157 『窯変』
引越の期日が具体的に決まってしまって、いよいよしんどいです……
人間でなくなる。
魔王として人間をやめるとは決めていたけど、それがまさか、魔王輪の闇の魔力が僕の殺意に反応するという形で起き始めるなんて。
「これはアタシ個人の経験談であると同時に、悪魔の間での一般論だけど……殺意というか、憎悪、もしくは嫌気……まあ、なんでもいいわ。俗に『良くない』とされる感情、負の感情があんまり強いと、それがきっかけになって人が人でなくなるというのはこのヴィランヴィーではままあることよ。魔王輪なんて持たない、普通の人間でもね」
「そんな……!」
じゃあ、僕はどうなる。
自分が自分でなくなるとしたら、アルブムがどうこう以前の問題だ。
「だからこそ、最後に物を言うのは《人間性/Humanity》よ。踏みとどまれた者は例外なく、人として人らしく生きる意志によってのみ、人でいられた」
「人間性か……」
そういうものかもしれない。
でも、僕にそんな意志の強さがあるだろうか。
周囲の状況に流されて、なんとなくで生きてきた結果がこれじゃないのか。
考えれば考えるほど悩みは尽きない。
悩んでも悩まなくても時間は流れる。
平日に合間を縫って真魔王城に来たから、また学校に行く。
行くけど……
「正直、愛魚ちゃんがいなかったら来ないよな……」
学校の成績がいくら良くてもアルブムには勝てない。
愛魚ちゃんとの心の絆、精神的なつながりを育むために来ているだけみたいなもんだ。
「私のためにって言ってくれるのは嬉しいけど、今の了大くんにはこういう時間こそ大事だと、私は思うの」
「そうかな?」
「こういう、一見何でもないような時間の平穏こそ、人間性だから」
愛魚ちゃんの口からも『人間性』と言われて返答に詰まる。
法律が制定された社会、法律に従って生きる社会通念、それらによって得られる治安……
殺したり殺されたりといった戦いとは、基本的に無縁の生活。
だからこそ人は文化や技術を発展させたり、その生を全うしたりして生きてこられたのだと、そう考えると言う通りかもな。
「僕は……人間でいられるだろうか」
「大丈夫だよ。私は了大くんを信じる。だから了大くんも自分を信じて。でないと……」
そこから先の言葉を濁したというのは、言うまでもないことだからだろう。
魔王輪の魔力に、自分自身の心の中にある殺意に、飲み込まれる破滅。
そうなったら周回どころじゃない。
冗談じゃない。
僕は……
そうして、平日は学校、週末は真魔王城、とメリハリをつけながら曜日の感覚を保つことで、それらを通じて人間性を保つという。
人間性を保つ、自己の精神の平衡を保つという課題ができたことで、自制心の強さで思い出したあの人を呼んでもらえるよう、繋ぎを頼んでおいた。
そして、その翌週。
返ってきた返事は最悪だった。
「すまぬ、主様……鳳椿の奴は、既にアルブムの手にかかっておった」
「なんでも、言祝座が落とされた時に殺られちまったらしい……いくらあいつでも、アルブムの姐さんじゃ相手が悪かった」
凰蘭さんとイグニスさんが揃って浮かない顔だ。
呼んでもらおうとしたのは鳳椿さん。
この女だらけの真魔王城へ自由に出入りできる《鳥獣たちの主》の片割れという身分でありながら、どの女の子たちにも、ヴァイスにさえも手を出さず、禁欲生活を貫いていた人だった。
しかし、この時間では既にアルブムにやられてしまって呼びようがないという。
「道理でリョウタ殿の記憶に、あまり鳳椿が出て来ぬはずですな。おそらく顛末はどうあれ、リョウタ殿に会う前にアルブム様の手にかかるという時間が多かったものかと」
トニトルスさんもしかめっ面だ。
でも、ドラゴンの二人はまだいい。
姉である凰蘭さんは……
「おのれ、アルブムとやら……! 腹をかっ捌いて、五臓六腑を焼き尽くしてやりたいくらいじゃ……」
……壮絶な表情で、目付きも怖い。
その目をドラゴンの二人に向けないだけ、まだギリギリのところでこらえてるんだろう。
怒りも悲しみも、察するに余りある。
「凰蘭さん、その、なんと言いますか……」
「主様! 主様はわかってくれるじゃろう? 主様の思い出の中の時間を失った気持ちと、妾もあれと同じじゃ……」
軽率に『わかる』とは言いたくなかったけど、そうして言葉を選ぼうとしたことで、逆に凰蘭さんには伝わったらしい。
そう、僕が『最初のベルリネッタさん』を失ってここまで苦しんでいるように、凰蘭さんも今、苦しんでいる。
似た者同士になってしまっているわけだ。
「己からしても、確かにアルブムの姐さんは普通なら頭の上がらねェ恩人だがよ、鳳椿だって長く一緒に修行を積んできた仲間だったんだ。そこでな」
「リョウタ殿がお戻りになられる前に、我ら三名で話し合いましてな……やはりここは、例の呪文でもって時間を戻していただきたく」
「そんな……」
アルブムと戦いもしないで、この時間を諦めろって言うのか。
でも、イグニスさんもトニトルスさんも本気だ。
「どうか、頼む! この通りだ!」
「我からもお願いいたしまする。鳳椿は我が盟友である凰蘭殿の弟にして、あやつ自身もまた我が盟友ですからな」
この二人に揃って頭を下げられるというのは、なかなか強烈な絵面だな……
でも、肝心の凰蘭さんも同じ気持ちなのか?
目線をそっちに向けてみると。
「それで鳳椿を失わずに済むのであれば……妾からも、お頼み申し上げます……何卒、主様のお力添えを」
土下座!
これまで何があっても、それこそアルブムの支配で正気を失ってさえ、なお気位の高さだけは失わずにいた凰蘭さんが、土下座!
こんな凰蘭さんは……見たくなかった。
「どうかお顔を上げてください。そこまでされなくても、断りませんから」
凰蘭さんに、早く立ち上がるように促す。
もう、どうもこうもない。
僕どころか真魔王城からしても年長者である三人に、揃ってここまで下手に出られたというだけでなく、僕自身が鳳椿さんにまた会って、もっといろいろと学ばせてもらわなきゃいけないんだから。
「やります。ただし、愛魚ちゃんとかフリューとか、他の方面にも話を通す時間だけはください。それからなら」
「おお、おお……勿論、主様の仰せのままに……」
しかし、とんでもないことになった。
フリューたちは例の呪文の写しで覚えててくれるとしても、他がな……
「あっ」
「……」
考え事をしながら廊下を歩いていたら、ベルリネッタさんとばったり会った。
でも、軽く会釈だけしたら別の方向へ歩いて行ってしまった。
とうとう一言も口をきかなくなったか……
「うん、やっぱり、そうするか」
ベルリネッタさんもこのざまとなれば、もう迷うこともない。
でも、フリューたちはどこにいるだろう。
時間を戻すなら彼女たちには相談しておかなきゃ。
「あ、ディスプレイに出せばいいんだ」
城にある魔王の専用機能でだいたい分かるじゃないか。
すっかり忘れてた……
やっぱり、立待月にも起きててもらわないとダメかな。
なんてことを思った途端、床や地面が激しく揺れた!
「な、何が起きた……!?」
魔王の権限でディスプレイを表示。
城の建物自体が大きく破壊されたアラートが出てるぞ。
もうアルブムが来たのか!
とはいえ、もう『今』はあいつに構っている意味はない。
時間を戻せば、この被害も戻る。
「うわっ!?」
呪文を発動させようとした途端、今度は僕のすぐ近くの壁が壊された。
何が起きてる!?
壊された壁は外壁で、そこから外が見えるようになっていた。
空を見てみると。
「ヌワハハハハハハ! ワシは! ワシは不滅!」
大きな……エイのような姿!?
そんな、ミリオーネンは確かにフリューが仕留めた後だ。
時間を戻したのだって、戴冠式のところまでで、戴冠式ということは確実にあいつは死んでいるはずだ。
どうなってる!
「確かに、あれはもう死んでいるのであります」
「……そんな!?」
本来いてはいけない姿に目を奪われていた隙に、背後に忍び寄った気配。
声に振り向くと、これまた本来いてはいけない姿があった。
「鳳椿さん……? あなたは、死んだと」
「ええ、自分もまた、今や死人であります。鳳凰として再生して甦ったのではなく、あれと同じ、体なき幽霊として」
死人……幽霊……
そんなことがあり得るのか。
いや、あり得る。
何しろ、ここにはあの人がいる。
さっきも顔を見たよな。
「ベルリネッタ……!」
「そう。《命無き者の女帝》である彼女の力をもってして霊魂を捉えれば、異界の勇者とてあの通りであります。そして、自分も」
なんてことをしてくれる!
死者を従わせて僕にけしかけるなんて、それじゃ……
それじゃまるっきり、アルブムの支配と変わらないじゃないか!
「来い、剣よ!」
勇者の剣を呼ぶ。
次元だって越えて来る剣が、同じ次元のしかも自分の居城の中、来られないわけがない。
早速引き抜いて……
「《聖奥義・神月》、行くぞ!」
「使用不可能です」
……使えないだと!?
何を言ってる、こんな時に!
「今夜は新月てす。月のない夜は《神月》も使えないのです。申し訳ありません」
あくまでも月光が必要だと。
それじゃ仕方ない。
魔王の権限で城内の機能を使って、隔壁を作る。
閉店する店がシャッターを閉めるイメージを伝えれば、そういう挙動で壁が降りた。
「あなたに……今のあなたに構っている暇はありません」
そのまま鳳椿さんの現在地を中心に隔壁を増やして、閉じ込める。
幽霊は壁も抜けられるんだったらどうしようと思ったけど、抜けられないらしい。
じゃあ、鳳椿さんは隔離しておけばいいか。
問題はベルリネッタ……ベルリネッタさんだ。
あの人にだって、本当は何か理由があるからこんなことをしてるはずなんだ。
僕に言えない悩みや望み、そして、嘆きが。
「現代人をなめるなよ。この程度のマップくらい、秒で使いこなすんだからな……ベルリネッタさん、そこか!」
スマホアプリの地図よりは少しわかりにくいけど、だいたい似たような操作で制御できる上に、自分でも足を使って配置を覚えてる城だ。
城内から出てないのなら逃がすものか。
また隔壁を作って、ベルリネッタさんを釘付けにしておく。
「あのミリオーネンはどうしたものか……ベルリネッタさんを仕留めれば消せるとは思うけど……いや」
自分だけで抱え込むな。
相手が悪魔ならこっちも悪魔を頼れ。
「フリュー! 通じる?」
「聞こえてるし見えてる。なんでアレがいるのよ」
「ベルリネッタさんの仕業」
「アイツ!」
フリューの方でもミリオーネンは目で確認していたらしく、説明は省略できた。
あれの対処を頼む。
「アイツの霊魂がフィギミィに導かれるでも消滅するでもなく、ベルリネッタに使われてる……ってのは言うなればアタシの不始末でもあるから。任せて!」
「ありがとう。頼むよ!」
ミリオーネンはフリューに任せて、ベルリネッタさんの現在地に向かう。
場所は……寝室。
イグニスさんや凰蘭さんも呼んで、慌てず合流して後ろに控えてもらって、対面する。
「さて、ベルリネッタさん。聞かせてもらいますよ。なんでこんなことをしたのか、あなたの本当の望み、嘆きを」
「……嘆き?」
僕の詰問に、ベルリネッタさんは動じる様子はない。
魔力の様子を見ても、特にアルブムに支配されてる様子はなさそうだ。
「フフ、笑わせないでいただけませんか? 貴方のようなお子様が、わたくしをどうにかできるとでも?」
「確かに、あなたからすれば僕なんてお子様ですよ。でもね」
しっかりとベルリネッタさんを見据えて、間合いを詰める。
絶対に目を離すな。
「なんだァ? 時間を……」
「こりゃ! それは言うでない」
「あ、そうか。 じゃあ……例のアレな。アレやっちまえばいいだろうに。なんで小僧はあいつになんか構ってんだ?」
「そこは主様のお考えじゃ。妾は見守るぞよ」
「そっか」
イグニスさんと凰蘭さんのそんなひそひそ話さえ聞こえるほど静かな空間。
ベルリネッタさんは、まだ動かない。
さらに間合いを詰める。
「でも、言ってくれなきゃわからないじゃないですか。最初から諦めて、決めつけて、見くびって……そんなの、誰だって嫌に決まってます。だから」
「だから? 何を、人を勝手に理解したつもりになっていらっしゃるのかしら? わたくしの事なんて……どうせ……」
冷静だったベルリネッタさんの表情が、憤怒で歪む。
小声の呪文を早口で完成させると……暗がりから黒い手のようなものが伸びてきた!
これは見たことがあるぞ。
《影からの枷》か!
「その『どうせ』がダメなんですって!」
魔王輪からの魔力をきちんと使えれば、こんな枷には捕まらない。
しっかりと魔力を回して、両手で呪文を握り潰すイメージで……
よし、破った!
「フ、フフフ……ウフフ、アハハハ!」
呪文を破られたのに、急に高笑いを始めたベルリネッタさん。
何がおかしい?
「人の心配などなさっていられるご身分ですか? その両腕をごらんになっては?」
そう言われて、つい馬鹿正直に自分の両手を見る。
すると、確かに自分の意思で動く、自分の両手が。
「……黒い……!?」
両手が、両腕が、変になってる。
痛いわけじゃない。
動かないわけじゃない。
ちゃんと思い通りに、いつもよりも軽々と動くくらいなのに。
肘のあたりから先が真っ黒だ。
しかも長さが伸びてる。
下腕も指も、変に長い。
何だ、これ!?
「そんな有り様でわたくしの望みだ嘆きだなどと、可笑しいったら」
「……う、うあ……わああ……!」
違う。
違う!
こんなの、こんなの違う!
こんなの僕の腕じゃない!
「主様、お気を確かに!」
凰蘭さんが後ろから、僕の両肩を抱き止めてくれた。
でも、でも……
「落ち着いて、例の呪文を。さすれば、きっと戻れまする。そのような《窯変》など、一緒に戻してしまえば」
……大丈夫なのか?
こんな状態で時間を戻して、でも、腕が戻らなかったら……!?
◎窯変
陶磁器が窯で焼かれるうち、炎や釉薬などの関係で、色や模様に予期せぬ変化が表れること。
転じて、人やものが思わぬ変化を見せることという意味にも。
今週のサブタイトルは、ちょうど毎日新聞の校閲センターがTwitterで挙げていたものを拾いました。
報道記事の捏造、偏向、印象操作は目も当てられないレベルのゴシップ紙ですが、校閲センターだけはなかなかちゃんと仕事をしているようですね。