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未到の懲悪  作者: 弥万記
二章 疑惑
11/61

09;集落

 さて、鬼達の統制も取れたことで次に酒羅丸がすべきことは、何故夜行が三度も失敗に終わってしまったのかという原因の究明である。この度の失敗おいて疑問となる点とが幾つか存在し、人間達からの良からぬ噂も耳にしていた。先程、刃射場に対しては術士の介入で逃げおおせていたと言ったが、それにしては合点がいかない点がある。


 先ずはこのやり口が素人の匂いがしていた。術士であれば、間違いなく不意打ちがあったに違いない。三度も人間を逃がすのみで、それが一つも無かったのだ。一度目失敗すれば、次は鬼達も臨戦態勢で且つ、進路を大幅に変更するなど対策を取る。鬼達が対策を取っては奇襲が常套手段の陰陽師では分が悪いのは歴然。これから何かするから警戒して下さいねと鬼に促しているような物であった。


 そして、千里眼に移った光景。術士の介入があれば、村人に何かしらの緊張感が感じ取れるはずであるが、日常そのものであった。いや、村人には知らされずに囮にされていた可能性もある。しかし、それであるならば、先でも述べたように確実に奇襲があるはずであった。陰陽師とて、ただ村人を見殺しのみにするはずは無い。


 また、その時の村人達の逃げ方が気になった。あれは明らかに、事前に鬼が来る事は知らされていなかった。近づいてくる鬼達を逃げる猶予のある直前で感付き、慌てて逃げていた。酒羅丸が直前までどの村に押し入るか決めてなかった為、事前に知ることは不可能ではあるが、それであるならば、あの様な惨めな逃げ方にはならないはずであった。


 そして酒羅丸の千里眼は、纏う霊力を見極め能力者の存在をも見抜くことができるのであった。にも関わらず能力者の存在は確認できなかった。その為、村に能力者がいて事前に勘付き、知らせていたということも考えられない。能力者は霊的な力を身に纏いそれを行使することで術として発動している。如何に高名な術士であっても、呪いや封印でで封じない限りは、それを完全に隠すことはできない。

 更に千里眼は目視した人間の骨格や筋力、特徴を捉えることができる。術士の肉体が強ければ強いほど、いかに偽装していたとしても、一般人と比較してしまえば歴然なのである。妻達を狙って能力者に選定できるのもこの能力あってこそだった。


 最近の人間が、何かしらの力を得て鬼達に対抗していると結論付けるしかなかった。千里眼でも見抜けないほどの能力であるが、霊体化した鬼を見抜く力を人間達が自然に身につけてしまっていることも考えられる。そうなってしまっては、今後の夜行も存続の危機である。


 そこで、酒羅丸は人間達から話を聞くことが必要であると考え集落へ足を伸ばした。しかし、酒羅丸は普段集落へは滅多に立ち寄らない。その為、どの様な人間がいるかも周知しておらず、また妻達も情交の夜以外は会うことも無いのでどの様に過ごしているかも分からなかった。夜行は三度失敗している為、妻とは一ヶ月近く会っていなかった。とても、まぐわる気分では無かったのだ。


 その為、酒羅丸自身は霊体化し、普段から人間を管理している権左兵平を連れて集落へ赴いた。霊体化した理由は、もし人間に霊体化を見破る力が芽吹き始めているのかどうか確認するためであった。この状態で目が合う人物は居ないか、見えないにしても何か違和感を感じる者が居ないか千里眼を通して観察する必要があった。


「権左兵平様、いかがなさいましたか?」

 巧己(たくみ)という若くて村のリーダ的存在の青年が突然の来訪に驚いた様子で尋ねてきた。


「いや・・・特に用事は無くてのぉ。貴様らの働きぶりを覗いとるだけじゃよ」


「ほう、あの人間中々の腕っ節だの。こんな活きの良い人間まで捕らえておるのか?」

 酒羅丸が権左兵平にしか聞こえない声で話しかけた。


「酒羅様が労働力のために活きの良い人間を捕らえよと言ったからですぞ」

 権左兵平も同様の人間には聞こえない声で返答をする。権左兵平の様子がややおかしいぞと困惑する巧己であった。


「我々は、納期も守り働いております。何か我らの粗相があったのでしょうか?」


「いやいや・・・儂らは何も怒ってなどおらぬよ。巧己よ、貴様も古株であろう。人間達もしっかり纏めておるし、貴様の働きは感心しておるぞ」


「ありがとうございます。差し出がましい事を言いますが、私は後回しでも良いので、どうか女達を先に返してやっては頂けないでしょうか?」

 鬼ヶ島の生活は労働を強いられ監視下にあれど、それほど苦痛を感じる生活では無かった。衣食住は約束され、労働以外の時間は自由時間。そして、巧己は四年半の年月を過ごしている。その期間実際に里に帰された人間達もおり、この期間殺されていない事実は、約束の五年は守られるのではないかと期待も大きい。無理な反乱はそれこそ自分たちの首を絞めかねない。従順に過ごすより他は無かった。


(この者に、鬼に対して敵意は無いな。嘘も言ってはおらん。純粋に心からそう思っておる。しかし、心の奥には我らに対する恨みや憎しみは消えてはおらんが、それより責任感が先に立っている。我がここに居ることも気付いておらぬか・・・こやつからは有益な情報は得られまい)

 酒羅丸は心の中で思う。先程の様に喋って間を変な空気に変えてしまっては怪しまれるので、口は紡ぐこととした。そして、権左兵平は自身の術で酒羅丸の思考を読み取っていた。


「酒羅様に掛け合ってみようかの。約束の日まであと僅かじゃ。励むがよい」

 巧己は黙って頭を下げた。


「そうじゃ、巧己よ。最近変わったことは無かったか?」


「変わった・・・ことですか?」


「なに、儂も退屈での・・・時間を持て余しておるのじゃ。人間達の話も聞いてみたいだけじゃよ」


「そうですね・・・猫のタマが子どもを産んだ事・・・」


「いやいや・・・そういうことでは無くての。例えば、そうじゃの・・・突然、力の弱かった者が畑仕事で活躍し出したり、酒羅様の妻達が何か面白い話をしていたりじゃの・・・村人達の働きぶりがどう変わったか久しぶりに知りたくての」

 権左兵平は言葉を選びながら問いただす。口に出したことが嘘か誠かその内情は酒羅丸が見破る事ができる。とにかく言葉にさせる事が重要であった。


「うーん・・・最近の皆の働きは、目を見張るような変化はないと思います。あと、酒羅丸様の奥様方は我々とは余り関わろうとはされないようで、少し距離があります。それにあの方々は高貴な方々ばかりで、我々のような平民とは住む世界が違うのです」

 頭を悩ませながら言葉を選ぶ巧己であった。酒羅丸はジッとその言動を見つめている。


「権左兵平様、ご足労ありがとうございます」

 この集落で最年長で一の豪腕の持ち主の源次郎(げんじろう)が権左兵平に気付き挨拶に来た。

(ほう。この男もかなりの腕っ節ではないか。これは、身体能力は陰陽師の連中と匹敵するぞ)

 酒羅丸は源次郎の身体を称えた。三十二歳の源次郎は正に肉体の全盛であった。


「源次郎さん、こんにちは。何か最近この村で変わった事は無かったですか?」

 巧己が優しく尋ねた。


「先ほどの話は少し聞こえたが、確かに酒羅丸様の奥様方は我らとやや距離を感じます。・・・いやいや、決して悪口を言っている訳ではありません。むしろあの方々が我々に気を遣って下さっていると言うか・・・その態度が我々も更に気を遣ってしまって中々お話できないのです。身分が違いすぎるのも確かにありますが。でも良く、農作業等手伝って下さいます。我々がお断りしても優しい笑顔で答えてくれます。」

(この男も我には気付いてはおらぬか。心内は最初の巧己とやらと同じで嘘も言ってはおらぬ。妻達が何か肩入れして力の助言等しているとも思ったが、それも無さそうだな)


「他の者も呼んできます」

 そう言うと、源次郎は近くに居た四名・・・荒太(あらた)玉成(たまなり)胡桃(くるみ)美沙(みさ)を連れてきた。一同は挨拶をした後に会話に参加する。巧己が一連の会話の流れを説明する。


「それは、清子様と友世様と妃姫様だけでしょう?」

 美沙が、少し強い口調で源次郎の発言を否定する。美沙は、前回の夜行で連れてこられたばかりであり鈴と親友であった。気性がやや荒く鈴の親友というのも納得できる。


「お前はまだ来たばかりであろう?」


「来たばかりだけど、分かる。私たちと同じ目線で話してくれるのはその三人だけ」

 巧己と源次郎が少し遠慮して発言していたが、その雰囲気を両断かするように、遠慮のない発言を美沙が続ける。


「私も、連れてこられて一年になるけど、美沙さんの言っていることは分かるな。美来様、千子様、流李子様の三名は、やっぱり私たちとは住む世界が違うみたい」

 胡桃が易しい口調で、美沙に同意をするが、美沙は目を合わさない。

(ここに居る、女共も肉付きが良くて活きが良いの。やはり同性ならではの僻みがあるな。源次郎とやらが、上手く話を逸らそうとしたにも関わらず、特別待遇されている女達が気にくわないのであろう。これだから人間は面白い)


「まぁ・・・あの方々も色々あるのだよ」

 源次郎が酒羅丸の妻達を賛助するような形で、話を逸らそうとするが、その言動が美沙には気に喰わなかった様だ。


「色々って何よ?」


「まぁ、良いでは無いか」


「これだから、男共は・・・」

 来たばかりで内情も分からないまま、軽くあしらおうとする源次郎の態度が、美沙は気に入らなかった。それに、誰がどう見ても美女そろいで、男達から特別扱いされている感じは、胡桃も同様に許せていなかった。同じ囚われの身・・・そこに産まれも容姿も関係が無い。特に美来、千子、流李子の三名は、女性陣から良く思われていなかった。


「友世様がやっぱり一番話しやすいよね。私、また占って貰いましたよ」

 胡桃が、やや険悪な状況を変えるために、やや甲高い声で自慢気に話を切り替えた。


「あぁ確かに。あの人の占い良いよね。凄く力を貰える」

 苛ついていた美沙であったが、思いついた様に同意した。


「占いで皆を勇気付けてくれる優しいお方ですよ。しかし、最近私は占って貰えてないな・・・」

 源次郎が権左兵平に対し説明を入れながら、自身が最近占って貰えていないことを嘆いていた。


「え?僕もなんです。今までお願いすると占ってくれていたのに、昨日は断られて」

 荒太が話に入ってきた。荒太と源次郎は連れてこられて三年以上が経過している古株であった。


「あんたら、どうせ何か失礼な事したんでしょ」

 美沙が罵る様な口調でため息をつきながら答える。


「そんな訳あるか。古株はもう占って貰えなくなってしまったのかな・・・」

 荒太が美沙の罵りに強く抵抗しながらも、少し寂しげに言った。


「え?でも僕は昨日占って貰いましたよ?」

 しかし、巧己がそれを否定した。


「あぁ・・・申し訳ありません。権左兵平様。この様な話を聞きたいわけでは無かったですね」

 流石、最年長者だけあって常に権左兵平に気を遣いながら話していた源次郎であったが、鬼の逆鱗には触れてはいかぬと会話を終始、調整していた。その言葉を聞いた酒羅丸が再び権左兵平の心に指示を出す。


「よい。このまま日常の会話をさせ続けよ。何か妻達の言動やそれに影響する物が見えてくるかもしれぬ」

 権左兵平は無言で了承し答える。


「いやいや、よいぞ。儂はお主らの日常を聞きに来たのだ。儂はおらぬと思って話を聞かせてくれぬか?」

 権左兵平は笑顔で答える。まるで敵意がないように、若者の話を聞きたがる優しい老爺の様に答えた。


「友世の占いもお主らにとって効果があってよかったわい。奴を連れてきて正解だったのぉ。他にはどんなことがあるのじゃ?」

 権左兵平の問いかけに、一同は少し頭を悩ませたが、胡桃が最初に口を開いた。


「占いでは無いけど、霊媒師の清子様の話も面白いですよ。的確な助言をして下さり・・・私母の最後の言葉も代弁して下さいました」

 先ほどとは違い少し声の調子が下がり、神妙な面持ちで話し出した。


「あの方は、亡くなられた方の言葉が聞けるのです。だから、最初は私たちの良き理解者で心の支えになって頂きました」

(こやつ面白いな。今まで無かった我らへの憎しみが一気に倍増したぞ。先ほどまでは、大人しい心で話しておったのに。ころころと内情が変わり、これだから女は面白くてやめられん)酒羅丸はニヤリと笑いながら、胡桃の顔を正面から眺めていた。


「清子様は来られて二年半になられます。妃姫様の次に長くここにおられるので、ここにいる皆と仲良くさせて頂いております。本当に心の支えです」

 源次郎が説明を入れながら続けた。


「妃姫様も少し話しかけにくいところはありますが、優しいお方です。医学にも精通し私の傷も手当てして下さいました」


「そう。妃姫様は陰陽師なのに僕なんかに優しくしてくれます」

 荒太が源次郎の発言に大きく賛同した。


 呪術師、祈祷師、陰陽師は位が高く、また貴族相手に仕事をすることが多かった為、基本的に平民は全く関わることができない人種であった。しかも、陰陽師に至っては平民を平気で囮にしてしまう集団でもあるという噂が広まり恐れられていた。そして美来、千子の二人が呪術師で、流李子が祈祷師であった。


 普段妻達は、能力は封印されていたが、酒羅丸を殺すようにと連れてこられた為、村での生活より今後の作戦や研鑽に時間を要していたのだ。その為、村の住人とは距離があるのは必然であった。


「もう、陰陽師や呪術師なんかと出くわすと怖くてたまりませんもんね」

 巧己が更に賛同する。


「確かに、妃姫様はお綺麗な上にお優しい・・・私も尊敬してます」

 胡桃が皆に同調するかのように、淡々と答えた。

(嘘だな。顔は笑っているが、こやつは妃姫のことは良く思っていないな。周りの男達が、嫌われ者の陰陽師を庇っていることに強く嫉妬心を抱いているな。その美貌がゆえ、囮にされることなど気に留めてない男達が許せないのであろう。しかし、女は凄いな。この顔で内心では真逆の感情を抱いておるのか。我が妻達もそうなのか?あやつらは心を閉じているからのぉ。まぁそれが分かってしまっては面白みも無いがな)酒羅丸は感心しながらも楽しそうに、心をのぞき見ていた。


「あぁ・・・でも妃姫様は・・・」

 胡桃は何かを言いかけてやめた。それに権左兵平は反応し答えさせる。


「妃姫がどうしたのじゃ?どれ、褒美をやるから言ってみよ」


「確かに、御三方は距離があり話しかけにくいだけでなんです。私たちには関わろうとされないだけであって・・・けど、妃姫様のみ他の五名から嫌われていて・・・孤立している感じがします」

 言葉を選びながら胡桃が妃姫の現状を告げた。


「私も、友世様から妃姫様は許せないとか言っていたのを聞きました」

 美沙が同調する。


「友世様だけでなく、他の五名皆同じ様な事を言われています」

 美沙が同調したことによって。胡桃も少し肩の荷が下り、口ぶりが少し軽くなった。いかに気に入らない相手でも鬼にここまで赤裸々に話しても良いものか気がかりであったのだ。そして、続けた。


「基本的に、皆様は個別に行動されていますが、やはり五対一の構図は私たちから見ても分かります」

(ほう・・・嘘は言ってはおらぬな。妃姫め・・・相当嫌われておるな。まぁ当然であるか。他の女達は何が何でも鬼の子は産まぬと躍起になっておるのに、あっさり威波羅を産んでのうのうと三年も生きておるのだからの。他の奴らからしたら鬼の回し者と思われても仕方あるまい。それに妃姫も、他の者を巻き込むまいとするところがあるからの・・・折角、陰陽師、呪術師、祈祷師の三大組織を連れてきたのに・・・もっと面白いものが見られると思ったのに・・・)

 酒羅丸が心で悲しんでいると、その姿を察してか権左兵平は突っ込まずにはいられなかった。


「酒羅様、聞こえておりますぞ。貴方は良くても・・・ですぞ」

 酒羅丸にしか聞こえない声で、やや睨み付ける様に言った。鬼からしてみれば、この三組織が手を組むことは脅威でしか無かった。


 ただ、人間も母体数が大きくなればなるほど結束力は低くなるのだ。元々は一つの組織であった三組織だが、派閥に分党を繰り返し、この勢力となっている。その為、各組織が対立組織となり足の引っ張り合い、手柄の横取り等、当たり前であった。その為この三組織が協力することなど無かったのだ。


「美来様と千子様の二人は呪術師同士だから良く一緒におられます」


「ほう・・・一緒におってどの様な事をしておるのじゃ?」


「私たちにはよく分かりませんが、何か唱えたり、沿岸で黙想したりといった感じです」


「ほう。研鑽しておるのじゃのぉ」


「そう、私もお二人が良く沿岸におられるのをよく見かけます。あと妃姫様もお一人で行かれています。妃姫様は動物には好かれる様で、よく森の動物が寄っていき、怪我をした動物の手当てもされていて、美しく心の綺麗な方です」

またも源次郎が妃姫を賛助する形で話を引き戻した。


(ほう・・・)

酒羅丸はニヤリと笑う。


「人間には好かれぬが動物には好かれるとは変わった奴じゃの。どんな動物から好かれておるのじゃ?」

 権左兵平は酒羅丸の意向を察していた。


「そうですね・・・沿岸へ行けば、鴎や雉等が寄ってきて、森では栗鼠などの小動物でしょうか・・・そう、猫のタマの出産を取り上げたのも妃姫様でした」

 権左兵平は笑って頷きながら聞いていた。


「ねぇ、あんたも何か喋ったらどうなの?」

 美沙は源次郎の後ろで怯えながら隠れている玉成に話を振った。突然の振りに玉成は驚きを隠せず酷く動揺していた。


「あんた、妃姫様とよく話してるじゃん」


「は・・話してるというか・・・お、お食事の準備を・・・さ、させて・・・い・・・い頂いてるだけでです」

 突如、降りかかった精神的な苦痛に吃音症状となる玉成であった。その時の彼の内情はとにかく恐怖でしか無かった。目の前にいる権左兵平と自然に話している他の仲間達が信じられなかった。呼ばれた時、近くに居てしまった自分を呪い殺したい気分であった。いや、死ぬのは、それ以上に怖かった為、自分でそれも否定していた。逃げれば殺されるかもしれない、追ってこられるかもしれない、とにかく恐怖でしか無かった。強い源次郎の後ろに隠れて存在を消して事をやり過ごそうとしていたのだった。


(何だ?この男は、弱すぎる。苛められっ子か?我の目でも・・・何も感じぬとは、人間の中でも下の下だぞ。他の人間共は活きが良く身体能力に恵まれた者ばかり。特にこの男(源次郎)なんかは、自然に霊的な力も纏っておるのに・・・何故この様な役に立ちそうも無い者まで連れてきたのだ?)

 酒羅丸が目の前の男のあり得ない弱さに驚愕し、咄嗟に権左兵平の心に尋ねた。


「た、たまたま拾ってきたのでございます。あれは、たしか・・・数年前の夜行の帰り道に遭遇して皆満腹であったためついでに拾ってきた感じでした」

 権左兵平も呆れながら酒羅丸に返答をする。


(それに、こやつの心は五月蠅すぎる。我らを怖がりすぎであろう。発言も反射であって、常に恐怖を叫んでいるだけでは無いか。我らが怖いのは納得できるが、数年ここに居て良くそれで持ちこたえているな。それに、存在感も薄すぎる。出てくるまで気付かなかったぞ。こんな奴、ここに居て役に立つのか?)


「権左兵平様、玉成こんなですけど、こいつの料理、めちゃくちゃ美味いですよ」

 美沙が玉成の怖がり様をみて、そっとしておいてやれば良かったと不憫に思ったため思わず、賛助した。


「そうです。玉成の料理は絶品で、奥様方の料理番に任される程。奥様方が健康でいられるのも玉成の献立があってこそです」

 権左兵平の呆れた表情を察し、源次郎も賛助した。


「そ・・・そんな・・・め、滅相もごございまっせん」

(貴様はもう喋るな。心が五月蠅い。しかし、人間何か一つは取り柄があるのだな。こやつを処分する名分は無くなったぞ)


「それに、玉成足がめちゃくちゃ速いんですよ」

 美沙が再び、玉成の長所を紹介する。これは怖がりが故の玉成の唯一特化した能力であった。逃げ足の速さ。弱い自分の命を守る為にはそれしか無かったのだ。しかし、その特技を見抜かれ美沙等には、良く使い走りをされていたのだ。


「そうだ。最近村人の力が付いたと言えば、この玉成、鍬を持って畑を耕す事ができるようになりました」

 巧己が爽やかに長所を述べたつもりではあったが、やや賛助にはなっていなかった様だ。しかし、そんな皆からの励ましの言葉にやや気をよくする玉成であった。これ程までに褒められたことなど人生で無かったからだ。しかし、相変わらず恐怖心は拭えない。


「そんな・・・わ、私も皆様の、お、お役に立てるよう少しずつ、研鑽して・・・参ります」

 少し吃音も落ち着いて喋れる様になってきていた。


(ええい、もうやかましい。鬼が怖いのは分かっておろう)

 酒羅丸は段々と苛ついていた。甲高く耳に触る声が直接頭の中に響いてくるのだ。


「り、料理だけで無く、畑仕事も一人で・・・」


「やかましいわ!」

 痺れを切らした酒羅丸が、突如叫びながら姿を現した。


「酒羅丸様!」

 突然の酒羅丸の出現に、全員驚き、そして跪いた。玉成に至っては完全に腰を抜かし失神しかけている。その腰を抜かしている姿を見ていい気味と言わんばかりの態度であった。


「あ・・・」

 しかし、ハッと我に返る酒羅丸であった。権左兵平はやや呆れながらため息をついた。


「いや、驚かしてしまったな」

 酒羅丸は笑いながら答えた。


「時に貴様ら、我妻達を目に掛けてくれておるようで、助かっておるぞ。どれ、先ほど権が褒美をやろうと言っておったではないか。答えてくれた奴には我から褒美をやろうではないか。ただし一人だけだがな」

 酒羅丸は気分良く笑って答えていた。


「いや・・・その前に貴様らに問いたいことがある」

 気分が良く笑っていたのも束の間。その表情から、やや表情を強ばらせると一変して空気が変わった。全員に緊張の糸が走る。


鬼神様(おにかみさま)・・・とやらの噂話は、今、人間達の中で流行っているのか?」


「酒羅様、それは何でございましょう?」

 聞き覚えの無い単語に先ずは権左兵平が質問で返した。


「いや、ここ最近人間達の噂で良く聞こえてくるからの。どんな噂話か詳細を知りたくてな。貴様ら聞いたことはあるか?」


「・・・」

 全員首を傾げながら聞いた事も無い単語に困惑している。しかし、酒羅丸の問いかけに何か答えねば逆鱗に触れるかもしれない、また間違ったことも言えないという重圧から不用意に口を開くことができなかった。


「おお・・・すまぬな。分からなければそれで良いのだ」

 酒羅丸が笑って答えた。人間達の萎縮した姿を察して張り詰めた緊張の糸を解いた。


「で・・・貴様ら、どうなのだ?」


「分かりません。初めて聞きました」


 ここで答えたのはやはり源次郎であった。


 (やはりそうであったか、ここに居る人間達は知らぬと言うことは・・・)

「やはり、最近できた新しい噂話であったな」

 これで、この話は終わりと言わんばかりに話を打ち切った酒羅丸であった。


「それで、褒美であったな。権から聞き渡されたのは誰であったか?」

 酒羅丸はぐるりと人間達の後ろへ回った。


「貴様か?」

 酒羅丸は笑いながら、わざと巧己と源次郎に話しかけた。しかし、二人とも微動だにせず・・・


「私ではございません」

 と冷静に返していた。しかし、その嘲笑うかのような酒羅丸の仕打ちに耐えながらも、悲しき惨劇の首謀者が親の敵が目の前にいようとも、あと少しで出られる思いを胸に耐えるほか無かった。酒羅丸はその心の内を読み取り知りながらもあえて二人に話しかけた。


「貴様、だったか?」

 酒羅丸は次に玉成に声をかけた。先ほど五月蠅く鬱陶しい思いをしたので、悪戯のつもりでつつく程度に尋問を試みた。勿論、心の声は遮断して、どの様な反応を取るか楽しんでいた。


「私ではございません。酒羅丸様、胡桃でございます。どうか、彼女に臨む物をお与えください。もし、血肉を欲するのであれば、彼女では無くこの私をお召し上がり下さい」

 失禁しながら失神でもするのではと思っていた酒羅丸はやや拍子抜けであったが、声を震わせながらも、吃音もなく精悍に答える玉成であった。やはり、死に人一倍敏感である玉成であるからこその、生き残るための正解を導き出す対応力は、目を見張るものがあった。もしここで、命乞いをするようなものであったら、忽ちに酒羅丸に喰い殺されていたであろう。


「貴様の様な筋のみの体なぞ、喰っても美味くないわ。しかし、二度は無いぞ人間。貴様の度胸に免じてやるが、二度と我に指図するでないぞ」

 玉成に対し最大の殺意と殺気を込めて言い放った瞬間に、玉成は失神して倒れ込んだ。


「ふふふ・・・やはり貴様ら人間は面白い。なぜ、自分の命より他人を優先させるのだ。その心理が未だに理解できん」

 酒羅丸は興味深そうに笑いながら答えた。


「おい。胡桃とやら、こやつに感謝するが良い。褒美に我が妻になるか、我に喰われるか決めさせてやるところであったが、こやつに免じて何でも思いを叶えてやろう」

 余りに唐突な問いに胡桃は萎縮する。どうして良いか分からない。何が正解かも分からない。玉成の命を掛けた発言には正直感謝している。あれが無ければ、どのみち地獄であった。


「おい、言わぬか。興がそがれるであろう?」

 胡桃は、次の一言で自分の人生が大きく左右される。酒羅丸の望む返答で無ければ何が起こるか分からない。しかし、言わなくてはならない。このまま黙っていても逆鱗に触れるのであるから。それなら、賭けに出るしか無かった。賭けに出るための一歩を以前から背中を押され、その言葉が脳裏をよぎった。


「何か一世一代の迷いに遭遇したとき、貴女は心のまま欲望を口にしなさい」

 友世の言葉であった。この言葉が無ければ次の言葉は出なかったであろう。


「わ・・・私を・・・元の村に・・・帰しては頂けませんか?」

 正に、命を賭けた一言であった。酒羅丸は、だまり胡桃の目の前で声をかけた。


「そうか、帰りたいか」

 酒羅丸は今までに無い不気味な笑みを見せながら、一瞬で胡桃を消してしまった。その悍ましい光景を目の当たりにした、男達は悲鳴を上げ、美沙は唇を噛みしめながら痛みで涙をこらえている。


「決して、期限より早く帰りたいとは思わぬことだ。こやつの様になりたく無かったらな」

 不適な笑みを浮かべながら、そう言うと酒羅丸は振り返り権左兵平と共に村を後にした。これで、この島在籍の人間は、四十四人となった。


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