69 滄海変じて『桑田』となる
撚翅は倒したものの、いまひとつ思うようにはいかなかった了大。
単純に力で押さえつけるだけではない何かが要る……と思った途端、意外なところにヒントを見つけます。
居場所がわかった途端に、あっさりと撚翅は仕留められた。
いつものように電子文明の次元に戻って、登校。
今は世界史の授業中だ。
教室には筆記の音と先生の声だけが響く。
「……一九三一年の満州事変を経て、中華民国からの独立を宣言した中国東北部は、一九三二年に満州国となった……」
撚翅はいなくなったけど、まだその先がある。
あの森以外にも撚翅の下僕を植え付けられたものは、消し去らないといけない。
それに、妖虫は撚翅だけじゃない。
《虫たち》……他の妖虫たちが僕に、僕たちに反逆しないようにするには。
「……ただし、満州事変から建国以降も一貫して満洲国は、日本、特に関東軍と南満州鉄道の強い影響下にあり……」
満州国か。
いつの時代も、統治とか維持とかは大変だったんだろうな……
「……満州国を独立した国家として認めない立場、日本や関東軍の傀儡政権と見なして扱う立場などがあり……」
……それだ!
この際、その手で行ってみるのはどうだろう。
何しろ魔王のやることだ。
多少悪どくても構わないだろう。
週末にはまた、深海御殿から愛魚ちゃんと次元移動して、真魔王城へ。
今週の世界史の授業内容をヒントにして、皆に提案するために会議を開くことにした。
こないだの撚翅討伐直前の会議と、ほぼ同じ顔ぶれ。
「こうして集めたからにゃァ、なんかいい案があるんだろうな?」
《龍の血統の者》からの参加がイグニスさんに変わった以外は、前回同様。
全権委任された愛魚ちゃんも出席者だ。
「はい。今後《虫たち》を抑えるための案が浮かびました」
愛魚ちゃんをちらりと見る。
同じクラスで同じ授業を受けていたから、言えばすぐ察してくれるだろう。
「撚翅が死んだことで、次のロードの座を巡る争いが虫同士で起きます。その間、あちらは僕たちどころではなくなると思いますが、問題は『どういう者が次のロードになるか』です」
皆、静かに聞いてくれている。
邪魔されないから楽だ。
「そこで……そこに介入して、僕たちの意向に従う者が次のロードになるように仕向けます。そのロードに僕が地位を保障して、何らかの権益を与えて力をつけさせて、僕たちの言うことを聞くように治めさせる。そうすることで間接的に虫全体が僕たちに反逆しなくなれば、何も皆殺しにまではしなくていい……というのはどうでしょう」
まあ、具体的にそんな候補者がいるかどうかわからないけど。
いなくてもこれから仕立てればいいかな。
「傀儡政権の樹立、ってこと?」
「そう、それ」
「ほーん……なかなか考えてんじゃねェか」
愛魚ちゃんは話が早くて助かる。
イグニスさんも文句があるわけじゃないみたい。
問題は……
「流石は主様。無益な殺生は好まぬとの仰せ、この凰蘭も甚く感じ入りました」
……ここ最近、凰蘭さんの態度が変だということ。
従順と言えば聞こえはいいけど、あまりにも下手に出すぎなんじゃないだろうか。
かえって不安になる。
実際、ベルリネッタさんもいぶかしんでるからね。
「あの、凰蘭さん? 普通にしてもらって大丈夫ですからね?」
いつも事務的な口調のベルリネッタさんなら『ああ、いつも通りか』で済むけど、この凰蘭さんに限って言えば明らかに変。
もっと尊大と言うか、自信満々な態度の方が『らしい』と思う。
「普通などと……これが普通とお考えいただきとう御座います。一番偉いのは、主様に御座いますゆえ」
「凰蘭さん!」
強情だなあ。
それならこっちも、ちょっと強引な言い方をしてみるか。
「今まで通りの凰蘭さんの方が、僕は好きですよ。ですから、そんな下手に出ないで気楽にしてください」
「好き……っ……」
ついでに《凝視》も少しだけ。
効くかどうかはわからないけど。
「ほ……ほほほ……主様がそうまで仰せなら……妾とて畏まってばかりでは、肩が凝るのじゃ……」
気位が高い人だから、その分だけ失敗を引きずりやすいのかもね。
気持ちの切り替えが大事だよ。
「そういうことなら、是非とも味方につけたい能力を持つ虫に心当たりがあるのじゃ。撚翅にやられておらぬなら、じゃがのう」
おお?
いつもの凰蘭さんに戻ったみたいだ。
よかった。
「では、凰蘭さんはその虫がやられていないかどうか、やられた虫やその死骸がきちんと処分できているかの調査と……やられているもの、できていないものの焼却処分をお願いします」
「お任せあれ! 汚名返上なのじゃ!」
結局は特に異論も対案も出なかったので、凰蘭さんの心当たりの虫をロードに据えて、そのロードを僕たちが裏から操る『傀儡政権』案で話がまとまった。
味方につけたい能力の虫か……どんなのだろう。
また平日は登校なので次元移動。
期末テストの対策に愛魚ちゃんと勉強中。
愛魚ちゃんの部屋で、集中してるんだけど……
「……なあに? 了大くん、どこかの女が気になるの?」
……愛魚ちゃんの機嫌が悪い。
海で水着姿の皆にデレデレしていても、カエルレウムやルブルムと買い物に行くと言っても、ここまで怒ることはなかったのに。
僕の言動に、何か悪いところがあったかな。
「そうだよね。凰蘭様ほどの人が自分になびいたんだもん、気になるよね」
凰蘭さんが、僕になびいた……?
確かに最近は妙に下手に出てたけど、それは《鳥獣たちの主》としての責務を果たせていなかった落ち度とか、それを魔王として僕が許したとか、そういう『公的』な付き合いだと思ってた。
違うの?
「了大くん、気づいてる? 凰蘭様が了大くんのこと『坊や』って言わなくなったの。こないだから『主様』って呼んでる」
言われてから気づいたわけじゃないけど、それも公的な立場上のことかと思ってた。
違うの?
「賭けてもいい。今の凰蘭様は、了大くんのことが好き」
いや、さすがに考えすぎじゃないかな。
いくらなんでも、あの凰蘭さんが僕みたいな子供になんて。
ないない。
気持ちを切り替えて、テスト対策の勉強を続けよう。
……と、思ってたけど。
「ね、了大くん……了大くんが魔王様で、魔王様を一人占めできないのは、仕方ないけど……」
愛魚ちゃんが勉強をやめて、僕に寄り添ってきた。
ドキドキする。
正直、そうそう毎日誰かとエッチしてるわけじゃないし、かと言って『一人』で済ませようとするとベルリネッタさんあたりにすごく怒られるし、で……今週は特に誰ともしてないから……
「私のことが好きなら……今日の了大くんを、私にちょうだい……♪」
……愛魚ちゃんからそこまで言われて誘われたら、勉強なんて手につかない。
阿藍さんは会社で、家政婦さんは買い物中。
他に誰も家にいないと思うと。
* 愛魚がレベルアップしました *
そりゃ、若い情欲ならこうなる。
期末テストの対策もそこそこに、テストに出ない保健体育をしっかり復習してしまった。
またまた週末が来て、またまた次元移動。
往復生活は面倒ではあるけど……
「お帰りなさいませ、御屋形様!」
「お待ちしておりました、りょうた様」
……巨乳の美少女、美女がメイドとしてお出迎え。
候狼さんとベルリネッタさんだ。
ここでもしも『よーし、今日は候狼さんをお持ち帰りするぞー』なんて言い出したら、そこから先は十八才未満お断りの世界だ。
正直、ダメになりそう。
想像しただけで、顔が緩む……いけないいけない。
つとめて『仕事モード』で行こう。
「後処理と候補者擁立を頼んだ凰蘭さんは、どうなっていますか」
今回は妖虫たちの中に傀儡政権を立てる。
そのための候補者に目星をつけていた凰蘭さんに用がある。
愛魚ちゃんは『凰蘭さんが僕になびいた』なんて言ってたけど、これは魔王とその臣下として公的に必要な用件だ。
「その候補者共々、会議室に控えております。ヴァイスと、ルブルム様も同じく。あとはりょうた様とわたくし、まななさんで全員です」
会議室に入る。
今回の持ち回り出席者はルブルム。
ドラゴンは毎回違う人が来る以外は、前回、前々回と同じだ。
違うのはもう一人、真っ白な少女がいること。
「……ぁ……」
僕を見て、怯えているらしい。
その少女は髪も肌も服も全部真っ白。
白くないのは瞳くらいで、眼球全体が真っ黒だった。
それに、頭には触覚が生えている。
《形態収斂》がうまくできないのか、半開相当なのか。
とにかく、その子が『候補者』というのはすぐにわかった。
「では、会議を始めます。先週の続きになりますので、凰蘭さんの報告から」
「うむ」
撚翅の影響をとにかく排除しないといけない。
一週間でどこまで進んだ?
「撚翅本体が倒れた後は下僕も死んだらしく、寄生されておった者共もすぐに死に……結局、死体を焼く仕事がほとんどじゃった。鳳椿にも手伝わせ、もう済ませたがの」
焼却処分の方は済んだらしい。
でも、一週間で全部終わるものかな?
「虫たちとて一枚岩ではない。撚翅を嫌う者も多いでな、そこはこれから、こやつの出番じゃ」
こやつと指し示されたのは、やっぱりさっきの少女。
本当に真っ白だな。
「この《扶桑》をロードとして立て、虫どもを纏めさせる。調べについてはトニトルス殿にも手伝ってもらい、他の何かに寄生されておらぬことは重々確認済みじゃ。それに何より……」
何より、どうなんだろう。
前回言ってた『是非とも味方につけたい能力』かな?
「……未通女じゃ。これから主様の色に染めるには、丁度良いじゃろうて」
おぼこ?
何それ?
「処女、ってことですよ。了大さん♪」
ヴァイスが小声で注釈を……処女!?
そういう話してたっけ!?
「ふそうさんを《虫たちの主》にするためには、りょうた様の庇護と魔力が……つまり、お情けをいただくのが不可欠ですね」
ベルリネッタさんも、そういう話に持って行こうとしてる。
……え、真面目に?
「こないだの『イチャイチャパワー』の話、覚えてる?」
ルブルムは……イチャイチャパワーの話……ああ、あれか。
つまり今回も、そういうことだと。
「強くしてあげる代わりに、処女を奪って自分好みに調教して言うこと聞かせるなんて……シコいね!」
「シコいとか言わないで?」
でも、そうなるか。
実力がない者をロードにはできない、実力を高めさせるには魔力が要る、魔力を得させるには僕と……という図式。
「そうだね。わざわざシコシコしなくても、ふーちゃんとすればいいもんね?」
「だから何でそういうこと言うかな!?」
ふーちゃんって誰だ。
あ、扶桑だからふーちゃんか?
「それと、焼いてしまった森じゃがな。焼け跡を丸々、桑畑にしたぞよ。こやつの能力に必要じゃからして」
桑畑って、あの植物の桑の栽培?
それが必要なんて……何の能力だろう。
「その桑畑は、扶桑さん自身は見たんですか?」
扶桑さんが首を横に振った。
まだ見てないらしい。
僕も見てないから、ここは……
「ではまず、その桑畑の視察を先にしたいと思います。話の続きはそれからで」
……視察にかこつけて、扶桑さんとエッチする話を先送り。
僕が嫌なわけじゃないけど、今は扶桑さんが嫌だろうし、その桑畑が扶桑さんに必要で、喜んでもらえればあるいは合意も得やすいだろうし。
「では、そのようにいたしましょう。《門》!」
ベルリネッタさんに《門》を開けてもらって移動。
この間まで森があった場所へ。
「わあ……」
移動してみると、焼け跡は綺麗に片付けられ、整然と桑が並ぶ畑になっていた。
これが本当に同じ地点とは信じがたい。
森が燃え尽きる時に一緒にいた愛魚ちゃんも、ひたすら驚いている。
「すごい……《滄海変じて桑田となる》とは言うけど、変わりすぎ……」
変わりすぎ。
見渡す限りの桑畑だ。
「おお、リョウタ殿。それに皆も」
トニトルスさんだ。
先にここにいたのか。
「我の呪文と地の魔力をもってすれば、草木の育ちを早めるなど容易ですからな。この程度は当たり前ですぞ」
つまり促成栽培。
そういう呪文もあるのなら、桑の供給は問題なさそうだ。
でも、なんで桑?
「この扶桑は『桑』にて『扶ける』と書く。こやつの下僕がひたすらに葉を食むゆえ、桑畑は欠かせぬのじゃ」
扶桑さんの下僕が、桑の葉をたくさん食べる。
となると、扶桑さんの正体は……?
「あ。もしかして、お蚕さん?」
「左様! 流石は深海の令嬢、察しが良いのう」
これ、養蚕の準備か!
つまり扶桑さんは《蚕蛾》ということ。
味方につけたい能力というのはそれか。
「この扶桑の下僕が作る繭からは、良い絹糸が取れるでのう……妾は、他の虫どもはともかく、こやつだけは敵にしとうなかったのじゃ」
絹……シルクといえば、女性のおしゃれに大活躍の人気素材。
良質なシルクが安定供給できるなら、確かに味方にしたいだろう。
「というわけで、じゃ。扶桑をたっぷり可愛がってやっておくれ、主様♪」
僕たちはそれでいいとして、問題は扶桑さんだ。
養蚕もエッチも、僕は無理矢理やらせたくはない。
急がないで、ゆっくり扶桑さんと話したいな……
◎滄海変じて桑田となる
青い海が桑の畑に変わってしまうという言い回しから、世の中の変化が激しいことを指して言う。
新キャラ、扶桑が登場。
最近流行りの某艦船擬人化云々ではなく、養蚕が盛んに行われていた愛知県丹羽郡扶桑町に着想を得て、蚕蛾のキャラクターです。




