194 『自家』薬籠中
強化合宿でパワーアップイベント回。
今後やりたい展開、当初から予定している展開のためには必要不可欠なフラグ立て作業でもあります。
智鶴さんの主導で強化合宿。
僕は、あの『流れの原理』を教えてもらえるそうだ。
「これは鳳椿様のお耳にも入っていなかったことかと思いますが、実は『八の字の肩』は上半身のみの技術、つまり半分でしかないのです」
「へえ……」
「確かに、初耳であります」
この機会にと、鳳椿さんも聞きに来ている。
恥ずかしながらと前置きして話してくれたけど、実は鳳椿さんは智鶴さんには一度も勝てたことがないそうだ。
極めれば鳳椿さんほどの人にさえ全勝する技、是非とも会得したい!
「では残り半分は何かと言えばもちろん下半身ですが、そもそもここで言う『流れ』とは荷重の移動を指します」
「ふむ」
「急いで走っている時に止まろうとしても急には止まれないのも、つまずけば前のめりになってしまうのも、そこに荷重の移動という流れがあるためです。その流れを感じ取り、少しだけ介入することで相手の動きを狂わせて制する。それこそが原理であり、真髄なのです」
へえ……!
それで智鶴さんは、鳳椿さんにもイグニスさんにも勝てたわけだ。
荷重の移動というのは、現実世界での交通安全でも言われる。
走っている車がブレーキをかけ始めてから実際に止まれるまでに進んでしまう長さ、つまり『空走距離』が、スピードが速いほど長くなる。
あとは、積荷を載せたトラックがハンドルを切った後にまた逆方向に切り返すと、積荷がある分だけ横転しやすいという話も聞いたことがある。
そういう力の流れの話か。
「そこで重要となるのが下半身、足腰がどのように荷重を受け、または流すかという技術でして、これを『甲高』と呼んでいます。そして上半身の『八の字の肩』と下半身の『甲高』を合わせてようやく、真の《流れの原理/Stream Base》が完成するのです」
つまり全身をまんべんなく使って、相手の力を利用しろと。
そういうことらしいな。
「それでは、実技とまいりましょう。今の了大様でしたら、そうですね……私が足を上げて、足裏を地面から離してしまったら了大様の勝ちとしましょうか」
「ずいぶんですね!?」
足腰の使い方と言いつつ、一歩もそこから動かないつもりか?
そんなことまで可能にするほどの技術?
いくら智鶴さんでも、さすがにナメすぎだろう。
やってやる!
「ふっ!」
内回し蹴り!
獅恩でもこれに対応できなかった速度だ。
まともに……
「及第点」
「あれぇ!?」
……入らない。
膝先のスナップを逆利用されて、派手に回転させられてしまった。
もちろんまともに着地もできず。
「くっ、それなら」
じゃあ、正拳だ!
回転なしの直線的な力ならどうする!
「駄目でしょう?」
「あっ!?」
避けられて投げられた!?
歩いて、足裏を離したのか?
いや、違う……摺り足だ。
なるほど、それなら『足裏を地面から離す』にはあたらない。
一歩も動かないと思い込んだ僕の勘違い。
その後も僕は何度も何度も宙に舞わされて、智鶴さんは涼しい顔。
全然ダメだ、降参。
「では了大様は休憩でよろしいかと。お次は鳳椿様、よろしいですか」
「是非もなし。しかし今の智鶴殿の冴えを見るに『流れの原理』は《自家薬籠中》、自分も足裏を離させられなさそうな気がしてくるであります」
「いけませんよ、やる前からそんなでは」
鳳椿さんの修行が始まったところで一息ついて、他の様子を見る。
あっちは……ハインツとイグニスさんだ。
「ん、ハインリヒっつったか、おめェ……雷撃が得意なのかよ」
「そうだ。我が家門は代々、天地の属性を併せ持って生まれるがゆえに雷撃を操り《雷霆男爵》の爵位を受け継ぐ。陞爵には頓着していないが、ファーシェガッハの貴族としては最も古くから長く続いている家系、御三家のひとつなのだ」
「へェ。なら雷撃は《自家薬籠中》ってことだな。ちょうどいいぜ。実は己が勝ちたい奴も、雷撃が大の得意でな」
「ん……」
イグニスさんが勝ちたい相手というのはもちろん、トニトルスさんのことだ。
ハインツにも少しは周回の知識があるから、彼にとって初耳ではないけど。
「そう、仮想敵としてはうってつけというわけだ。私の雷撃、斬れるものなら斬ってもらおう」
「おう、来い!」
二人の持つ魔力が高まる。
それぞれが持つ属性に応じた現象を生む。
「暗黒より来たりて、吼えよ雷! 《破砕する雷鳴》ッ!」
「機獣天動流が、天動奥義! 《雷斬》ッ!」
必殺技の正面衝突だ!
まぶしい……これは、どうなる?
「斬れてないぞ」
「くッ!」
イグニスさんが撃ち負けてる。
そう言えば最初の時間、武術大会でもトニトルスさんとの撃ち合いに負けてたっけ。
何が足りないんだろう?
「ちィ、もう一度だ!」
そしてイグニスさんがまた、自分の魔力をそのまま高める。
あれ?
たしか《雷斬》って。
「ちょっと待って、一度僕にやらせてくれますか。ハインツも、頼む」
「私は構わんが、貴公に何か考えがあるということか?」
「まあね」
イグニスさん自身が言ってたわけじゃないけど《雷斬》にはコツがある。
ずっと前に聞いた話だから、今の今まで忘れてた。
それを思い出して、自分の魔力を高める。
火の魔力と、ここは天の魔力を。
天の属性はあんまり得意じゃないけど、そうも言ってられないからな。
「よし。ならば……暗黒より来たりて、吼えよ雷! 《破砕する雷鳴》ッ!」
ハインツ、さっきより雷撃が強くなってる。
魔王輪を持つ僕ならこれでも平気と見たか、これくらい平気じゃなきゃ最愛の姉は任せられないシスコンパワーか。
どっちにしろ、斬ってみせる。
「雷を斬る、なら……こうだっ!」
火の魔力だけじゃ不足、天の魔力を足して風の動きに働きかけて、瞬間的な真空も作る。
そこに、雷を斬る剣筋が……!
「……やられたよ。しっかりと斬られた」
「野郎、やりやがった……?」
……斬れた。
不意に思い出したのは、あのスティールウィルが使って見せた《雷斬》だった。
見た目だけは大差なくても、今ならわかる。
コツは彼が言ってた通りだ。
「何だよ! 何だよ、それッ……なんでおめェにできて、己にできねェ!?」
受け売りだけどそのままを伝える。
出し惜しみなしだ。
「確かに、天と地を繋いでこその雷撃だからな。その繋がりをこそ斬ることが、そして斬るために天の魔力が、必要なわけか」
「なんてこった。そういうわけかよ」
イグニスさんのことだ。
努力を惜しまず鍛練を重ねて、すぐにモノにするだろう。
その過程に付き合うのはハインツにもプラスになる。
あの組はあれでいいとして。
「な、なあ、凰蘭様……これ、キツくねえですか……」
「言うでない……わ、妾とて、そう思わぬわけでは……」
獅恩と凰蘭様は、智鶴さんに言われたメニュー。
空気椅子で静止だそうだ。
なんでもこの二人は智鶴さん曰く技術以前の問題、精神的な堪え性が足りないと。
まあ、基本的に仕切りはあの人だからな。
あの人がダメと言ったらダメなんだろう。
そんな感じで鍛練を積んで、翌週。
なんと愛魚ちゃんが自主的に参加してきた。
「まあ、まあ、悋気ですか? 私は了大様のこと、そういう風には思っておりませんけど」
「それならいいんですけど、それとは別に、私も色々と今のままじゃダメかと思いまして」
愛魚ちゃんは怒ってる様子はなく、いたって冷静そのもの。
そりゃ、智鶴さんとは誓ってなんにもないんだから、そうでないと困る。
「そこで父の許しを得てきまして、了大くんをはじめ皆さんに『アランスペシャル』をごらんいただこうかと」
え、何それ。
聞いたことないぞ。
阿藍さんはただでさえ社長として忙しい上にそんな話はろくにしないからな。
「旋転、穿ち貫け、氷の錐よ。《氷の螺錐》アランスペシャル!」
そして愛魚ちゃんが見せてくれた、氷柱を飛ばす攻撃呪文。
なるほど、これはスペシャルだ。
近代の火器で弾丸を安定させる時のように、氷柱を回転させて安定性を得ている。
シュヴァルベさん……ついつい、さん付けしちゃうな……シュヴァルベの飛行機関連の調べ物でついでに見た、ジャイロ効果だ。
重工業の社長として得た知識で呪文を改良したとは。
さすが阿藍さん。
「ということは僕も、弾を撃つ時に回転を加えれば」
「うん、魔力だけじゃない実体のある弾なら、応用がきくと思うの」
なるほど、実体のある場合か。
基本の《ダイヤモンドの弾丸》でも変わるかな。
やってみたいけど。
「智鶴さん。『流れの原理』の方は、今日はどういう修行になります?」
「いえ。あれはもう終わりですよ」
「は!?」
終わりってどういうこと!?
僕、全然勝ててないし、自分であれができるようにもなってないし!
もしかして、見込みがないからか……?
「種明かしは先週済ませて、必要な実技もお見せしましたからね。あとは自分の体でつかむことです」
はぐらかされたような、頼ってばかりでもダメとたしなめられたような。
ともあれ、今週の時間を呪文の練習に充てても問題はなさそうだ。
大きな岩に向けての撃ち込みで試行錯誤。
「正直、智鶴さんの方はそんなに心配してなかったの。あの人は鮎川さんみたいな、大人の男性がタイプなんじゃないかな」
「そりゃ僕は子供っぽく見えるみたいだけども」
「私が心配なのはあの、りっきーって人の方。何、あれ」
「んっ」
呪文がすっぽ抜けた。
軌道が逸れて、大岩の端のところにギリギリ当たって弾けた。
「やっぱり、あの人は気になるんだ」
うっ、愛魚ちゃんの機嫌が露骨に悪くなった。
りっきーさん……ルブルムの話は禁句だな。
ところで、他の面々は?
「ぬぬぬぬ……」
イグニスさんは《雷斬》に不可欠ということで天の属性を操る基礎のやり直し。
こればかりは地道にお願いします。
獅恩と凰蘭様は先週同様で似たようなものとして。
「貴公もかなりの使い手と聞いてはいたが、稽古とはいえ手合わせは初めてだな。よろしく頼む」
「こちらこそ、よろしく頼むであります」
ハインツと鳳椿さんの実戦形式の組手か!
見ていてためになりそうだ。
それは観戦するしかないな。
「せいやッ!」
「はあっ!」
一進一退。
ハインツは剣術で鳳椿さんを空手の間合いに寄せ付けなかったり、それだけにこだわらずに要所では肘や膝での打撃も織り混ぜてくる。
鳳椿さんも元々の空手の『廻し受け』がある上に、今回の件でそこへ『流れの原理』の概念も採り入れたようで、ハインツに決定打を許さない。
けっこう長引いたと思ったところで、回し蹴りと横斬りが相打ちになって一段落。
高いレベルで互角に渡り合う、伯仲した実力を見せてもらえた。
「あなたの姉上とは面識がある程度でありますが、これ程の実力ならばさぞや姉上も鼻が高いことであります」
「ありがとう。そう言う貴公の実力も、やはり噂に違わぬものだな。いい稽古だった」
ぶつかることで互いを認め合っては深く結びつく友情。
いいよね、そういうの。
距離を置いて見守っていた智鶴さんも、視線が和やかな気がする。
口元はまた本で隠してるけど。
「智鶴さん、涎がたれてますよ」
「ちょっと愛魚ちゃん!?」
何てことを言い出すんだ!
涎って!
「ふはっ!? いえ、いえ、すいません」
……あれ、否定しないの?
手拭いを取り出したと思ったら本当に口元を拭き始めたぞ。
まさか本当に?
「何だかんだ言っても、鳳椿さんもハインリヒさんもイケメンと言えるレベルだから、冗談で言ってみただけだったんだけど」
にしても、いくらなんでも涎って……
冗談でもそういうの、言わない方がいいよ?
そうして鍛練を積んで過ごしているうちに『流れの原理』の他にも、凰蘭様から天動奥義《楼華幻翔》を伝授してもらえた。
両腕を目一杯に構えて、羽ばたくように打ちつけながらも左右のバランスを崩さないのが肝要だとか。
「鳥が、いずれか片方だけの翼では飛ぶことはかなわぬのと同じじゃ。片方の腕だけに意識を取られることなく、むしろ無意識のうちに手並みを揃えられるように励むのじゃ」
「はい、ありがとうございます」
「坊やに……否、主様にもこの《鳳霊扇》は渡せぬが、鍛練を積めば剣などでも同等に振るえるはずじゃからして、あとは得物と相談じゃな」
「得物、つまり武器か」
智鶴さんの『流れの原理』に、イグニスさんの《雷斬》に、凰蘭様の《楼華幻翔》と、色々と学んでいるうちに、あっという間に夏休みがすぐそこ。
もうすぐ終業式だから、そしたらこの夏休みは気合を入れなきゃ。
◎自家薬籠中
自分の所有する薬籠の中にある物を指し、いつでも好きなように使うことができる、完全に手中にあるものという意味で用いられる表現。
「自家薬籠中の物」とも言う。
今回改めて登場した凰蘭の武器と必殺技《鳳霊扇》と《楼華幻翔》はそれぞれ『ほうれい線』と『老化現象』という年増扱いに由来しています。
ババア扱いしてなんぼなところがあります。




