89 『五十歩百歩』
まだまだ気の抜けない展開。
今回も視点転換が多く、イグニス対トニトルスの三人称視点→ベルリネッタ&立待月の三人称視点→カエルレウムの一人称視点→またベルリネッタ&立待月の三人称視点、となり、主人公視点は無しで進みます。
首のないイグニスの身体が、トニトルスを襲う。
斬られて割られた腹や右手は黒い魔力で縫い合わされるように留められ、機能に支障なく拳を振るっている。
操られているのは身体だけではなく。
「己と勝負だッ、トニトルスゥゥ!」
精神もまた、黒い魔力に操られて狂喜に震える。
そして、それらをまとめて魂ごと支配下に置くのは。
「ほら、ご友人のたっての願い、聞いてさしあげた方がよろしいですよ」
《半開形態》で力の片鱗を解き放ったベルリネッタ。
生ある者に容赦なく死をもたらすだけでなく、死をもたらされた者に絶対的な支配力を示す《命無き者共の女帝》の力だ。
「イグニスを操って盾にせねば戦えぬか。そのざまでよくもアルブム様を呼び捨てにできたものだな?」
そう言うトニトルスではあったが、アルブムの《服従の凝視》にやられている以上は、彼女自身もまた『操られている』ことに変わりはない。
自己の孕む矛盾にも無自覚になってしまうほどに、視野も狭まっていた。
「あら。《服従の凝視》で操るのもわたくしの能力で操るのも、お互い《五十歩百歩》でしょうに。むしろイグニスさん本来の願望をかなえてさしあげる分、わたくしの方がずっと良心的かと!」
支配下に置かれたイグニスの攻め手が激しくなる。
もはや手遅れと反撃に躊躇しないトニトルスではあったが、その死角に何か赤いものが飛び込む。
攻防の意識が上に行った一瞬、ボディの防御の留守を突いて飛び込んだそれが、トニトルスの腹を殴り飛ばした。
「ぐっ、は……!?」
そしてその勢いから減速して滞空するそれは……
イグニスの生首だった。
体は両手を伸ばして生首をつかみ、元々あった場所に置く。
腹や右手の傷と同じように黒い魔力が縫い合わせて、首と胴が繋がった。
「こりゃァ気持ちいいぜェ……さァ、続きをやろうぜェ!」
「さて、このあたりで失礼いたします。わたくしは一騎打ちとか正々堂々とか、そういったものに興味はありませんので」
ベルリネッタに操られる死者という形で『不死身』となったイグニスにトニトルスの行く手を阻ませて、ベルリネッタはその場を去る。
了大を勝たせるために、アルブムを殺すために。
「む!? これは、いかん」
「トニトルスよォ……おめェ、いざとなりゃ《形態収斂》を解除すりゃいいだけと思って、ナメてたろ?」
イグニスの猛攻を防ぐだけでもう、トニトルスは手一杯。
ここに至ってトニトルスは自身の、言わば《龍の血統の者》全員の欠点に対して無自覚だった自分を指摘される。
それを深刻に受け止めて向き合ってきたのは、イグニスだけだ。
「己らはこういう狭い場所じゃあ《半開形態》がせいぜいだ。ドラゴンの真の姿は体格がデカすぎるからな。だから己はこの姿でも不自由なく全力が出せるよう、磨いてきた……人の姿じゃあ全力が出せねェおめェが、今の己に勝てるかな!」
ふん、とトニトルスは鼻を鳴らす。
確かに、お互い《全開形態》ならば地力は自分の方が上であっても《半開形態》での力の引き出し方はイグニスの方が上だ。
だが『本来のイグニス』のやることではないと、トニトルスは知っていた。
彼女は自分に有利な状況でそのまま勝つよりも、互いに憂いなく全力を出せる状況や、むしろ少しくらいは自分に不利な状況で戦いに臨み、その上で勝つ……というのが、いつものパターンだった。
「お主であればこの壁を破って『表へ出ろ! 全力で来い!』と言うかと思ったが……ベルリネッタの走狗となった今のお主に、そういった誇りはもうないようだな」
熱くなりやすい気性を挑発してみせるトニトルス。
しかし。
「その手にゃァ乗らねェぜ? それによォ……おめェ、全力を出せる条件がいつどんな時でも揃うと思ってんのか? そういうとこだぞ、抜けてんのは」
「ぬうッ……」
気心の知れたトニトルスから見ても、今のイグニスは冷静だった。
驚くほどに。
「妙に頭がスッキリして、落ち着いた気分だぜ……つゥかよォ、使いっ走りはお互い様だろ、トニトルス!」
「面白いことになってるね!」
結局はトニトルスも今やアルブムの走狗のくせに、という指摘を入れるところで、どこからともわからない声が響き、廊下を仕切る隔壁が急に現れた。
前も後ろも新しい壁で仕切られ、分岐も窓も、他の部屋への出入口もない。
二人で完全に閉じ込められた格好だ。
「邪魔しないから、そのまま二人でごゆっくり!」
二人にはわからないことだったが、壁を出したのも声の主も立待月だった。
真魔王城の全機能を魔王同様に最優先の権限で扱える能力で、隔壁を出現させて二人を隔離したのだ。
「冗談ではない……こんな壁など抜いてくれる!」
付き合えない、外に出て全力でイグニスを倒す……
そう息巻いて壁に雷撃を放つトニトルスだったが。
「へっ、自慢の雷も効かねェみてェだな?」
電気抵抗の大きい石造りの壁には、雷撃は相性が悪い。
トニトルスはこの状況で釘付けにされてしまった格好だ。
牢獄さながらの状況の中、イグニスとの戦いが終わらない……
身振り手振りを一段落させて、立待月が一息つく。
彼女にとっては思わぬ形で出番が『来てしまった』ことになり、予想外の状況が続いている。
「ありがとうございました」
「いえいえ。このくらい朝飯前よー」
合流したベルリネッタの要請で出現させた隔壁は大丈夫だろう。
元々の壁と天井と床と合わせて六面、材質由来の物理的な強度に頼るだけでなく、魔術的な耐性も付与している。
攻撃による隔壁の破壊だけでなく《門》による移動での脱出も妨害する特別機能だ。
殺したイグニスを使役できたことと合わせて、敵になってしまったトニトルスとイグニスを了大に近づけなくする、という目的は達成できた。
「アイちゃんから連絡。了大クンを連れて愛魚ちゃんと合流したところで、あとはルブルムちゃんを引き入れたいって」
「ルブルム様ですか……しかし、どうなるものか」
「だねー」
なにしろ、ルブルムはアルブムの実の娘。
了大に絶交を言い渡して自室に閉じこもったカエルレウムもそうだが、今後どちらに転ぶかは読み切れない。
「現在地を把握……カエルレウムちゃんの部屋だねー。今はどうにかして説得中ってところかなー」
「いっそそのまま施錠や隔離というのもよいでしょう。アルブムの味方となってしまうくらいなら」
これ以上、了大の敵を増やしたくはない。
あの二人の場合は戦力比への影響よりも、これまでは了大と仲良くしてきた間柄だったという精神的な影響が大きい。
一瞬の判断が生死を分ける死線において、躊躇は命取り。
そういった不安を取り除けるなら、隔離するのも手だろう。
あの二人の存在は……
わたしは悩んでいた。
もちろん、母さまのことは大事だ。
尊敬してるし、大好きだし、わたしも母さまみたいな立派なドラゴンになりたい。
でも。
「りょーた……」
りょーたのことはやっぱり気になる。
かわいい顔して、実は『たらし』のりょーた。
強くなりたくて、何でも真面目にがんばるりょーた。
ゲームにも付き合ってくれて、楽しく遊んでくれるりょーた。
わたしの気持ちを大事にしてくれて、優しくしてくれるりょーた。
「カエルレウム……やっぱり、りょーくんのこと、嫌いになんてなれないよね」
すぐ側にルブルムがいて、寝床で毛布にくるまってるわたしの頭を撫でてる。
うなずいて、感触を手に伝えて返事する。
当たり前だ。
母さまは大好きだけど、りょーたのことも大好きだ。
大好きな母さまと大好きなりょーたが敵同士なんて、イヤだ。
母さまがりょーたを殺しちゃうなんて、もっとイヤだ。
「ここに来るまでに、少しだけ様子を見たけど……トニトルスとイグニスが暴れてて、やっぱり母様がりょーくんを狙ってるみたい」
見せられた映像は、こないだはCGだなんて言っちゃったけど、わたしには一目でわかった。
あれは偽者とかCGとかじゃない本物の母さまだって、わかっちゃったんだ。
《形態収斂》を解除したドラゴンの姿も本当に、母さまの本当の姿で、それを認めたくなくて苦し紛れに言い訳しただけだ。
なんでだ。
なんでこんなことになっちゃったんだ。
「やだ……やだよ……」
でも母さまはりょーたの魔王輪を狙ってるから、母さまがりょーたに勝ったなら、りょーたは負けたら間違いなく殺される。
りょーたはあれでいて許せない相手は絶対許さないたちで、やられたらやり返すたちだから、殺す気でかかってきた母さまにもしも勝ったなら、まず間違いなく母さまを殺す。
涙が出てくる。
母さまに味方して、りょーたの敵になるのもイヤだ。
りょーたに味方して、母さまの敵になるのもイヤだ。
わたしはどうしたらいいんだ。
「いっそ、まなちゃんみたいにはっきり『りょーくんの味方になる!』って割り切れればよかったのにね」
ルブルムの言う通りだ。
まなながうらやましい。
きっとまななは、実の父親のアランがりょーたの敵になっても、迷わずりょーたの味方になるだろう。
そこまで言えるだけの、心の強さが……りょーたへの深い愛情がある。
たとえ《形態収斂》を解除したとしても、力の強さではわたしたちドラゴンの方が上だろうけど、心の強さでは間違いなく、まななの方が上だ。
「ワタシたちは……そこまで割り切れないよね……」
悔しくて悲しいけど、思い知った。
わたしはまななに勝てなくて、母さまの味方にもりょーたの味方にもなりきれない、どうしようもない引きこもりだ。
悲しくて、涙が止まらない。
「……たっちゃん、ワタシ」
ルブルムがわたしを撫でるのをやめて、誰かと話してる。
ここにはわたしたちの他に誰もいないのに。
「やっぱりね、カエルレウムは無理。泣き止まないし……まあワタシも正直、いざ母様と対面したら気持ちが揺らぎかねないし……」
たっちゃんって誰だ?
まあ、誰でもいいや。
「……だから、ワタシたちはここで引きこもろうと思う。あ、そっちでも想定してたんだ。じゃあ、隔離しちゃっていいよ。りょーくんにもよろしく伝えておいて」
何か相談してたのが終わったみたいだ。
隔離?
「外にいる人に頼んで、ここに誰も入れないように壁を増やしてもらったから……二人で待っていよう」
隔離……
母さまもりょーたも避けて、ここでじっとしてるのか……
「カエルレウム。ワタシも結局、これでいいのかって迷ってる。ワタシもカエルレウムと同じようなもの……《五十歩百歩》だよ。だから……悩みながらでも、ワタシたちはここで二人、一緒にいよう」
……それもいいか。
二人して二人ともがどちらかを選べないなら、残った方に流されるしかない。
わたしたちは……弱いな……
カエルレウムの部屋を隔壁が覆う。
出入口も塞がれ、先刻のイグニス対トニトルスのように隔離された。
「想定通りになったねー」
たっちゃん……これまた立待月の能力が行使されて《聖白輝龍》の二人もアルブムとは合流できなくなった。
敵に回られる事態さえも想定していたが、そうならないだけでも上出来だ。
「カエルレウム様がアルブムの味方にならないように立ち回ってくださっただけでも、ルブルム様は事実上こちらの味方も同然ですね。あとはメイドたちや門番組の動きが怪しい点と……」
「鳳凰の二人がたぶん敵になるんでしょー。まだまだ気を抜けないねー」
「はい。イグニス及びトニトルスの両者を見てきましたが、相手を服従させるアルブムの能力で支配下に置かれていました。当人の自由意思でなく」
ベルリネッタの見てきた状況を情報として整理する。
了大の敵に回ったとあって、最早彼女らに付ける敬称はなかった。
そして今は凰蘭と鳳椿の姿が見えない。
「おそらく同様に支配下に置かれていることでしょう。同族であり元々従属するつもりであった者さえ、能力を使って支配下に置かねば使いに出せなかったのですから、そうでなかった者など」
アルブムは誰も信頼などしていない。
おそらくだが高い確率でそうだろう、と知れる行動だった。
でなければ、そんなことをしなくてもよかったはずなのだから。
「あ、アイちゃん? アタシ。ルブルムちゃんはカエルレウムちゃんをなだめながら引きこもりだってー。了大クンに伝えといてー」
立待月から、了大の側にいるアイアンドレッドへ連絡が行く。
真魔王城の機能をフル活用したホットラインで、城内の範囲であればお互いがどこにいても会話が繋がる。
「支配能力……あの《服従の凝視》が厄介ですね。アルブムと接触した者でまだ生きている者、動きの怪しい者は、それにやられていることでしょう。わたくしとて、抵抗しきれるかどうか」
「アタシやアイちゃんみたいに《暗号化/Encryption》できてればねー……ま、さすがに今からは無理かー。そこはなんとか、気合で耐えてよ!」
ヴァイスベルクが先手を打たれて仕留められた今、解除の方法は事実上ないに等しい。
あとは、ここと違う原理によって精神が《暗号化》されていて通用しないアイアンドレッドと立待月、そしてこれまでの出来事で自分の力と格が高まっているベルリネッタの抵抗力が頼りだ。
そしてベルリネッタは不安をひとつ、心の隅に留め置く。
あの凝視には、愛魚では抵抗できないかもしれない……
◎五十歩百歩
戦闘から五十歩逃げた者が百歩逃げた者を臆病だと笑ったものの、そもそも逃げたことには変わりはないという話から、若干の差はあっても本質は変わらないということ。
「孟子」梁の恵王の話より。
イグニス&トニトルス、次いでカエルレウム&ルブルムを隔離して、消極的ながらも不安材料を除去して行く展開になりました。
次回もクライマックス継続!
それともうすぐ100ブックマーク。
こうなると少し、欲が出ますね。




