05;夜行後の一献
酒羅丸は、人間の集落から一蹴りで山の中腹である鬼の城郭にたどり着いた。他の鬼達も続けて城郭へ帰還してきた。自身の根城に帰らず城郭で休んでいる者、酒を飲んでいる者等様々ではあったが、酒羅丸の他に、権左兵平と芭浪の根城は、この中腹より更に上にあるのだった。一瞬で帰れるのだが、夜行の余韻もあり、その三鬼も城郭へ立ち寄ってから根城へ帰る事としていた。
「おお、芭浪よ。我も一献交わしても良いか?」
一人で酒を飲んでいた芭浪に酒羅丸が話しかけた。芭浪は呑みながら無言で酒羅丸の席を空け、巨大な杯を酒羅丸に手渡し酒を注ぎ始めた。
「今回も上手くいきましたな」
権左兵平が、引き笑いをしながら酒羅丸に話しかける。
「何がだ?まぁ、それはさておき今回の夜行も盛大に盛り上がったでは無いか」
酒羅丸は権左兵平の発言にピンときていない様子であり、待ちきれぬ様子で酒を一気に飲み干した。その様子に権左兵平はややため息をついた。
「全くお頭は・・・あれを無自覚でやってしまうところが、あんたの凄いところだよ」
芭浪は呆れながらも、酒羅丸の持つ強さ、先導者としての資質、鬼としての魅力を関心せざるを得なかった。
「何を言うか芭浪よ。貴様も最近更に力を付けてきておるでは無いか。その力、我に匹敵する程では無いか?」
そう言うと、酒羅丸は空の杯を芭浪に向けた。
「一献では無かったのか?」
芭浪は、笑いながら答える。芭浪は酒に酔った為か、酒羅丸からの労いの言葉に気分が高揚した為か、非常に上機嫌であった。
「良いでは無いか。堅いことを言うでない」
酒羅丸も大笑いしながら酒を注いで貰う。
「権、今晩も女達を頼むぞ」
酒羅丸には妻が六人いる。夜行が成功した日は決まって気分が高揚し妻達と情交するのであった。普段、妻達は人間の集落に居るため迎えを遣わす必要があった。主に人間達の管理をしていたのが、権左兵平であったため、毎回この様に依頼している。
「承知しました。そして、言い忘れておりましたが、現在奴隷の人間は四十五名です。それとは別に、非常食として連れてこられたのが五名。これは連れてきた各鬼が管理しております」
権左兵平が、二献目の酒など飲んでいる場合では無いと言わんばかりに、丁寧な口調で、やや冷静に報告をする。
「おお・・・忘れておったぞ。結界を張り直すぞ」
これも酒羅丸は笑いながら、気にもしない形で返答をする。
「忘れておる場合ではござらんぞ。酒羅様は良くても、他の鬼達にはひとたまりも無き故」
時期、夜明けである為、権左兵平は急かす様に酒羅丸に促す。
「分かっておる」
酒羅丸は残りの酒を一気に飲み干し立ち上がり城郭を後にした。権左兵平と芭浪も、酒羅丸の同行をした。三鬼は城郭まで登山したように、一蹴りで山頂へたどり着いた。権左兵平、芭浪はそのまま動かず、酒羅丸のみ、気場へ足を進め結界を再構築する。
「天下るその先に 闇の恩恵 月の御影 夜の理 弱き愚者を導け・・・天道の淵」
酒羅丸の詠唱と共に澄み切った月光の夜空から、霧のかかった薄気味悪い空へと切り替わった。結界ではあるが天候さえも操ってしまう強力な術であった。
「鬼、三十一・・・人間、五十・・・その内の五が非常食か・・・ん?・・・あれは、鬼と人間か?あんな辺鄙な島の北端で何を?・・・あぁ、矴か。あやつ子持ち人間を捕らえたと喜んでおったの。そんなところに隠さなくても誰も取って喰ったりはせんよ。あの神経質め。子どもの取り上げ方が分かっておるのだろうか・・・まぁどうでもよいわ」
酒羅丸は目を閉じブツブツと一人言を言いながら鬼ヶ島の在籍数を確認していた。この様に、結界の再構築の際は、在籍数と大まかな位置まで把握できてしまうのだ。これも、酒羅丸の神通力があってこその能力であり、権左兵平も術には精通しているが、この程では無い。
無事に結界を張り、三鬼は談笑しながら歩いて自身の根城へ向かっていた。
「権よ、人数は報告通りであったぞ。さて・・・妻達はもう到着しておるか?」
歩きながら酒羅丸は訪ねた。
「滞りなく。準備できておりますぞ」
「何故お頭は、女を喰わずにまぐわるのだ?」
芭浪が今まで疑問に感じていた胸の内を自ら酒羅丸に問いただした。
「何だ?芭浪よ?貴様も興味はあるか?」
芭浪はその問いかけに言葉は発さず首を振って答えた。冗談でも無く、本当にあり得ないといった感じであった。その感じを受けてか酒羅丸も真剣に答えざるを得なかった。
「この身の為でもあったが・・・あの女共は、我を殺す為に妻になる事を承諾し、行為に及んでいるのだ。正に、この瞬間が女達にとって我を殺す千載一遇の好機なのだ。あの美しい顔が・・・感じながら憎しみと殺意に切り替わる姿が更に美しいのだ」
その答えを聞き芭浪はやや安心した面持ちで僅かに微笑んだ。芭浪は妻を娶る事は人間くさく、そして酒羅丸の面持ちをみて人間としての理性や本能が残り、いずれ鬼を裏切るのでは無いかと懸念していたのだ。しかし、この発言を聞いてその不安も払拭された。正に欲望に渦巻くまま、人間の事など一切考えず私利私欲のために尽力を尽くす。それは正に鬼そのものの姿であり芭浪が体現する理想の形であったからだ。
「確かに喰いはせぬが・・・あの快楽と苦痛が交互にきて、そしてあの手この手を使って我を殺しにくるのが、喰う以上にそそられるぞ」
「酒羅様。当初の目的を忘れておられるぞ」
権左兵平が割って口を入れる。
「最強の鬼を造る事か?」
芭浪が問いかける。酒羅丸は常に自身の力を超える存在を探し求めていた。退屈で張り合いの無い現代に嫌気が差していたのだ。そこで、そんな存在が現れぬのなら自分で造ってしまえと、自身と人間の子どもを一から鍛え上げる事としたのだ。その事についても芭浪は理解できないとやや不満はあった。
しかし、先程の納得のように酒羅丸の言動の全てが私利私欲の為である事は、鬼としての本分を全うしているからこそである。その部分を含め、芭浪は酒羅丸の全てを納得し認めることが出来たのだ。
「そう、だがやはり上手くはいかない。あの女共は能力者故に、鬼の子を産まぬように体を改造、もしくは呪いを自らかけておるからの」
酒羅丸の妻六名は、何かしらの能力者達であった。霊媒師・呪術師・占い師・陰陽師・・・様々な霊的な力を行使できる人間達で構成されていた。この事については、権左兵平からは大きく反対された。酒羅丸は問題ないが、彼女たちは下位の鬼に対しては脅威でしか無い存在であった。その様な者を鬼ヶ島に招き入れては混乱を生み秩序も守れないと。
しかし、そこを何とかしろと酒羅丸の御達しがあり、ひどく頭を悩ませた。そこで女達には、自身の能力を解放して良いのは、酒羅丸の根城内のみとする事。それ以外の箇所で能力を使用すると死を持って代償するという呪いをかけた。そして、島内が手薄となる夜行時のみ、一時的に軟禁するという条件下で鬼ヶ島の入場は許されたのだ。
「弱い女とまぐわっても、女がそのまま死んでしまうか・・・上手くいって黒陽と白陰くらいで、また例のダイダラボッチも造りかねん」
酒羅丸が、能力者を頑なに妻に娶るのはこれが理由だ。大抵は身ごもった瞬間に女は命を落とすのであった。しかし、三十年前に初めて人間との情交に成功し最初の子どもを身ごもった。だが、身ごもった瞬間に母親は飲み込まれ、未成熟で中身が空っぽのまま、ふわふわと形だけが大きくなり約三十五尺(約十㍍)はあろうかというダイダラボッチになってしまったのだ。
二十年前の件も同様にダイダラボッチになりかけたところ、酒羅丸が即座に自身の心臓を送り込み、酒羅丸の血を大量に取り込ませたところ巨大化は阻止しできた。結果、知能が低い双子の豪腕の鬼、黒陽と白陰が誕生したのであった。
「上手くいったのは、威波羅のみということか?」
芭浪が笑みを溢しながら問いかけた。そして、自身の体を改造してまで避妊し続けた能力者であったが、三年前に初めて鬼と人間の子として正常に誕生した鬼こそが、威波羅なのである。酒羅丸は自身の能力を引き継いだ我が子の誕生に喜び、産まれた瞬間に引き取り鬼としての英才教育を与え続けた。いずれは自身の力に匹敵し脅かす存在にしようと試みていたのだ。
鬼は基本的に人間のように年を取る事はない。誕生した姿のまま生涯変わることが無いのだ。しかし、威波羅は人間の血も混ざっているため、赤子から誕生し三年程度で成人・・・すなわち全盛期の体躯となったのだ。そしてここからは、鬼と同じように老いること無く生涯を全うできるのか、人間のように老いるのかは威波羅の成長次第であった。また、威波羅は陽光の下に出ても身体能力が低下するだけで焼かれることも無い特性も持っていた。
「まぁ・・・そうであるが、お主も知っての通り奴は・・・力はあるがの」
やや含みのある物言いで酒羅丸は返答をし、それに察してか、芭浪は、やや鼻で笑った。
「まぁ、奴にもまだ役割があるのだ、力もある故、芭浪よ引き続き目をかけてやってはくれぬか?」
「お頭の言うことであれば」
酒羅丸への疑念も晴れた芭浪は清々しく返事をした。そのような話をしながら、気場から各々の根城へ到着していた。