170 水の『低き』に就くが如し
祝日だからと休んでいたらうっかりしていました。
これもまた自分の責任ではあります。
鳳椿さんは跡目争いで獅恩さんの助っ人へ。
寺林さんが転移させられてくるのにも、言祝座の跡目争いが進展するのにも、まだ時間がかかる。
ということでスケジュール的に微妙に間が空いてしまった。
「近々、勇者・寺林凛がガーデル王国に現れ、人間たちの期待を集めて魔王討伐に出る……その情報は確かな筋からの物、ということでよろしいですね?」
「はい。その線でガーデル王国には情報網を張っておいてください。他の、ガーデル王国の権威が及ばないところは見なくていいので」
「かしこまりました」
前回の行動で、北北東のガーデル王国が出現ポイントというのはつかんだから、情報網の範囲をそこに絞る。
メイドを何人かそちらに向けるから、平常業務との兼ね合いは統括責任者であるベルリネッタさんに調整を頼む。
「しかし、それほど信憑性が高い情報をどこから?」
「それは……内緒です」
周回のことは言えない。
言えばまた気持ち悪く感じるだろうからね。
過去の記憶を押しつけないことも、この人を引き入れるにはきっと必要だろう。
「さて、言祝座の方は、と」
一日二回、定時連絡をやり取りするように決めてある。
連絡役の黎さんに、戦況に進展があった日は書面にして報告してもらえるように頼んでおいたから……
「何か来てる。負けることはないと思うけど、さて、何が起きたか」
書面と言ってもそう長く保管しておく前提のものではないから、電子文明の百円ショップで買ったB5判のルーズリーフと二十六穴ファイルだ。
筆記も同じく百円ショップの三色ボールペン。
安くて便利すぎてついつい、そっちに流れちゃうんだよね。
水は低い方へ、人は易しい方へ……《水の低きに就くが如し》と。
アルブムに負け続けてる僕もまた、ある意味では『低い方』へ流れてしまってるわけだけど。
っと、いけないいけない。
「ん、六男が討ち死にか」
六男と言えば、やたら候狼さんにしつこく付きまとっていたアレか。
どうも、そこを逆手に取られて候狼さんをおとりに使われて失態を演じた挙句、最期はその候狼さんに首をはねられたそうだ。
なんともはや。
でも、せめて最期が好きな女の手でだったのは、ある意味まだマシか。
それに何より……終わりにできたんだからな。
僕のこれはいつ終わる。
いつ戦いが終わるんだよ。
「……何だろう。考えが嫌な方へ、嫌な方へ流れる」
僕は負ける方が自然の成り行きだと。
そうなることが摂理だとでも?
冗談じゃない!
そう言えば、鳳椿さんからイグニスさんに繋いでくれる話じゃなかったか?
来てないんだけど。
「一度、催促してもらおう……体を動かしていないと、気が滅入る」
せめて日課にしている基礎とかナイファンチとかをこなして、体を疲れさせて寝た。
それでも、心療内科で処方された薬がないと眠れなかったけど。
マクストリィに戻って、普通の暮らし。
学校も特に何もない。
深海さんと交際してない学校生活って、こんなにも無味乾燥なものだったんだ。
金曜日、週末になっても遊びの予定が入るわけでもなく。
あとはせいぜいりっきーさんとメッセージをやりとりしたり、ファイダイで遊んだりする以外は、特に何にもすることがない。
まっすぐ家に帰るか。
「了大くん!」
「え?」
帰り道の途中で、不意に名前を呼ばれた。
下の名前を……了大くんって……
深海さんじゃなく、ましてや思い出の中にいる『愛魚ちゃん』でもなく。
誰だ。
それとも聞き間違いか、幻聴か?
「私だよ。フフッ、忘れられてしまったかな?」
「シュヴァルベさん!?」
《空に挑む度胸》の大悪魔、シュヴァルベさんだ。
ずいぶん久しぶりなように感じる。
いつぶりだろう。
「今日はどうしたんです。また調べ物ですか?」
「それもあるんだけど、明後日はいい儲け話があってね」
こちらの次元にいてもおかしくないような、楽に動けて、それでいて変すぎないラフな格好。
しかもそれで儲け話とはまた、今までにない展開が出たな。
どういうことだろう。
「理由は当日まで話せないけど、フフッ、大丈夫。合法だよ」
「わざわざ合法って断りを入れないとダメなんですか?」
「年齢制限があるからね。了大くんがやろうとすると違法なんだ」
「それでですか。はぁ」
年齢制限。
思えば、この周回状態から抜け出せないでいるせいで、僕はずっと子供のまま。
マクストリィでの身分で言っても未成年のままだ。
時間が戻る時に僕の肉体年齢も戻ったり、生成した使い魔もいなくなったりしちゃうようで、ずっと大人になれないでいる。
つまり、本当の意味での魔王にもなれないまま。
しんどい。
「何だい、浮かない顔だね。私が奢るから、美味しいものを食べに行こう」
「え、奢りなんて。そんなの悪いですよ」
「なあに、所詮はあぶく銭さ。いいから、いいから」
ちょっと強引に連れられた先は、食べ放題の焼肉屋。
これは……家に『夕食はいらない』って連絡しておかないとな。
メッセージを送って、母親の既読表示も出て、よし。
「一番いいのを頼む」
「プレミアムコースを二人前ですね、ドリンクはいかがなさいますか」
「ソフトドリンク飲み放題で」
席に着いたシュヴァルベさんは、メニューをまったく見ないで店員にそう告げた。
これ、一人前四千円以上するコース……
「あとはこのタブレット端末で、席にいながらにして注文できる。フフッ、いい時代になったものだ」
マクストリィの科学技術への順応性が高い。
さすが空に挑む過程でマクストリィのあれこれを調べていただけはある。
「夜は焼肉でしょう、というのが何かの動画で流行っているそうでね。私も来てみたかったんだ」
「じゃあ、ありがたくいただきます」
それからコースの範囲内で高いお肉を頼みまくって食べた。
ちょっと食べすぎたかな……
でも美味しかったからいいや。
そして支払いは宣言通りにシュヴァルベさんの奢り。
「ごちそうさまでした!」
「なあに、これしきのこと。私も、可愛い了大くんと食事ができて楽しかったよ」
コンビニに寄ると言っていたシュヴァルベさんと、日曜日の昼過ぎにまた会う約束をしてから別れて、帰宅。
胃もたれの感覚は少しあったけど、いい気分で寝られた。
土曜日はマクストリィへ。
定時連絡に進展は……ある。
次男も討ち取って、派閥を大きくしたそうだ。
その流れで三女を脅しておとなしくさせたとも言うから、着実に勝ちが近づいてる。
派閥の大きさと戦功とで、けっこう獅恩さんに傾いてる。
次男と六男が死んで、三女が立てようとした七男はお飾り、八男はそれ以前の問題。
五男は蕎麦屋で、次女は隠棲で、それぞれやる気なし。
ということで、あとは長男と四男の派閥に、娘を失った責任を獅恩さんに被せたい長女が合流して敵対、と。
僕が何もしない時はそういう風になってたんだな。
仍美御前を助けて、星十狼さんが切腹しないで済めばまた違うから、次回以降は変えていこう。
「さて、夕食は……今日は魔破さんじゃないんだな」
なんでも魔破さんは軍馬として、首里さんを乗せて戦いに出ているそうだ。
なのでその二人を抜いたシフトが編成されて、夕食の調理当番もエギュイーユさんに。
「了大様さえお望みでしたら、今後もお作りいたしますよ」
「たまにシフトを入れてもらうようにしようか。魔破さんの仕事を全部取っちゃうのもアレだから、たまにで」
エギュイーユさんの料理も美味しくて、なおかつ食べる量を調整しやすいようにもしてあって、大満足。
ごちそうさまでした。
「さて、と……」
「魔王様」
風呂に入って寝なきゃ、と思ったらベルリネッタさんが来た。
何だろう……とはあんまり思わないけど、一応聞いてみる。
「お一人でご入浴でしょうか。誰か供をつけられませんか?」
「またその話ですか。一人の方が落ち着くから、一人でいいんですよ」
ここ最近は毎回こうだ。
風呂は全裸になって汚れを落とす空間という性質上、女をあてがうのに都合がいいと思っているんだろう。
今回は僕が誰にも手を出さずにいるから、とにかく誰かを送り込もうとしている。
「一人にさせてください。寝間着やら何やらは置いておいてくれればいいので」
「……かしこまりました」
断って引き下がらせるのが定例化してきた。
僕だって、本当は女の子とイチャイチャしたくなることはもちろんある。
でも、そのイチャイチャの先に……
本当の気持ちがないと、嫌なんだよ。
そして日曜日になった。
シュヴァルベさんと会う約束をしているからマクストリィに戻ったけど、年齢制限つき儲け話って何だろう。
待ち合わせはマクダグラス。
大きくて黒と紫のスーツケースが目印、と聞いてたけど……?
「やあ、こっちこっち」
昼過ぎから動いても間に合うのかな。
シュヴァルベさんは特に慌てた様子もなく、のんびりとしていた。
ハンバーガーは頼まず、ポテトとシェイクを頼んでテイクアウト。
公園に移動して、軽めにつまむ。
「儲け話というのは、これさ」
取り出された紙には機械で印字された『8-12-5』という数字。
これは……勝馬投票券、いわゆる馬券というやつだ。
「ギャンブルじゃないですか!?」
「おや、了大くん、忘れたのかい? 私たち御三家とヴァイスは例の秘儀で、時間を戻しても記憶を保持したままだということ」
「あ」
「フフッ。つまり、こういう賭けは当て放題ということ」
そうだ、僕も番号を当てるタイプのくじでやったことがある。
何番が来るかわかっていれば、お金なんてこれで簡単に増やせるんだ。
確かに年齢制限で僕は買えないけど、大人なら法律上は確かに合法。
合法だけど……チートだよね……
「このレースは荒れるんだ。一番人気の馬が、競走中止になるからね。その上、二番人気や三番人気もいまひとつ調子が出ず、凡走……結果、着順まで当てる賭け方なら十万馬券というわけさ」
「いくら賭けてるんです?」
「十万円。十万馬券なら十万円が一千万円だから、何も全額賭ける必要はないのさ。あまり賭けすぎると、オッズ……倍率が狂うし、何か予期せぬ要因で外れた時に手痛い損失になるし」
一千万円とはまた、大きく出たな。
確か僕が数字を当てた時は、キャリーオーバー込みで三億円だったっけか。
どっちにしろゼロが多すぎて感覚が狂う。
「あとはこのラジオで、結果を聞いていれば……」
携帯しやすいポケットサイズのラジオから、実況の音声が流れる。
関西で開催されている大きな賞、重賞のレースで、ファンの注目度も賭けられている金額も大きいらしい。
そのまま聴き続けていると、一番人気と言われた馬に本当にアクシデントが起きて、実況のアナウンサーも慌てているみたいだ。
そして結果は確かに、八番、十二番、五番。
三着までぴったり的中させていた。
「……払い戻しに行ってくる。すぐ戻るから」
そう言い残してシュヴァルベさんは、例のスーツケースを持って行って、一時間以上してから戻ってきた。
すぐと言うほどすぐじゃなかったな。
「さすがに、一千万以上を即日払い戻しは少し手間がかかったよ。ぴったり一千万なわけじゃないから、はみ出たのもあってね」
ということは何か。
そのスーツケースには今、現金で一千万円詰まってるわけか。
危なっかしいな!
「というわけで、一昨日の飲食費もこういう、あぶく銭だったわけだから……こういう金での飲食は、嫌いだったかな?」
「いえ。自分でも堕落してみて、やり飽きてますから」
「……そう言えば、そういう話だったね」
中身さえ知られなければ大丈夫だろう。
とはいえ。
「いくらでもあると思うと、どんどん使い方が雑になって堕落しますから、気をつけた方がいいですよ」
「ははっ! 悪魔に『堕落するな』とは、やっぱり君は面白いね」
面白いかな。
自分がろくでもなかったから、そんな風になってほしくないと思っただけなんだけど。
特に、シュヴァルベさんは僕を覚えててくれるうちの一人だから、なおさらだよ。
「一番人気の馬、競走中止だって言ってただろう。治る見込みのない怪我……予後不良として安楽死になってしまうんだ。それを思うと、笑ってはいられないけどね」
「うっ……」
嫌な話を聞いた。
その馬の死の上に成り立つ的中か。
「とはいえ、お金はお金だ……あらかた置いてくるけどいくらか持って、またいいものを食べよう」
ギャンブルで得た配当金、あぶく銭と言っても、お金そのものに罪はない。
罪を犯すのは、使い道を間違える人間だ。
いつもと違う高いものをたまに食べるくらいなら、大丈夫。
「前の周回でもそうだった。《水の低きに就くが如し》……どうあっても今日終わってしまう馬だったんだ。あの馬のことは変えられないけど、私たちは変えられることを変えて、アルブムに勝とう」
そうだ。
僕はお金じゃ買えない勝利を手に入れないといけない。
そのために今、手を回してるんだから。
◎水の低きに就くが如し
水が低いほうに流れるように、自然のなりゆきは止めようとしても止められないことのたとえ。
また、ごく自然にそうなることのたとえ。
「水は低きに流れ、人は易きに流れる」と、人が簡単な方へ行ってしまうことに使う変化もある。
『孟子』告子上から。
気休めと箸休めに周回知識チート回にしてみました。
シュヴァルベはフリューやアウグスタに比べて影が薄い気がするのもあって、テコ入れも兼ねて。
(2021.5/22)元金→配当の計算に誤りがありましたので修正しました。