35 『虫酸』が走る
いよいよ「魔王」として「勇者」との戦いへ……
さて、どう戦い抜くかな?
当代の勇者が現れた。
その報せで、真魔王城に動揺が広がる。
「勇者は了大様と同じように、別の次元より移動した存在とのこと……まだ活動を始めたばかりではありますが、下級の魔物は逃げ出すようになり、中には生き残るために勇者の要求を飲まざるを得なかった者も」
そりゃ、誰だって命は惜しい。
僕もそうだ。
そうそう強くは責められないだろう。
「しかし、先程報告いたしました『虫のような龍のような魔物』というのは、積極的に勇者に協力している様子。これにつきましては、反逆者として処刑してよいでしょう」
気をつけるべきは勇者と、その正体不明の奴か。
その二者だけなのかな?
「虫のような……と言うだけはあり、協力者は妖虫の類を使役している様子。個体としては矮小でしょうが、数は夥しいものかと」
なるほど。
戦闘員的な雑魚が多いと。
用心するに越したことはないけど……
「了大様、ここは先手必勝……打って出るのがよろしいかと存じます」
確かに。
ゲームのラスボスの魔王みたいに、のんびり勇者を待ち受けてレベルアップした勇者にやられる、なんてのは嫌だ。
僕も魔王輪の力をまだ完全には使いこなせないけど、だとしたら現れたばかりの勇者もまた、勇者の力をきちんと使えない……ゲームで言えばレベルが低い状態である可能性が高い。
今のうちだ。
ベルリネッタさんとトニトルスさんにも相談する。
「りょうた様、わたくしも同じ意見です。勇者として成長する前に、確実に潰しておくのがよろしいかと」
「我も異論はありませぬ。念のため何か手がかりになる情報があるかどうか、過去の文献を掘り返すとしましょう。しばし《書庫》に篭りますぞ」
皆の意見がまとまった。
あとは具体的に、勇者がどこにいるかだけど……
「奴らはこちらではなく、クゥンタッチの魔王城を目指して進んでおります。人間の足ならばその城下町まででもまだ一月はかかりますが、我らであれば《門》で先回りして出鼻を挫けましょう」
というわけで《門》で城下町へ移動し、そこから一本道の街道を逆方向に移動して勇者を迎撃する作戦になった。
勇者……どんな奴なんだろう。
少女とは言ってたけど、女でも油断も容赦もしない。
そういう精神面も、夢の中のフリューを相手に鍛えたつもりだ。
何にしても、負けられない。
城下町をぐるりと囲む壁にある出入口の片方から、他の街までは一本道。
町に二つある出入口のもう片方は、魔王城にしかつながっていない。
以前にはこの城下町を迂回して直接魔王城に入り込んだ冒険者もいたそうだけど、偵察に行かせた使い魔からは『勇者はまだ城下町にすら着いておらず、普通に街道を歩いている』という報告があったので、それは気にしなくていいだろう。
「となると……この街道を道なりに歩いていれば、勇者に出会うわけか……」
《門》で移動する時、ベルリネッタさんとルブルムとヴァイスに一緒に来てもらった。
ベルリネッタさんは《不死なる者の主》としての本人の絶対的な戦闘力の他、固有の能力が妖虫の物量作戦に対抗しやすい能力だろうという相性から適任とされた。
ルブルムも戦闘力についてはもちろん申し分ない強さだけど、それ以上に《治癒の閃光》などの治療や解毒の呪文が得意ということで選ばれた。
ヴァイスは万が一に備えて、勇者の肉体に対する攻撃が通用しなかった場合に精神を攻撃してもらうためのバックアップ要員として採用。
カエルレウムとアランさんと愛魚ちゃんには真魔王城の守りをお願いして、トニトルスさんには引き続き調べものを。
トニトルスさんが調べたところによると、過去の魔王が残した言葉に『月と太陽が食い合う刻、唯一の存在が現れる』というものがあったらしい。
ただしその言葉を残した魔王も、さらに過去の魔王から言い伝えを残されただけで、詳しい意味は理解していなかったらしい。
それも含めて調べものを続けるために、トニトルスさんには残ってもらった。
「そういうことになりますね。今はごゆっくり、お休みになって」
移動は馬車。
ベルリネッタさんがアンデッドを……死なない系モンスターを使役していて、御者も馬もモンスターだ。
体は疲れなくていいけど、見た目は怖いかも。
「そうもいかないみたいだよ。何か飛んでくる」
虫の羽音と一緒に、黒いボールみたいなものが飛んできた。
大きい。
サッカーボール以上の大きさがありそうだ。
「当代の魔王は、かような小僧とは……この分では勇者様に負けるどころか、わしでも勝てそうじゃな」
黒いボールのようなものは、大きい甲虫の化け物だった。
よく見ると少しだけ突起があって、先端が斜めの切り口のような形になっている。
カブトムシの角を、よく切れる刃物で切り落とした感じ。
そしてそれは翅を震わせてその場に浮いたまま、老人のような言葉を喋る。
「どれ、ちと遊んでやろうかのう」
ベルリネッタさんが僕をかばうように前に動いて、甲虫を睨む。
フリューの時と同じ、油断も容赦もない雰囲気だ。
「《虫たち》の中でも貴方は上位に位置していたかと記憶しておりますが……その貴方が反逆者ですか」
そう言われると甲虫は、やかましく笑った。
ぎちぎちと、耳障りな声……いや、これは音だ。
「馬鹿らしい。我ら《虫たち》は、かような小僧になどへつらわぬ! この角をも易々と切り落とした勇者様のお力とは、比べ物にもならぬわ!」
フリューもそうだったけど、つくづく皆して実力主義が好きらしい。
とはいえ、上位陣らしいこの甲虫にはどういう攻撃が効くのか。
甲羅は分厚そうだけど。
「りょうた様、魔王直々のお手討ちは名誉ある刑罰であり、反逆者には分不相応です……この程度の虫ごときは、わたくしが『掃除』いたしますので」
ベルリネッタさんだけが馬車から降りて、外に出た。
それに反応したように、辺りに無数の甲虫が飛び回る。
この数が多いものは大きくはなく、僕が常識的と思える大きさのカブトムシやカナブンのような甲虫だった。
「りょーくんには近づかせないから」
ルブルムが何か呪文を用意する。
馬車の中のルブルムから広がった魔力が小さい甲虫を遠ざけながら、余裕を持った大きさの二本の光るリングになって、馬車を丸々囲うように浮かんだ。
「《防御の光輪/Defense Halo》……虫ごときが破れると思わないことね」
二本のリングはそれぞれ逆方向に回転していて、リングに体当たりした虫はどれも燃え尽きるように塵になっているように見える。
「この中にいれば、襲われる心配はないのか……」
ルブルム……りっきーさんとしてエロ本紹介してきたり、エロ本みたいなプレイが好きだったり、つかみどころがわからないと思ってたけど、やっぱりすごいんだな……
「そういうこと。それに、こんな程度の虫だったらベルさんだって」
外に出たベルリネッタさんの様子を見てみると、近づいた虫はベルリネッタさんに触れる前に地面に落ちている。
あれは……?
「虫なんて、近づいただけで死んじゃうの。見てて……ベルさんは、滅法強いんだから」
そういえば、僕はベルリネッタさんが戦ってる所は見たことがない。
そんなに強いのか。
「半開と言わず、全開でおいでなさい。その全力をこそ踏みにじってさしあげます……逆らってはいけないお方に逆らった報いとして」
ベルリネッタさんの雰囲気が変わると、周囲の空気が震えるような感覚がして、とても強くて黒くて深い闇の魔力がひしひしと伝わってきた。
本当に怖い人だ。
あれが本当に、あのベルリネッタさんなのか……!?
「い……言われるまでもないわえ!」
威圧されているだろうに、甲虫の化け物はベルリネッタさんに向かって飛ぶ。
さすがに、近づいただけで死ぬということはないらしいけど、ベルリネッタさんには身のこなしと手さばきだけで避けられている。
「わたくしは全開で来るように言いましたよ? まあ……わたくしは全開どころか、半開ですらありませんが」
余裕。
それ以外に言い表せる言葉が思い浮かばない。
あれで半分以下って……
「おのれ! おのれェェェェ!!」
甲虫の化け物が変身して、人間のような体のバランスになった。
身長二メートル以上はある、甲虫の大男だ。
でも、あれが全開なら……
「切り札があるなら、早く切ってみてはいかがです? もっとも……そんなものがあれば、ですが」
……大したことはなさそうだ。
ヴァイスに協力してもらって特訓した今なら、確信して言える。
夢で再現してもらったフリューは《形態収斂》を解除しなくても、あれよりもっと強かった。
「ぐぅぅぅぅ!!」
大男が手元で呪文を組んでる。
でも、そんな物をわざわざ撃たせてから対処する無駄な手間を、ベルリネッタさんはいちいち選ばない。
「遅いですね」
確かに、フリューに比べても呪文の組み立てが遅くて、魔力もいまひとつだ。
隙だらけと言ってもいい。
そして、その程度の相手には……
「《魂のもぎ取り》!」
……ベルリネッタさんの呪文の方が、後出しでも余裕で入る。
魔力でできた手が大男の体の中に入り込み、何か光る塊をつかんだ状態で引き抜かれた。
ソウルミューティレート……ということは、あれが……魂……?
大男は一言も喋れずにその場に倒れ、少しも動かなくなった。
即死、としか言いようがない。
「半開どころか……一割未満で十分」
大男が死んでしまったので、小さい甲虫もどこかに消えてしまった。
魔力で呼び寄せていたものだったらしい。
「さて、あとはこの《魂》に吐かせましょう。反逆者どもの規模と、その正体を」
魔力でできた手はそのまま形を維持していて、つかんだ魂もそのまま逃がさないように指が食い込んでいる。
握る力が強められると、魂が苦しんで叫ぶように光を増した。
「ば、か、め……どうせ死んだなら、誰が吐くもの……か……」
それはそうだ。
吐けば助かるというならわかるけど、吐いても吐かなくても死んでるなら、尋問としては吐くメリットがない。
ベルリネッタさんが、そんな程度のことに気づかないとは思えないけど……?
「《不死なる者の主》であるわたくしに、死者の魂が逆らうことなどできません。選択権など、もはやありませんよ」
「か……が……あ、あー……」
魂の態度に、さっきまでの……生前のような威勢がもうない。
ベルリネッタさんの固有能力で《支配》されて、絶対的な服従状態になったということらしかった。
「ふむ……こうして支配してさえ吐かせられないというのは……最初から使い捨てとして、大した情報は与えられていなかった……ということですね」
用済みになった魂を、ベルリネッタさんが剣で貫く。
例のブラックブレードで、魔力に分解してしまった。
死者の魂は配下として使役することもできるけど、僕に楯突いた反逆者なのでフリューと同じように消したとのこと。
「《虫たち》のうち、どの程度が反逆者なのかだけでもわかればと思いましたが、期待外れでした」
そんな調子なので当然というか、勇者についても追加の情報は得られず。
仕方がないので、そのまま進むことになった。
「でも、ベルリネッタさんって本当にすごく強いんですね」
改めて見てみると、本当に驚く。
あの甲虫の化け物を倒した手並みが、全力の一割未満らしい。
そんなにも強い人が、僕の臣下だったり、夜は夜でまた別の意味ですごい人だったり……
いいのかな、という気持ちになる。
「元々、他の《主》に引けを取らない力量はあると自負しておりましたが……更に一回り強くなれたのは、ごく最近のことですよ」
そうなのかな?
僕はベルリネッタさんの全開をまだ見たことがないから、よくわからない。
「りょうた様の寵愛をたっぷりと受けられましたので♪」
結局そういう話になるの?
さすがに今は、そういう気分にならない。
「とはいえ、気分でしたらわたくしも今は《虫酸が走る》思いです。りょうた様のご威光も理解せず勇者に与するなど、所詮は虫ということでしょうけれども」
そう。
何と言っても今は勇者と、勇者に味方する虫たちの対処が最優先だ。
手を抜いてやられてからじゃ遅い。
ここはベルリネッタさんを最大限当てにさせてもらおう。
「りょーくん、ワタシもいるのを忘れちゃ嫌だよ?」
「あたしだって、断然! 了大さん派なんですからね!」
ベルリネッタさんだけじゃなく、ルブルムとヴァイスもいる。
とても心強い状況だ。
それに、僕自身だって鍛練を積んで、数々の呪文を覚えてきた。
これなら、きっと大丈夫だろう。
◎虫酸が走る
吐き気がするほど不快でたまらないこと。
胸焼けの時などに胃から酸っぱい液が出る様子から。
「虫唾が走る」とも書く。
今回はベルリネッタの戦闘シーンで。
以前、阿藍に打ち消された《魂のもぎ取り》が再登場と、そこからの固有能力の行使になりました。




