60 肉を『切らせて』骨を断つ
目潰しにも屈しないトニトルス。
気を抜かないベルリネッタ。
どちらが決勝に進むのか!
今のトニトルスさんは目が見えない状態。
飛び散った液体……あの臭い液体が入ってしまって、両目とも開けられないんだ。
それなのに、態度は自信満々。
「……ハッタリだと思うなら、どこからでも来るがいい」
もちろん、トニトルスさんは知恵者として時にはハッタリも使いこなす人だろう。
でもこの状況、しかもルールありの試合とはいえ相手はベルリネッタさんだ。
そんなハッタリが通じる場合じゃないのは、ここにいる人なら誰でもわかる。
つまり……
「……右からか」
……ハッタリじゃない。
こっそり少しずつ移動しつつナイフを出して、声も出さないようにしていたベルリネッタさん。
そのベルリネッタさんが仕掛けてきた方向を的確に言い当てて、しかもきちんと受け流した。
見えてはいなくても、察知できている。
そうでなければ説明できないほどの確実さ。
「そんな、まさか……本当に……」
「この程度で驚くようでは困るな。なにしろこれに関しては我より、鳳椿の方が得意なのだから」
トニトルスさんもすごいけど、鳳椿さんはもっとすごいのか。
目に頼らない、それでいて呪文や特殊能力にも頼らない。
確かに、僕からしてもさっきからずっと、目立った魔力は感じない。
「相手の力を聴く……聴勁でありますな。確かに自分も練ってはいるものの、トニトルス殿もそこまで練っておられたとは、意外であります」
引き合いに出された鳳椿さんが解説してくれた。
そういう技能があるのか。
「相手の力そのものが実際に音を出すのではなく、まあ、比喩として……音を含めた、相手の動きから生まれる空気の流れを、身体で感じ取って『聴く』というものであります」
「ちなみに、もちろん己もできるぜ。でなけりゃ、こいつレベルには付き合えねェからな」
トニトルスさんと鳳椿さんだけでなく、イグニスさんもできるらしい。
それは……僕もできるようになるだろうか……
「く……しかし、武人として練ってこられた鳳椿様ならばまだしも、トニトルスさんはいかがなものか!」
追い込んだはずなのに仕留められない。
こうなるとベルリネッタさんもただでは済ませられない。
「あとは言葉でなく、実際に我に当ててみればよい……遅い!」
軽いナイフで素早く攻撃を繰り出すベルリネッタさんなのに、まだ『遅い』と言われる。
実際避けられているから、そういう意味では遅いと言えるんだろう。
ベルリネッタさんがスカートを派手に翻す。
わざと大きめの音を立てる作戦か。
「軽い! それは囮! 右!」
でもトニトルスさんには通じない。
そういうのも聴き分けてこその聴勁ということか。
しっかり区別して、的確に捌く。
そして反撃すら行う。
両手に用意した百均金槌は、例の液体で汚れはしたけど別に壊れたわけじゃない。
そして聴勁で的確に察知した場所に攻撃を繰り出す。
これは……すごい……
「ふふ、ムズムズしますな……自分もトニトルス殿とやってみたいであります」
トニトルスさんの聴勁を見て、鳳椿さんの闘志に火がついたみたい。
でも、今それは言葉足らずというか……
「トニトルスさんが負ければ、三位決定戦でそうなりますね」
「そうはいかん。イグニスに期待されておるのもそうだが、違う意味に聞こえる」
……うん、そうだよね。
『やってみたい』って、違う意味に……男女間のことって意味に聞こえちゃう。
「いくらなんでも……そこッ!」
「うっ!?」
でもやっぱり厳しいかな?
トニトルスさんの左手が弾かれて、金槌が真上に舞った。
慌ててトニトルスさんは、左手を戻すと……
「これで! 終わ……っぷあ! 水!?」
……ベルリネッタさんの顔に水がかかった。
何があったんだろう。
どうやら真水だから、さっきの液体みたいな変なことにはならなさそうな上、ベルリネッタさんは眼鏡をかけているから目には入らなかった。
けど、レンズや顔には派手に水をかけられて、一瞬だけど隙ができた。
そこに、右手に残った金槌で追撃。
「馬鹿な、水の呪文なんて少しも、感じませんでし……」
その追撃自体は捌いたベルリネッタさんだったけど、最後の『た』を言う前に恐ろしいことが起きる。
さっきトニトルスさんの左手から弾き飛ばされた金槌が、ちょうどベルリネッタさんの頭に落ちて、鈍い音を立てた。
ふらりと後ろへ倒れるベルリネッタさん。
だ……大丈夫か!?
痛そうどころじゃないだろ!
そして無情にも光る金槌。
判定用の発光の呪文は、ちゃっかりかけてあったらしい……
「ああ……それまで、トニトルスさんの勝利です……」
さすがにヴァイスも、あまりの出来事に唖然。
判定を言い渡すのがやっとだった。
あ、ベルリネッタさんが自分で起き上がった。
「ふ……不正です! 水の呪文なんて!」
不正?
あの水のことかな。
僕は注目して観戦していたけど、呪文を使ったような魔力は感じなかった。
それに、僕以外にもイグニスさんや鳳椿さんも、他の皆も観戦していた。
呪文を使うような反則があったなら、誰も黙ってはいないだろう。
じゃあ、あの水は……?
「これも『百均』なのだが、な」
そう言うトニトルスさんの左手には、金槌ではなく水鉄砲。
半透明のプラスチックでできた、安っぽくて子供用サイズのおもちゃの銃があった。
なるほど、水鉄砲なら魔力も呪文もなしで水を打ち出せる。
隠し武器がアリなら、そのくらいはアリだろう。
「そんなものに……負けたわけですか……」
「最後の金槌だけは、偶然だったのだが……運がなかったな、お主は」
呪文ではない……つまり、隠し武器の範囲内であって不正でないとわかると、ベルリネッタさんもさすがに観念したらしく、それ以上は物言いをつけることはなかった。
「それより、我は風呂に入りたい。目もまだ開けられん……なんとかならんか」
「あとよォ、このくっせェのもなんとかしねェと、残りの試合やる気になんねェぞ」
あとは……後片付けが問題だ。
ベルリネッタさんが何を使ったのか知らないけど、とにかく臭くて、いい加減なんとかしてほしい。
「それなら、ここは私たちで!」
そこに元気に現れたのは愛魚ちゃんだった。
隣には、決勝ラウンドでも弓術を披露したエギュイーユさんもいる。
「私たち《水に棲む者》なら、洗い落とすことにかけてはお手の物ですから!」
「そういうことです」
愛魚ちゃんとエギュイーユさんが水の属性の呪文を使ってくれたおかげで、変な液体は完全に洗い流された。
エギュイーユさんも水の属性の人なんだな。
これはさすが水の一派というところか。
悪臭の方はまだ残ってるけど、ありがたい。
「元を断てたのでしたら、お次は私たちで空気を入れ換えますわ。黎、あなたも腕の見せ所ですわよ」
「はい、負けていられませんね!」
空気に関しては《鳥獣たち》の中でも鳥の二人、幻望さんと黎さんが解決してくれた。
空気を入れ換えて、何かのいい香りも撒いて解決。
あとの三位決定戦と決勝戦も、問題なく行えそうだ。
「トニトルスにはワタシが付き添うよ。目がやられてるとしたら、治癒の呪文を使うから」
「ん、すまんな」
ルブルムがトニトルスさんの手を引いて移動する。
お風呂に入って着替えて、ルブルムに治癒の呪文を使ってもらえば、体調も戻ってイグニスさんと決勝戦を戦えるだろう。
ベルリネッタさんは……?
「わたくしも入浴してまいります」
確かに、ベルリネッタさんのメイド服にもいくらか液がかかっていた。
愛魚ちゃんとエギュイーユさんの呪文でどうにかできたとしても、心情的にはお風呂に入って着替えたいだろう。
「それでは、三位決定戦まで休憩とします。ベルリネッタさんが連戦になりますから、少し長めに休みましょうねえ」
という流れで、休憩になった。
次の三位決定戦は、鳳椿さん対ベルリネッタさんだ。
準決勝に勝利し、決勝戦に駒を進めたトニトルス。
敗退はしたものの、連戦で三位決定戦となるベルリネッタ。
そして治癒担当としてルブルム。
三人は休憩時間を使い、浴場で汗を流していた。
「目は……大したことはなさそうだね。これならワタシの《治癒の閃光》で、余裕で治るよ」
「おお、助かった。ありがとう」
顔や髪を洗った後にルブルムの治癒呪文で、トニトルスはようやく目を開けられた。
今は試合中でなく、ルールに束縛されないとなれば見えなくても知覚できる能力はあるが、やはり見えるに越したことはない。
「しかし……猛烈とは言わんがな、根強い痛みとひどい悪臭だったぞ。あの毒はいったい何だったのだ」
安心したところでトニトルスは、先程の毒の正体が気になった。
知恵者と名高く、自他共に認めるほどの自分の知識をもってしても、あのような毒は今まで見たことも聞いたこともなかったためだ。
「あれは、魚の塩漬の残り汁です」
「世界一臭いアレなやつじゃん……」
対するベルリネッタの種明かしは、どうということもなく……
発酵食品のさらに残飯、という話だった。
ルブルムはこの二人とは違い、了大の故郷である次元にも身分と生活基盤、それと電子文明ゆえの情報収集能力があるため、それを聞いた途端に思い当たるものがあり、うんざりしてしまった。
「しかし、次……三位決定戦こそは落とせません。次こそは必ずや」
こう見えて気位の高いベルリネッタ。
了大が見ている前でこれ以上の醜態は晒せないと意気込む。
「……どうだろうな。ルール無用ならともかく、今大会のルールでは鳳椿の方が断然有利だと我は睨んでいる。意外と、お主とてあっさり負けるかもな」
「いくらなんでも……そんな馬鹿な」
トニトルスの予想では、鳳椿が有利。
しかし『あっさり負けるかも』とまで言われては、一笑に付したくもなる。
「目潰しを忍ばせるのに、絞首紐を抜いてきたのが失敗でした。むしろ目潰しこそ無駄となれば、次はアレを……」
ベルリネッタは次の試合に向けた武器選びを始める。
トニトルスはそのベルリネッタを見て、なおさら自分の予想を裏付けるとさえ感じていた……
三位決定戦は鳳椿さん対ベルリネッタさん。
二人が場内に入る……あれ、ベルリネッタさんが剣も何も手に持ってない。
隠し武器があるかどうかはさておき、見た目は素手だ。
そして鳳椿さんはこれまで通りの素手。
「この鳳椿、ベルリネッタ殿には随分と見くびられておるようでありますな」
これまで使ってきたような剣を持ってきてないベルリネッタさんを見て、鳳椿さんはなんだか不満そう。
確かに、やる気があるように見えない。
「いえ、逆でございます。むしろ、わたくしの剣では鳳椿様には通用しないことでしょうから」
「やりもしないで諦められると、それはそれで困るのであります。実戦で敵にも同じようになさるおつもりか」
不満が不機嫌に変わりそう。
鳳椿さんの表情が険しいけど……
「いえ、剣より効率的な手を使うまでのこと」
「ならば……お手並拝見!」
……ベルリネッタさんはまた何か仕込んでいるんだろう。
次は何を使ってくるのか。
「それでは、はじめ!」
ヴァイスの合図で試合開始。
鳳椿さんは構えからいきなり下段蹴り、続けて中段に前蹴り!
それらをベルリネッタさんが回避して距離を開けて、仕切り直し……と思ったら、様子がおかしい。
鳳椿さんの蹴り足、右足が切れて血が出てる。
魔力を使ってよく見てみよう。
「……鋼糸でありますか」
「ええ、迂闊に打ち込めば、ただでは済みませんよ」
ルブルムの首を絞めた紐よりさらに細い、糸……らしい。
細すぎて、いくらなんでもよく見えない。
あれで切られたのかと僕が思った途端に、鳳椿さんはため息。
「やはり見くびられておるのであります。その程度の曲芸で勝てると思われておるとは」
構え直した鳳椿さんが、突進!
仕切り直した距離を一瞬で詰める!
ベルリネッタさんでさえも反撃が遅れそうになる領域の速度。
鳳椿さんが拳を繰り出す腕に、ワイヤーが巻きつく。
「チェェストォ!」
ためらわず正拳突きを鳳椿さんが繰り出すと、伸びきった腕が切り落とされた!
あのワイヤーに、そこまでの切れ味が!?
でも、ベルリネッタさんは吹き飛んで後ろに倒れた。
そして、切り落とされた腕の方では……
「それまで! 鳳椿さんの勝利です!」
……手甲が光っている。
確実に一本入れた証拠の光だ。
「隠し武器はその存在を悟られた時点で、既に『隠し』ではなくなるのであります」
鳳椿さんは切れた腕を拾うと、傷口同士の位置を合わせて魔力を通わせる。
高まる火の魔力が循環して、腕は元通りにくっついた。
さすがフェニックスだ。
「《肉を切らせて骨を断つ》格好になりましたな。ベルリネッタ殿……あなたに足りないのは技や力でなく心。身体の傷を恐れない覚悟や、どんなに傷つけられても勝つという執念でありますよ」
確かに、考えてみれば鳳椿さんは準決勝でもイグニスさんとの殴り合いでボロボロになってもそれが当然とばかりに戦い続け、そして勝利を諦めなかった。
それに対して、ベルリネッタさんはルール上の勝利を得られればよし、剣が駄目でも降参さえさせられればよし、という程度だったかも。
どこか精神的に甘かったということか。
なんだかいいところが今一つなかったけど、むしろこれで勉強になったならいいんじゃないかな。
僕も勉強になった。
さあ、残るは……決勝戦だ!
◎肉を切らせて骨を断つ
自分が痛手を負うのも承知の上で、捨て身で相手にそれ以上の痛手を負わせて勝つこと。
「皮を切らせて肉を切り、肉を切らせて骨を切る」とも言う。
トニトルスと、次いで鳳椿が勝利して、決勝戦はイグニス対トニトルスのドラゴン対決です。
正直『巻き』展開であっさり進めましたが、ベルリネッタは意外と慢心しやすい欠点があること、そこを鳳椿の精神修養との対比演出に使うこと、呪文および特殊能力なしルールが鳳椿有利であること、などを考慮してこれでよしとしました。
キャラクターごとの視点に対しては、次回にトニトルスから少しお説教させます。




