Oからはじまる
変な女の子に会った。
ただ無性に、誰かに自分の演奏を聴かれたくなくて、ここなら誰も来ないだろうと、この前偶然見つけた場所で一人演奏していたのに、いつからいたのか――勝手に感想を言ってきたと思えば、いきなり僕の方が上手いことを証明するなんて言い出すから……気が付いたら演奏を聴かれたことに対する怒りはどこかに行ってしまった。
それから、なぜかお互いに自分の演奏を聴かせ合うようになっていて……始めは誰かに自分の音を聴かれたくなかったからここに来たはずなのに。
……多分、彼女が言ってたことが謙遜なんかじゃなく本当に僕の方が上手いというのもあったのかもしれない。それでも、あんなにただ純粋に褒められることは初めてだったから……だから、彼女に自分の音を聴かれても辛くはなかった。
屋敷に戻った後、なんとなく彼女が弾いていた曲を弾いてみる。弾いてる最中に、ふと昼間のことを思い出してしまい、思わず笑ってしまう。
何?あの音。バリバリって…。
ただ下手なだけとは違う独特な音。あんな音初めて聴いたけれど……もしかしたらあれはあれですごいんじゃないだろうか。
「……ふふっ」
一度思い出したら止まらなくて、それから何度も少女の演奏が頭に浮かぶ。
そういえばこんな曲も弾いていたな……ああこの曲も演奏していたっけ。
順番なんて関係なく、ただ少女が弾いていた曲を思いつくままに弾いてみる。
――こんな穏やかな気持ちでバイオリンを弾いたのは久しぶりだった。
******
「本当に上手ね!とっても感動した! 」
「ありがとう」
あの日から、少女に会うことがだんだん増えてきた。
次に会った時から彼女はちゃんと自分のバイオリンを持ってくるようになって、それからは交互に弾いたり、時には一緒に演奏するようになった。その度に彼女から恥ずかしげもなく、すごいとか上手だとか言われるものだから、初めはいたたまれなく感じていたのに、今ではだいぶ慣れてしまって、素直にありがとうを言えるまでになった。
「……本当にすごいよね、音だって透きとおったみたいにきれいだし……きっと、大きな演奏会だって開けるよ!!」
「そうかな……?」
「うん、絶対そうだよ! ねえ、もし演奏会を開いたらさ、私も招待してね?私、君の演奏が大好きだから」
「わかった、いつか演奏会を開けるようになったら、その時は君を招待するよ」
「ほんと!? ありがとう!!」
ああ、不思議だな……前はあんなに自分の演奏を聴かれるのが嫌だったのに、いつの間にか今度は皆に聴かせる約束をしてしまっている。
僕はいったいどうしたんだろう。
彼女と話すと心の中が温かくなる。笑顔を見るともっと見たいと思う。彼女といると楽しいと感じる自分がいる。彼女と別れるときは、もっと一緒に居たいと思う。もっと一緒に居て、彼女の事を知りたい。
名前だってそうだ。本当なら、彼女が何て名前なのか知りたい……。けど、もしそれで今の関係が変わってしまったら?名前を聞くということは、僕も自分の名前を言わないといけなくなる。それで、僕の噂を――先生だけじゃなくて他の皆からも、感情のないつまらない演奏だっていわれているのを知ってしまったら?
そんなことで彼女の態度が変わるとは思えないけれど、そう考えてしまったら、この時間が壊れてしまいそうで――怖くて聞けなくなってしまった。
******
彼女と一緒に作った曲を弾いていたら、先生に声をかけられた。
どうやら、いつのまにか僕の演奏を聴いていたらしい。
「いい曲ですね。その曲は自作で?」
「は、はい。一応……」
彼女のことは僕以外、誰も知らないから言わないでおく。
「そうですか……とても楽しそうに弾いてらしましたね。聴いているこちらまで思わず楽しくなりました」
「えっ?」
「他の曲も今と同じように弾いたらいいのです。感情豊かで、とても素晴らしい演奏でした。……では、私はこれで失礼します」
そう言って先生は部屋を出て行ってしまった。
残された僕は、今の言葉が信じられなくて、茫然としてしまう。
今、先生はなんて言った?
楽しそう?他の曲も同じように弾いたらいい……?
「先生に、褒められた……?」
いつもみたいに、上手だがもっとこうしなさいじゃなくて――ただ純粋に素晴らしい演奏だったと。
「っつ」
その事実にだんだんと、胸に込み上げてくるものがあった。鼻の奥がツンとして、でも嫌じゃなくて、嬉しくて、この感情を誰かと共有したい。先生に初めて褒められたんだって。素晴らしい演奏だって言われたって……ああ、早く彼女と話がしたい。
******
早く昨日のことを話したい。
その気持ちが強すぎて、いつもなら同じ位に着くのに、今日は早く来すぎてしまった。
彼女を待つ間、僕は今まで練習した曲を弾いていく。
暫く夢中になって弾いていると、拍手が聞こえた。どうやらいつの間にか来ていたみたいだ。
ふと、彼女の手元に目がいく。
あれ?何も持っていない?また忘れたのかな。そう考えたら、自然と頬が緩む。
そのことには触れず、来ていたなら声をかけてくれればいいのに――そう思って尋ねると、「やめてしまったらもったいないから」って言われた。
ああ、もう……なんで彼女はそういうことを恥ずかしげもなく口に出せるんだろう。そんなことを言われたら、僕の方が恥ずかしくて顔が赤くなってしまう。
それをごまかすように違う話題を振ったら、途中で遮られてしまった。
そして、彼女の口から出た言葉は耳を疑うものだった。
領地に帰ることになったの――彼女はそう言った。会えるのは今日が最後だとも。
なんで?どうして?なんでそんな酷いことを言うの?
会ったら話そうと思ったことも吹っ飛んでしまって、ただ彼女を問い詰める。
理由を話す彼女の顔は今にも泣きだしそうなほどに歪んでいた。
話を聞き終えたあと、僕はショックで回らない頭を必死に動かす。
これからどうしたらいい?どうしたら彼女を繋ぎ止められる?
その時、ふと手に持ったままだったバイオリンが目に入った。
――これだ。
僕は自分のバイオリンを差し出す。これを君にあげると。少しでも彼女と繋がっていたい――その思いから。
けれど、そんな僕の思いとは裏腹に彼女はもらえないと言う。それなら、貸すから、また、いつか返してくれたらいいと提案する。
――だから、お願いだから受けとって欲しい。
僕の気持ちが伝わったらしい。彼女はバイオリンを受けとってくれた。そして、必ず返しに来ると約束してくれる。
「うん、約束だよ」
そしてまたもう一度僕に会いに来て。
「もう帰らなきゃ」と彼女は言う。どうやら、明日の準備があるため早く戻らないといけないらしい。
忙しい中、僕に伝えるためだけに、ここに来てくれたのか……そのことに胸が熱くなる。
屋敷に戻ろうとする彼女に待ったをかけて、名前を聞いた。
今までは怖くて聞けなかったけれど、これからしばらく会えなくなるんだ。その間彼女の名前を知らないのは――彼女が僕の名前を知らないままなのは嫌だった。
「ノエル。私の名前はノエルよ」
ノエル――彼女の名前はノエル。胸に刻み込むように、心の中で何度もその名前を繰り返す。
お互いに目が合い、しばらく笑いあったあと、彼女は帰っていった。
ノエルもそうだったように、僕も彼女の姿が見えなくなるまで手を振り続けた。
「……ずっと、待ってるから」
******
あの日以降、今まで以上にバイオリンを練習するようになった。そして屋敷以外では、彼女に出会ったこの場所でよく練習するようになった。
先生や両親に頼んで、プロの演奏家の演奏会にも何度か連れて行ってもらい、その度に、自分との違いを研究して、腕を磨いていった。
もっと上手くなって、今まで以上にきれいな音を出せるようになりたい。誰からも認められて、自分だけの演奏会を開けるようになって、そして……再会したときに胸を張れるように。
――それから、また「すごい」といってもらえるような演奏を彼女に聴かせるんだ。
次はノエル視点に戻ります。