人は今を生き、道で生きる
人は何処を生きるのか
人は何処で生きるのか
その答えは簡単ではないし
哲学者じゃないからそんなことは考えなくてもいいかもしれない
けれども私は自分を詩人だと思うし
そこにプロもアマも関係はないから
人は何処を生き、人は何処で生きるのかを考えてもいいはずだ
ありきたりだが人は今を生きている
過ぎ去ったと書いて過去と読む
その過去に囚われて生きている人もいるだろう
けれども心在らずとも心臓はまさに今、動いている
思考は過去に引きずられ、すり減っていようとも
身体は今を生きている
だから人は今を生きている
ありきたりだが人は道で生きている
明くる日と書いて明日と読む
その先を思い描いて進む人もいるだろう
けれどもその思い描く未来はどうも不安定で
誰かが通ってきた道ほど基盤が確りしているものはない
まるでそれは整備された道のようで
逆に夢見る人々は自ら草をかき分け前に進むように道を作る
人の生きる道は因果的決定論を唱えようが無数にあるものだ
意思があろうとなかろうと人は何かしらの道で生きている
だから人は道で生きる
だから私が思うに人は今を生き、道で生きる
それは日本という国の時代が変わっても変わらないものでもあるし
世界共通で変わらないものでもあると思う
そしてそれは各々が持つ全く異なる生き方である
一人一人が持つ、人生道とでもいえるだろうか
それはまさに独創的で想像もつかないような美しさで
そのように生きる私たちはとても幸せだろう
だからたとえ時代が変わり、世界が変わろうとも
私たちは今を生き、道で生きればいい
たとえその道が苦しくても、逃げ道もあれば、その道を頑張って【生く】こともできるはずだ
心配になることも、奥手になることも必要は無い
私たちは自由な存在で、挑戦的な生き物でもあるから
生きている限り進み続ければいい
そう、私たちは今を生き、道で生きる者たちだ