36;結界の効果
「おい、何をしておるのだ?そんなに臆病な奴であったか?」
酒羅丸は、後ろで項垂れている権左兵平に声を掛けた。何故、この様に蹲っているか、注意が逸れ結界の認識を失っている酒羅丸はその行動の理解できていなかった。闘いが終わったにも関わらず、その蹲り防御を取るような姿勢を解くことは無く、疑問しか無かったのだ。
「おい!聞いて・・・」
そして、声を掛けても一向に反応が無い為、揺さぶってみた。
「結界へ行かれよ!」
権左兵平は酒羅丸の言葉を遮るように大声でそう叫んだ。そして、その言葉に酒羅丸は息を止めた。失っていた結界への認識が滝のように溢れてきたのであった。
「そうであったな・・・」
不適な笑みを浮かべながら答えた。それと同時に、先程、威波羅の為に失った心臓は再生しもう元通りになっていた。
「権・・・行くぞ」
権左兵平は潰された目と耳を修復し、閉じていた五感を取り戻した。そして、酒羅丸の促しに頷き・・・遂に結界の中へと足を踏み入れた。
「なんだ?ここは・・・本当に鬼ヶ島か?」
その場所は、鬼ヶ島とは思えぬ程、明るい光が差し、一面花で覆われた景観の美しい空間であった。その明るさと景観以外、絶壁からの風景やその周囲の形状は鬼ヶ島その物で、奥には威波羅の根城らしき建物も見えていた。鬼ヶ島とは全くの別空間ではあるが、その鬼ヶ島の『裏側』と表現するのが適切な空間が展開されていた。
「こ・・・これは陽光!」
その眩しさに権左兵平は咄嗟に叫んだ。
「権・・・慌てるな。であれば貴様は既に火だるまであろう」
酒羅丸は落ち着いて周囲を見渡し状況を確認していた。
「しかし・・・これ程強力な術は・・・」
「あぁ・・・権の呪いが施されている奴らでは不可能であろうな・・・」
「えぇ・・・こんな強大な術・・・もし発動させるものなら即死です・・・私の、呪いの糸も切れておりませんのでそれは確実かと・・・」
「なるほど・・・としたら、矴がいう外部の侵入者・・・によるものか・・・」
「でしょうな・・・」
「・・・」
酒羅丸は自身でそう推理したものの、心のどこかで納得しきれないでいた。そして、暫くその場で考え込むような形で佇んでいた。この様な芸当ができるのは・・・一人しか想像できない。しかし、それは物理的に不可能であった。外部からの侵入者の力量にもよるが・・・鬼ヶ島に潜入する程の者だ・・・生半可な者が選ばれる訳がないか・・・と、渋々そう結論付け自身を納得させた。
「しかし・・・なんじゃ・・・体が重い・・・」
権左兵平は、身体の不調を訴えるかのように嘆いた。
「そうであろうな・・・ここは奴らの結界内・・・我らに有利な条件などもらえまいて」
それでも冷静に、今持ち得る情報から淡々と状況を整理する酒羅丸であった。そして、暫く進んだその先にある威波羅の根城(らしき建物)へ向かった。酒羅丸は、そこから放たれる禍々しい雰囲気に、臨戦態勢に入る。自身に対して向けられるこれ程までの殺意・・・酒羅丸の表情から余裕は消えていた。人間風情がこの酒羅丸に対し、不遜で小癪な殺気に怒りは頂点に達していたが、それでも殺意と殺気を内に込めて一歩ずつ近づいていった。それを察知し権左兵平も緊張感が走る。
「権・・・行くぞ」
「えぇ・・・」
権左兵平が威波羅の根城の戸を開けようとした。その瞬間・・・
「権!」
酒羅丸は咄嗟に叫んだ。しかし、その反応は既に遅く、権左兵平の首は胴から離れ宙を舞っていた。
「酒羅・・・様?」
斬られた当の本人でさえ気付くことができない神速とも言える抜刀術・・・酒羅丸の目でもさえも、その剣劇の軌道を捕らえることができない程のとてつもない速度・・・そして、その一の太刀は既に納刀されており、二の太刀は既に酒羅丸に向けられていた。しかし、それは間一髪・・・回避した。それは、思考の伴った回避では無かった・・・死を直感させる正に反射と言うべき反応であった。それ程までにその斬撃は酒羅丸にとって脅威であり、死を連想させるものであった。
「何者だ!」
酒羅丸は、そう叫ぶより他なかった。相手の攻撃を受けてこそ・・・避けないことが信条の酒羅丸にとって無意識とはいえ死の恐怖を連想されて避けてしまったのだ。自身にとってこれ以上無い辱めであり、そして、それを相手に気付かれないように振る舞う姿も実に滑稽で情けなさを感じていた。そこに敵がいるのは分かりきった事では無いか・・・何が「何者だ!」と・・・酒羅丸はそう自身を戒めていた。
その酒羅丸の呼びかけに対し、その斬撃を放った当の本人が根城からゆっくり出てきた。
「誰だ?貴様は?」
酒羅丸は再び聞き返した。今度は落ち着いて・・・先程の慌てふためいた叫びでは無く、相手の強さを測るために、冷静に問いた。そして、その男は、拒否すること無く名乗りだした。
「私の名は、鬼一法山。陰陽寮から来た・・・貴様を殺す侍だ」
鬼一法山・・・現世における最強の侍であった。現在は陰陽寮に所属しているが、今回の任務は彼が適任と判断され単身でこの鬼ヶ島に乗り込んできたのであった。
(おかしい・・・)
酒羅丸は疑問を呈した。それは、近接戦闘が得意ではない権左兵平は、奇襲が最大の弱点であった。その為、常に妖力を身に纏い身体を強化させ、それでも対応できない奇襲に対しては、常に変わり身の術を自動で発動できる術を会得していた。敵陣に乗り込んできたのだ・・・それを発動し忘れる程、馬鹿な鬼では無い。しかし、それが全く発動されていなかったのだ。そして、酒羅丸自身も・・・千里眼を持ってしても軌道が読めない斬撃などあり得るのかと・・・そう・・・何とか目で追えた・・・そう、目で追ったのだ。術を通して見たのでは無い。そう考えると、酒羅丸は、我ら鬼の身体能力が低下する類いの付加効果ある空間なのではと仮設した。
しかし、先程の二の太刀を防いだときの自身の反応と体の切れ・・・それはいつもと変わりなく動いていた。身体能力を下げる効果では無さそうだ・・・第一、その様な空間であれば、目の前のこの人間も同じ条件の筈である。他に考えられる原因は・・・術の制限であった。いや、しかし、それこそあり得ない選択だ・・・人間にとって我らと闘う唯一の生命線・・・霊力を使わずに挑んでくるのか?いや・・・その仮設を立証させるかのように、酒羅丸も妖力が扱えていない。体躯で劣る人間達は、術の精度でそこを補ってきたのだ。そこを捨てる意味があるのか・・・ただ疑問であった。
次の仮設は、決して法則としてあり得ないが、人間だけ霊力が使えて、鬼は妖力が使えない・・・という事であるが・・・いや・・・目の前のその男からも、何の霊力を感じることができない。我らへの攻撃は式神や呪術が常套句だったはずだ。その人間が、まさか・・・身体能力のみで、勝負をしにきているということか?いや・・・先程の斬撃・・・あれは正に神の領域であった。あれを、何の霊力も身体強化の術も行わずに・・・身体機能のみで放ったというのか?そんな人間が存在するのか?我の視力でも追えず、我の速度よりも速い抜刀術など・・・もし、そうだというのであれば・・・一体何年剣を降り続けたのだろうか・・・この霊力が全盛の時代に霊力に一切頼らず、生涯をかけて剣道に勤しまなければ・・・あの域には達しまい。正に、常軌を逸している。
それともう一つ不可解な点が浮かび上がった。身体の再生は鬼にとって術では無く生理現象・・・つまり自然に処理されるべき能力であった。しかし、権左兵平の頸は一向に繋がらず、再生されずにのたうち回っていたのだった。
「権よ・・・この空間、術全般が使えぬようだぞ」
酒羅丸は権左兵平の生首に話しかける。
「・・・その様でございますな・・・」
権左兵平は斬首されたまま・・・再生できず生首のまま返答をする。
「再生・・・できぬのか?」
「はい・・・やはり妖力が使えず強制的な治癒は・・・それに傷口が焼かれるように崩れ落ちるのです・・・」
(なるほど・・・この空間と、あの刀か・・・)
「貴様、出身はどこだ?」
酒羅丸が向きを変え法山に問いただした。
「吉備の国である」
法山も問われた質問に対し素直に答えた。酒羅丸が臨戦態勢に入っていないため、法山も一呼吸置いている。法山の戦闘は、自身の間合いに入るものは、どの様な速度でも、どの角度からでの神速の居合いで、一撃で切り落とすもの・・・先程の酒羅丸の考察の通り霊力には一切頼らず身体能力のみでその抜刀術を会得していたのだ。そして、抜刀から納刀の速度さえも人間離れしており、そこから二の太刀・・・三の太刀と連撃を決めるのが常套句であった。その為、間合いから程遠い距離にいる術が使えない酒羅丸を脅威と感じてはいなかった。近づいてくれば斬れば良い・・・その感覚で常に間合いだけに気を遣っていた。
(・・・我の武器で作った妖刀か・・・あれで斬られたら、術が封じられたこの空間では再生は不可能であるな・・・術封じの結界と神速の居合いと妖刀・・・なるほど・・・最強の組み合わせだ)
術に頼らず、絶対的な身体能力と近接戦闘術を誇る酒羅丸に対し、相手は真っ向からそれに対し一対一の勝負を挑んできている。相手は居合いの達人。目では追えぬその神速は、間合いに入れば酒羅丸でさえ回避することは不可能である。そして、術で身体の強化や硬化ができない以上、受け止めることさえも・・・酒羅丸の体が、切り刻まれ再生も不可能のまま消滅してしまう未来が目に見える。一掴みさえすれば、酒羅丸の勝ちであるが、圧倒的に速度と間合いで負けている。触れることさえできないのだ・・・であればどんなに力も意味が無い。
術は封じられて使えないが、もし術が使えると仮定して・・・これで戦法を変え術に頼った攻撃をしようものなら・・・それは酒羅丸の尊厳が許さない行為であり、ましてやこの結界から出て対峙するなんて選択は取る筈も無い。それこそ、この結界から出てしまえば、この結界の効果で注意が逸れ忘れてしまう可能性もある。それこそ人間達の思う壺であり、それはつまり酒羅丸の敗北ともいえる結末である。相手の土俵に立ち、それでも尚、圧倒的な力でそれをはねのけてきたのだ。闘いに対してその様な逃げの思考は持ち合わせてはいない。逃げるなどという惨めな姿を晒すくらいなら・・・死んだ方がまだましであった。
今、対峙している法山の力とこの空間の相性は、酒羅丸にとって最悪で、酒羅丸も思わず(全く・・・この結界を作りだしたこの男は、どれ程我らに恨みがあると言うのだ・・・)この様に愚痴を溢してしまう程であった。正にこの様な場面を想定し、このために作られた結界と言っても過言では無い効果を発揮している。酒羅丸にとって、妃姫との戦闘に次いで、二度目の絶体絶命の境遇。いや・・・初めてであった。それは、温羅時代から数えても・・・戦う前から勝てる連想ができない事は。しかし、そんな状況においても酒羅丸は、笑い出した。
「ふふふふ・・・・ハーッハハハハハ!なんたる幸運!この我が、死ぬかも知れぬということだ!全く!最高に愉快!これこそ我が待ち望んだ戦闘だ!」
声高々に天を仰ぎながら、正に至福と快楽に漬かっているかのような表情で言い放った。自分が消滅するかも知れないということ、絶対絶命の状況、手も足も出ない強敵、その全てが初めての経験であり、それすらも愉悦でしか無いのだ。正に、千年生きてきて待ち望んだ瞬間でもあった。そして、法山はその不気味さから、背筋が凍る程の寒気が襲い、まだ酒羅丸との間合いは安全圏と言える範囲であったが、咄嗟に臨戦態勢に入る。それは、考えての行動では無かった・・・百戦錬磨の法山の危険を察知する反射と言える反応で居合いの姿勢に入った。
その瞬間、更にその空間を纏う雰囲気が一変した。第三者から見てもその場に立ち会えば「死」というものが容易に連想できる、異様な空間であった。そして・・・酒羅丸の目の前で構えている男は、ただ・・・その間合いに入ってくるものを切り落とすのみに特化された生き物と化していた。その姿を見た酒羅丸は、更に笑いが止まらない。その顔は、だらしなく涎を垂らしながら笑みを浮かべていた。
「精々楽しませてくれよ・・・にんげ・・・ッ!」
声高々に、気分良く言い放った酒羅丸であったが、突如、理由は分からないが、その言葉を詰まらせ片膝をついて藻掻きだしてしまったのだ。法山は、その予想外の出来事に呆気にとられていた。その酒羅丸の姿は隙だらけであったが、逆にその隙があり得ないことであり、不気味さも相まり逆に手が出せなかった。
「貴様!楽しんでおるのだ・・・邪魔をするな・・・邪魔をしておるのはお前の方ではないのか?何を言うか!約束が違うであろう?この場は私に譲れ・・・いや、譲れぬよ変われ・・・糞・・・」
酒羅丸は声色を二つに切り替えながら自問自答しだしたのだ。そして、藻掻き頭を抱えながら叫んでいた。しかし、それも束の間、酒羅丸は直ぐに立ち上がったのだ。法山は、目の前で一体、何が起こっているか理解できていなかった。しかし、明らかなことがある。目の前に立っている者は、酒羅丸では無い・・・角や牙は失い、姿形は酒羅丸そのものだが・・・いや、ましてや鬼ですら無い・・・明らかな人間が立っていたのだ。




