【6章・戦いの始まり】6
「了解」
学園の寮へと戻ったアルスはヴァイオレットから不在中に組織に出された依頼全てを纏めた資料を受け取り、上から下まで細かく目を通していた
「受付曰く、アルス様を信頼しての事だと。宜しいのでしょうか?」
「うん、大丈夫だ。俺がその場に居ても許可しただろうし、見掛けだけでも組織と対立しておけば今後エルロランテ家との関係を疑われる事は無くなるだろう」
「Sクラスの皆様にはお伝えしますか? 放つのは龍種です。万が一の事を考えたら……」
「事前にその情報を俺が知っているとなれば変な誤解や不信感が募るだけだ。-----心苦しいがセレスティーナ以外には絶対に言わない」
少し意外だったのか、ヴァイオレットはそうですか、とだけ呟くとアルスの前に紅茶の入ったティーカップを置き、部屋の隅に置かれていた椅子をアルスが現在座っている椅子の横まで持って来て座る
「ん、どうした?」
置かれた紅茶のティーカップを傾けながら横目でヴァイオレットを一瞥するも、目が合った事で紅茶を飲む手を止めて身体ごとヴァイオレットの方へ向けた
「大丈夫か?」
「はい」
表情を変えず発せられたその一言にアルスは目を細める
「そうは見えないけどな」
「ではアルス様、一つお願いがあります」
今まで特に何も強請る事をしてこなかったヴァイオレットのお願いとは
何だろうと想像しながら頭を縦に振り、続きを促した
「私をアルス様の傍に置いてください」
「-----置いているだろ?」
「いえ、メイドとしてではありません」
「では何だ?」
アルスは自然と頭に思い浮かんだ答えから目を逸らし、何か他の答えは無いかと思考を巡らせる
「軍人としてです」
ヴァイオレットの口から出た言葉はアルスの想像していたものとは違ったものの、アルスを悩ませるに値する程衝撃が強いものだった
「-----駄目だ。絶対に駄目だ」
「何故ですかっ! 色々と御力添えが出来る筈です!」
「知っているよ、ヴァイオレット程頼りになる人間は居ない。それでも駄目なんだ……ヴァイオレットが軍人になれば階級、つまり地位が生まれる。俺の部下として特別護衛小隊に入ったとしても俺より地位の高い人間に目をつけられて引き抜かれる恐れがあるんだ。部下でもあり、侯爵家の当主でも無い俺は当然それを断る権利は無いし、何らかの形でイシュタルフォーゼ家が復活でもしたら……君が奪われてしまう」
アルスが言いたいのはヴァイオレットの持つ【光魔法】に目をつけられてしまうという事と、既に没落して失くなったヴァイオレットの生家イシュタルフォーゼ男爵家が婿入り等の結婚で復活した場合に”男爵家に嫁いだ長女”では無くヴァイオレットが当主として据えられる恐れがあるという事だった
前者は鑑定を警戒し、無闇矢鱈に魔法を発動しなければ良いだけの話なのだが、後者は権力さえあれば可能である話で、絶対的な力を持つ王命が絡んだ場合には抵抗すら危ぶまれるだろう
戦争において魔法無しで戦う事は無茶や無謀などとしか形容出来ず、だからと言って使用するのも確実にスキル目当ての変な貴族に知れてしまう
「そんな……」
「ヴァイオレットはセレスの傍に付いてやってくれないか? セレスこそ今のヴァイオレットの様に従軍したいと言うだろうけど、アーバンドレイク公がそれを絶対に認めないと思うんだ」
「アーバンドレイク公はアルス様の実力を認めているのでは?」
「うん。有難い事にね。でも認めてくれない。戦争だから……」
どれ程アルスが強くても戦争という総力戦では体力、魔力の限界がある。アーバンドレイク公爵は戦の経験が多い事で有名だが、とても慎重である事でも有名だ
それを露骨に現しているのが所有する騎士団員の数で、他の公爵家の持つ騎士団員は総勢三千人程居るというのに比べ滅龍騎士団員は現在僅か三十名
一人一人が持つ戦力を重要視しているとも言えるが、それは一人一人を把握していなければ不可能な話で、自分の持つ騎士団の中に間者が紛れない様に警戒しているとも取れるのだ
「-----私を避けている訳では無いのですよね?」
「そんな訳無いよ」
「では、私は誠心誠意セレスティーナ様のお傍に付き護らせて頂きます」
「助かる。俺も何かあったら直ぐに駆けつける様にするよ」
「と言っても………まだ先の話ですよね」
「そうだと良いけど……」
▢▢▢▢▢▢▢▢▢▢
〜王立魔法学園、模擬戦場〜
翌日。とても良く晴れて身体を動かすにはこれと無い程のコンディションの中、アルス達は授業を受けていた
「もうお前らに教える事は無い気がしてきたな……」
飛び交う剣戟音と大地揺るがす魔法の衝撃波が何よりもそれを語っている
「アリティア先生」
「ん、どうした?」
アリティアに話し掛けたのはミスリルで出来た魔法杖を持つガーネット
「『炎熱地獄』の使用許可を」
「うーむ………良いだろう。許可する」
「ありがとうございます!」
朗らかな笑みを浮かべたガーネットはその場から小走りで去って行く。辺り一面を変化させる精霊魔法『炎熱地獄』は他生徒を巻き込む恐れがある為に学園内で使用する場合に限って許可制にしたのだ。と言っても精霊魔法士はガーネットとセレスティーナしか居らず、書類上の約束というより口約束という方が正しかった
「《精霊よ、我に炎の力を、永遠に燃え大地煮える滅却の炎》『炎熱地獄』」
精霊魔法独特の詠唱から数秒後、アルス達の地面がぐらつき、溶岩らしき赤い液体が亀裂の入った地面の隙間から吹き出した
「おぉっ! 危ない…危ない」
「『水流波』-----チッ、無理か」
水飛沫の様にアルスとエリゴスの足を襲う溶岩は水魔法で相殺を狙っても意味を成さず、蒸気となって消えるのみ
鉄製の武器であれば溶解してしまう様な温度を持つ溶岩だが、アロンダイトが溶ける事は無い
割れて孤立した地面からまた別の地面に飛び移りながらセレスティーナに接近したアルスは緑色に輝きながら風を纏う白龍の剣目掛けてアロンダイトを振り下ろす
「やるじゃないかっ!」
取り巻く暴風がアルスの動きを阻害し、セレスティーナの動きを加速させる
「アルスこそ、人間の動きとは思えないわ」
体が地面から浮く程激しい上昇気流は溶岩の影響で熱風となり、息が苦しくなる。しかし、アルスは動じず畳み掛けているのだ
一方、ガーネットとエリゴスは立ち込める蒸気の中で引けを取らない魔法戦を繰り広げていた
鋭利な剣でもミスリルの杖は流石に切断出来ず、激しい攻防が続く
「ハハ……王女だってのに何でそんなに動けるんだよ」
「私だって魔法大隊に入るのよ? これくらい普通よ」
棒術なのか軽やかに魔法杖を振り回し、翻弄しているガーネットには剣を持つエリゴスに対して武器種故の優位性があった
加えてエリゴスの得意とする水魔法を交えた多彩な攻撃手段が火の精霊魔法で相殺される事で何方も一歩を引かない戦闘になっている
『空間知覚』
突然大量の魔物がアルスの『空間知覚』範囲内に現れ、剣を降ろしたアルス
目の前で戦闘を放棄したアルスに驚き、同じく剣を降ろし精霊魔法を解いたセレスティーナはどうしたのか、とアルスに尋ねた
「魔物だ。それも龍種」
「何で学園に!?」
「実は……」
アルスは依頼の事からセレスティーナ以外にはこの事を告げないという事まで出来る限り細かく説明する。途中途中で心配されたものの、アルスだからという理由で納得されて予定通り皆に状況を説明するという所まで事が運んだ
「先生、どうしましょうか?」
緊張を感じさせない表情でカルセインがアリティアに尋ねる
「相手は龍種なのだろう? 君達に心配はしていないが、他の生徒はパニックなったりと思わぬ事故が起きる可能性がある……一応今から学園の方から騎士団に連絡して救援を求めるつもりだ。皆はそうだな……アルス」
「はい」
「俺は職員室に戻るが、その間に全員を安全な所まで避難させてくれ。安全であれば何処でも良い、取り敢えず命を最優先に行動してくれ」
「はい」
ここまで計画通りだ。後は全員を王城という人目が多く、安全な場所に送り届けたら単騎で龍種を叩くのみ
王城はこの時間帯でも人がとても多い為にアルスが護衛手段としてガーネットやカルセイン達を移動させて来たというのが証拠として王城内の人間の目に残るだろう。護衛としての信頼を傾けようとしている今回の依頼だが、多くの人間が”王城への空間移動”という信頼に値する行動を目の当たりする事で学園内で龍種が出現したという事について責任の擦り付けは起きにくくなる
「じゃあ、取り敢えず王城に移動しよう。王宮でも良いが突然時空間魔法で侵入すると迎撃を喰らうかもしれない」
突然の魔物発生という不可解な現象に疑問を抱かせないまま、アルスは全員を移動させる準備を整える
この教室のある棟から少し離れたこの模擬戦場に居ても聴こえてくる男女の悲鳴は既にパニックが起きている事が伺える様な効果があり、幸いして全員が何一つ”このスムーズな事の運び”に疑問を抱いていなかった
『空間移動』
深呼吸するも吐き終えるまでに到着した一行は王城の正面に来ており、門を護る王国騎士達はいきなり現れた黒い制服に槍を構えたものの、ガーネットとカルセインを確認して武装を解除した
「殿下………一体これは?」
「魔法学園が魔物による襲撃を受けた。龍種であるが故に出動する部隊の編成は魔物との戦闘経験が豊富な者を多く頼む」
「は、はっ!」
淡々と告げるカルセインに困惑しつつも頷き、王城内へ走って行く騎士達
「カルセイン、俺は戻るよ。このまま待っているのは時間が掛かり過ぎる」
「良いのか?」
「あぁ。直ぐに片付ける」
頷いて答えたカルセイン
『空間移動』
音も無く消えたアルスは計画通りに一人で学園に戻って来る事に成功したのだった。移動後、目の前に現れた四足歩行のリザードの頭部を殴り潰したアルスは『迅雷』で学園を駆け回る
学園内に響き渡る轟音に反応してアルスに向かって来る様々な龍種は小型のガーゴイル、中型のリザード、大型のワイバーンまで数が凄まじく多かった
踏み付けて潰し、首を掴んで引き摺る。その所業は何方が魔物か、
何処からか聴こえ続ける人間の悲鳴よりも龍種の断末魔の方が耳に強く残り始める
「-----高いな」
全身の筋肉を刺激する雷を両足に集中させて空中高く飛行するガーゴイルまで跳んだアルス。逆手で抜いたアロンダイトの剣身は次の瞬間には赤黒く染まり、剣身の花紺青色と相まって毒々しい紫色へと変化を遂げていた
『雷霆』
高さ二階の硝子窓から首を突っ込んだワイバーンに廊下を這って生徒を追い掛けているリザードを見つけたアルスは空いている左手に雷を収束させて壁ごと抉る雷魔法を放った
ワイバーンやリザードの肉が焼けた焦げ臭さに顔を歪めつつ、暴れ回る魔物を発見次第殺していく様は一方的で機動力から攻撃力までその場に居た学園の生徒達は口々に悪魔と呟いていたのだった
「アルス様っ!」
「ヴァイオレット! 後何匹居るんだっ!?」
「先程の攻撃で大分数が減り、残り二十数匹かと思われます!」
「残り二十数匹だと!? よくもその数を集めてこれたもんだ……」
『四閃四死』
『双破砕』
四つの斬撃が飛来するワイバーンを切り裂き、ガーゴイル達の身体を粉々に砕く
「何だ………あの化け物は………あれがアルス=シス=エルロランテなのか………」
「ハハ……人間じゃないっ……」
「会長、ビクターっ! リザードが直ぐそこまで来ていますっ!」
生徒会室の窓から外を覗いていたのは今回の元凶であるレクト=セーズ=ヴェルディで、アルスの殲滅に舌を巻き、頭を抱えていた
「俺が行く! 会長は今の内に全生徒を落ち着かせる言葉でも考えておいてくださいっ……」
重軽傷者四十五名、死者零名
百体以上の龍種が突然学園内に放たれたこの事件は教員や一部の生徒達の抵抗の成果もあり、被害は最小限に抑えられた
と言っても特筆すべきは”二人”の生徒の存在。アルス=シス=エルロランテ、王国で唯一”シス”の名を冠す男とジャレッド=セーズ=アムステルダム、入学時から暫く頭角を現す事の無かった剣聖だ
後にアルス=シス=エルロランテの学生時代を語る上で一二を争う逸話となったこの日の出来事は、只でさえ稀有で人気のあった雷魔法を戦闘面においても人気を持たせ、各国に雷魔法の脅威を改めて知らしめたものとなったのだった
次回、時が進みます




