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その表情を見て使用人達は確信した。やっと公爵様は自分の非を認めたのだ、と。
しかし、次の瞬間ーーー。
「え、それはつまり……その貿易商と浮気をしていたということか……?」
公爵の戸惑いに満ちた声が部屋に響き渡った。
「えっ?」
「だ、旦那様?」
「何を言って……」
「いや、お前達の話を聞いた限りそういうことだろ?……もしかして分からないのか?夫以外の男に手作りの品を渡すなど十分な不貞行為だと思うが……」
「それは」
「違っ」
「何が違うんだ?夫である私に一度も手作りの品を渡したことがないのにその貿易商には菓子を作って渡しているんだろ?これが不貞行為じゃなかったらなんだと言うんだ?」
「うっ、それは……」
「えっと……」
公爵の静かな物言いに使用人達はたじろぐ。確かに妻が公爵に手作りの品を送ったことは一度もない。しかし、だからと言ってそれが貿易商との浮気の証拠になるかと言えばならないのだが、公爵は聞く耳を持たず、更に捲し立てる。
「なあ、異性に手作りの品を渡すのが不貞じゃなかったらなんだと言うんだ?夫以外の男に手作りのお菓子を作って渡すのが浮気じゃなかったらなんだと言うんだ? なんだと……なんだと……なんだと言うんだーーッ!!うわあああああん!!私というものがありながら浮気しやがってーーッ!!!」
公爵はその場に崩れ落ち、咽び泣きながらドンドンと床を叩く。その姿は由緒正しき公爵家の当主としてはあまりにも情けない姿であったが、それを咎める者は誰一人として居らず、むしろ使用人一同はいつもと違う公爵の様子に戸惑っていた。それもそうだ。常日頃から妻のことが嫌いだと公言している公爵がまさか妻が自分以外の男にお菓子を作って渡しているというだけでここまで取り乱すとは思ってもいなかったからだ。しかし、ここで察しのいい使用人達はそんな公爵の姿を見てある一つの可能性に思い至る。
((ま、まさか……旦那様は奥様のことが好きなんじゃ……?))
結婚した当初からずっと事あるごとに「いいか?私はお前のことが大嫌いだ!借金を返したら絶対に離婚してやるな!?覚悟しろ!」と公爵が言っていたせいで、今まで誰も気付かなかったが、もしかすると公爵は妻のことが嫌いではなく、本当は好きなのではないのか、と。そしてもしそうであるならばこの公爵の取り乱しようにも納得ができる、と。そう思った使用人達は真偽の程を確かめようと恐る恐る公爵に声を掛けようとしたが……
「公爵様……これは一体どう言う事ですか?」
と、運悪く離婚の証人として公爵がわざわざ子爵家から呼び出していた妻の兄が、先程までの公爵のやり取りを聞いていたらしく、不信感に満ちた険しい表情で部屋の前に立っていた。よりにもよって公爵との結婚を一番反対していた子爵家の人間の登場に使用人達はざわつくが、公爵はその声にゆっくりと顔をあげると恨めしそうな目で妻の兄を睨み付けた。
「どういうことだと……?それはこっちの台詞だ!お前たち子爵家の人間は『大人しくて器量が良い娘』だと言ってこのアバズレを『妻』にと勧めてきたのに……!結果はどうだ!?勝手に商会を作ってこの屋敷を勝手に担保にした挙句、私以外の男の子供を身ごもっているではないか!?くっ、くそおおおおお!こんな屈辱、子爵家に援助金を申し込んだ時以来だ!!」
「………へえ、援助金を屈辱呼ばわり、僕の大事な妹をアバズレ呼ばわり、か。……分かりました……もう貴方みたいな恩知らずな男に大事な妹を任せておけません!このまま妹を連れて帰らせて貰います!」
「フン!勝手に実家にでもどこにでも連れて行け!!」
「言われなくてもそうします!さあ、リーゼ!お兄様と一緒に家に帰ろう!」
「うぅ……お、お兄様……?ま、待って……」
売り言葉と買い言葉の応酬を公爵と繰り広げた妻の兄こと現子爵家の当主は使用人達に支えられていた妹をひったくる様に横抱きにして持ち上げると、怒りの籠った目で公爵を一瞥して、そのまま妹を抱えて部屋から出て行ってしまった。しかし、公爵は二人を追いかける素振りを見せないどころか、のそのそと立ち上がり、部屋に据え置かれていたソファに座るとおもむろに懐から本を取り出して読み始める。そのあまりに余裕綽々な態度に痺れを切らせた使用人の一人が公爵に向かって叫んだ。
「旦那様!!奥様を追いかけなくてよろしいんですか!?」
「フン、なぜ私があんなアバズレ女を追いかけなくてはいけないんだ」
「いやいや、そんなこと言っている場合ですか!?このままだと本当に奥様が子爵家に連れて帰られてしまいますよ!?」
「ハッ、だったらなんだと言うんだ。あんな女いなくなって清々するわ」
「ああ!?た、大変!もう馬車に乗り込んでいるわ!」
「旦那様!」
「いいから早く奥様を追いかけて下さい!」
「旦那様!!」
「…………」
使用人達は必死に公爵に妻を追い掛けるように呼びかけるが、公爵は使用人達の言葉をガン無視して、手元の本に視線を下す。そして、そうこうしている間に無常にも妻を乗せた子爵家の馬車は馬のいななきと共に走り出してしまった。使用人達は窓越しに土煙を上げ、すごいスピードで走り去っていく馬車に声にならない声を上げるが、結局公爵が妻を乗せた馬車を追い掛けることはなかったのだった。