33;再会
私は、気付けば父の居る実家に足を運んでいた。なんて言ってこの戸を叩いて入れば良いだろうか・・・父に心配はかけたくない・・・家庭も円満で、一条家から休暇を貰って帰ってきた・・・そう言い訳しようか・・・いや、正直に全てを話すべきか・・・暫く玄関の戸の前で一人佇んでいた。早く家に入りたい・・・父に会いたい・・・しかし、一歩の足が出なかった。しかし、私の決断できない様子を待ちきれないかのように、その戸は突然開かれた。
「おや?外道丸じゃないか・・・帰ってきていたのか、ほれ入れ入れ」
「・・・」
私は、無言で頷き家の中に入った。そして、暖炉の前で正座をして下を向いたまま父の顔を見ることができなかった。
「どうだ?家庭と仕事の方は?」
父は茶を入れてくれながら私に優しく声かけてくれた。
「いや・・・それが・・・その・・・」
私は、何と応えて良いのかまだ決まっていなかった。そして、その私の態度に父が何かを察した。
「そうか・・・良く帰ってきてくれた。おかえり」
小さく項垂れている私の頭にそっと手を置き、優しく迎え入れてくれた。私が帰ってきた理由をそれ以上聞くことも無く。私は、その言葉に涙が自然と流れてきた。信じてきた者に裏切られたこと、愛する妻に騙され続けていたこと、それでも愛していた子どもを失ったこと、そして、自分の道を・・・選択を間違えてしまったことを・・・後悔と共に涙が止まらなかった。父はそんな私を察してそっとその場から離れ隣の部屋へ移動してくれた。
一晩経ち、気持ちが落ち着いた私は、事の顛末を全て父に話した。すると、父は「外道丸が無事であるならそれでいい」と全てを受け入れてくれ、一緒に暮らしてやり直そうと言ってくれた。私は、全てを失ったつもりであったが、まだ自分の居場所はあると、生きる気力が再び湧いてきた。そして今後は父と共に、家族で暮らしていく夢を叶えるためにここで暮らしていくことを決意した。
しかし、父も五十歳を過ぎ以前のような活気に溢れた感じは無くなっていた。そこで、私は自身の剣術を生かし、村の護衛業を営み、自ら稼いで少しでも父を楽にさせたかった。すると忽ち村の評判となり、都から来た侍が村の護衛任務に就いてくれ、且つ村人でも払える安価な値段で依頼できるとは、願ってもいない事業となった。主に依頼があったのは、夜盗からの護衛、討伐、妖怪退治など村人では到底対処できない問題を請け負った。私からしてみれば、この様な任務は以前の任務と比較すれば大したことない部類であり、依頼がある毎に解決に導いたのであった。
そして更に評判は良くなり、私は村の英雄のような扱いを受けるのであった。そして、私はまだ二十一歳で、村中の女性から縁談の話が持ちきりとなった。しかし、私はもう結婚は考えられなかった。それでも外を歩く毎に女性から言い寄られ、それが耐えられず依頼以外の時間は極力家の中に引きこもり、その持て余した時間を酒で補うようになっていた。父の晩酌の相手を務める為に覚えた酒であったが、過去の心の傷を忘れる為に酒を呑みだしたのもあった。それでも、女性からの求愛は止むことは無く、家に多くの手紙がうちに届く様になっていた。私はそれを鬱陶しく思い開きもせず、そのまま家の暖炉に投げ入れ焼いてしまっていた。
そして、一年の月日が流れた。以前よりは手紙が届くことは少なくなったが、それでも求愛の手紙を止むことは無かった。それが精神的な苦痛であった。私が村で活躍をすれば、その都度手紙が届く・・・何のために私は剣を振っているのだろうか?今まで何人斬ってきただろうか・・・それこそ私が鬼の様な男だからか?・・・剣は私に何を与えてくれた?破滅の道しか無い・・・剣は・・・初めて握ったときに体現したあの理想の型・・・あれを一度でもできたか?これだけ努力し、嫌な想いもして、命も投じて・・・それでも剣は答えてくれなかった・・・剣を振る意味はあるのか?・・・剣が面白くない・・・私は、剣にも愛されていなかった・・・
それを機に私は剣を置いた。
そして、私はより一層酒に溺れるようになった。貯金は十分にあったので暫く働かなくても食べていくことはできた。父も心を病んでいく私をみて、働かなくてもいいと言ってくれた。その言葉に甘えるかのように私は家に引きこもった。私が外出と言えば、酒を買いに行くときだけであった。
暫くしてその父が病を発症し倒れたのであった。何とか一命は取り留めたが半身が動かず、日常生活を送るのも困難となった。私は、必死で父親の介護に徹した。父には今までの恩を還すことは何もできていない。自分の命を父に尽くすとことに決めた。
しかし、それでも酒は止めることができず、介護以外の時間は常に酒に浸っていた。酒に強い体質でもあり、いくら飲んでも呑まれるということは無く、その程よく酔った心地良さは、嫌なことを全て忘れさせてくれた。そんな中・・・父の代わりに日常品を買うために外へ出たときのことであった。私の形は、村の英雄もその影を潜め、もう村人から外道丸だと認知できないほどに人相が変わってしまっていた。英雄の理想像だけが膨張し、同一人物とは思われなかったことが、それはそれで都合が良かった。しかし、突如そんな私に聞き覚えのある声が呼び止めた。
「外道丸・・・さん?」
そこには女性が立っていた。常に俯き日を背けるような姿勢で、顔を上げるだけと眩しさで涙が出そうなほどであった。そんな視覚で振り向いた先は更に逆光で顔が全く見えなかった。しかし、私は姿が見えなくても、声を掛けたのが村の者ではないと判断できた。明らかに私はその女性を知っている。先程の眩しさなど言い訳に過ぎない。もうその人物とは面と向かって目を合せて話すなど許されないのだから。いや、しかし、そんなことはあり得ない・・・こんな所には居るはずもない・・・そう言い聞かせて振り向いた。
「探しました・・・会いたかったです!」
その女性は私を確認するなり、私に飛びつくように抱きしめてくれた。そう、顔を見なくても誰か分かっていた・・・この優しい声と薫陸の香り・・・美代姫だ。美代姫は十八歳となり、より一層気品漂う・・・女性になっていた。対する私は無精髭を生やし、薄汚くだらしない着物を着て、酒に溺れた・・・美代姫からしたら下落するにもこれ以上無い変貌ぶりであったに違いない。
「美代姫様・・・なぜ・・・ここに?」
「一条家の門下生殺害事件・・・不可解な点があり調べさせて貰いました・・・貴方は悪くない」
「そんなことを聞いているのではありません。貴方は、私などのために人生の時間を使っていい人ではありません」
「・・・」
「どうしたのです?」
「許嫁の件ですか?それはもう、お断りしました。そして、幻彩家を破門し家を出ました」
「何を考えておられるのです!」
「元より、幻彩家には限界を感じていました。未練ありません」
「何故!・・・何故そこまで・・・そんなことができるのです!」
私は、つい声を荒げてしまった。その声に村の住民は驚きこちらを見ていた。
「少し、落ち着いて話しましょう。場所を変えますよ」
美代姫はそう言って私の手を取り、人気がいない場所へ移動した。そして、私も一呼吸置き、心を落ち着かせてから再び問いかけた。
「何故・・・ここにいるのです?」
「先程、言ったように私は幻彩家から出て、今は陰陽寮の一員として様々な依頼を受け全国各地へ赴いています。そうすれば、貴方を見つけられる・・・そう思いまして」
「成る程・・・陰陽寮の情報から私を見つけだしたのですね」
「それは・・・正直、たまたまです。任務で近くまでは来ていましたが・・・何故かこの辺りに良くない気配がして・・・何か気場のような・・・負の力が溜まっているような・・・その気配を探って来てみたら貴方がいたのです。本当に・・・運命を感じました」
「そうでしたか・・・」
「そんなことより、都へは戻りませんか?」
「もう・・・あそこに私の居場所はありません」
「そんなことはありません!確かに・・・最初は、貴方を疑う声はありました。光家が頑なに外道丸は死んだと言い張るので、脅されているではと・・・しかし、調べてみると藤原は朝敵とも繋がりがあったことと、貴方の暗躍を試みていたという証拠もあがり・・・主犯として認定され、藤原家は失脚しました。朝廷は貴方の復活を心待ちにしていますよ」
「ありがたいお言葉ですが・・・私にはもう剣を握る気力も力も無いのです。見て下さい・・・この姿と、この痩せこけて細くなった体を・・・暫く剣を振らなくなっただけでこれだけ腕が細くなってしまいました。ただの見窄らしい下民です。貴女とは住む世界が違う人間なのです」
「そんなことはありません。貴方は直ぐにでも取り戻せます」
「剣を握るのはもう嫌なのです。私の人生は剣に狂わされてきたのです。私が剣に出会わなければ誰も死ななかったのです」
「けど、剣が無ければ私達は出会いませんでした!」
「そうですね・・・しかし、私達を繋げていたのも剣だけです。もう、それを下ろしてしまった私は、貴女に見合う男ではありません」
「なんで・・・そんな・・・意地悪を言うの?」
美代姫は声を震わせながら私に問いかけてきた。
「意地悪ではありません。事実です」
私はずっと目を背けたまま、淡々と述べていた。
「やっと会えたんだよ?私は、ずっとずっと貴方に会いたかったんだよ?私は、貴方を愛しています・・・もう一度・・・私のことをちゃんと見て?」
美代姫の声は益々か細く弱々しくなってくる。そしてついに美代姫は涙を流しながら私にすがりつきながら答えた。
「私は・・・貴女を一度裏切った男です・・・そんな都合よくいきません」
そう。もちろん私も美代姫のことを愛している。それ故に、他の女性にいってしまったこと・・・それが、裏切られたと知るやいなや、今度は美代姫へ・・・とまるで保険のように美代姫を扱うなどできる筈も無かった。それに、美代姫の横に立つべき人間は、今の私では不適切すぎる。誰よりも強く志があり、彼女の背中を預かる対等な男で無ければならないのだ。今の私は、夢も希望も無く体力は落ち、引きこもって酒を呑むだけの堕落した男その物。この様な男が、美代姫の横に立てるはずが無い・・・そう強く思うがあまりに、彼女を拒絶し遠ざけようとした。
「それでもいい!私は貴方しか考えられない」
「駄目です・・・それに私には父の看病がありますので、お引き取り下さい。それに、私はもう剣は止めました。貴女にとって価値のない男に成り下がりました」
「・・・貴方が・・・剣を止めれる訳ないじゃない・・・私は、諦めません。必ず、貴方を奪ってみせます」
そう言うと美代姫は、涙を流しながらその場を立ち去った。美代姫は思いもよらぬ形で会えて感情が高まってしまっていた。しかし冷静に私の現状も理解してくれているのも事実であった。一条家の事件のこと、父親の病気のこと、そしてその身なりをみて私が今、打ちひしがれていることは誰よりも理解してくれていた。そして、翌日心を落ち着かせてきた美代姫は私の家も前まで来て・・・
「私は、待っています。そして、また必ず・・・会いに来ます・・・」
そう言い残して、また任務へ旅立っていった。
私は、それから更に家に引きこもった。美代姫に会わないように・・・必要最低限は外出せず、任務の合間に美代姫が家に訪ねてきても扉を開けることはしなかった。その対応に痺れをきたしたのか美代姫も私に手紙を送ってくれた。私の手元に確実に届くように術で転送させて毎日、毎日手紙を送り続けてくれた。
私は、それでも気持ちは揺るがなかった。何より私は父を置いてはいけなかったし、父を他の人物に託すこともしたくなかった。やっと得た安息の時間と家族の時間・・・このまま誰にも干渉されず、生きていきたかった。美代姫には、私のことなど忘れ、新たな自分の人生を歩んで欲しかった。剣を捨て、働きもせず酒に浸り、堕落したこの姿を見られたくなかった。もしやこの様な見窄らしい姿を見て同情をされたのでは無いかと疑った。
その為、私は彼女を拒絶する様に、再び手紙を読まずに暖炉へ投げ入れ続けた。それでも毎日手紙が届き・・・それでも私は封を開けることは無かった。