03 好事『魔』多し
異世界転移ものですが、戻らないパターンやエンディングまで戻れないパターンではなく、状況に応じて行ったり来たりできるパターンです。
シナリオの総体としては異世界での出来事の方が多めになる予定です。
人生、そうそう良いことばかりではないわけで。
朝から下腹がじくじくする。
「まあ……ダメそうなら早退すればいいか」
それでも登校するのには訳がある。
出席日数なんかではなく。
『一緒に登校したいです』
『駅の売店の前で待ち合わせしましょう』
『昨日と同じ時間の電車で』
深海さんからメッセージがあったからだ。
そういえば昨日言ってたな。
『明日からは電車に乗るところから一緒に行こうね』って。
鈍痛は治まらないが、学校に行けないほどじゃないだろう。
特に変わったこともなく、駅に着いた。
売店で昼食用のパンを買って、そのまま付近で深海さんを待つ。
昨日と同じ電車なら、そんなに人目につかないだろう……
またメッセージ。
『ごめんなさい、忘れ物をしました』
『駅に着くのが遅れます』
『学校には遅刻しないと思います』
……マジか。
遅めの電車になると、座れなくなったり人目についたりするんだよ。
まさか深海さんを置いて先に電車に乗るわけにもいかず、仕方がないから待っていると、同じ学校の制服を着た奴らがどんどん来る。
そのまま人は増える一方で、次はいよいよこの電車に乗らないと遅刻するという時間に。
こんな状態で、深海さんと一緒にいたら……
「真殿くん!」
……悪目立ちするよね。
深海さんがようやく登場すると、周囲のざわつきがさらに増す。
「深海愛魚だ」
「ってことはあのチビか、付き合い始めたって噂の」
「うぜぇ……」
悪い噂が絶えない。
もういつものことだ。
「ごめんね、遅くなっちゃって」
深海さんには聞こえないのかな。
僕にはもう、はっきり聞こえてしまう。
「ううん、大丈夫。それより、次の電車じゃないと遅刻しちゃうから、行こう」
ホームに行くと、車両のドアが来る位置には既にどこも長い列ができていた。
通勤・通学には付き物の、座席争奪戦の行列だ。
「これはもう座れないねー……私のせいだね」
なに、それならそれでやりようはある。
逆に状況を利用しよう。
「こういう時はいっそ一番最後に乗って、ドアにもたれればいいんだよ」
「そうなんだ? さすが真殿くんだね」
普通なら遅刻とは無縁のお嬢様じゃ、こういうコツはわかんないよね。
ということで一番最後に乗り込むと、車内は満員。
詰めて乗らないとダメなんだから、先に乗った奴が奥に詰めろと。
「狭いねー」
僕のあと、一番最後に深海さんが乗って、電車のドアが閉まる。
発車。
「でも、真殿くんとこんなに近いの、初めてかも」
乗車率っていうのかな、人が多いせいでかなり狭くなってて、深海さんがすごく近い。
それが恥ずかしくてついつい、深海さんに背中を向けてしまう。
しかも、揺れたり押されたりするから、密着するような状態になることもあって……
「うぐ……?」
……おっぱいが当たる。
チビなせいで深海さんより背が低いから、肩とか後頭部とかいろんな所に、こう……
「真殿くん、大丈夫?」
「ふぇ!? あ、うん」
視線が泳いでしまう。
あ、何人かこっち見てる。男子生徒の視線に憎悪が満載だ。
じくじくが治まらない。
「っぎ!?」
足を踏まれた! 誰だよ、謝れよ!
しかし謝ってくる奴はいない。踏んだ感触でわかりそうなものなのに。
結局その後も何度か足を踏まれ、最寄り駅に着くまでで既にへとへとになった。
「やっぱり、空いてる電車の方がいいね……私が忘れ物したせいで、大変な目に遭ったね」
ごめんね、と言いそうになる深海さんを止める。
「深海さんのせいじゃないから」
ここは男の子が見栄を張っておかないとダメかな。
ギャルゲーとかでもそういうの多いでしょ。
たぶん。
「ありがとう。ねえ、苗字じゃなくて名前で呼んでもいい? 私のことも、名前で呼んでほしいの」
名前で。
なんか、小学校の低学年の時はそうだったような気がする。
そういうのって、学年が上がっていくと気取った感じになっちゃうんだよね。
「いいよ。『愛魚ちゃん』」
というようなことを思い出すと、意外なほどすんなり呼べた。
「『了大くん』……やぁん、恥ずかしい♪」
着実にリア充イベントが進んでいるらしい。
恥ずかしいって。
あ。
「恥ずかしいといえば、あのさ……昨夜のアレはいったい……」
昨夜のセクシー自撮りだって、恥ずかしさで言えば相当なものだと思う。
アレはいくらなんでも。
「……使った?」
使うって何!?
何に!?
これにはさすがにこっちが恥ずかしくなってしまって、つい足早になってしまう。
すると、角を曲がった先で運動部らしい奴が、進路を遮ってきた。
「お前が真殿って奴だな?」
なんだこいつ。
通り過ぎようとしたが、強引に肩をつかまれた。
「無視すんなコラァ!」
「触るな!」
その小汚い手を払いのけたところで、深海さん……いや、愛魚ちゃんが追いついてきた。
「ま……っ、了大くん!」
険悪な雰囲気。
こいつ、なに部だろう。
空手? ボクシング? まあなんでもいいや。
「気に入らねーんだよ、お前なんかが深海愛魚と付き合うなんてな」
うわー……
いよいよ出たか、こういうバカが。
「で、気に入らなかったら暴力か? 猿だな」
「あぁ!? 取り消せやコラァ!」
「じゃあ取り消してやるよ。猿じゃなくて……猿以下だ」
ぶっちゃけ、いじめられっ子が長かったからこその対応。
下腹のじくじくが治まらないが、生半可なパンチなら『殺し方』というものがある。
わざと殴らせて、警察沙汰にしてやるか!
「てめぇ!」
来た! 単純な右パンチ。
下手に逃げれば相手のペース。
こういうのはむしろ、前進して額に当てさせればたいして痛くない。
腕が伸びきる前で威力がきちんと出る前にこちらの硬い部分を使って受けつつ、首も引き締めて脳が揺れるのを防ぐ。
中学時代にはこれで逆に相手の拳を壊したこともある、隠しカウンター技だ。
さあ、お前は壊れずにいられるかな!
「あれ……」
「え?」
しかし、その拳はこちらに当たる直前で止まった。
当たるとばかり思っていたものが当たらないので、二人とも驚いてしまうほど急に。
「……この手は、何?」
拳を止めたのは……相手の手首をつかんだ、愛魚ちゃんだった。
そんなバカな。
あの一瞬で、いつの間に!?
「え……あ……」
相手の方も驚きしかないのか、愛魚ちゃんの手を振りほどけない。
その愛魚ちゃんの表情と眼光はとても冷たく、ついさっき『やぁん、恥ずかしい♪』なんて言っていた愛魚ちゃんと同一人物だとは思えなくなりそうなほど。
「不祥事になったら、部活のみんなが出場辞退だよ? 今ならまだ、なんとかなるけど?」
気のせいか?
愛魚ちゃんがつかんでいる部分が、青く変色しているような、何か出てるような……
「……謝って?」
「ひ、ひいィ! ごめんなさい! すいません! やめて! うわあぁぁ!」
もう相手はひどく怯えて取り乱している。
戦意も悪意もどこへやらだ。
「……了大くんに近づかないで。おかしなこと、しないでね?」
そう言って愛魚ちゃんが相手の手首を離すと、一目散に逃げ出した。
「しま、しません! 助けて! わああぁぁ!」
いくら素人のものとはいえ、男子生徒のパンチを的確につかんだばかりか、あんなにも怯えさせるなんて。
それに、さっきの青い変色。
あれがもし気のせいでなく、実際に起こった変化で、あいつにも見えていたとしたら。
だとしたら、あの怯えようにも納得がいく。
しかし。
……さすがに変だ。
この人はいったい『何』だ!?
結局、下腹のじくじく……鈍痛が治まらない。
今日は朝からずっとだ。
どうしてもダメな時はと思って保険証は持ってきてあるので、学校を早退して病院へ。
「特に何もなさそうですねー。少し様子を見てみてください」
しかし、聴診や測定機器などでも、異常はなかったらしい。
《好事魔多し》とはよく言ったもので。
可愛い彼女ができたと思ったら、いろんな奴らに敵視されるし、その彼女自身はどこか得体が知れないし、下腹の鈍痛の原因はわからないし。
一体なんなんだろう……
夜。
なんとなく出歩く。
すぐ帰るつもりでスマホも持たずに、コンビニへ。
目的があったわけじゃない。とにかく気持ちを切り替えたかっただけだ。
何も買わずにコンビニを出て、帰り道で公園に寄り、ベンチに腰かける。
「あー……」
周囲には誰もいない。
「……あら」
違う。
いないと思っていたら、公衆トイレから誰か出てきた。
長いスカートの、黒の面積が多い女性のシルエット。
それは機能性を追求したシンプルで清潔感あふれるワンピースに、過度の装飾や肌の露出は控えたデザイン。
以前、ネットでフレンドのりっきーさんから聞いたことがある『ピナフォア』と言うらしいエプロンは、内側から押されて盛り上がる曲線を描いて、その中のふくらみの大きさを語る。
日本人ではない顔立ちは無表情という感じではあったが、とても美しく。
金茶色の髪には『ホワイトブリム』……レース付きのカチューシャが。
まさしく『メイド』としか言えない出で立ちで、こちらに向かって歩いてきた。
「不思議ですね。貴方からたくさんの魔力を感じます。本当ならこんな所にはありえないはずの、とても強くて、はっきりとした魔力……」
愛魚ちゃんが超絶美少女なら、こちらは超絶美女。
思わず視線が釘付けになる。
「お隣、失礼いたします」
そのメイドは上品な動作で僕の隣に座ったかと思うと、こちらを見つめてくる。
一瞬、彼女の瞳が紫色の光を放ったように見えた。
「!?」
体中に怖気が走り、治まりかけていた下腹のじくじくがまた出てくる。
嫌でも思い知らされる。
この人は普通じゃない。
「ほう? わたくしの《死の凝視/Death Gaze》に抵抗なさるなんて。やはり不思議な人」
デス、ゲイズ……?
何それ……
「悪いようにはいたしませんわ。その魔力を……分けていただけませんか」
再発した鈍痛に襲われる僕に、そのメイドは。
「っ……!?」
キスをしてきた。
唇と唇が重なり、不思議な味がする。
しばらくして唇を離したメイドの顔からは先程の無表情が消え、うっとりとした表情に満ちていた。
「はぁ、素敵……ほんの少々頂戴しただけで、こんなに……とっても濃密……♪」
そう呟くとメイドは僕の下腹に手を這わせ、あろうことかそのまま股間にまで触れる。
「もしも、次はこちらから頂戴したら、どれだけ凄いのでしょう……♪」
妖しい笑みを浮かべるメイドに、なすがままにされる僕。
するとそこに、聞き覚えのある男の声がした。
「おい、真殿じゃないか? そんな所で何をしとるんだ。わいせつ行為か!」
古文の前田先生だった。
見ると手にガラスか何かのコップを持っていて、顔が赤い。
安い酒で酔ってるのか。
しかし、そう言われても仕方ない。
知らないメイドに突然キスされて触られて、頭がぼんやりしてきて。
自分でも何をしているのか、もうわからないんだ。
「おぉ? お嬢ちゃん、どこのお店だい……いくら?」
バカな。
この男は何を言ってるんだ。
目の前のメイドが風俗か何かの女だと……
ましてや、普通の人間だとでも思うのか。
わからないのか?
不意にメイドの顔が先生の方を向き、睨むような表情で瞳がまた、さっきと同じ紫色に光る。
「……ぁ?」
メイドに睨まれた先生がその場で倒れたかと思うと、それっきりピクリとも動かなくなった。
酔い潰れたのか?
「このわたくしが金銭ごときで股を開く女に見えますか、失礼な……まあ《死の凝視》は普通に効いたようですね」
デス。
DEATH。
死。
まさか、死んだ……!?
「強い魔力を持つ上に《死の凝視》が効かない、ということは……貴方は何か、特別な存在なのでしょうか?」
先生を睨んでいた視線を外し、メイドがまた僕を見つめる。
「死、い……」
怖い。
こわい。
コワイ!
「怖がらないで、わたくしにお任せください……肉体の限界を超えた悦楽へ、逝かせてさしあげます……♪」
二度目のキスを交わして、僕は意識を失った。
目が覚めると、石の天井が見えた。
見回すとどうも、部屋全体が石造りらしく、窓や扉は木でできているようだ。
飾り気はないが清潔で質も良いベッド。
服は着ていた洋服ではなく、浴衣か何かのような寝巻きっぽい服に着替えさせられている。
ここはどこなんだろう。
そもそも、僕は死んだんじゃなかったのか?
「えーと……」
手を握ったり開いたりしてみる。
指は思いどおりに動く。指先の感覚もある。
……感覚といえば。
「あのじくじくが……ない」
ここ最近、散々悩まされてきた下腹の鈍痛が、嘘のようにさっぱりなくなっていた。
にわかには信じられず、そのままお腹をさすっていると、木の扉が開いて誰かが入ってきた。
「……お目覚めですか?」
あのメイドだ!
足がすくむ。体が震える。
「く! 来るな……ぁ……」
でも。
でも、殺されるのは嫌だ!
しかしメイドは事務的な無表情で、恭しく頭を下げて、こう言ったのだ。
「先程は大変失礼いたしました。《魔王》様」
◎好事魔多し
物事がうまく進んでいる時ほど、意外なところに落とし穴があり、邪魔が入りやすいということ。
次回とそのまた次回(04と05)は、世界観の説明が多めになります。
(追記)他キャラクターと重複しがちになりましたので、ベルリネッタの髪が金茶色に変更になりました。