167 『詰め腹』を切らせて
新生活シーズン。
生活のスタイルやリズムが変わって思うように動けてないことってありませんか。
私は今、そんな感じかもしれません。
周回する効果を活かして『捨てる』時間にしたからこそ得られた情報、と……
それにしてもあんまりな話だった。
本当のクズは、あんな幼女でも自分の欲望のために平気で辱めてしまうとは。
こうなったからには、この件について今更僕が下手に手出しや口出しはできないな。
前回のように介入しなかった場合にどうなるのかを、末路まで含めて押さえておくだけにとどめておこう。
「ひとまず……《罪業龍魔》は、置いて行けばいいか」
虫くらい小さくしたなら、屋根裏とか、天井の梁とか?
とにかく、頭上の死角になりやすいところでいくらでも隠れられるから、今回の仍美御前については監視させておこう。
あの様子だと、ろくな食事も与えられないだろうから……
その上でさらにあんな目に遭わされるなら、きっと長くはもたないだろうけど。
マクストリィに戻った。
なんとなくスマホをいじって……
「はろー☆」
……『りっきー』ことルブルムからメッセージだ。
そう言えば、スマホに触らない時間が増えてたからな。
「最近どうしたの? ファイダイもなんか、ログインが飛び飛びみたいだし」
「いろいろ忙しくて」
嘘じゃない。
アルブムに負け続けて時間を戻してるこの状態は、のんびりソーシャルゲームにかまけていられないくらいの危機なんだから。
「何かあったら相談してね。絶対だよ」
「ありがとう」
このルブルムも、僕の選択次第では僕よりアルブムを、実の母親を選ぶ。
それは責められないことだ。
僕だっていくらルブルムが相手だとしても、何をどうやっても敵になって僕の母親を殺すって言うなら、ルブルムを見捨てることは不思議じゃない。
僕の行動次第で未来が変えられるから、変えられると信じているから、そこまでは行かないだけだ。
でも、こんなことになる前にはりっきーさんとのやりとりが、一番の心の支えだった。
そのりっきーさんが、ルブルムが周回をやり直すたびに僕の苦労を忘れちゃうのは……
やっぱりつらいな……
……もう朝か。
寝落ちてたから、スマホがちゃんと充電できてないや。
まあ、ゲームしたりいじりすぎたりしなきゃ大丈夫かな。
平日は学校に行くだけだから。
「おはよう、真殿くん」
「……おはよう」
愛魚ちゃんには、この時間では特に接近していないから普通の対応だ。
二人称もお互いに苗字。
何も知らない『深海さん』には……今回はいいや。
忘れたくない、忘れてほしくない思い出ができても、この時間は続けられないから。
このまま、ただのクラスメイトのままで。
ヴィランヴィーの真魔王城へ。
いつも通り、メイドたちが業務をこなしている。
「焙じ茶と煎餅にござりまする」
候狼さんがお茶と茶菓子を持ってきてくれた。
ありがたくいただいて、ゆっくりとした時間を過ごす。
「美味しいよ。ありがとう」
「にへへ……」
改めて、候狼さんを見てみる。
勤務中のメイドとして、僕から少し離れた位置に立って控えている。
僕が褒めたからなのか何なのか、ちょっと口元は緩んでるけど、特に問題はない。
人懐っこいタイプの巨乳美少女だ。
何かにつけて『誰某ばかりずるいのでは!』と他を羨ましがる癖はちょっと良くないとは思うけど、愛嬌と思えばかわいいもんだ。
押しの強さに根負けしたり、やさぐれて適当に扱ったりして、肉体関係になった時間もあったけど……
この時間ではそんなことはない。
主人とメイドというだけの関係だ。
「このまま、ずっとこうしていられたらいいのに……」
やがて来る強敵に怯えることもなく、のんびり暮らしていられたら。
いや、違うか。
のんびり暮らせる『未来』が欲しいからこそ、アルブムに勝って『現在』の繰り返しを抜け出さなきゃいけないんだ。
だから今は、ずっとこのままでいちゃいけない。
いられないんだ。
言祝座へもたまには行く。
例の山賊どもと仍美御前がどうなるかは見届ける必要がある。
基本的には《罪業龍魔》に見させてはいたけど。
「やっぱりそうなるよな」
仍美御前は元々細かった小さい体が、さらに細くなっているように見える。
嫌々歩かされるにしても足取りはふらふらとしていて、衛生面もお察しだ。
どうせ石鹸どころか湯すら使わせてもらえなくて、いいとこ井戸水をそのままかぶるくらいなんだろう。
服も、さらわれてきた時の上等な着物じゃなく、何かボロい粗末な服に変えられている。
たぶんあの着物も金目の物として奪われたんだろうな。
そして今日も、粗末な服さえも脱がされて……
とうとう、動かなくなった。
「わかっていたけど、気分の悪い結末だ」
次の時間以降では絶対にここに人を遣ろう。
そう決めて《罪業龍魔》を引き揚げさせようとした時。
拠点が襲撃を受けた。
寄せ集めの山賊でない、規律のしっかりした軍勢が攻めてきている。
人数こそ少ないけど質の方は装備も腕前も全部勝ってるから、どんどん山賊は斬られていく。
そして、遅れてやって来たのは、ライオンのような偉丈夫。
前回会った、獣王の三男の獅恩さんだ。
「仍美! 仍美ィ! くそ! こんな……なんでこんな事に!」
悔しさと怒りを無頓着にふりまいて、獅恩さんは引き揚げた。
軍勢を率いて、仍美御前の亡骸を運ばせて。
この状態から獣王城へ行くのは、どうしたものか……
でも、行かないとダメだろうな。
この事件が跡目争いにどう影響するかは、城内に行かないとわからないんだから。
真魔王城へ戻って、鳳椿さんがどうしているかを聞く。
日課になっている鍛錬をこなして、一息ついていたところだった。
「獣王城へ行きたいと。自分が仲立ちになればよいのでありますな」
「はい。どうかお願いします」
何でも自分でできるわけじゃない。
できないことについては素直に頼ろう。
頭を下げて、お願いする。
人にものを頼む時の基本だ。
「そうして丁寧に頼まれれば嫌とは言わんでありますが、向かった先で受け入れられるかはまた別でありますよ。仲立ちはつかまつるでありますが」
「もちろんです。そこは鳳椿さんの責任じゃありませんから」
鳳椿さんが開けた《門》で近くまで出て、獣王城へ向かった。
でも、なんだか門番からして雰囲気が物々しい。
「むう、これは鳳椿様。いやはや、まったくろくでもないことになりまして」
「そこまでの大事でありますかな?」
さすがに鳳椿さんが相手となると、門番も重い口を開いた。
原因はやっぱりと言うしかないだろうけど、仍美御前の件だった。
城をこっそり抜け出す様子に誰も気づかなかったために、今回の事態を招いたと。
「ともあれ、星十狼殿に繋いでほしいであります」
「それが……」
「星のじっさまなら、もういねえよ」
門番との押し問答になるかと思っていたら、獅恩さんが来た。
獅恩さんか……
「もうおらぬとはどういうことでありますかな。あれほどの御仁が」
「それは……って、何だ、あんた」
怪しい奴を見る目でこっちを見て、警戒する獅恩さん。
前回のことは忘れられてる上に今回は獣王城に来るのは今日が初めてだ。
そうなるだろうな。
「あちらにおわすはヴィランヴィーの魔王、了大様であります」
「魔王? あんなチビがか?」
あんなことがあったばかりだからだろうな。
何に対するにしても、獅恩さんの態度がいちいちとげとげしい。
「まあ、一応そうです」
「一応、ね……ふん。鳳椿が言うならまあ、そういうことにしといてやるか」
前回の様子だともっとサバサバしたタイプだと思ったのにな。
見込み違いだったのかな。
僕はもう、人を見る目には自信がない。
「おっと、話を戻すであります。星十狼殿がもうおらぬとは」
「こんな所じゃあ言えねえよ。上がりな」
獅恩さんの顔で、城内に通してもらえた。
でも、城内を行き来する人たちもなんだか雰囲気が重い。
しばらく進んで、それなりの広さのある部屋に入った。
「さて、と……じっさまの話だったな。実を言うとな、バカどもがじっさまに《詰め腹》切らせやがったのよ」
「《詰め腹》!」
腹って……切腹!?
あの星十狼さんのどこに、そんな落ち度が!
「仍美が……そうか、鳳椿も知らねえんだな。詳しい顛末は言いたくねえが、仍美が死んだ。で、一紗の野郎が、その責任がじっさまの監督不行届にあるだなんて言い出した上に、仍美の母親も、肝心の親父殿も、揃ってそれを咎めねえもんだから、あれよあれよと話が進んで切腹よ」
「そんな、本人はそれでよかったんですか」
「いいわけねえだろうが! もちろんよくはねえ! が! だからって長年仕えてきた、じっさまの忠義は揺らぎやしなかった。腹を切れと言われたら切る、言われたから切った、それだけよ」
要するに責任問題に発展して、星十狼さんは死罪。
孫娘も国家老も失って、獣王城の内情はガタガタってことか。
「じっさまの命と引き換えで仍美が生き返るわけでもあるめえに、バカなことをさせたもんだ。一紗も、親父殿もな。このまま親父殿が病でポックリ逝って、おめおめと一紗が跡目を継ぐなんて言ったら、獣王城はおしまいよ」
「確かに、一紗殿は跡目としては少々、頼りない面はありますな」
だから国を割ってまでの内乱に発展するのか。
こんな原因があったら、仲直りとか手打ちとかは絶望的だろう。
仍美御前も星十狼さんも存命だった前回の展開は、それを回避できていた方だったんだな。
「まあ、そういうわけだ。あんたが異界の魔王か何か知らんが、何かしてくれるってんなら、おれを勝たせて跡目に推してくれよ。そうしておれが次の獣王になったら、その後は見返りに融通を利かすぞ」
「……即決は避けさせてください」
「そうだな。今この場では決められねえだろうよ」
つまり、今日のこれは跡目争いの発端を目の当たりにしたことになるな。
こうなることはとっくにわかっていたのに、やっぱり気分が重い。
獣王城を出て、城下町を歩いて、さらにその外へ。
鳳椿さんはどんどん歩いて行く。
そう、歩いて行ってる。
ヴィランヴィーに戻るだけなら《門》で一発なのに。
「鳳椿さん、この先に何かあるんですか」
「何も」
何もないのか?
何もないのがわかってるのに、わざわざ歩いて向かっているのか?
確かに周囲の景色が、道がある以外に人の手がほぼ入っていないものになっている。
人の手で作られた城から、城下町から、ここまで来てしまっていた。
「了大様には、正直に吐いていただきたいのであります」
こちらに向き直った鳳椿の眼光が鋭い。
僕を疑っている目だ。
「件の、時間を戻す力をもってすれば、この事態は変えられるとお考えでありますかな」
「それはもう、変えてみせますよ」
これは間違いない。
時間を戻して、あのタイミングまでに人を遣ればなんとでもなる。
「ではもう一つ。件の、時間を戻す力をもって……わざとこうしたのでありますかな?」
「っ……」
それも間違いない。
僕はこの時間を捨てるつもりで、わざと仍美御前を見殺しにした。
今までの時間ではどうなっていたかを、僕が何も介入しなかった場合にどうなるかを、知るために。
「答えられぬ、というのはつまり、そういうことでありますな。知っていてなお、仍美御前をお助けしなかったと」
「はい……」
ぐうの音も出ない。
その通りだ。
僕は何も言えず、鳳椿さんも何も言わず、風と時間が流れる。
しばらくして、鳳椿さんから口を開いた。
「……苦し紛れに言い訳をつけぬだけ、まだよい方ではありますな。自分らは将棋の駒ではなく、人生とは将棋の一手に『待った』をかけられる場合ばかりとは限らんのであります。ご自慢の力をもってしても、でありますよ」
「すいませんでした」
僕は『周回を捨てる』ということとその意味を、軽々しく考えていたんだ。
僕からすれば『時間を戻せば助かる命』であっても、本人からすれば『時間も失われた命も戻らない』んだから。
死、か……
「ん……そう言えば」
もちろん当初の予定通り、この時間は戻す。
戻すけど、その前にやれるだけのことはやらないといけない。
会わなきゃいけない相手が、もっといる。
行かなきゃならない場所が、もっとある。
もっとよく考えろ。
そして、もっとよく思い出せ。
◎詰め腹
本意でない責任をとらされること。強制的に辞職させられること。
強いられて、やむをえず切腹すること。
今回のことで「了大が介入しないと、言祝座は人死にが増えて大変になる」ことがわかりました。
すでに、時間を戻さないとどうしようもない状態まで行ってますが、それまでに何をするかがこの時間での課題としてまだあります。




