08;いざこざ
鬼ヶ島は非常に殺伐とした空気であった。いつもは和気藹々と鬼達が自由に暮らしているが、流石に三度と度重なる夜行の失敗は、酒羅丸でさえ初めての経験であった。
勿論、鬼達もただ闇雲に夜行をしていたわけでは無い。一度目の失敗の後には、鬼ヶ島から霊体化し、二度目の失敗の後には、酒羅丸が常に千里眼を使って人間を監視しながら、村までの道中は最善の注意を払っていた。酒羅丸の千里眼で、確かに人間が居るのを確認しながら移動していた。しかし、標的である村を決めて進路を取った途端、あろうことか人間は避難を開始してしまっていたのだ。
これはつまり、鬼の行動が人間に筒抜けであり、鬼ヶ島には内通者が居るのではと殺気立っていた。空腹も相まってか、いつ鬼ヶ島に在住する人間達に手を掛けてしまってもおかしくない状態であった。
そして、やはり内通者として最も疑われたのが、酒羅丸の側近であり、夜行が初参加である琥羽琥であった。酒羅丸の側で次に向かう村はどこであるか事前に聞いており、琥羽琥が参加し出した途端の失敗である為、疑いの余地は無かった。
しかし、酒羅丸は三度目の夜行は、権左兵平にさえ行き先を伝えず、千里眼での情報を頼りにその場で村を選定していた。まだ完全な証拠が揃ったわけでは無いが、琥羽琥が内通者であることは考えにくい。しかし、それを言ったところで他の鬼達の怒りの矛先は琥羽琥から逸れることは無かった。
酒羅丸と権左兵平は、現状が非常事態であることを懸念し、酒羅丸自身が事の解決に動くより他無かった。
「酒羅様・・・申し訳ございません」
今にも泣きそうな顔をしながら、酒羅丸の根城に匿われている琥羽琥が言った。
「気にすることでは無い。第一、貴様が我を裏切る訳がなかろう」
小さな子どもをあやす様に、頭を撫でながら引き寄せた。その酒羅丸の優しさに琥羽琥は我慢していた涙を流す。
「貴様はしばらくここに居ろ。無罪を証明してやる」
普段は面倒臭がる酒羅丸であるが、事態はそうも言ってられ無かった。酒羅丸もこの夜行の失敗に対し分からない点が多すぎた。第一、次の夜行が成功する保証も無かった。いや・・・次、夜行の標的となる村はもう決まっていた。この様な事態で無ければ、その村へ行くことは余興程度と思っていたのだが、そうも言ってはいられなくなった。
次、標的予定の村は以前、妃姫との情交の際に、彼女が提案してきた村であったからだ。
「これより四度目の夜行・・・東にある空海の村に行くがいい」
艶やかな表情で、挑発的な言葉で酒羅丸に言いつけた。
「そこに何があるのだ?」
酒羅丸は行為を止めること無く質問する。
「さぁ・・・あなたが求める物があるかもね」
その挑発的な視線と表情の切り変わる姿に見惚れながら酒羅丸は易々とその挑発を受けるのである。
それが罠である事は予想できたが、言いつけられたからには、その空海の村とやらに行かざるを得なかった。酒羅丸は鬼として自身の言動を曲げることができなかった。
そして、実はこの様に妃姫が夜行の村を指定してくるのは、今回で三度目であったのだ。過去二つは人間共を刈り尽し十分に夜行として成功をさせて貰っていたので、油断していたところもあった。しかし、二度程あえて成功させて三度目で罠を張ってくる可能性だって十分に考えられた。
酒羅丸は、妃姫とその約束をした際は、これまで連続して失敗に終わった三度の夜行を気持ちよく成功させており、もし罠であれば、余興程度に鬼全員で罠にかかりその過程を楽しもう・・・程度の軽い気持ちであったのだった。こればかりは、未来でも見えぬ限り事態は回避できない。
しかし、今となってはその時とは状況が違う。罠にかかりもし自分以外が全滅では面目も丸つぶれ。全滅は回避したにせよ、三度失敗を重ねている上に、四度目もやすやす罠にかかり失敗に終わってしまっては、現状を考えると内乱も起こりかねない非常事態であった。
だが、空海の村へ行くことも悪いことだけでは無い。罠であれば、必ず大量の術士が待ち構えている筈である。人間が、今までの失敗のように一人もいないという事態は想定できなかった。人さえ居れば後は酒羅丸がどうとでもできるという確証はあった。
事態は急を要する。現在の殺伐とした状態を少しでも緩和させて身を引き締めて次の夜行に望まなければ、多くの仲間を失ってしまうこととなる。いかに面倒であっても自身で動くより他無かった。
「酒羅様・・・私のこの身、全てを貴方に捧げております」
「分かっておる。信じておるぞ。琥羽琥」
酒羅丸からしても、側近を失うのは痛手であった。琥羽琥は自身のために動いてくれる酒羅丸に感動し、更なる忠誠を誓うのであった。
酒羅丸は、鬼の城郭へ向かう。足を運びたくは無かったが、この騒動を収めなくては収集もつかないであろう。今、一番頭を悩ませているのは刃射場という、鬼ヶ島一の荒くれ者であった。鬼という生き物は基本的に気性が荒く性格も思考より行動が先行してしまう存在である。刃射場は正にその典型。赤鬼で、鬼の中でも最も鬼らしい、知性や品性の欠片も全く持ち合わせていない鬼であった。それ故に、彼に魅了される鬼も多く一派を形成していた。
「頭、琥羽琥の奴はどこに隠した。今すぐ奴を喰い殺してやる」
呪璃や苦鳴と何やら言い争いをしているようであったが、酒羅丸の姿を見ると血相を変えて近寄り怒鳴り散らしてきた。
「だから、琥羽琥は裏切り者じゃないっつてんじゃん」
呪璃が後ろから大声で刃射場に近づく。
「あぁ?お前には聞いてねぇよ」
「大体、あんたらどこにそんな証拠があってそんなこと言ってんだ」
苦鳴もゆっくり歩きながら更に近づいてくる。刃射場の他にも数鬼、琥羽琥を疑っている鬼がおり、擁護派と傍観派の勢力が三分化している。
「てめぇら、仲良しこよしごっこじゃねぇんだぞ。証拠なんぞ俺がそう疑ってるからそうなんだよ。それが証拠だ」
論理も根拠も無い戯れ言に、酒羅丸と苦鳴は頭を大きく抱えたが、呪璃は真に受けて悔しそうにジタバタしていた。
「貴様、何故に琥羽琥が裏切ったと思う?」
酒羅丸が冷静に刃射場に問いただした。
「俺がそう思ったからだ」
「確かに、奴が参加しだしてから失敗に終わり疑う余地はあるが、三度目で奴では無いと証明されたであろう?」
刃射場の発言を極力、気にしないように冷静に淡々と答える酒羅丸であった。
「俺がそう感じたからだ」
「逆に、奴が犯人である証拠でもあるのか?」
「俺が証拠だ」
この三つのやりとりで酒羅丸は、心が折れた。苦鳴も諦めて肩を落としている。呪璃は相変わらず悔しそうにジタバタしている。何が悔しいのだ?しかし、酒羅丸もここまで話が通じない相手もいるものだと、逆に感心せざるを得なかった程だ。
「頭よぉ・・・俺は悔しくて死にそうだ」
刃射場は項垂れ声を裏返して返答した。
「腹が減っているだけでは無いか?」
酒羅丸は棒読みのように感情無く返答をした。それを聞いていた傍観派の芭浪が笑いを我慢している。それを見た酒羅丸は(貴様・・・我の苦労も知らずに・・・若頭であるならこれを沈めてみせぬか・・・)っと心の中で思う。
「確かに・・・」
受け答えが面倒であったが故、適当に返答をした内容に納得した刃射場であった。酒羅丸は本当につかみ所が分からぬと呆れていた。しかし、適当にあしらっていては頭領としての責任問題。一刻も早くこの分裂した鬼をまとめ上げなくてはならなかった。
「おい・・・人間喰いたいか?」
酒羅丸は少し低い声で、刃射場と肩を組んで耳元で諭すように言った。
「当たり前だ」
「そうか・・・しかし、ただ喰うだけで良いのか?」
「どういう意味だ?」
「貴様は一旦、琥羽琥への恨みを忘れろ。今回悪いのは奴か?違うであろう、人間共ではないか?コソコソと悪知恵を働いては我らの夜行を汚しておるのだぞ?」
知性が低いからこそ同調して手玉に取ることは簡単であった。酒羅丸は、面倒くさがり屋の脳筋屋な姿が連想される。確かに思考することは面倒であり、何も考えず行動することは多々あるが、非常に頭も切れる知能が高い鬼でもあった。この手の鬼など思考を変えさせることは簡単であった。
「・・・」
刃射場が、向ける敵意を琥羽琥か人間かで迷っている。
「そうだ、その無い頭でよく考えてみろ。悪いのは誰だ?」
ここで、更に刃射場でも簡単に答えられるであろう質問に切り替える。
「琥羽琥か?人間共か?」
「・・・人間・・・」
「そう!やつらだ」
酒羅丸は子どもを褒めるように、良く難解な答えを導き出したと言わんばかりに大げさに言った。
「奴らの手順はまだ分からぬが、卑怯な手を使っているに違いない。この夜行を人間に汚されても良いのか?」
「駄目だ!」
「そう、駄目なんだ。人間が全て悪いのだ」
ここで酒羅丸は更にもう一つ思考をすり込む。
「人間だ。人間共が悪いのだ」
刃射場が力強く言う。完全に思考をねじ曲げられた瞬間であった。後ろで見ていた芭浪も笑いながらも酒羅丸の手なずけ方に感心している。
「そうだ刃射場よ。貴様は頭が切れるでは無いか。その通りだ」
「俺の言うことが正しい!」
まるで自分が導き出したかのように誇る刃射場であった。
「そうだとも。では、改めて問おう。人間をただ喰うだけで良いのか?」
「駄目だ。暴れに暴れまくってこの鬱憤が晴れるまで暴れ尽くし皆殺しにしてやる」
「そうだ。その通りだ。貴様はやはり賢いの。だがしかし・・・」
「何だ?」
「貴様のように、我であっても竦んでしまう程強い鬼だ。弱い人間なんかでは暴れ足りないであろうに・・・きっと心許ないであろうな」
自己謙遜しながら、刃射場が気持ちよくなるであろう発言を続ける。
「弱い人間など興味ないわ。陰陽師でも呪術師でも何でも連れてくるがいい」
酒羅丸から実力を認められ、刃射場は顔が緩み更に調子に乗りだした。
「そうか?刃射場が居てくれるのなら心強い。では次は、あえて術士の居る村を攻めようでは無いか。人間共が逃げ果せているのは奴らの手助けがあってこそだとは思わんか?」
「確かに・・・」
「腹は立っては来ぬか?」
「今、まさに腸が煮えくりかえってきたぞ」
はい、単純。簡単であるの・・・この手の奴は。さて・・・後一手だな、と酒羅丸は心で思っていた。
「その怒りをぶつけてやれ。今一度問おう。悪いのは人間か?琥羽琥か?」
「人間共だ」
「では、次回の夜行は戦だな」
酒羅丸はこれで、空海の村に行くことの大義名分ができたのであった。鬼を纏め上げ且つ、自身の失態に対しても返上できる見事な言い回しであった。
「しかし、頭・・・敵陣に乗り込むなんて大丈夫なのか?」
調子に乗っていた刃射場が、途端に冷静になる。この刃射場の質問に酒羅丸の空気が一変する。刃射場に本気の殺意を向けたのであった。
「貴様、我が人間に後れを取ると申すのか?」
今まで謙遜し煽てていた酒羅丸であったが、今一度、立場を分からせ気を引き締めさせる必要もあった。酒羅丸の決定に意見を付けるなど言語道断、立場を弁えよ。貴様は黙って暴れておれば良いのだ。そう言わんばかりであった。刃射場はその殺意に打ちひしがれる。どうあっても覆せない実力の差を。酒羅丸あってこその鬼ヶ島であることを。いかに自身が調子に乗っていたかを分からされたのであった。
「貴様は、琥羽琥を疑っている者を纏めあげよ。貴様が首謀であろう?次回の夜行は戦である、人間達に鉄槌を喰らわせろ。そして存分に喰らうがよい」
再び冷静に酒羅丸は答える。
「御意」
先程の荒くれて調子に乗り会話もまともにできなかった刃射場が、片足をつき頭を下げた。それ程、酒羅丸の殺意が利いたのであった。それを含めこのやりとりは酒羅丸の、思うがままの結果となった。
「皆の者、聞いていたであろう。次回の夜行は戦だ。戦の心得をしておくが良い」
あくまで、危険であろう箇所に足を赴くのは、鬼達のため。そうした思慮が酒羅丸にあると分かった鬼達からは迷いの空気が一変されていた。再び、一枚岩の鬼ヶ島へ戻っていた。
「思う存分、暴れてやろうぞ!」
酒羅丸は、そう言うと鬼達は雄叫びを上げた。