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未到の懲悪  作者: 弥万記
三章 滋岳 妃姫
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15;生い立ち

「心を、鬼にして・・・」

 それが、私の口癖だった。私は私が嫌いだった。陰陽師であることは恨んでいない。むしろ「悪」と謳われる鬼達を、殲滅させることは人間達にとって悲願であり、平和の為の礎を築く為になっていると思えば、誇りある責務であると感じている。


 しかし、私には人間の心が無い。いや、無いと言うより無くしてしまった。いつの間にか手からこぼれ落ちて、正義の傀儡となっていた。絶対正義の名の下であれば、何をしても良い。そう自分に言い聞かせてきた。鬼を殲滅することが責務・・・しかし、その為にどれ程の人間を殺してきただろうか。この口癖はいつから口にしていたのだろうか。


 鬼は私自身では無いのだろうか。そう思い込むと・・・何でもできた。そして、誰か、私を・・・この鬼の様な私を討伐してくれはしないだろうか・・・


 二十一年前、宮廷陰陽師の始祖と謳われる滋岳(しげおか)家の双子の長女として生を受ける。長女の妃姫(きき)、妹は沙姫(さき)。滋岳家の跡取りとなる待望の長女であった。滋岳家は式占・遁甲・呪術に長けた一族で、隠形の術など姿を隠すことも得意とされ、暗躍を得意としていた。父親の陰陽師としての位階は定員六名しか選ばれない従七位の内の一人であった。母親も陰陽師であり、父程では無いが相当の腕を持っていた。そして、父は陰陽師の中でもより特殊な百鬼夜行暗躍部隊の発案者であり、その部隊編成や技術を構築した第一人者であり初代隊長であった。


 滋岳家は陰陽寮の中でも五本の指に入る名家であり、その影響力も大きかった。そして、正に待望とも言える長女、妃姫は正に百年に一人の存在といえる鬼才であった。その鬼才といわれる所以は、頭角を現してきたのが、齢五つにして基礎となる霊力の行使を獲得し、七歳で鬼を討伐。十三歳で陰陽寮の学問全てを首席で卒業し、実戦任務への配置。十五歳で特殊部隊へ配置転換し、十八歳で父親と同じ位階である従七位まで上り詰め、その部隊長を引き継いだのであった。産まれた直後から英才教育を受けてきたとは言え、異常な速度での成長と出世、それに伴う実績を挙げたのであった。


 妹の沙姫は、術士として極一般的な成長過程であり、成長速度は先程の妃姫の成長から十歳足した年齢で順調に過程をこなしていった。それでも優秀に部類される方ではあるが、姉の異常な成長過程にどうしても比較され、見劣りされてしまうのであった。


 しかし、そんな中でも姉妹仲は睦まじく、共に研鑽し切磋琢磨していく仲であった。しかし、妃姫が特殊部隊へ移動になったことと、沙姫もそれからしばらくして結婚と共に陰陽師を引退。滋岳家の分家として新たな門出であった。その頃から、気がつけば・・・疎遠となり、噛み合っていた姉妹の歯車が外れていく感じであった。そしてお互いが全くの別の方向へ歩みが変わっていた。姉は常に血の臭いがする破滅と死地へ、妹は家族と共に名家の繁栄のために・・・まるで背を背けるかのように。


 私たち姉妹の両親は任務で滅多に家に居ない。しかし、それが不憫だと感じたことは一度も無かった。家には使用人が複数人おり、その人達が子どもである私たちの世話をしてくれた。普通の家族のように常に両親の愛情を直に受け取ることはできなかったが、その使用人達が両親の代わりをしてくれ、人間としても全うに育つ事ができた。それに、週に一度あるか無いかの程度であったが、両親が帰ってくる時にはしっかり甘える事もできた。何より、記憶は微かではあるが乳呑み児の時は、約一年近く母親を独占できたことは、大きな礎となっている。


 子どもながら、両親が「正義の味方」の様で尊敬し、厳しいながらもそこから感じられる愛情が、私たち姉妹の最大のご褒美であった。普段は使用人に甘えながら、悪さをすれば厳しく叱られ、子どもながら遊ぶ時間を多く費やしながら、常に霊的な力に触れ生活していた。それは両親の方針であり、早い頃から慣れていた方が良いだろうとのことであった。遊び道具も普通の玩具では無く、弱い霊験を改造した物であった。そして、当然ながら使用人は陰陽師の関係者であった。


 その甲斐あってか私は、物心ついたとき、言葉を覚えると同時に陰陽師としての基本的な所作も同時に習得していた。そこからであった、何か一つ歯車が欠けてきたのは・・・

「鬼才」そう呼ばれ出したのは、その頃からであった。子どもながらその呼び名は本当に嫌気が差した。尊敬する両親の敵になったようだった。何故、鬼と形容する呼ばれ方をされなければならなかったのか理解できなかった。


 しかし、それも今となっては理解できる。普通は十年以上掛かってやっと習得できることを、言葉を覚えるか如く、極当たり前のように習得してしまったからだ。そう呼ばれても致し方ない。そこから、両親の・・・周りの私たちに対する見方が変わっていった。遊ぶ時間は無くなり、常に陰陽師としての修行の時間となった。そして、私もできるから、沙姫もできるのでは無いかという大人達の考えが、沙姫には特に強く指導が入っていた。私は、それが耐えられなかった。もっと沙姫と遊びたい。それが叶わなくても沙姫が苦しい思いをするのは、自分の身が裂かれるより辛かった。


 生活が激変したのは私のせいだと直ぐに分かった。しかし、両親から期待されている事に対しては素直に嬉しかった。自分も「正義の味方」に少しでも近づく事ができているのだと実感できたからだ。しばらくして、沙姫の強制的な英才教育は終わった。見限られた・・・訳では無かったが、明らかに異常なのは私で沙姫は普通であると判断されたからであった。


 私は、心底安心した。私のせいで常に泣きながら修行をしていた沙姫の姿は見るに耐えられなかった。苦しいのは自分だけで十分であった。一日でも早く両親と一緒に「正義の味方」になる事を夢見て、そこから研鑽した。沙姫も自分だけ解放され、私に対して申し訳なさがあった様だった。何度も謝り一人で背負わせてしまったことを、子どもながら申し訳なく感じたのだろう。そこから私たち姉妹の絆が深くなったのだった。遊ぶ時間は少なくなったが、よりその時間を大切にすることにした。何があってもお互いの支えになると、誓ったのであった。


 私は七歳となった。私には、友達が居なかった。沙姫が居れば十分であったが、それでも姉妹とは違う関係、友情という者に憧れていた。その事を両親に打ち明けると「そんな物は必要ない」それで一蹴された。「同志であれば使用人や陰陽師の連中が居るでは無いか、そしてそんな存在は足枷でしか無い」との事であった。当然、私はその言葉の理解はできなかった。いや、理解しようとしなかっただけであった。当時の私は、陰陽師としての知識や一般学問も七歳とは思えない程の知識を身につけており、考えれば両親の発言は理解できるはずであった。しかし、如何に鬼才であっても精神年齢は七歳のままであったのだ。

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