【4章・蠱惑】6
ジョンとディーンの二人は足早に部屋を出ると、ドッセルへの馬車を直ぐに手配し、この王城を急いで出ようとしていた
「これからどうする?」
「…………今更断れない」
馬車が目の前まで来る。王国騎士によって扉が開かれ、入っていく二人
乗り込むと首を鳴らし、両手で髪をかきあげたジョンは神妙な面持ちで口を開く
「あの部屋、一体何なんだ?」
「殺し屋を封じる様な部屋だったな、鏡は無ければ武器を仕込む家具も無い、一度座ると動きにくいソファに………防音の部屋ね」
「あぁ、殺されていたかもしれないぞ」
今の二人を見たら大多数の人間は考え過ぎ、杞憂だと言うだろう。王女というフィルターが辛うじてその考えを抑制している為にジョンは”殺されていた可能性”があるとしか考えていないが実際にその可能性があったという事を二人は知らない
「父上にどう報告しような……」
「ありのままだろ、そこは」
「そうだな」
二人は馬車に揺られる。いつの間にか過ぎた冬の寒さは思い出せない。今は春の暖かさを感じるのに精一杯だ。所で寒かったのだろうか、もしかして寒くなかったのでは? その思考に陥る程に去年の冬は忙しかったのかもしれない
今年の春はどうなるだろうか、暖かいと感じるが不安だ。王女の頼み事は何か不穏なものを漂わせていて、気乗りしない
目を閉じると聴こえる王都の”声”
王位継承権の争いも戦争を控えており、一見すると静かだが裏では貴族達の小さな争いが絶えないこの街で数少ない希望の声だ
輝かしい未来を信じている希望の声
領地を持つ貴族の大体は王太子につき、その中で目立ちたいが為に領地毎に利益の大きさを競い合っている
そのお陰で国の財政は潤うといった話で、王の政策が上手くいっている証拠でもあるのだが、それで喜べない人間も少なからず居る
冒険者ギルドに多く出資している貴族や地方の貴族達だ。第二王子ガリウスを支援していた貴族も先のガリウスの変貌に一変し、カルセインを支援し出したという事もあり、領主達で主戦力を占めた王太子側の圧倒的だった勢力は今や成り行きで積み重なっていったカルセインの勢力と拮抗状態にある
王位継承を降りたガーネットは勿論、第一王女や第二王女らの勢力にあまり動きは見られないのも現状だ
今は王太子の勢力とカルセインの勢力が主な”争い”を生んでいると言えるだろう
兄弟愛か、それとも二人の衝突がこの国を混乱に導く事を互いに予見しているのか、それとも気休め程度の停滞か
二人共争いが生む利益を好まない。その為お互いが衝突する事は無く、そしてこれからも衝突する事など無いようにも思える
どちらかが引かなければ終わらない王位継承戦は引き際を見失い迷走していると言えるだろう
「帰りに、ウイスキーを買おう……三十年熟成がいい」
「お、良いなそれ」
そう言ってジョンは目を閉じる。ディーンも楽しみな酒を前にニヤつき、シガーケースから煙草を取り出し、咥えた
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〜エルロランテ邸〜
アルスは王城で”叱られた”
しかし、悪いものではなかったと今になって思う。あの叱りは云わば親が子を叱る様なもの、元々叱るという単語自体に悪い意味は無く、簡単言い換えるならば注意なのだ
良い経験だったと家に帰って改めて感じた
何故か?
叱られるより恐ろしい事が起こったからだ
帰宅直後、家の庭に呼び出されたアルスは地面に突き刺さった剣を取るように言われヴァイオレット、セバス、ユリアーナ、クルエナ、ヴィオラやユリスが見守る中で剣を握るウルグと対面していた
「話は聞いた、お前を止めなかったヴァイオレットにも罪はあるが…今はいい、先ずはアルス…お前からだ」
「はっ、御指南お願い致しますっ!」
〜数十分後〜
抉れた地面から片手で這い出て来たのは土に塗れたアルス。手を差し伸べ引っ張るウルグも所々汚れていて頬がうっすらと赤い事から一撃喰らった事が分かる
右手を伸ばし、ウルグの右手をがっしりと掴む
勢い良く引き上げられたがアルスは地面に足を付けると即座に膝から崩れ落ちて悲鳴を上げながらその場を少し転がる
「父上っ!! 俺、足の骨が折れているんですよっ!?」
「あ……済まない」
「うっ……ヴァイオレット、頼む……」
「はい!『慈愛の光』……どうでしょう? 良くなりましたか? 」
足の骨が引っ付いていく様な感覚、アルスとしては慣れた感覚だが決して慣れる様なものでは無いと自覚はしている
足が動く感覚に安堵している今の状況がどれ程異常か。自分の息子の骨を折り、それが治るのをただ待つというその狂った所業
「あぁ、復活だ」
そう言って飛びが上がり、軽く跳ねるアルスは笑顔で周りの人間も皆笑っている
「アルス、お前はまだまだ”弱い”」
エルロランテ以外の人間ならば誰しもが愕然とする様な台詞もエルロランテの家の者しか居ないこの場ではそのまま流されていくただの言葉だ
「はい」
「しかし、その弱さは経験によるものが大きく関わっていると言えるだろう。単に実力不足と括れる様なものでは無い」
「ありがとうございます」
「前にも言ったが、この剣術を使う者は狂う。その尋常じゃない技の難易度に威力は使う者が慢心するに最もな”力”だからな」
「自分は慢心していると?」
「いや、それは無いだろう。お前は良く頑張っているよ」
嘘偽り無い評価だろう。珍しく微笑み、真っ直ぐアルスを見つめるその灰色の瞳が示していた
所で気になった事が一つ、ウルグの髪色は灰色だが生まれつきなのだろうか、それとも歳によるものなのか
「父上、気になったのですが父上の髪色は生まれつきなのでしょうか?」
「あぁ、言ってなかったか? 俺は元々アルスと同じ紫髪だよ。身体に負担が掛かったのか色素が抜けてきたんだろう」
「この剣術の影響なのでしようか?」
「安心しろ、”それは”無い。もし原因がこの剣術ならば今直ぐ辞めるか? 剣を置くか? それは無いだろう?」
頷くアルスは手に持つ鉄剣をセバスに預ける。そして着ていた服を預けて上半身だけ肌に密着した鍛錬専用の服に着替える
ウルグも同様に脱ぎ出してその服を着る。お互い筋肉の発達したいい体をしている。その中でも特に前から見える広背筋や大きく発達している僧帽筋は目を引くものがある
「ねぇ、ヴィオラ。あそこまで鍛えている貴族って今はもう少ないよね?」
「素手で木を殴って薙ぎ倒す貴族が他に居る? 旦那様を構成する全ての要素が他の貴族を凌駕しているわ」
軽く肩を回しているアルスとウルグを見ると今から行われる惨事は粗方予想が着く
ポキポキ
指の関節を鳴らして腕を伸ばし、二人は体を解す
「この距離でいいか? それとも一旦離れるか?」
「いえ、このままでお願いします」
アルスの言葉にウルグは頷き、セバスの方へ向く
「セバス、合図を」
「では、アルス様から受け取ったこの剣を空中へ放り投げますので、地面に落ちたら開始という事で」
二人は頷く
何の変哲もないただの鉄剣が空中高く上がり、回転しながら落ちてくる。この瞬間だけ物体の自由落下速度が遅く感じるのは何故だろう
地面に突き刺さる鉄剣と同時に揺れる地面。勢い良く踏み込んだ地面が沈んだのだ
二人の人外が生み出す拳の初速は時速四十kmを軽く超えていて紙一重で躱す互いの髪の毛が衝撃波で激しく動いている
「父親だからといって手加減は良くないな、アルス」
「父上こそ、自分の息子の可愛さに力が弱まっていますよ」
二人の口角が上がり、眼光が鋭くなる。会話により生まれた一瞬の隙はお互いが狙っていた隙でもある
アルスの拳がウルグの拳がぶつかり合う
金属同士がぶつかり合う様な音に今更驚かない観衆はおぉ、と言って拍手をしているが決してお世辞で主人達を讃えている訳では無い
激しい激戦の末、口の中に溜まった血を吐き出し地面に仰向けに倒れた二人
ヴァイオレットの光魔法によって治癒された二人だが、重症だったアルスだけはヴィオラとユリスに肩を貸してもらって歩き出す
「まだまだ成長するぞ、お前は」
「ハハハ……ありがとうございます」




