35;親として
「惨めな姿だな、酒羅丸よ」
突如結界から出てきた威波羅が、酒羅丸と権左兵平を見下すような形で、表情を変えず淡々と言い放つ。酒羅丸は突然の襲撃に対応できず、突き飛ばされ片膝をつくような形で威波羅を見上げていた。それが不意打ちとはいえ、全く対応できず、情けない立ち振る舞いをしてしまった自分自身が許せなかった。そして、その威波羅の見下す視線と態度は、酒羅丸の逆鱗に触れた。
しかし、その怒りの矛先と思われる行動は、威波羅では無く権左兵平に向けられたのだ。酒羅丸は、あろうことか権左兵平の目と耳と潰したのであった。そして、その攻撃を受けると同時に権左兵平はその場に蹲り、呼吸をとめ微動だにしなくなったのだった。
「くそ!」
酒羅丸のその対応をみて、威波羅は舌打ちをして、悔しそうに声を荒げた。酒羅丸は怒りで我を忘れる程愚かな鬼ではない。こと戦闘に関して言えば、怒れば怒るほど、誰よりも頭が切れ瞬時に正解を導き出すことのできる修羅である。この場合も権左兵平への対応はこの上ない行動であり、威波羅にとって最悪の行動であった。権左兵平も酒羅丸の意図を瞬時に察知し、五感を遮断したのであった。この結界の特性・・・注意の分散と転換・・・ここで、威波羅への対応を双方がしてしまうと、忽ちここへ来た本来の理由をから注意が逸れ忘れてしまうであろう。その危険を瞬間に察知した酒羅丸は、半ば強引に暴力的な手段ではあったが、その役目・・・結界への認識の継続を権左兵平に託した。命令されず、理不尽とも言える行動ではあるが、意味の無いことはしない・・・権左兵平は酒羅丸に対し明確に・・・そして全幅の信頼を置いている。権左兵平は今、結界から注意を逸らさない為だけの体、存在となり徹している。
その阿吽の呼吸をみた威波羅は、咄嗟に権左兵平に向かって攻撃を開始した。権左兵平へ攻撃を当て、少しでも自身に対して注意を向けることができれば・・・結界の存在を忘れさせることができれば・・・勝ちなのだ。そう・・・威波羅は、今、酒羅丸との勝負に向き合っていない。勝てないと分かっている敵に対して自身の命を犠牲にして、この結界の存在を守る為に勝負を仕掛けにきたのであった。
しかし、酒羅丸は威波羅のその攻撃を軽々受け止め、反撃の一撃を加え突き飛ばした。そして、大きくため息をつきながら威波羅に問いだした。
「情けない・・・貴様はどっちなのだ?」
突き飛ばされ、仰向きになっている威波羅に目線を合わせるかのように、酒羅丸は石のように堅く蹲っている権左兵平の頭を肘置きにしながらしゃがみ込んだ。
「どういう意味だ?」
酒羅丸の反撃は、ただ突き飛ばすことが主であった為、威波羅に大きな損傷は無かった。威波羅はその酒羅丸の質問の意図を理解できず、仰向けの姿勢から顔をあげ返答した。
「この質問が理解できぬ限り、それが貴様の強さの限界だ」
酒羅丸は、威波羅の存在を残念そうに、失望したと言わんばかりに言い放った。そして、ため息を付きながら面倒臭そうに、質問の意図を理解できてない威波羅に対して続けて答えた。
「鬼でもなく人間でもない・・・貴様自身がその存在を中途半端にしているというのだ!それが貴様の弱さだ!」
酒羅丸は立ち上がり、徐々に声を荒げながら激高し、威波羅の・・・その存在について問いただした。
「・・・」
威波羅も立ち上がり言い返そうとした。しかし、核心を突かれ、反論しようも無くただそれを聞き入れることしかできなかった。
「その安い挑発で結界のことを忘れさせようとしたのであろう。貴様は我に勝つことなど考えていなかった・・・ここで戦闘すれば、確かに我は結界のことは忘れ去るだろう・・・貴様は敗れても、貴様らの勝利か?・・・馬鹿馬鹿しい・・・自分の命を犠牲にするなど、鬼のすることではないわ!」
酒羅丸は、更に声を荒げながら、さながら・・・説教の様に叱咤したのだ。中途半端な事はするものではないと・・・人間としてここに立つのであれば、自身を殺すつもりでこいと・・・鬼として立っているのであれば、今すぐ裏切り結界の中の人間を殺してこい・・・酒羅丸はこの言葉の中に、その様な意味合いも含めて威波羅に発した。そして、その言葉は、威波羅の思考を停止させ自身の存在意義を考えさせた。
「お・・・俺は・・・」
威波羅は、自問自答するかのように、自分という存在が何なのか迷っていた。自身の弱さの原因を明確にされたような・・・そんな気さえした。鬼でも人間でも無い、鬼が憎いわけでも人間が嫌いなわけでも無い、鬼にも人間にも仲間がいる。自分は一体何なのだと・・・
「もう一度問う!貴様は何なのだ!」
そして、酒羅丸は考える間を与えない。即座にその返答を求めた。
「俺は・・・人間・・・の仲間だ!」
威波羅は、絞り出して答えた。考えが纏まらないまま、今、自身がここに立っている理由・・・それを無理矢理正当化するように答えた。
「違う・・・貴様は人間達に良いように使われている哀れな鬼だ・・・骨の髄までしみこんだ貴様の『鬼』を我が引き出してやる」
酒羅丸は威波羅の返答をあっさり否定する。しかし、酒羅丸は言ったのだ、威波羅は『鬼』であると・・・明確にはっきりと。
「黙れ!」
威波羅が酒羅丸の言葉を遮るように襲いかかってきた。これ以上、今の自分の意志や使命を惑わされる訳にはいかなかったのだ。そして、酒羅丸一点突破で攻撃を繰り出している様に見せかけ、その死角から再び権左兵平への攻撃を開始していた。しかし、その行動も酒羅丸には通じない。
「当然・・・狙うのはこちらだよな・・・」
酒羅丸も察知していたかのように先回りして権左兵平を守りながら闘っている。
(・・・我は、何故権の目と鼻を潰したのだ・・・?まぁ良い。それには意味がある。今、守るべきは権だ)
酒羅丸は、このやりとりの間に結界への注意は逸れ、記憶からそれは認識し辛くなっていた。しかし、その認識は無いが威波羅との確執への認識はある。それが酒羅丸を突き動かし、そしてその状況判断・思考能力の高さにより権左兵平の現状と重要性を瞬時に把握し、最善の一手をうっていた。今、酒羅丸は結界を暴くために闘っているのではなく、何か分からないが重要な存在である権左兵平を守りながら、威波羅という『鬼』の存在を・・・息子の存在を正すために闘っていた。
「何故、貴様が権にばかり気を取られているのかは分からぬが・・・まぁ、そんな中途半端では我には敵わぬよ」
「やってみなければ分からぬだろう!」
そう言うと、威波羅は酒羅丸に全攻撃を集中させた。そうなれば、いつもの威波羅との戦闘と何ら変化は無くなった。こうなれば、威波羅に勝つ術は無く、徐々にその四肢は削られていき一歩的にやられるのであった。満身創痍となり、酒羅丸もこれ以上の攻撃は意味が無いと悟った瞬間であった。
「つかまえた・・・」
威波羅は最後の力を振り絞って、その隙を付き酒羅丸の背後にしがみついたのだった。
「何?」
「命と変えて咲くが良い、我が血よ燃えろ・・・血咲相殺」
威波羅は最後の力を込めて酒羅丸にしがみつき、自身の命と引き換えに自爆をしたのであった。双方肉片は跡形も無く飛び散ったが、酒羅丸の核までは破壊には至らず、それでも酒羅丸を殲滅はできなかったのだ。その核を中心に徐々に酒羅丸の体は再生していく。
「最後の、攻撃・・・悪くは無かったぞ。実に・・・人間らしい素晴らしい攻撃であった・・・が、やはり貴様は。心の奥底ではここで自爆しても自分は鬼だから死なない・・・そんな心持ちがあったのだろう・・・故に、威力は減り自身も死にきれなかったのだ。人間であれば、この様な攻撃をするときは、本当に自身の命・・・いやそれだけでは無い仲間の命も掛けて攻撃してくるのだ。それが、我には理解できん・・・自分以外の者のために死んで何になるというのだ・・・まぁ、聞こえてはおらぬか・・・」
周囲に散在した威波羅の肉片を見渡しながら悟ったように呟く酒羅丸であった。そして、その中から威波羅の核がある肉片を発見し、そこに自身の血をかけ治癒の術を施していった。そして、そこから徐々に、威波羅の体が再生し、胴体と顔のみが再生したところで、術を止め威波羅に話しかけた。
「貴様は・・・失敗作だ・・・鬼にも人間にもなりきれず中途半端な存在となってしまった・・・弱いのは当たり前だ。いっその事心から我は人間だと強く思っていた方がまだ強かっただろう・・・我を倒したいが、他の鬼とは仲良くしたい。人間を殺したく無く仲間になりたいが人間になろうともしない・・・中途半端で反吐が出る・・・」
頭が完全に再生したところで威波羅の意識が完全に復活した。そして再び酒羅丸の説教じみた問答が開始された。酒羅丸が四肢を回復させなかったのは、その為だろう・・・大人しく聞き入れさせる為であった。そして今は、威波羅の回復力で失った四肢には肉が肥厚し止血され徐々に再生されてきていた。
「俺は、貴様の道具じゃ無い!」
命を擲った攻撃をしたにも関わらず回復を施され、おまけに失敗作だと言われ・・・威波羅は、どうしようも無い怒りが込み上げてきた。
「ふふふ・・・言うでは無いか。その通り、貴様の人生だ。好きにするが良いが・・・そうだな・・・貴様を中途半端な存在にしてしまったのは、我とあの女の呪いのせいであるな・・・それは親としての責任があるのか?」
酒羅丸の最後の問いは、自身に対して問いかけるような形で自問をしたのであった。親という『鬼』にはあり得ない立場であり酒羅丸にとって、理解できないものであったが、それもまた事実なのである。酒羅丸もその事実に対し目を背けてきたため、ここは責任を果たさなくてはならないと、分からないなりにも考えていた。
「何を訳の分からないことを!」
酒羅丸は自問自答をしたのだが、威波羅にとっては、自身に投げかけられた質問と思い更に意味が分からなかった。
「何・・・最後に我が貴様の父としての責任を果たすのだよ」
そう言うと、威波羅を持ち上げ、右腕に力を込めて振りかぶったのだ。
「何をするというのだ!止めろ!」
威波羅は動く限りで最大の抵抗をした。今から、何をされるか分からない。ただ殺されるなら受け入れられるが、そういう訳でもない・・・ただ、悍ましい恐怖が襲ってきたのであった。
「五月蠅い・・・」
酒羅丸はそれでも抵抗しようとする威波羅を鬱陶しく思い、折角再生した頭を再び吹き飛ばし胴体だけにした。もう、威波羅との問答は終わったのだ。考えること、喋ることは必要ないのだ。そして、聞くという器官が無くなった威波羅に、呟いた・・・
「鬼に・・・してやれなくて・・・悪かった・・・」
そう言い残し、威波羅の心臓を取り出し握りつぶし、血を全部抜いてしまったのだった。そして、酒羅丸は自身の心臓を掴みだし、威波羅の体にそれを差し込み、心臓を入れ替えてしまったのだ。すると、徐々に体内に残っていた威波羅の血は失われ、酒羅丸の血が濃くなり体が徐々に再生していく。心臓だけになっても変わらず血が噴き出すその特性を利用したのだ。
「その呪い打ち消えるか分からぬが、これしか対処がない」
酒羅丸は威波羅を哀れんでいた。中途半端な存在のまま、人間の使い走りにされ呪いまでかけられている始末に。そして、最後に威波羅に耳打ちをする。
「童子となり貴様は一から鬼としてやり直してくるのだ」
そして、空間転移の術を発動し、威波羅をどこか見知らぬ土地へ飛ばした。野良の鬼となり、再び鬼としての生を全うすること、鬼としての喜びを与えること、そして父としての期待を込めて。




