05 一炊の『夢』
説明多め回ですが、この回のラストに転機を用意しております。
もう少々のご辛抱を。
魔王の権力が凄いのは、なんだかわかってきた。
それを使えば目の前のメイドとエッチなことでも何でもいい思いができるんだろう……けど、選択肢としてはよくないだろう。
第一、ベルリネッタさんはさっきからずっと嫌そうな顔だからな。
本人の感情を無視してまでそんなことをするのは、陵辱と言うんだ。
到底許されることじゃない。
一応は念押しというか確認だけはするけど、話を誘導してそんなのは取りやめる方向に持っていこう。
「……その言い方は『夜のお相手をしてもいい』という意味に取れますけど」
「『お相手してもいい』というのとは少し違います。『お相手したい』と思っておりますので」
あれー!?
お相手したいって何!?
『オーケー』どころか『ウェルカム』って意味なの!?
「黎さん! 増長も大概になさい!」
ベルリネッタさんの厳しい声がした。
そうか、なんだか『色仕掛けで取り入って許してもらおう』って感じがするもんな。
危ない危ない。
デスゲイズとかなんとかいうアレなやつを別にしても、やっぱりこの人は、怒ると怖い人だ。
……気をつけないと。
今の怒声で気が引き締まったので、気持ちを切り替えて。
「まあまあ、僕も本気で言った訳じゃありませんので」
「当然です!」
黎さんも幻望さんも怯えている。
ベルリネッタさんをなだめておかないと。
それこそ、魔王に権力があるならそういうことに使うべきだろうな。
落ち着いた態度で……
「魔王様の夜のお相手だなんて、わたくしもまださせていただいておりませんのに!」
あれー!?
なんだかおかしいぞ!?
「……その言い方は『ベルリネッタさんが夜のお相手をしてくれる』という意味に取れますけど」
「はい、喜んで♪」
あまりにも感覚がおかしいようでつい確認しちゃったけど、当然のように言われた。
ちょうどさっきの、着替えの手伝いみたいな感覚。
「わたくしではご不満でしょうか?」
「不満だなんて、そんな! とんでも……でも、や、あの……」
そんな気軽に、このベルリネッタさんとエッチなことができるの!?
しかも合意の上で!?
ベルリネッタさんほどの巨乳美女がお相手してくれるなんて、不満どころか幸せだけど!
そういえば。
「えっと、その、あれは……」
ベルリネッタさんに最初に会った時は、キス……したんだっけ。
思い出すと顔が赤くなる。
「わたくしや黎さんではご不満でしたら、幻望さんにお申し付けいただいてもよろしいのですが」
「では、ぜひ私を」
幻望さんとでもいいの!?
ヴィクトリアンメイドにエッチなご奉仕をさせようとかどこのエロゲーですか!
「……は、話が逸れたね! ええと! 黎さんはどうやったのかわかんないけど、もう二度とこんなことしないこと! 終わり!」
慌てて話を戻して、強引に区切る。
ベルリネッタさんは目を丸くして驚く。
「まあ。お許しになられるのですか? 魔王様さえ、それでよろしければ……黎さん、魔王様のお慈悲に深く感謝するのですよ」
「はい。魔王様のお心のままに」
この話題を更に続けるのは、まずいような気がする。
とりあえず、最初の部屋に戻ろう。
ベルリネッタさんと一緒に、最初の部屋に戻ってきた。
それはいいものの、よくよく考えてみればそもそもこの部屋に戻るどころじゃない。
「……家に帰らないと」
次元を飛び出すなんて言われても、想像もつかない。
どうやって帰るんだろう。
「僕をここに連れてきたのは、ベルリネッタさんなんでしょう? 元の所に帰してくれませんか」
自力で帰れないなら、連れてくる力を持った人に言うしかない。
魔王の権力で帰らせてくださいよ。
「はあ……《門/Portal》を作れば、すぐではあります。が……」
ベルリネッタさんの返答は、どこか歯切れが悪い。
何か不都合が……?
「どうしてもお帰りになられる、と……?」
その表情も、いかにも心残りがあるという感じだ。
不思議に思っていたら、不意にベルリネッタさんが僕を抱きしめる。
「うわっ!」
チビの僕と大人のベルリネッタさんでは身長の差がありすぎるせいで、僕の顔がちょうどベルリネッタさんの胸の谷間に埋まってしまう。
顔全体を包む、柔らかい感触。
すごい。
おっぱいってすごい。
「せめて、もう一晩だけでも……今夜を共にさせていただいてからでは、いけませんか……?」
ベルリネッタさんの潤んだ瞳が訴えかけてくる。
普通ならとても断れないほどの、魅力に満ちた誘惑。
ここでベルリネッタさんを受け入れれば、思うがままに彼女を抱けるだろう。
なんなら『ずっとここにいたい』と言えば、喜んで受け入れてもらえるかもしれない。
でも。
「……ごめんなさい。僕は、愛魚ちゃんを……あの人を裏切る訳にはいきません。すぐ……帰ります」
それは愛魚ちゃんに対する裏切りに他ならない。
愛魚ちゃんの彼氏として、人として、そんなのは絶対にダメだ。
「っ…………かしこまりました。では、こちらを」
少し間を空けてから、ベルリネッタさんは引き下がって、僕の持ち物や身だしなみを確認してくれる。
コンビニに行く時に持って出た財布や、靴紐の緩みも。
「《門》!」
準備が済んだ後、ベルリネッタさんが指を鳴らすと、姿見くらいの大きさのぼんやり光る板が現れた。
少し眩しい。
「この光の中にお入りいただければ……元の次元、元の場所です」
どうやら、これが門らしい。
これをくぐれば、ベルリネッタさんとはお別れ。
片足を踏み入れると、何の抵抗もなく入り込める。
「じゃあ……さようなら」
そのまま僕は、門の中へ入って行った。
元の次元に帰るために。
愛魚ちゃんにまた会うために。
……ベルリネッタさんは決して、さようならとは言わなかった。
門を出ると、ベルリネッタさんと会った公園だった。
でも、今度こそ他には誰もいない。
古文の先生も倒れてない。
そのまま家に帰って、スマホのアラームを確認する。
「……あれ」
表示された現在時刻を見て驚く。
コンビニに行くのに家を出た時間から、一時間か二時間ほどしか経っていない。
まさに《一炊の夢》。
いくら実感があっても、落ち着いて考えれば、夢だと思う。
「夢だったのかなー?」
美人のメイド、石造りの城、別の次元。そして……
「どうせ夢だったんなら、美人のメイドさんとエッチなことしとけばよかったかなー?……いや、ダメだよな……」
……そして、快楽への誘い。
あんなものが夢でないわけがない。
そう思うことにして、まだ早いような気がしたけどこの後はすぐに眠った。
全部夢だ。忘れよう。
翌日。
また早めの電車に乗って、学校へ。
今日は愛魚ちゃんも忘れ物をせず、同じ電車だ。
「やっぱり、早い電車の方がいいね。空いてて、座れて」
そうだね、と返事をしてまどろむ。
学校はいろいろ面倒だけど、下腹はもう痛くないし、愛魚ちゃんもいるし。
あの夢から戻ってこられてよかったと、本当にそう思う。
「そうそう、昨夜もメッセしたけど、気づかなかった?」
愛魚ちゃんに言われてスマホを見ると、確かに受信の通知があった。
全然気づかなかったけど、受信時刻は僕が寝た後だった。
そりゃ無理だよ。
「ごめん……でも、昨夜はすごく眠くて、起きてられなかったから」
それは嘘じゃない。
実際、今もまだ眠いというか、気だるいというか。
「そっか。寝坊しなかったんだから、その方がいいか」
そうだよ。
愛魚ちゃんが得体が知れないなんてのも、きっと気のせい。
これが日常でいいんだ。
全部夢だ。忘れよう。
朝のホームルームの時間。
それにしては、担任の先生が来るのが遅い。
どうしたんだろう……まさか、先生の方が遅刻してるのかな?
「た、大変!」
余裕を持って登校した後、席を外していた富田さんが大慌てで戻ってきた。
「古文の前田先生が……亡くなったって、職員室が騒ぎになってる!」
前田先生が?
その言葉で、騒ぎが教室にも伝わって大きくなる。
「おい、ネットでもニュースんなってんぞ!?」
スマホでニュースを検索した奴が記事を見つけて、また騒ぎが大きくなる。
いよいよ本当らしい。
「公園で倒れてたってさ」
「お酒の飲みすぎかもだって」
古文の先生。
公園。
死亡。
その三点を繋ぐ光景に、僕には見覚えがある。
あのメイド……ベルリネッタさんだ。
まさか、あれは夢じゃなかったのか!?
「なんだか……怖いね」
心配そうな表情の愛魚ちゃん。
でも、あの門をくぐって帰ってきた時、先生の姿はどこにもなかった。
死体も含めて。
あの場で死体が見つかったなら、僕が帰ってくるより先に警察の捜査の方が始まっているはずだ。
ということは、やっぱりあれは夢で、本物の先生は僕よりもっと後に、単に深酒が元で、それで死んだんだ。
そうじゃなきゃおかしい。
「事件じゃなくて事故だってことでしょ。本人の飲みすぎのせいだよ、きっと」
不安がってばかりいても仕方ない。
全部夢だ。忘れよう。
結局その後は、古文の授業が自習になったくらいで、あとは普通に終わった。
愛魚ちゃんと仲良くしていると嫉妬の視線はまだ感じるけど、下腹が痛くなることもない。
「……なんだあれ?」
一緒に帰ろうと校門を出ると、高級な乗用車が停まっていた。
側にはスーツを着こなした男性が立っている。
「あれ、うちの車に、鮎川さんだ」
愛魚ちゃんの家の関係者らしい。
男性がこちらに話しかけてきた。
「真殿了大様ですね。社長がぜひ、真殿様にお会いしたいとのことで、お迎えに上がりました。愛魚お嬢様もご同席を」
「鮎川さんは、父さんの秘書なの」
社長秘書の鮎川さん。
あのフカミインダストリの社長が側に置くほどの人材だけのことはあり、その物腰もいたって上品。
そして、それほどの人材をわざわざ僕なんかの迎えによこすということは……
「ああー……そういうことか」
……なるほど。
社長からしてみれば僕は、大事な娘に寄り付く悪い虫という意味だろう。
品定めしたいというのも当然の話。
いくら大企業の社長と言っても、愛魚ちゃんのこととなれば一人の父親なんだな。
昨夜の夢に比べれば、別に突飛でもなんでもない。
車の後部座席に乗り込み、身を任せながら流れる景色をぼんやりと眺めた。
「大丈夫だよ。父さん、別に反対なんてしないから」
愛魚ちゃんはそう言うけど、本当にそうなのかな?
まあ、会えばわかるか。
愛魚ちゃんの自宅。
むしろ屋敷と言っていいほどの規模で、近所の人には実際《深海御殿》と呼ばれている。
応接室に通されると、立ち上がってこちらを出迎える初老の男性がいた。
年齢なりの皺は目立つが彫りが深い顔立ちで、ハンサムと言って差し支えない人だ。
「初めまして。愛魚の父親、深海阿藍という」
なんでも日本人の父親とフランス人の母親の間に生まれたハーフで、阿藍と書いてアランと読む名前は母親の命名だとか。
ということは愛魚ちゃんはクォーターなのか。
「初めまして、真殿了大と申します。愛魚さんと交際させていただいております」
とはいえ、別に親に言えないような後ろめたいことは何も――セクシー自撮り画像の件を忘れれば――何もない清い交際なので、特に物怖じする必要もない。
きちんと挨拶しておけば大丈夫だろう。
「うむ。愛魚からはここ最近、毎日毎日話を聞かされているよ。若さが羨ましい」
「父さん!」
愛魚ちゃんが恥ずかしがる。
阿藍さんは、交際に否定的な雰囲気は全然ない。
いいのか?
「ははは、会ってみて安心できたよ。コーヒーはアイスでかまわないかな?」
「あ、はい、おかまいなく」
むしろどこか肯定的と思ってもよさそうだ。
もし『お前ごときが娘に近寄るな!』とかなんとか言われたら、どうしようかと思ったよ。
そんなことはなかったので、出してもらったアイスコーヒーを飲んで落ち着く。
鮎川さんのおすすめのブレンドということで、そこらへんのコーヒーとは段違いで美味しかった。
「呼びつけておきながら申し訳ない。この後すぐ次の来客がある約束でね」
しかし、やはり大企業の社長というのは多忙らしい。
コーヒーを飲み終えるまでくらいは良いとのことだけど、そうそう長話をできる時間はない。
帰りはまた鮎川さんに車を出してもらえるそうだ。
小学校が同じだっただけあって、位置関係は学区の範囲で遠くはなく土地勘もあるけど、呼び出したのは阿藍さんの方だからという筋で帰りも面倒を見てもらえるということになった。
これが大人の礼節か。
阿藍さんも鮎川さんも、尊敬できる人だと素直に感じた。
「お客様がご到着なさいました」
年輩の家政婦さんが、次の来客が来たことを知らせに来る。
ちょうど、アイスコーヒーもなくなったところだ。
「うむ、通してくれたまえ。この後は仕事の話になるから、愛魚は部屋に戻りなさい」
阿藍さんの言いつけに従い、はいと席を立つ愛魚ちゃん。
今日はここでお別れ、また明日かな。
「鮎川は真殿くんを送ってあげたまえ」
「かしこまりました」
車のキーを手に取り、鮎川さんが立ち上がる。
「では失礼します」
僕は阿藍さんに挨拶をして、次の来客と入れ替わる形で出口へと向かう。
しかし、すれ違った次の来客の姿は……
「!? そ……そんな……」
……見間違えるはずもない。
前はなかった眼鏡をかけてはいても、他の特徴が印象的すぎる。
金茶色の髪の美女。
ヴィクトリアンメイド。
人を射殺す妖しい瞳。
「そんな、バカな……」
ベルリネッタさんだ。
あのメイドさんが、どうしてここに……
◎一炊の夢
人の世での繁栄が儚いことのたとえ。 または、人の人生が儚いことのたとえ。
男性向けエロCG集用に作りかけていた世界観設定の原型を流用していますので、エッチ関係の導入に対してはご都合主義的になっています。
次回はベルリネッタが実力の片鱗を見せます。