85 習わぬ経は『読めぬ』
体を治すべく療養生活中の了大。
自分の気持ちを整頓して、たまには弱音を吐いて、決意を固めます。
学校を休んで、真魔王城で療養生活。
授業や出来事にはヴァイスの能力で追いつけるから心配はないけど、なかなか完治には至らない。
思うように動き回れない分なのか、思考だけがぐるぐると繰り返し回り続ける。
魔王輪の魔力に人間の体では耐えられないのは、スティールウィルに言われるよりも前からあった話し合いだ。
今回はこの負傷で、改めて実感する羽目になった。
でも、彼が言う敵の『アルブム』がもしも本当にカエルレウムとルブルムの母親のアルブムのことだとしたら、やっぱり彼は僕たちの敵なんだろうか。
僕には彼がそこまで悪い奴のようにも、僕を騙そうとしているようにも感じられない……
何なんだろう……
……寝ちゃってた。
強めの魔力を感じる……近くに誰かいる?
「了大殿、お加減はどうでありますかな」
うーん……あっ、鳳椿さんか。
来てくれたんだ。
「それがなかなか。すいません、ナイファンチもこの状態だと……」
鍛練が足りないうちから魔王輪の魔力を出しすぎた。
あの時はああするしかなかったとはいえ、結局この有り様だからね。
「いやいや、無理は禁物であります。傷ついた体はきちんと休めるのも、強くなるには欠かせんのでありますよ」
そう言ってもらえると助かる。
体が治ったら、ナイファンチの稽古を再開しよう。
「とはいえ……トニトルス殿とも意見が一致したことでありますが『限界』でありますな。いい機会として、人間をやめるべきかと」
限界。
やっぱり、人間の体のままじゃダメだな。
最初にナイファンチの稽古をつけてもらった時にも、そう言われてた。
どうしたものか。
「自分としては、勧められる方法は特には……うん?」
「何だろ? 魔力が……」
そんな話をしていたら、部屋の中で《門》が開く魔力の感覚が。
ドアも開けずに部屋の中に直接なんて、ずいぶん慌ててるのか、それとも……敵か!?
「おいッ、小僧!」
敵じゃなくて、イグニスさんだった。
いきなり怒鳴られたけど。
「己の《雷斬》を使う奴がいたッてェのはマジか! あァ!?」
物凄い勢いで食ってかかってくる。
それもそのはずか。
イグニスさんからすれば、只事じゃないなんてものじゃないだろう。
「や、あ、本当ですけど、それはそれとして……」
「やめんか、イグニス。リョウタ殿にもわけがわからんだろう」
開いた《門》からは、遅れてトニトルスさんも出てきた。
会ってくるって言ってたからな。
おそらく……トニトルスさんが実際にイグニスさんに会って話してみたところで、スティールウィルの言う通りイグニスさんは何も知らなくて、ブチギレて僕に聞きに来た……って感じだろうか。
「でもよ、己はそのスチールなんとかいう奴は知らねェし、会ったこともねェし……なのにそいつが、だぜ? 誰にも伝授なんかしてねェ《雷斬》を使ったなんてよ、信じらんねェよ」
言葉にして口に出してみて、イグニスさんも幾分落ち着いたみたいだ。
とはいえ、原因が不明なのは変わらない。
この状況で、他の話もしていいものか……いや、話すか。
「それがですね。《雷斬》だけじゃなくて……他にも《焦尽飛斬》とか……」
「はァ!? 《焦尽飛斬》だァ!? それはお前にだって見せてねェだろ!?」
「ルブルムの《輝く星の道》とか、トニトルスさんの《雷撃閃砲》とかも」
「なんと……腹の内が読めぬ奴とは思っておったが、どうやって我らの技や呪文を……」
教えた覚えのない技や呪文を使われたとあって、イグニスさんだけじゃなくトニトルスさんも困惑し始める。
やっぱりあのスティールウィルは、得体が知れない。
「使ったこと自体もそうですけど《雷斬》と《焦尽飛斬》の違いを説明されたり、凰蘭さんの《鳳霊扇》の話とかも」
「姉上の鳳霊扇までもでありますか……《習わぬ経は読めぬ》ものでありますが、余程自分たちを調べ尽くしておるようでありますな」
改めて話してみると、いかに重大なことかがわかる。
手の内が知られているどころか、逆に使われることすらある。
しかも、使い方を他人に教えたこともなければ、誰かから教わったのでもない奥義が。
「かくなる上は致し方なし。リョウタ殿、記憶を拝見しますぞ。《敗者の記憶》ッ!」
トニトルスさんが呪文で、僕がスティールウィルに会ってヴァンダイミアムに行っていた間の記憶を見る。
するとそこにはアルブムの名前が出るから……
「何と不届きな、龍の中の龍たるアルブム様に楯突こうなどと!」
「あ? アルブムの姐さんに逆らうつもりなのか、そいつァ!?」
……やっぱり《龍の血統の者》の二人は穏やかじゃない。
アルブムというのはよっぽど尊敬されてるドラゴンなんだな。
「リョウタ殿、あのような不届き者の言うことを信じてはなりませぬ。アルブム様に限って、この城の全てを奪うなどというのは有り得ませぬぞ」
「ま、姐さんならそんな奴ボコボコにすんだろ。もう来ねェだろうさ」
本当にそうだろうか。
僕にはどうしても、そんな風には思えない……
こういう時は両方の言い分を聞くのが大事だ、とはよく言われる。
でも、スティールウィルの言うことが本当で、そのアルブムに会ったら敵として向かって来て、言い分を聞くどころじゃなかったら。
その時、トニトルスさんやイグニスさん、そしてカエルレウムやルブルムが、アルブムに味方して僕を殺すのに加担したら。
そうなったら僕は絶対に勝てない。
そうならないとは、あくまでもドラゴンの皆が言ってるだけで、保証や証拠はない。
皆がアルブムを信じている様子を見せつけられるほどに、僕は不安になる。
「……自分は、有り得ぬ話ではないと……そんな気がするであります」
「んだと、お前?」
鳳椿さんはドラゴンじゃないからか、あり得ないとまでは言い切らないでいてくれる。
他にも理由はあるのかな?
「自分は正直、そのアルブム殿には会ったことはないのでありますから、可能性としては五分五分でありますよ。暫く見かけぬ間に、そうなる理由ができたとか?」
「けッ、んなわけねェだろ! アルブムの姐さんに限ってよォ」
確かに、アルブムに会ったことがないのは僕も同じ。
とはいえ、これじゃ話が堂々巡りだ。
「すいません、今はそれを言っても仕方なさそうなので……ルブルムを呼んできてくれませんか。彼女と二人でしたい話があります」
「ふむ。リョウタ殿がそう言うなら」
ルブルムに会いたい。
三人には席を外してもらって、ルブルムに来てもらった。
「来たよ、りょーくん」
「ありがとう、ルブルム」
ベッドで上体を起こして、傷の具合も見てもらう。
もう少しすれば完治するかな?
「それにしても。他の人に出てってもらって、ワタシだけを呼ぶなんて……んふふ♪ りょーくんのエッチ♪」
そういうことじゃない。
今日は、そういう話じゃないんだ。
顔が強張る感じが自分でもわかる。
「……りょーくん? どうしたの?」
「ルブルムの中の『りっきー』に用があるんだ」
ルブルムは、りっきーさんの中の人。
ベルリネッタさんに連れられて魔王になるよりも前から。
愛魚ちゃんと男女として付き合い始めるよりも前から。
僕の味方になって、何でも聞いてくれた人だから。
「……もしも本当に、アルブムが僕を殺しに来たら……その時、ドラゴンの皆がアルブムの側に回って、僕の敵になったら……僕は絶対勝てないよ」
「またその話? 母様に限って、そんなこと」
「ないってどうして言えるの!」
つい、大声になってしまった。
でも今はそんなことを気にしていられない。
命がかかってる。
そして、命より大事なものが。
「魔王と言っても弱肉強食、弱くて死ぬのは仕方ないんだろうと思う。そう思えば、死ぬのは意外と恐くないよ」
以前、幼女勇者に一度負けて『死んだ』時のことを思い出す。
あの時は熱くて痛くて、そのうち痛いと感じることもできなくなって死んだけど、意外と『恐い』という感じはしなかった。
それはなぜか。
「皆が僕の味方でいてくれるなら、僕を見放すとしても僕が死んだ後で、僕がそれを知覚できなくなってからなら、それでいいんだ。でも……」
皆がいてくれたからだ。
ルブルムは治癒の呪文で頑張ってくれて、それがダメでもベルリネッタさんは魂を繋ぎ止めてくれて、カエルレウムだって警戒やら何やら、別の用事に立ってくれた。
だからその時は自分が死ぬとか、死ぬのが恐いとかよりも『皆が泣いてるのが嫌だ』って気持ちの方が強かった。
でも……
「でも、生きてる僕を皆で見捨てて、僕を一人にしないで……今から一人ぼっちになる方が、死ぬより恐いよ……」
「りょーくん……」
……でも、一人じゃ耐えられない。
死ぬのが恐いどころか、いっそ逆に死にたくなるかもしれない。
「こうして僕がアルブムを疑ってるのは、ルブルムからしたら嫌な気分だろうとは思う。それは申し訳なく思うよ。でもね」
ルブルムの目を見て話す。
本当の気持ちが知りたい。
「もしも僕とアルブムが本当に敵同士になったら、ルブルムは板挟みになる……いや、なるって感じてくれる?」
こうしていてさえ恐い。
この場で今すぐ『そんな事を言うお前なんかもう知らない』って見放されても、文句が言えないくらいだろう。
それでも。
「板挟みになっても、僕を選んでくれる?」
それでも、はっきりしておきたい。
一人じゃどうしようもないから。
ルブルムにはりっきーさんとして、愛魚ちゃんには言えない話も聞いてもらっていたから。
「……りょーくんがどうして、そのスティールウィルに言われたことを信じたくなってるのか、わからないけど」
起こした上体を抱き寄せられて、頭がルブルムの胸に埋まる。
暖かい。
温度の問題じゃなくて、気持ちが伝わるのを感じる。
「りょーくんが淋しいのを放っとけないよね……」
黙って甘える。
僕が魔王として戦えるとしたら、それはこの暖かさのためだから。
「人違いだといいね。スティールウィルが言ってるアルブムが実は名前が同じなだけの別人のことで、母様は関係なかったら」
「うん……そうだね……」
そういう可能性は考えてなかったな。
そうならいいのにな。
「今日はもう休もう。もうじきよくなると思うから」
ルブルムに寝かしつけてもらって、また眠りに入った。
ゆっくり眠って……
……誰か、枕元にいるの?
ベルリネッタさんかな……
誰もいないの?
一人ぼっちは、やだな……
……それからさらに数日過ごして、ようやく完治した。
ナイファンチの稽古も再開して、学校も自分で行くようにして、愛魚ちゃんとマクダグラスで寄り道。
「愛魚ちゃんは、アルブムが敵でも僕の味方でいてくれる?」
「もちろん」
聞くまでもなかった。
愛魚ちゃんはいつでも僕の味方だ。
「私もそのアルブムには会ったことないし、了大くんの敵なら私の敵だし」
この後は週末のお決まりのコースになってきた、深海御殿から真魔王城への次元移動。
家には帰らずに、連絡だけ入れて直行。
「お待ちしておりました」
ベルリネッタさんが優しく迎えてくれる。
荷物も上着も他のメイドにお任せして、夕食。
スワンプクローラーは勘弁してね。
「今日は猪鍋ですよ」
猪肉をはじめとして山の幸がいっぱいの鍋。
美味しい!
ごちそうさまでした。
「りょうた様……♪」
そしてお風呂の後は、ベルリネッタさんとの特別な時間。
ここしばらくは体が治りきってなかったから、久しぶり。
* ベルリネッタがレベルアップしました *
幸せだ。
だからこそ、この幸せを守るために戦う時もある。
例のアルブムが本当に来て、本当に僕の敵になるなら……
アルブムが僕を殺して、この幸せを壊して、僕の魔王輪を奪うつもりなら……
例えカエルレウムやルブルムの母親でも、戦って勝たなくちゃいけない。
そして修行を積んで過ごしていた日々に、来るべき時が来る。
前触れはあった。
「真殿了大様、ご無沙汰しております」
真魔王城に、アイアンドレッドが現れた。
しかも、正門から堂々と。
最初は門番のシュタールクーさんが力づくで排除しようとしたけど、反撃こそされなかったものの攻撃は全部回避されて、それでいて帰ってはくれなかったから仕方なく僕を呼んだ……らしい。
これはシュタールクーさんは悪くないな。
不問。
「わざわざ正面からなんて、今日は何の用?」
スティールウィルは以前、城内に直接《門》を開けて現れたことがある。
それがデータに基づいて実証された技術なら、おそらくアイアンドレッドにも可能だろう。
なのに正面から来たというのは、形式を重んじてのこと。
敵対するつもりではなく、正式な使者としての用件があるんだろうな。
「……スティールウィルが敗北いたしました」
え、負けた?
あのスティールウィルが?
そう言ったアイアンドレッドが取り出したのは、あのヒーローベルトみたいな機械。
スティールウィルが腰に付けていたユニットだ。
最初に見た時に比べて、あちこちに擦り傷がついてる。
……戦って受けた傷か。
「スティールウィルからは、今後は了大様に全てのご指示を仰ぐように言われております。我が魔王、ご決断を」
我が魔王と来た。
嘘じゃなさそうだけど、嘘じゃないということはつまり、スティールウィルが負けたのもアルブムが攻めてくるのも、全部本当ということ。
これは……皆を集めて話さないとダメだ……
◎習わぬ経は読めぬ
お寺で読経を習ったことがない人がお経を読めないのと同じように、学んだことのない物事はやろうとしてもできるものではないということ。
アイアンドレッドが持ってきたユニットの中に、ヴァンダイミアムの魔王輪以外に偽了大に仕込んでいた擬似的な魔王輪も搭載しています。
詳しくは次回、ユニットの細かい描写の時に。




