04;鬼ヶ島
先頭の酒羅丸は海の真ん中で足を止めた。距離的には日中であれば対岸がうっすら見える程度ではあるが、夜のため対岸が見えず、辺りに島は見当たらない。他の鬼達も列を成していたが、酒羅丸が止まるとその周囲まで集まりだした。
「皆の者、我が島へ帰還するぞ」
そう言うと、酒羅丸は鬼ヶ島全体に覆われている結界を解いた。その瞬間、突如目の前に島があることに気が付くことができる。これが、鬼の住処である鬼ヶ島だ。
捕らえられていた人間達はこの鬼ヶ島の不気味さに唯々恐怖した。何も無いと思っていた箇所から突如島が現れ、しかも、薄気味悪く陰気くさい、地獄の入り口の様であったからだ。
今現在、鬼ヶ島は誰にでも目視出来るようになった。いや、目視できるというよりは、認識しやすくなった、意識や記憶に留めやすくなった・・・そんな感覚を人間達は感じていた。そこにあるにも関わらず誰もが素通りをして気に留めない。それが、結界の効果であり、長年人間達を欺いてきた。
そして、酒羅丸がわざわざ鬼ヶ島に結界を張っているのには、二つ理由がある。
一つは、仲間を人間から守る為である。この結界の特性は、人間が知らぬ間に触れると呪い殺されてしまうというものであった。鬼にとって人間は食料であるが、それと同時に最大の敵でもある。昨今、人間の力も強くなっており鬼と対等な力を持った者も現れている。先で述べた陰陽師もその内の一つだ。奴らは、鬼を喰うわけでも無く殲滅するためだけに命を賭けているのだ。鬼にとって敵であり「悪」そのものであった。
そんな人間達から絶対数の少ない鬼の一族を守るために結界は必要であった。しかし、いかに屈強な陰陽師であっても、頭領の酒羅丸を消滅させることができる程の力を持った者は存在していないのだ。現世における最強の鬼たる所以はそこにあり、精々、酒羅丸に対して人間の力で出来るのは封印程度であった。若頭の芭浪、権左兵平、威波羅も酒羅丸程の強さは持ち合わせていないが、この限りである。
この四鬼が居る限り鬼の一族が消滅させられることはあり得ない。例え、酒羅丸以外の鬼が殲滅させられたとしても、酒羅丸さえ居れば、彼の持つ強大な力が磁力のように、他の鬼や魑魅魍魎を引きつけてしまい結局、鬼ヶ島に鬼が増えていくのであった。頭を潰さぬ限り鬼の消滅はあり得ないのである。
そして、この二つ目が最大の効果であった。この結界は陽光も遮断してしまうのだ。その為、昼間であっても薄暗く不気味であり、鬼達は問題なく活動できている。鬼一族が存在するために必要不可欠であった。
今回の夜行も人間を捕らえている為、鬼ヶ島帰還の際は、一時的に結界を解く必要があった。人間達に鬼ヶ島を認知される事は百も承知であったが、折角捕らえた人間達が死んでしまっては元も子もなく、致し方ない対応であった。
しかし、結界消失の束の間も危険はあれど、悪いことばかりでは無い。不気味に出現し、気がつけば認識できなくなっている島の噂は人間の中でも怪談となり、その良くない噂が鬼ヶ島にとって、負の力となり鬼にとってより快適な環境を生み出していたのだ。
解かれた結界を再び張るには、酒羅丸自身が島の中心部に赴く必要があった。島の中心部とは鬼の城郭の更に奥にある山頂であった。その山頂は、鬼ヶ島の中枢となる箇所であり、所謂良くない所・・・悪霊や呪いがより集まりやすい気場であった。その場で無いと、いかに酒羅丸であっても島全体を結界で囲むことは不可能であり、その術の発動さえ不可能であった。
島の中心から円滑に結界で覆うにも、地理的に非常に優れ、効率の良い場所であった。島の中心部・気場という事もあり結界を張るだけで無く、酒羅丸がその場で術を使うと島に在籍する鬼と人間の数も分かってしまうほど、島の中心としての情報が精通している箇所であった。
一行は鬼ヶ島へ到着した。鬼ヶ島はその土地の殆どが岩肌であり断崖絶壁で四方を取り囲んでいる。崖の高さは約四十五尺程(約十三㍍)であり、到底、素手で登れる高さでは無い。唯一、島の正面といえる箇所には砂浜があり、一行はその砂浜から上陸する。崖と崖の境目から島の中心へと繋がる一本道がある。
それをしばらく進むと、崖と同等高さの豪華絢爛な城門が姿を現す。そこには、門番の黒陽と白陰という、酒羅丸より更に一際大きい、十尺(約三㍍)はあろうかという体躯の鬼が番をしている。
一行が到着すると、門番の二鬼は動き出し、無言で門を開け始めた。この鬼は他の鬼とは違って、高い知性は持ち合わせていなかった。偶然の産物ではあったが、酒羅丸が造り出した鬼であった。知性が低くできる事は少なかったが、その体躯から放たれる物理的な破壊力と能力は酒羅丸に匹敵する物があり、門番という役割を与えられた。
「門番ご苦労。後で我の元に来い。土産があるぞ」
酒羅丸はその二鬼にそう告げるも返答は無く、ただ門を開け続けた。
門をくぐり更に奥に進むと道が開け島の中心部へ続いていく。島の中心部は岩山があるが、その麓は森や平地になっており、その一部分は開拓され集落となっている。
この集落は奴隷として捕われた人間達の集落であり、広い土地では無いが低く平坦な箇所に設けられていた。
鬼ヶ島の人間達は、自ら開拓し自給自足の生活を強いられていた。鬼の労働力(主に、身辺処理や建築作業など)となりながら、畑や田を耕し、家畜を育てていた。また、森には、鹿や猪といった動物もおり、渡り鳥も渡ってくる。動物達は結界の影響を受けることがなく、人間達は猟を行い、許可があれば門から出て漁猟も可能であった。
人間達は、労働時間以外は監禁されること無く比較的、自由な生活を許されていた。結界で逃亡できないこともあるが、鬼ヶ島の構造自体が自然の監獄であったからだ。
正面の入り口以外は断崖絶壁。強い波が打ち寄せ、飛び降りるものなら露出した岩肌への接触は免れない。
万が一、免れたとしても、その周囲を取り囲む海流は非常に複雑であり、船が無くては人間は溺れ死んでしまうであろう。安全に島を出る為には、海流の穏やかな正面から海に出る方が望まれる。しかし、大きな城門と巨躯な鬼二体が門番している時点で人間達は詰んでいる。
その為、頭領である酒羅丸は必要以上の人間の管理は行わなかった。細かな管理を自身で行うのは面倒とのことで、奴隷の管理は側近の権左兵平が自ら行なっていた。
権左兵平は、人間を軟禁せず放置しておくことに反対ではあったが、酒羅丸の決定に対して絶対主義である為容認していた。せめて、逃亡の有無や生存確認をしておかなければ、労働力確保の為にと独自の判断で行っていた。それは、特に夜行後に入念に確認していた。
鬼ヶ島の岸壁は海側から見たら断崖であるが、中心の岩山の麓から、岸壁へ続く道は、緩やかな傾斜と段差になっており岸壁の上へ行くことは比較的容易であった。そして、その段差や斜面には幾つもの鬼の根城が存在していた。鬼は自身の寝床に城を建てる者、穴蔵に住み着く者様々であったが、その数々よ根城から見下し取り囲まれる形で人間の集落が存在していた。いつでも見張り管理がしやすいように。
そして、岩山の中腹には鬼達が一同を介すことのできる赫い城郭が建てられている。鬼達は、眠りにつく以外は基本的にこの城郭で過ごしている。岩山の質素な一面に赫く輝く城郭は、一際目立っている。そしてそこから更に山頂には、例の気場が存在しそこは酒羅丸の根城となっている。
一行は、岩山の麓までたどり着くとそこで解散となった。各鬼が次回の夜行までは自由の時間となる。鬼の城郭に向かう者、自身の宝や獲物を根城へ連れて行く者様々であった。今回、一番の収穫であった矴は、そそくさと根城へ帰っていた。
矴が夜行後、一番に姿を消すのは毎度の事であったが、今回はいつも以上であった。矴は非常に神経質な性格でもあり、城郭とは正反対のところに根城を設け、コソコソと自身の宝や獲物を隠していた。その為、矴の根城へは誰も行ったことが無く、本人も他の鬼を連れてくるつもりは毛頭無かった。
「いつか、矴の根城暴いてやろうぜ」
そう、呪璃は、苦鳴と天下六に言い、二鬼は深く同意した。
今回、酒羅丸は自身の獲物は獲得しておらず、結界の再築の為、根城へ向かおうとした。しかし、一旦足を止め今回の夜行で奴隷のために捕らえられた人間達・・・・総勢十五名に対し言葉を向ける。
「これより我ら鬼に尽くせ。さすれば命だけは約束してやろう」
淡々とそう述べ、先へ進もうとしたその時・・・
「誰が、お前らの言うことなど聞くものか。父と母は私を庇ってお前達に喰われたばかりだぞ」
鈴という若い女が、声を裏返しながら酒羅丸に叫んだ。
多くの人間達は絶望の中、失意と失望に今にでも自決しかねない精神状態であったが、中に数名、彼女のように腸が煮えくりかえる程の憎悪を鬼に向けている者もいる。
「貴様の様な命知らずは嫌いでは無いぞ」
酒羅丸はにやりと笑いながら、向いていた方向を変えて、鈴の元へ歩み寄った。
「今すぐお前のことを殺してやりたいが、私にはお前達を殺せない」
鈴は拳を握りしめ唇も噛みしめ、震えながら強い憎悪と悔しさで血を滲ませた。
「分かっておるでは無いか。だからこそ我らに尽くすのだ」
小さい子どもを宥めるような口調で返答をした。鈴の噛みしめた唇からは血が流れている。泣き果てて枯れた目からは涙も落ちない。しかし、その目は酒羅丸を睨み付けていた。
「今すぐ、お前を殺してやりたい・・・今すぐ死んでしまえ」
鈴は力強く、そして、後半は細々と呟いた。それは、自身の発言のそれが到底叶わないこと認識し、自然と発言を自身が行いたいことから自身の願望へと言い直した故であった。鬼の強さは鈴自身が一番よく分かっている。しかし、鬼への反抗心を折ることが出来なかった故の言動。このままのうのうと憎き鬼の元で暮らすことなど考えられなかった。死の覚悟をもって最後の攻撃が言葉として表出されたのだった。
酒羅丸は鈴の頭を掴み、自身の身を屈ませ顔を近づけた。その行動を見て他の人間は恐怖で身動きが取れないでいた。今一度、あの地獄のような惨劇が起こると予感した。次は自分の番と分かっているのに逃げることも出来ない精神状態であった。
鈴は酒羅丸から決して目を離さなかった。自身の末路は分かっていたが、心で負けては失った家族に顔向け出来ないと思っていたからだ。酒羅丸もジッと鈴の目を見て、一瞬笑みを溢した。
「貴様の希望叶えてやろう」
そう言うと、その場にいる人間達が予想した未来とは全く別のことが起こった。酒羅丸は、鈴の目の前で、自害したのだ。自らの手で自分の頭を潰し、その場に倒れ込んでしまったのだ。
予想外の行動からくる恐怖に鈴も一瞬で腰が砕け、枯れていた目から再び涙が溢れだした。しかし、それは喜びの涙では無く、鬼という生き物の理解できない言動や残酷さ不知さ、そこから込み上げてくる恐怖から涙したのだ。
そして、更なる恐怖が襲った。倒れたはずの酒羅丸の首から下のみが立ち上がっていたのだ。そして破裂した頭部が、生えてきた。まだ、完全に頭部は形成できず、口腔周囲までしか回復していないが、なんとその状態で喋りだしたのだ。
「貴様の希望通りになったぞ。さて次はどのように死んでやろうか?打ち首か?火炙りか?それとも陽光を浴びてみせようか?」
これを言い終わる頃には、頭部も完全に回復し、高々と笑いながら、酒羅丸は鈴の後ろに回りながら耳元で囁く。鈴は更なる恐怖で震え上がり動けない。そして同時に悟った。何があってもこの鬼達には逆らえないと。逆らえば、どんな苦しみを与えられて殺されるか分からない。
「貴様のような女は嫌いでは無いぞ。妻に娶ってやっても良いが・・・弱すぎる。しかし、いつでも殺しに来るが良い。我は決して貴様には手を掛けぬ。だから安心して殺すが良い。どのように殺しに来るのか興であろう」
この言動で鈴含め、鬼に対し反旗を翻さんとする者達の心を完全に折ってしまったのだ。他の鬼達もその人間達の表情と、この一連の流れを、笑いながら傍観していた。また酒羅丸のいつものそれが始まったと興じていたのだ。
「契りを交わしてやろう。五年・・・五年間この鬼ヶ島で我らの為に尽くしてみせよ。さすれば、逃がしてやるぞ」
鬼と人間の生き物としての格の違いを見せつけること。鬼の残虐性や気性を見せつけ恐怖心と抗えない実力差を刻み込むこと。命の保証をしながら、自身の命を狙わせ、支配力を見せつけること(しかし、酒羅丸の場合、本気で自身の一興としか思っていない)が、この一連のやりとりの目的であった。そして、逆らう者はもう居なくなった。
そして、酒羅丸が今提示した五年という数字が正に絶妙な数字であった。三年では鬼にとって短く十年では人間にとって絶望のように長く感じる。五年であれば、そこを我慢さえすれば、という僅かな希望をちらつかせ、労働力の確保のための魔法の言葉であった。
酒羅丸の強さと言葉と行動・・・この一連のやり取りで、人間達を支配し従わせた。しかし、鬼が本当に契りを守るかどうかは完全に気分次第なのである。