【7章・仮の英雄】2
セレスティーナに手を引かれ、公爵とも軽い別れの挨拶を交わしたアルスは自身が起こした大混乱の中を縫う様に潜り抜けて王城の庭園へと向かった。
セレスティーナの手は剣を振るからか出会った当初より大分硬くなっており、日頃の鍛錬をおざなりにしていない事が肌を通して伝わって来る。
「セレス、剣の調子はどうだ? もし何か悩んでいるのなら何時でも付き合うぞ」
「リザード位なら倒せる腕力は付いたわ。それより……何よその誘い、別の誘いなら応じるのだけど?」
思わず足を止めてしまいそうなセレスティーナの返答に驚きながらも、アルスは自身の確固たる意思でその”念”を払い除けた。
「-----セレス、それはこの戦争が終わってからにしよう」
「何時終わるか分からないじゃない……一年、いえ二年続いてもおかしくないでしょう?」
「大丈夫。いざとなったら完全に全てを終わらせる位の力は持っているから。心配しなくても一年以内には必ず終わらせるよ」
「ほ、本当? 私に誓える?」
「ああ、誓うよ」
アルスは笑顔でそう言うと目の端で捉えた一人の思い悩む様子の女性から視線を外しながらその場を歩き抜けようとした。
「アルス=シス=エルロランテ。王国の英雄よ、少し止まれ」
知らぬ間に付けられていた自分への称号に驚きながらも素直に足を止めたアルスは半身で頭をその声のする方へと向けた。呼び掛けが不服だという表しだったのだが、呼び出した当の本人は気にせず悩みに顔を歪めた状態で近付いて来ていた。
「お久し振りです。炎帝カルナ殿。自分は無名の侯爵家当主を一人殺しただけの軍人ですよ、英雄だなんて戦争も始まったばかりですし大袈裟では?」
「何を謙遜する。勝利は勝利だし、君の率いた特別護衛小隊も新設とは思えない程の功績を残したじゃないか」
「ありがとうございます。そこまでの評価を受けているとは。で、話は何です? 褒めるだけに呼び止めた訳じゃないでしょう?」
辺りを一瞥し、静かに口を開いた炎帝は若干の哀しみを含んだ声でアルスに尋ねた。
「博識なアルス君に尋ねるけど、この王国の火魔法使いで私と同等もしくはそれ以上の人間を挙げるとしたら誰を挙げる?」
「知る限りでは居ませんね………冒険者の中にはひょっとすると居るかもしれませんがSランク冒険者にそんな人間が居ないのは把握していますよ」
「本当に居ないかしら? 噂でも良いのよ、無礼だとか不敬だとかは考えなくていい。部屋を丸ごと吹き飛ばす事の出来る火の魔法士を教えて欲しいの」
「そんな芸当が出来る魔法士なんて、前の炎帝くらいしか思い付きませんね」
じっ、とアルスの瞳を覗き込んで真意を探ろうとする炎帝だが、隣に居るセレスティーナに見つめられているのを確認するとその視線を和らげて明るい表情へと切り替えた。
「変な事聞いて悪かったわ。アルス=シス=エルロランテ、また何か分かったら直接私に教えてくれると助かるわ。婚約者の居る前で言うのは憚られるのだけど……出来れば内密に頼みたいのよ」
これ程動揺している炎帝は初めて見る。これはアルスだけで無く、セレスティーナも同じだろう。
「-----分かりました。何か判明次第連絡を」
「えぇ、お願い」
普段の冷徹さは感じられず、奇妙な感覚を覚えたアルスとセレスティーナは動揺する炎帝を置いて目的地である庭園へと向かう。
アルスは炎帝の動揺に何がどう関係しているのかを知っているからこそ、見た感じ無反応であったものの、セレスティーナは訳も分からず不信感が募るのみだった事だろう。
炎帝との邂逅で乱れた二人の距離は庭園の花々の匂いがチラつく辺りで再び縮み、腕を組んだ状態で青々とした芝生へと足を踏み入れた。
「うん、流石王城の庭園だね。見ているとのめり込んでしまいそうになる」
「このままアルスはずっと此処に居座る事だって出来るのでしょう?」
「それは指揮官としてだろ? 俺は一人の”戦士”としてあの場で戦う必要があるんだ」
「戦士? 騎士との違いは?」
「殆ど無いよ。厳密には規律を遵守し、従うだけの騎士とはニュアンスが少し違う事くらいだ」
アルスは一輪の花を摘み上げ、その花に雷を走らせる。弾ける様な音と共に黒く染った花は灰になり、セレスティーナを纏う風がそれを明後日の方へと優しく飛ばす。
「それじゃあ何処か悪く聞こえるわ」
「事実さ」
「規律を守らないの?」
「まだ守れているかな。というのも父上以外の上官となるべく合わない様にしているだけなんだけど」
アルスは自分がこき使われるのを酷く嫌う傾向にあった。それは貴族のプライドなどでは無く、出された命令に徹底さが欠けている等の不十分さを覚えたりと不満が溢れてしまう至極個人的な思想が関係していた。
「なるほどね……」
「王命なんか良い例だよ、此方側が不利益を被る場合の方が多いからさ」
「聞かれたらまずいよ」
「おっと……」
確信犯である。『空間知覚』で近くに人が居ない事くらい把握している為要らぬ心配では有るのだが、誰が耳を澄まして自分達の話を聴いているのか分からないのが現状。
未だに王城は大陸諸国の間者が潜む情報の倉庫であり、今までも幾つか情報が抜き取られているのをアルス本人が組織を通じて確認している。
「あのメイド、さっきから同じ花ばかり水をあげているな」
「え、何処?」
「1-2-0の方向、顔を向けないでね勘づかれる」
「もうすっかり軍人ね……確認したわ。どうするの?」
「此処で魔法を使うのは危険だ。かと言って剣を抜くと直ぐにバレる。だから……」
アルスがそう言うと同時にメイドの腰元にキラリと光る金属らしきものが映った。
アルスは靴紐を結ぶ動作をしながら石畳に膝を突き、目の前の花壇で体を隠すと『空間収納』で一丁の自動拳銃を取り出す。薬室には既に弾が入っており、マガジンの装弾も済んでいる即座に使用可能な自動拳銃。
「それってもしかして……」
「精度を確かめる。耳を塞いで」
両手で構えたアルスは慣れた手つきでトリガーに指を滑らして引いた。
美しい庭園に響いた数発の大きな音は耳を塞ぐ手を貫通して自身の脳へ直接ダメージを与えて来る。
ホールドオープンし、弾が切れた黒い自動拳銃のマガジンキャッチボタンを即座に押して予備のマガジンと入れ替えてスライドを戻したアルスは身体強化魔法を発動して、その何発も銀の弾を撃ち込んだメイドの元へと走り出す。近くまで来たアルスは念の為に頭に一発撃ち込んでしゃがみ込んだ。距離にして四十メートル程、走る程では無いもののアルスは腰元に光った金属らしき存在を早く確認したかった。
「やはり回収し切れないものかっ………」
腰元にあったのはリボルバー式の拳銃で、五発入る小型の代物だった。
アルスは血を流して倒れるメイドからその拳銃を没収してセレスティーナの元へと戻るとそのまま手を引いて庭園の隅へと向かう。ここで敢えて王城内に戻らないのは銃の音でこの庭園に出て来る騎士達と遭遇しかねないという理由と、メイドの仲間が混乱に紛れて二人を襲う可能性があるという理由から。
「王国騎士は信頼出来ない。それに王城内にまだメイドの仲間が居るかもしれないから此処で暫く花を鑑賞しておこう」
「えぇ、そうね」
「-----俺が言うのはもしかして違うかもしれないんだが、慣れた?」
「えぇ」
「そうか。まぁ、良い事だと思う」
少し漸減しながら言うアルスに言い切る自信は正直無かった。




