50;二日の意味
私は、遂に作戦の日に向けた最後の報告書を陰陽寮へ提出した・・・運命の日・・・そう・・・私の残りの寿命は十日なのだ・・・様々な思いが行き交った。後悔が無い・・・といえば嘘になる。私もやり残したことはまだまだある。玉成のこともそうだが・・・何より、最後に一目で良い・・・一言で良いから沙姫の顔が・・・声が聞きたかった。しかし、それは許されない。私から手放したのだ。そう、その全てを擲っても、酒羅丸を殲滅しなければならない。私にはその使命がある。そう思うと、その心残りも自然と辛くなかった。
しかし、この決死の思いで作成した報告書は・・・二日後の所定された陰陽寮に届くことは無かった。この運命の報告書を運ぶハヤテは、鬼ヶ島の領土を出た途端・・・飛行能力を失い、地に落ちてしまったのだ。
「何故だ!何故、鬼ヶ島からの連絡が届かない!」
痺れを切らした陰陽頭・・・刀岐天川の声が陰陽寮に響き渡った。
「・・・あの、妃姫が・・・そう簡単に死ぬとは思えませぬ・・・」
同席していた三善も苦悶の表情を浮かべながら返事をする。
「しかし・・・もう八日だ・・・八日だぞ!」
そう、夜行の二日前(二月十六日)・・・運命の日が差し迫っていた。しかし、一行に鬼ヶ島からの作戦の内容が届かずに、陰陽寮は焦りをみせていた。
「・・・」
三善は、返す言葉が無かった。
「第二案・・・発令する」
「しかし!」
「分かっておる!しかし、これは、彼女との約束だ・・・『七日間連絡が無い場合は、私の事は死亡したと思い行動されたし』」
天川は、私が鬼ヶ島で最初に送った報告書を提示し、三善に納得させた。
「・・・妃姫は、死んだのですか?」
「分からぬ・・・もしかすれば、不慮の事故・・・もしくは身動きが取れない状況下にあると考えられる・・・これより両案同時遂行とする。三善は、即座に隊を纏め空海の村で戦闘配備だ。そして、滋岳が生きていれば必ず、呪術師の九條未来から拈華微笑の術が発動される。それを聞き逃すな」
「御意」
「そして、私は第二案も発動する。鬼一法山を鬼ヶ島へ向かわせろ。次の夜行は二日後だ・・・それはもう間に合うまい・・・その次だ・・・十四日後の夜行時に鬼ヶ島へ潜入させよ。鬼ヶ島の場所は、ハヤテのお陰で特定はできている」
「はっ」
天川の側近にそう命じ、直ぐさま作戦は決行された。
「酒羅丸さえ討ち取れば・・・鬼の時代は終わる・・・何としても奴を討ち滅ぼすのだ」
そして運命の夜行当日(二月十八日)。鬼達は一斉に鬼ヶ島から飛び出していった。
「よし・・・行ったな・・・」
鬼の出陣を確認した美来が、安堵しながら言った。
「本当に大丈夫なんですか?拈華微笑の術なんか使って・・・」
清子が心配そうに訪ねてきた。
「はい・・・今回の・・・夜行は酒羅丸自ら・・・琥羽琥も連れて・・・行くと言っていた・・・つまりは、この島には、鬼は・・・一匹も居ない。奴が・・・自分の・・・意見を曲げるなど・・・考え・・・られない・・・」
私は、既に陣痛が始まり激痛に耐えながら話した。
「ちょっと、大丈夫?そろそろ?」
「もう少し・・・掛かりそうです・・・申し訳ありません・・・歩けそうに無いです・・・」
「当たり前だ!全員で担いで行ってやる」
そう言うと、周りの衣類や毛布を寄せ集め、簡易的な山駕籠を作ってくれ、それに私を乗せて威波羅の根城まで運んでくれた。
「上手く、誰にも見つからずここに来れたな・・・よし、あんたの部隊の三善だったな?」
「えぇ・・・お願い・・・」
そう言うと、美来は外に出て術を展開し、三善に連絡を取った。
「こちら・・・鬼ヶ島から九條未来。三善様・・・返答を求む・・・」
「・・・妃姫!妃姫は生きているのか!」
「あぁ、生きている、貴方が・・・副官の三善様か?」
「あ・・・あぁ、取り乱して申し訳ない。鬼殲滅部隊副官の三善だ。貴女から連絡があると言うことは・・・作戦は成功しているのか?」
「あぁ。今にも産まれそうだ」
「そうか・・・それなら良かった・・・」
「そして、貴方達の部隊は、何日稼げる?」
「丸二日・・・それが限界であろう。しかし、今にも産まれるのであろう?」
「そう、恐らく夜明けには産まれているだろう・・・だが、それでは・・・妃姫はあまりに報われない」
「・・・」
「私達の勝手な一存だ。妃姫に一日でいい・・・その僅か一日・・・自分の為だけに使わせてやってはくれないか?私が、妃姫を殴ってでも説得する。だから頼む・・・無理を承知でその二日・・・妃姫の為に命を賭けてはくれないか?」
「ふふふ・・・妃姫も・・・本当の仲間に出会えたんだな・・・約束しよう。我が隊が命を賭けて二日死守してみせよう。妃姫のことは貴女に任せよう」
「ありがとう・・・」
「さて、そろそろ・・・この術が関知されてもいけない・・・そろそろ、切りますよ?」
「あぁ・・・貴方と話せて良かった・・・ご武運を・・・」
そうして、拈華微笑の術は解かれ、足止めの二日が確立された。




