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15 ガイアスの仕事



 国王の召集日当日。


 ガイアス=ガードナー次期辺境伯はその日も、愛する妻のことを考えていた。


 彼は先日、サーシャ=サルヴェニアを妻に迎えた。

 娶ったばかりの新妻は、本当に愛らしく可愛い。

 貴族学園で婚約者持ちの悪友達が言っていたことが、今なら分かる。


(可愛く着飾らせると、見せびらかしたい一方で、誰にも見せずに閉じ込めたくなるし、見聞を広めたがる知的なサーシャに惚れたのに、気が付くといつも俺だけを見てほしいと思っちまう。どうかしてる……)


 サーシャのことを思うだけで緩む口元を押さえたところ、さらに昨晩のサーシャとのあれやこれやを思い浮かべてしまい、一向に頬が引き締まらない。


「ちょっと。いけないことを考えてるでしょう」


 馬車の中、腕を引っ張ってきたのは、新妻のサーシャだ。

 ガイアスがやましいことを考えているのを悟り、頬を染めながら、ガイアスの気を引こうと体を揺さぶってくる。


 国王の招集状に応じるため、前日から王都のホテルに泊まっていたガイアス達は今、馬車で王宮に向かっているところだった。気を利かせた父ガードナー辺境伯が馬車を分けてくれたので、今この馬車の中にいるのは、ガイアスとサーシャの二人だけである。


「いや? 可愛い妻のことを考えていただけだ」

「その頭の中の奥さん、服着てる?」

「俺の妻はなんていけないことを言い出すんだ」

「ちょっと、私を変態みたいに言わないで!」


 ぽこぽこ肩を叩いてくる新妻が可愛いので、とりあえず抱きすくめておいた。しかし、愛しい妻が「だ、だめよ! 御前に出るためのヘアセットが!」と気にしだしたので、仕方なく腕を緩めて妻を解放する。

 すると、顔を赤らめた妻が、ぷりぷりと怒っていた。


「外ではだめって言ってるでしょう」

「馬車の中だから構わないだろう」

「だめよ! あの写真を見て、私、本当に怖かったんだから」

「あんなのは学園内だけさ」


 新妻サーシャは、俺の取り寄せたウィリアムに関する資料――貴族学園内でのウィリアムの交際状況の隠し撮り写真に、心底慄いているのだ。そして、あれを見た後、外でサーシャを抱き寄せると慌てて拒絶するようになってしまった。由々しき問題である。


「貴族学園は特殊な環境だからな。あの学園に通う生徒たちは皆、未来の権力者だ。下級貴族からしたら、そのゴシップ一つで、十年食べていけるだけの財を手に入れられることだってある。そりゃあまあ、隠し撮りのオンパレードだよ」

「でもそんなの、安心して学生生活を送れないわ」

「うん。だから、撮影機を持って学園内を歩くには、学園の許可がいる」

「そんな許可、出ることがあるの?」

「新聞部ならな」


 そういう訳で、例年、新聞部への入部希望者数は二桁後半に届くらしい。クジに小論文に面接にと、様々な選抜を経て、毎年七名だけが入部できるのだそうだ。


「奴ら、風景写真と称して色んなゴシップネタを撮りまくって、部員のみが知る金庫に画像を保管しているんだ。どれを誰が撮影したのかも管理していて、写真を譲るよう依頼すると、撮影者が色んな要求をしてくる。関連業者を専属の卸先にしろとか、人を紹介しろとか小うるさい要求のときもあるから、今回は金銭要求だけで済んでラッキーだったな」


 けらけら笑っているガイアスに、サーシャはむくれた。


「それ、結局、隠し撮りが利益になるって言ってるだけじゃない。やっぱり外は危険だわ」

「夫婦で仲睦まじくしている写真を撮られるのは、問題ないだろう?」

「手を握るまでならね」

「サーシャ」

「腕を組むところまでは許すわ」

「砂浜でキ「ガイアス!」


 涙目で叫ぶサーシャが、ガイアスには可愛くて仕方がない。

 そんな初々しい妻を見て、ウィリアムが彼女に手を出していなくて本当に良かったと、ガイアスは胸をなで下ろした。


 ウィリアム=ウェルニクス。

 貴族学園であれだけ奔放に生活していたということは、きっと新聞部のことも知らなかったのだろう。

 特別クラスでは常識の話で、上級クラスの一部も警戒しており、中級以下のクラスは逆に新聞部への加入希望という意味で知っている者が多い事実なのだが……。


(ま、耳が遅いっていうのは、貴族として致命的だからな。自業自得か)


 耳ざとく賢い男であれば、サーシャを逃がすような真似はしないはずなので、ガイアスとしてはこれでよかったのだ。


 ガイアスは可愛い妻を散々いじり倒しながら、上機嫌で王宮にたどり着いた。




 そして、望みどおりの結果を手にした。


 サルヴェニア子爵返上は認められ、サルヴェニア子爵領はダナフォール侯爵領に二階級昇格。

 サイラス子爵代理とウェルニクス伯爵の責任を追及し、サーシャを奪われることのない環境を整えたのである。


 最後の方はサーシャとの仲睦まじさをアピールしていただけで、全て父のガードナー辺境伯に任せきりだったので、気楽なものだった。


 そして、ガイアスの仕事は、ここからだ。


「ガイアス、どこに行くの?」

「ちょっと野暮用。親父と一緒に待っててくれ」

「私も行く」

「だめだ」

「浮気……?」

「違うから! ちょっと、心にも思ってないくせに、そういう責め方はやめろって」

「ガイアスと一緒に居たいの……」

「そういう心に来るやつもやめてくれ……」


 手を握り、あの手この手で全力で引き留めようとしてくる新妻に、ガイアスは顔を赤くしてたじろいでいる。

 そんな二人を見て、ガードナー辺境伯はくつくつと笑った。


「サーシャ、大丈夫だ」

「お義父様」

「息子に任せておいてくれないか。君のことは私が守ろう」

「は、はいっ……」

「親父もやめろ、サーシャを誘惑するな」

「お前、本当に面倒くさい奴だな。親の顔が見てみたいよ」

「鏡でも見てろ!!」


 こうしてガイアスは、ガードナー辺境伯の下に妻サーシャを残し、一人で出かけた。


 正確には、一人でという訳ではない。


「ガイアス様。手筈は整っています」

「うん、分かった」


 ガイアスが馬車に乗り込むと、ガイアスの腹心達が中で待っていた。

 向かう先は、サルヴェニア子爵邸。

 サーシャの、実家である。



 サルヴェニア子爵邸に着いたガイアスは、子爵邸の主人の執務室と思われる部屋で、自分の部下に取り押さえられているその人物を冷めた目で見た。


 ――サイラス=サルヴェニア旧子爵代理である。


「一介の平民に対して、どういうおつもりですかな。ガイアス次期辺境伯閣下」

「それはこっちのセリフだ、サイラス。お前の逃げ道はこの俺が塞いだ」


 ガイアスの言葉に、へらりと笑っていたその顔が、醜く歪む。しかし、その影は瞬時に鳴りを潜め、もとのへらりとした顔に戻った。


 ガイアスは、最初からずっと疑っていた。


 調査し、関係者から話を聞き取らせ、報告書を読み込んだ。

 この男を知る者は、皆、この男のことを愚か者だという。


 ただ、サーシャだけは、「分からない」と言ったのだ。


『サイラス叔父さんのこと、私、よく分からないの』

『うん?』

『信用ならない人だと思う。怠け者で、やる気がなくて、全てを私に押し付けて……でも、あの人……』


 脳裏に浮かぶ、金色の髪に若草色の瞳の、美しい妻の姿。


 そして、目の前で取り押さえられている、金色の髪に、若草色の瞳の年配の男。

 サルヴェニアの血を引くこの男が、真実『愚か者』であることがあるのだろうか?


「お前、全て分かっていてやっただろう」

「……? 何のことでしょうか」

「とぼけるな。お前は本当は、この子爵領を立て直すことが()()()()()。領地経営のセンスがないなど、全部嘘っぱちだ。できるのに、やらなかった。できないふりをした、サーシャに全て押し付けた」

「とんでもない言いがかりです。いや、私を高く評価しすぎ、と言えばいいのでしょうか」

「じゃあ、この架空の人物の口座はなんだ。用意周到な手口、無能な輩にできるものか」


 ガイアスは、捕らえられ、身動きのできないサイラスに向かって、三つの銀行口座の証書を投げつける。


 ここでようやく、サイラスは、先ほど一瞬見せた憎しみのような感情を露わにした。


「何故ここまで、絡んでくるのです」

「お前が、俺の妻に害を為したからに決まってる」

「もう仕返しはしたでしょう。子爵代理の地位は返上しましたし、賠償責任も負いました。十分ではありませんか」

「そうして、別人として高跳びするつもりなんだろう? それのどこが『十分な仕返し』なんだ」


 黙り込むサイラスに、ガイアスは逃げることを許さない。


「サイラス。お前、何故そうやって生きている」


 サイラスは、いらだちを感じていた。

 そう、それは多分、九年ぶりの感情。


「お前ずっと、サーシャで腹いせをしていたんだろう」


 そうだ、サイラスはずっと、サーシャに八つ当たりをしていた。

 別に、サイラスがいる場所は、ここでなくても、どこでもよかった。


 ここじゃないなら、どこでもよかった。


 ここは父の選んだ土地だ。そして、兄さんが守ろうとした場所。


 ――うっとうしくて、重荷でしかないゴミみたいなところ。


 サイラスはサルヴェニア子爵領のことを、ずっとそう思っていたのだ。



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