは裏腹に、全くやっかいだと思っていない様子で、ダナフォール侯爵は足を組んだ。
何故かは分からない。
しかし、目の前の新侯爵は、本当に楽しそうな顔をしてノーマン達を見ていた。
ノーマン達を切り捨てないという判断を、嫌がっている様子がない。それどころか、ノーマン達が、彼の提案に頷くと信じて疑わず、それこそが彼の戦果だと考えているような素振りさえある。
――ノーマン達を、自らの下に迎え入れることを歓迎している。
「ならば、私はそれを信じよう。私には君達を信じるだけの根拠はないが、君達を信じている者達は、信用に値する者ばかりだ。そして何より、私は欲張りだからね。守るべき領民は、一人でも多くいた方がいいと考えている。それが有能な鉱員であるならば、なおさらだ」
そして、彼は手を差しだした。
「私の手を取りたまえ。君達に、仕事を与えよう。侯爵直轄鉱山の採掘事業――国の最高峰、ピジョンブラッドと呼ばれる至高のルビーの採掘に当たる鉱員を求めている。もちろん、私の傘下に入るのであれば、むやみに怒鳴り散らすことは今後許さない。周囲に対する粗暴な態度も改めてもらう。しかし、私の手を取るならば、私は全力で君達のことを領民として守ろう」
ノーマン達は、動けなかった。
ここに来たのは、この目の前の領主に、落とし前をつけさせるためだった。
ノーマン達の鉱山を取り戻し、それができなくても一矢報いるために、ここに集まった。
けれども、領主はノーマン達に、場所を用意するという。
ノーマン達に、仕事を。
(俺は……)
戸惑って動けないノーマン達に、ダナフォール侯爵は顎に手を当てた。
「ふむ。急な申し出だ、考えるにも少し時間がいるだろう。場合によっては数日考えると良い。私の下につくと決めた者には、入鉱許可証を渡そう。この場であれば、そこの事務員に声をかけるといい」
そう告げると、ダナフォール侯爵は会議場を去っていった。
ノーマン達の間には、何とも言えない空気が流れていた。
皆、どうしたらいいのか分からない、といった様子だ。
半数以上は、ダナフォール侯爵の申し出に乗りたい気持ちを露わにしていたけれども、しかし、それを言い出したならば、裏切り者扱いされるかもしれないという恐怖もあり、口をつぐんでいる。
ノーマンは、ただ、黙っていた。この行き場のない気持ちの処理の仕方が分からなかったのだ。
ここで、ドミニク鉱山長が口を開いた。
「侯爵に従おう」
「……!」
「こ、鉱山長!」
「これは破格の申し出だ。それは皆も分かってるだろう」
ドミニク鉱山長が皆を見渡すと、皆も分かってるのだろう、一様に口を引き結び、頷く。
「あいつは――侯爵閣下はいつでも俺達を潰せる。その力があるってことを、示してきた。その上でなお、俺達を迎え入れると言っているんだ。断る選択肢はねぇ」
そう言いきった鉱山長に、その場の者の大多数は安心した顔をして声を漏らした。
「そ、そうだ、これは仕方ねえ」
「俺達はできる限りのことはやったんだ」
「あいつに従う屈辱より、鉱山に俺達の手がかけられねぇことの方が我慢ならねぇ」
「そうだそうだ!」
その場に、笑いが起こった。
それは、今までのものに比べると力ないものではあったけれども、確かに、皆の心を軽くするものだった。
失ったものはあるけれども、まだ繋がっている。
その思いが、彼らの気持ちを支えた。
けれども、ノーマンは、彼らのようにはなれなかった。
「わりぃ。俺は抜ける」
「ノーマン!」
ドミニク鉱山長の呼びかけに、ノーマンは振り向かない。
そのまま、彼らに背を向け、会議場の扉へと向かった。
「俺ぁ、皆みたいに器用じゃねえから。すまねえな」
ノーマンはそのまま、会議場を去った。




