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1 サルヴェニア子爵は失踪する



 私、サーシャ=サルヴェニア子爵(齢十八歳)は、その日、すごくすごく疲れていた。



****


 九歳の頃に父母を亡くし、子爵家の最後の跡取りとして残された一人娘の私には、子どもとしての自由な時間は少なかった。

 子どもとして――というより、人としての余暇が少なかった。


 父母が亡くなるや否や、叔父が子爵代理となり、叔父家族がサルヴェニア子爵邸にやってきたけれども、叔父サイラスには領地経営のスキルもセンスもなかった。

 一ヶ月にして領地経営に飽きた叔父サイラスはなんと、子爵業を当時九歳の私に丸投げした。

 私は流石に抗議したが、なんと、我が子爵家の要である家令が、それに賛同してしまったのだ。

 なにやら、叔父サイラスに任せるより、傀儡として私が上に立った方がマシということである。


 こうして、私は叔父家族が横で散財しながら遊び呆ける中、傀儡として子爵業を行うこととなった。


 ――と思っていたら、全然傀儡ではなかった。


 普通に経営をやらされ、流石に子どもなので数年は矢面には立たなかったものの、基礎知識もない中、業務内容を叩き込まれ、お友達とのお茶の時間もなく、貴族の嫡子が通うという貴族学園に通う暇もなく、ただただ子爵家のために馬車馬のように働いた。

 ちなみに、叔父夫婦には、息子と娘がいたが、彼らは何故か貴族学園に通っていた。領主代理の子に過ぎない彼らには別に、今後の子爵家の経営に携わることもなく、領主としての社交もさして必要もなく、学びの必要もないはずなのだが……。


 私が十二歳を過ぎた辺りから、関係者達は、なんでも叔父サイラスを飛び越して私とやりとりをするようになってしまった。目の前でヘラヘラしているだけの子爵代理と、質問に適切に回答し、対応していく子どもの子爵を見たときに、役立たずの子爵代理に話をする気にはなれなかったのだろう。


 そして私は気がついた。


 うちの子爵領、民度が低い!!


 実は、サルヴェニア子爵領は交通の便が良く、なんと小さな鉱山もあるのだ。


 だから、税収は大きい。


 しかし、交通の便が良いが故に、人の出入りが激しい。その結果なのか、地域に愛着がなく、権利主張の激しい住民が多かった。彼らは、領主に対する要求ばかりが大きく、その割に土地への期待がないので協力を求めると逃げていく。やってほしい、やってほしいばかりで、やるべきことをやらない人が多い……。


 また、鉱山周りで仕事をする者達は荒くれ者が多く、言葉も汚い。それだけならば慣れればよかったのだが、うちの鉱山の労働者達はモラルに欠けている者が多かった。だから、その半数程度は、こちらがどんなに公正に判断しても、望んだ結末にならなければ怒鳴り込んできたり、殴ろうとしてきたりする。


 私は怖かった。

 大の大人に怒鳴り込まれ、罵倒され、護衛に自分の身を守らせながら、そうするしかないと説明するのは怖かった。


 事前に説明し、文書を送ったにもかかわらず、「聞いてない」と怒鳴りこんでくる鉱山発掘隊の長。

 自分の町の要求について優先的に処理しないのは何故だと、毎日遠隔通話(電話)と手紙を鳴らし続ける町内会長。

 先日までこちらの丁寧な対応を褒めていたのに、要求が最終的に受け入れられないと知ると、人格否定をしながら罵倒し、前子爵ならこんなことはなかったと嫌味を投げつける弁護士。

 事業の協力を求めたのに拒絶しておきながら、半年も経った後に、何故その事業の進捗が遅いのかと怒鳴り込んできた商人。


 皆、子どもの私に、そのように叫び散らして、思うところはないのだろうか。

 自分の過去の行いを、恥じることはないのだろうか。


 私は怖かったし、嫌だった。

 わがままばかりの領民も、助けてくれない叔父サイラスも、のんきにお金を使うことだけを楽しんでいる叔父の妻も従兄妹二人も本当に嫌いだった。


 けれども、私は必死に、自分の家の領地なのだからと踏ん張っていた。

 十代ならではの正義感というのもあったと思う。


 そして、ここで、一番支えになっていたのは、婚約者の存在だ。

 隣のウェルニクス伯爵家の三男ウィリアムである。

 同じ年の彼は、金髪碧眼の見目麗しい美丈夫だ。

 私は彼のことが好きだった。多分。


 「多分」というのは、私の中で、相対的に一番幸せで平穏な時間を過ごせるのが彼との面会時間だったからだ。

 元々二ヶ月に一回、彼が王都の貴族学園に通うようになってからは半年に一回の面会日。

 その時だけは、私は年相応の笑顔で、彼の話に耳を傾けることができた。

 私は同じ年頃の女の子達とは違う世界で生きていたから、私から彼に話せることはほとんどなくて、だけど、最近の流行や、友人たちとの出来事など、彼の話を一方的に聞いているだけで楽しかった。


 彼は伯爵家の三男だから、私と結婚した暁には、子爵代理としてこのサルヴェニア子爵家の経営に加わることとなる。

 きっと、彼と結婚しさえすれば、この状況も少しは改善されるのだろう。彼といるのは楽しかったから、少なくとも状況が悪化することはあるまい。



 そう、思っていた。



 だけど、今日、私の十八歳の誕生日。



 元々、滑り出しから、あまり調子が良くなかったのだ。

 何しろ、朝から家令にこんなことを言われた。


「お嬢様もこれで成人ですね。私も老体ですし、お暇をいただきたいものですな」


 『おめでとう』よりも前にそんなことを言ってくる家令に、私が目を見開いて固まっていると、老齢の家令は慌てたように「冗談ですよ。おめでとうございます」と付け加える。


 いつも入りびたりの執務室で朝食のサンドイッチを口に詰め込むと、私は眠い目をこすりながら、机の上の書類に目をやった。

 未処理箱には、夜中にはなかったはずの書類が積みあがっている。


「……増えてる」

「はい。朝、統治部の文官たちから上がってきた書類ですから」

「ちょっと、締め切りが今日のやつが三件もあるんだけど。しかも、もっと早く着手できたはずの内容だわ」

「統治部の文官達が過労で二人、傷病休暇に入りました。残った人材で処理をしているので、事務に遅れが生じています」

「追加の人材は」

「水道部と税務部から計五名ほど、統治部に異動させる候補を上げました。サーシャ様の許諾があれば異動させます」

「……いい、そうして。追加の人材募集は」

「常に掲げています」

「……」


 人の出入りの激しく、気性の荒い住民カラー、業務量の多い、されども田舎の子爵領で名誉の少ない官僚募集。

 人が集まらないのはお分かりだろう。


 こうして、家令のお暇発言、人材不足に始まった今日の執務は、今日も今日とて最悪の内容だった。

 理不尽な事務量に、理不尽な罵声。

 まあ、そうはいっても、いつものことだ。

 いつものこと、いつものこと、と念じながら、私は午後の廊下を歩く。


 廊下を歩いていると、居間から笑い声が漏れている。叔父一家の声だ。今日はどうやら、従兄妹達が貴族学園から帰省してきているようで――彼らとは長く食事を共にしておらず、帰省の挨拶もないので、様子が分からない――家族の団欒を楽しむ笑い声が響いている。

 現在、子爵代理の叔父は、対外的な来客時に同席する以外、なんの仕事も行っていない。ただ、子爵家のお金を使うだけのごく潰しである。けれども、未成年であった私に、彼を追い出す力はなかったのだ。

 

 私は彼らの笑い声を聞きながら、ぼんやりと麻痺した頭のまま、廊下を通り過ぎた。


 いつものこと。

 いつものこと。

 だから、私はまだ、大丈夫。


 そんなことを思いながら、応接室へと向かう。


「サーシャ」

「ウィル」


 応接室には、婚約者のウィリアムが待っていた。

 優しげな笑顔に、いつも強張っている私の頬も、自然と緩む。


「来てくれてありがとう。せっかく長旅をしてくれたのに、半日も時間が取れなくてごめんなさい」

「ああ、それなんだけど、君はいつも忙しいだろう? だから一時間くらいで僕は帰るよ」

「えっ」


 笑顔で言われた言葉が頭に入ってこない。

 私の誕生日は、祝ってもらえないのかしら。


「それはその、忙しい、けれど……」

「僕は今、貴族学園の冬休みなんだけどさ。父の領地経営を、手伝ってみたんだ」

「そうなの?」

「うん。だけど、君のように疲弊することなんてなかったよ?」

「……それは、手伝い、だからでは?」


 まだ学生で手伝いに過ぎないウィリアムに、ウェルニクス伯爵も、大した仕事は割り振らないだろう。


「何の仕事をしたの?」

「……書類整理とか」

「そう……」

「いや、関係者との面会にも同席したし、事業の進捗管理の会議にだって参加したんだ!」

「そうなの? とてもいい経験をしたのね」


 こういうときは、相手の言うことを否定しない方がいい。

 長年のクレーム対応で染みついた反応で、何とか返事をする。

 手伝いと称して参加した学生と、責任を持ってやり遂げなければならない仕事をいくつも抱える事務官達では、その負荷は大きく違うのだが、今のウィリアムにそれを言うべきではないのだろう。


 ……けれども、ウィリアムは私の婚約者だ。これから、サルヴェニア子爵代理となるのだ。

 なのに、何故こんな甘いことを言うのだろう。


 疲労もあいまり、相手がウィリアムということもあり、結局私は、呆れた気持ちを表情で漏らしてしまった。

 それに気がつかないウィリアムではない。

 

「……! 父も母も、ちゃんと週に二日は休みを取っているし、嫡子の長兄だってそうだ。君の働き方は、おかしい」

「……そうね」

「要領が悪いんじゃないか。もう帰るから、僕の切り上げた時間でできた余暇で、効率性について考えるといいよ」


 そう言うと、ウィリアムは赤い顔をしたまま、部屋を出て行った。


 私は呆然とした。


 そして、頭の中でぐるぐると、今までに浴びた色んな言葉、今のウィリアムの言葉、叔父一家の笑い声、家令の言葉が回転する。


 効率。

 効率とは。


 私、何でここにいるんだろう?


 息をするのも、やめてしまえば、とても効率的に、楽になるんじゃないかしら……。



 気がつくと日が傾いていて、頬が濡れていたため、自分が応接室のソファで固まったまま、長時間泣いていたのだと気が付いた。

 腫れているだろう目を拭い、廊下を自室に向かってトボトボ歩いていると、叔父一家の話し声が聞こえる。


「ウィリアム様、可哀想にね」

「そうだよ。あんなに優秀なのに、うちのボロ雑巾なんかと結婚だなんて」

「こら、そんなことを言ったらだめだよ、セリム、ソフィア」


 自然と足が止まってしまった。

 しかし、今の私の周りには侍女一人としていないので、何の問題もない。


「だってパパ。髪もいつも一つに縛っていて、色気のかけらもないし、デート一つまともにできないのよ?」

「ウィリアム様、学園だと優秀でモテるんだ。色んな女の子に誘われてはデートしてるみたいだし」

「……今のサーシャはアレだからなぁ。ま、学生の間は遊んでいても、うちに婿に来てくれるつもりはあるんだろう?」

「他に手頃な跡取り娘がいれば、乗り換えそうな気もするけどなぁ」

「うーん、それは流石に困るな。ウェルニクス伯爵に釘を刺しておくか……」


 その後、叔父一家の話題はあっという間に別のものに移り、しかし私は呆然と立ち尽くしていた。


 なるほど、ウィリアムはきっと、貴族学園に通う、価値観の似通った女の子達の方がいいのだろう。元々私から気持ちが離れていて、だから、私の誕生日だというのに、おめでとうの一言もなく、怒りを抑えることもなく、自分を優先して、部屋を去っていった……。


 頭がぼぅっとする。


 怒りも、悲しみも、頭と体を重くするばかりで、私を動かしてくれない。


 いや、違う。


 怒りと悲しみは、私をいつだって動かしていたのだ。

 九歳の頃から、逃げようとする私の体を動かして動かして、そうして、とうとう、限界が来てしまった。


 日の傾いた曇り空を見上げて、ふと、外に行きたくなった。


 全部もう、要らないんじゃないかな?


 私は執務室に戻り、一通の手紙を書き、魔道具で内容証明のための魔法をかけ、蝋で封をし、子爵印を押し付け、使用人に、今すぐ送付するよう申しつけた。


 そして、使用人が去ると、小さな手持ちバッグに財布と子爵印、あとは幾つかの印鑑を入れ、使用人達の目を盗み、ふらふらと屋敷の外に出る。

 ほぼ、着の身着のままで街まで歩き、銀行に辿り着き、お金を下ろした――()()()()()()()()()()()()()()()()



 こうして、十八歳の誕生日の日、私は家を出た。



 ちなみに、手紙の内容はこうだ。


『親愛なる国王陛下


 サーシャ=サルヴェニア子爵は、成人となった本日、子爵の地位及びサルヴェニア子爵領を全て国に返上いたします。

 また、王命であったサルヴェニア子爵家とウェルニクス伯爵家の令息との婚約は、当家の子爵の地位の放棄に伴い、無効となりますので、ご承知おきください。


 追伸

 国王陛下の忠実なる僕として、この手紙を破くのは一ヶ月後になさいますよう、注進いたします。


 サーシャ=サルヴェニア』



 そしてその三ヶ月後、瞬く間に、交通の要所、サルヴェニア子爵領の主人、サルヴェニア子爵の失踪は、国土を走る大ニュースとして広まったのだった。




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