【6章・黒騎士】2
「アルス、此方は片付いたわ」
「此方もです。マイヤーズ少佐が此処の構造を教えて下さったお陰ですが」
そう言ってアルスは横に居るマイヤーズを紹介する。血塗れた軍服で王女の前に立つのは些か問題になりそうだが、数分前まで命のやり取りを行っていたこの場でその問題を口にするのは我儘になるだろう。
「マイヤーズです。殿下にお目通りかかれた事、光栄に存じます。この度は我等の不手際でお手を煩わせてしまい………「謝罪なら要らないわ」……は、はっ……」
「私達だって、この砦の騎士達を全員助けられた訳では無いの……だから……謝罪は要らない」
視線を斜めに落とした先に見えるのは壁際に寄せられた王国騎士の死体。それも一つ二つでは無く、少なくとも十五はあるその死体はガーネット達が救い切れなかった者達だった。
「……はっ」
「ところでマイヤーズ少佐、此処の近くに宿泊施設のある町や都市はあるかしら?」
「町や都市……それならば、リズウェルという都市が少し離れた所にありますが」
「では、私と特別護衛小隊はそのリズウェルに向かいます。-----アルス、此処の増員は?」
「既に申請済みです。日暮れまでには編成が終わり、出立するとの事ですが最低でも一日は要すると」
「仕方が無いわね。その増員が来るまでリズウェルと此処を行き来しましょう」
「「「はっ!」」」
軽く方針が決まり、この砦に潜伏する残兵を地下の収容所に入れながら特別護衛小隊はそれぞれ砦の警護とガーネットの警護を少ない人数ながら行わなければならなく、ガーネットの護衛にはアルスのみが付いて狭い砦の一室で装備の点検などを行っていた。
元々高官達が使っていた部屋なのか、清掃が行き届いているこの部屋には鎧の清掃道具から洗体に必要な石鹸まで完備されており、身体を休めるには最適な場所だと言える。
「アルス」
「何だ?」
「少し寝るわ。必要だったら起こして」
「分かった」
慣れない馬での長距離移動で疲労が蓄積していたのか、大きなソファに横になったガーネット。別にベットはあるのだがそこまで歩く体力すら残っていないのかもしれない、とアルスは深く考えるのを止めて血液の付いた黒い鎧から血液を拭う事に専念する。
「凄い……」
丁寧に指先から足先まで、この黒い鎧は凹凸が多く独特なデザインをしているが為に一滴の血液を拭うだけでも細かい作業をしなければならなかった。清掃だけでなく、傷や破損等の点検も同時に行えるこの作業でアルスは一つ、意外な発見をしたのだ。
アロンダイトをしまう鞘は黒い塗装が剥がれて銀色の金属が露出しているというのに、艶が無い黒色の美しい鎧の外装には破損が一切無く、攻撃を受けた箇所にも傷一つ、塗装の剥がれも見当たらなかった。
アルスの中にある古の記憶ではこの鎧はアヴァロン王から賜ったもので、四騎士それぞれが違った色の鎧を賜っているのだが、白色や赤色、黒色や空色という奇抜な色であった為に染料を使って着色しているのだとそう勝手に解釈していた。
鎧にどの様な鉱石が使われているのか、材料等は分からない。しかし、あれだけ激しい戦闘を乗り越えたというのに塗装すら剥がれないのは最早塗装などでは無く、元からこの鎧は黒い金属を用いて造られたという事になる。
「ここまで硬い金属がこの大陸に存在するというのか……?」
興奮のあまり心の中に秘めていた声が出てしまう。
それにしても後ろに付いた赤いマントは本当に必要なのだろうか。血液が染み込み汚れたマントを取り外し、水の入った木桶に入れる最中にふと思った。
滲み出る血液で木桶の中に張られた水が汚されていく。
血液の混じった水が飛び散らない様に慎重な動作でマントを擦り合わせて汚れを落とす。普段ならばヴァイオレットに任せる様なこの仕事も、自らが彼女の同行を拒否した結果であった。いくら理に適っているとはいえ、無条件に献身してくれるヴァイオレットの願いを無下にしたのは間違いだったのだろうか。
否、あれで正解だったのだ。あの時下した苦渋の決断でヴァイオレットは勿論エルロランテ家は覇権から守られる。
赤いマントの水を絞り、乾かそうと窓際に吊るしたアルスはそのまま窓の外へと目を移す。何の意図も無く見ただけなのに真っ先に目に映るのは襲撃の被害で血痕や焦げ跡、水溜まりなど見るに堪えない悲惨な現場だ
「ん……?」
その悲惨な現場に一人と二頭、後ろに多くの荷物を積んだ如何にも商人といった様な人間が荷車を大きく跳ねさせながら近付いて来ていた。”見た目”は完全な老人、しかしアルスには分かった。
『鑑定』
(やはり……)
鑑定は通じた。しかし、【偽装】スキルで巧妙に誤魔化されている偽のものだった。
穏やかな表情で手綱を握る老人に砦に駐屯していた二人の騎士が駆け寄って行く。襲撃後という事もあり、駆け寄り方や姿勢から若干の警戒が見て取れるのだが、老人も少し警戒されているからといって挙動が怪しくなる訳では無い。
一言二言交わした彼等は積荷の上に被さった大きな布を少し捲り、中を覗いた後、老人とその荷車を通す素振りを見せて先導する。
(通過するだけか………それとも此処に用があるのか………まぁ、此処だろうな)
積荷が鮮明に見える距離まで近付いてきた荷車を窓から見下ろす様に眺めるアルスは砦を見上げた老人と目が合った。一秒にも満たない睨み合い、お前を見張っている、と言わんばかりの鋭い視線を送ったアルスにまるで関係ない、と言い放ったかの様に視線を戻した老人。
(何者だ……)
アルスも窓から視線を外し、ガーネットが”目を瞑る”大きなソファの前に椅子を置き、腰掛ける。間に人一人入るか入らないか程度の距離感で座ったアルスは『空間収納』から”大陸冒険記”を出して本を開いた。本には比較的新しい栞が挟まれており、その箇所からもこの冒険記を大分読み込んでいる様に思えた。
本を開いて数十分が経った頃、集中を切らさないまま本に目を落としていたアルスは突然栞を本に挟んで静かに本を閉じた。
「-----Sランク冒険者ルーシャスは何故王国を抜け出して帝国へと渡ったんだろうね」
突然喋り出したアルスの視線は完全にガーネットの瞼へと向いており、薄目でその様子を見ているガーネットの心拍数は跳ね上がり、視線が合っている様な緊張感が押し寄せていた。
「俺は冒険者への憧れは抱いていない。でもこの本には皆無だった関心を希薄な関心程度に盛り上げる”夢のある冒険談”が多く語られているんだ」
未だに自分を見つめてくるアルスに対抗しようと瞼が震えぬ様に薄目状態を維持して見つめ返すガーネット。それにしても目の前のアルスは何故突然冒険者の話を始めたのだろうか。
「もし、俺がこの国を離れる事になったら……「駄目よっ!」 ……おいおい、寝たフリは最後まで貫くべきだろ……」
勢い良く起き上がり、アルスの膝を強く掴んで前のめりとなったガーネットの顔が迫る
「絶対に駄目よ。陛下に頼み込んででもそれは阻止するわ」
「王命か」
「先ずアルスがこの国を出る理由は何なの? 分からないわ、それにその本……帝国にでも住むつもりなの?」
「理由なんて無いよ。この本はあくまで参考だ」
「で、でも……本を読むアルスの目は………」
まだ少し”国を出る”というのを不安に思っているのか、アルスの本を読む姿勢を指摘しようとしたその時。
トントントントン
焦燥感に駆られているのか素早く、力強いノック音は二人の会話を遮り、同時に『空間知覚』で状況を把握したアルスは愕然とその場に立ち尽くしたまま入室を促すのだった。




