130 『空』樽は音が高い
初日からアウグスタに会ったことで《悪魔たち》ルートがスタート。
空の次元、ファーシェガッハに行きましょう。
アウグスタと入浴。
時間を戻したばかりだから、前回の負け方が昨日のことのように感じる……というより、本当に体感で昨日相当にしかなっていない。
あのカエルレウムの涙も、はっきりと思い出せる。
今はもう失われた、あの心も。
「はー……」
椅子に腰かけて身体に湯をかけて、頭からも湯をかけて、大きくため息。
なんだか気だるい。
「お疲れのようですね。色気どころではない感じですか」
「うん……」
浴場ということでアウグスタも全裸だけど、なんだか憂鬱で、アウグスタとどうこうという気分にはならない。
今はのんびりしたいな。
「では、私がつとめさせていただきましょう。リョウタ様は何も考えず、私にお任せください」
アウグスタが頭を洗ってくれる。
おお……癒される……
「はぁ、リョウタ様の御髪、サラサラですねえ……これは我が盟友から聞いた話ですが、こういう時は『かゆい所はございませんか?』と訊ねるものだそうですね。ございませんか?」
「うーん? じゃ、旋毛のあたりをお願い」
散髪の後みたいな感じになってるぞ。
アウグスタの友達は何を教えてたんだか。
でも、気持ちいいから問題ないか。
「こうしていると、弟がまだ小さかった時に風呂に入れてあげていたことを思い出します。今は、家督を継ぐよう言い付けて国元に置いて来ましたが」
アウグスタには弟がいるのか。
それは初めて聞いたぞ。
というか、国元って。
「我々《悪魔たち》の国元と言えばもちろん、悪魔の空の次元、ファーシェガッハですよ。盟友も弟もあちらにおります」
「ファーシェガッハね。名前は聞いたけど、行ったことはまだないなあ」
「なんと」
ファーシェガッハには行ったことがない。
僕がそう言うと、アウグスタは殊更驚いた様子で。
「前回までの私は一体何を考えていたのやら。リョウタ様にも是非、ファーシェガッハの空をごらんいただきたいのですが」
「なかなか機会がなくてね。前回は行こうとしたんだけど、結界が張られたし」
その時は確か……言祝座の魔王が殺されたから、外の次元から誰も来られなくするために結界が張られたと聞かされている。
でも『今』なら時間が戻ったばかりだから、まだ張られてないかな。
ん……時間?
「しまった!」
「わっ!? リョウタ様、驚かせないでください。どうされました」
すっかり忘れてた。
電子文明のマクストリィと真魔王城のヴィランヴィーとでは時間の流れがズレるとは言っても。
「僕、明日も学校だよ! どうしよう……」
「どうもこうも、学校に顔を出す程度のことはどうとでもなるじゃありませんか。何かと思えば、それくらい」
それくらいって……学校は大事だよ。
何しろ、前回は愛魚ちゃんをほったらかしにしすぎて失敗した。
そうならないためには愛魚ちゃんと学校で会って、しっかり気にかけるようにしないと。
「ふむ……では、今週だけはリョウタ様の姿に化けられる代わりの者を行かせて、学校の休日に入れ替わりましょう。何しろ今日は時間が戻った初日です。『初日、もしくはかなり早い段階で動かなければ対処が間に合わない事象もある』と考えられますからね」
今週だけ……今週だけならいいか。
ロールバック直後にスタートダッシュを決めるというのは、確かにそれも必要そうだ。
「うーん……じゃ、そうしようか」
「決まりですね。では、お体の方も」
相談が済んだところで、アウグスタは僕の体を洗い始めた。
もちろん背中だけじゃなく、前とか、下とかも……
* アウグスタがレベルアップしました *
……それで気分が次第にリラックスしていくうちに、男子のアレの方もまた、せっかくだからリラックスしたいと主張し出した。
全裸のアウグスタに密着されたり、惜しみなく裸を見せられたりしてたから、気分さえ落ち着けば必然的にそうなる。
「リョウタ様ってば……可愛いお顔をして、魔力もこちらも凄い……♪」
動くのは全部お任せしてしまった。
体を洗い直して、湯舟に浸かりながら、アウグスタには呪文で僕の記憶を読んでもらう。
斯々然々。
「ふむふむ……なるほど、有意向上は伝授と習得を済ませていると……『前回までの私』も、私なりに考えてはいたようですね」
これまでのあらすじ、という感じかな。
次は何から……始めたら、いいのか……
「ちょっと、リョウタ様!? 湯舟で眠ってはいけませんよ!?」
……あ、ヤバい。
寝そうになってた。
湯舟で寝るのは気絶するのとほぼ同じようなもので体に良くないって、ネットか何かで見たな。
いけないいけない。
「やはりお疲れですね。今日はもう寝ましょうか」
うん、もう眠いな……
アウグスタに連れられるようにして寝室に移動。
ベルリネッタさんがベッドメイクを済ませていた。
「……ふむ。アウグスタさんと『済ませて』おいでのようですね」
ベルリネッタさんの視線が、僕とアウグスタを値踏みするように動く。
一体どうやったら、この打算的な人が僕に本気になってくれるんだろう。
最初の時はあんなにラブラブだったのに。
それを思うと、また気が滅入る。
「大丈夫……大丈夫ですよ、リョウタ様……お気を確かに……」
アウグスタに添い寝してもらって、おっぱいに甘えて眠った。
おやすみなさい。
翌朝。
目が覚めたら、もう昼頃だと言われた。
窓から見える太陽の位置もかなり高めだ。
「学校にはヴァイスを行かせてあります。今週だけならなんとかしてくれるでしょう」
アウグスタは僕の記憶を読んだことで、やってはいけない禁忌とか使える策とかの情報を得ている。
一時的な僕の身代わりなら、やっぱりヴァイスが適任か。
ただ化けられるだけじゃなく、夢の中で出来事の記憶をすり合わせしてもらえるのは重要だ。
「さて、ここからが本題! 外敵を警戒して結界を張ってしまう前に、ファーシェガッハに行きましょう」
僕はファーシェガッハには行ったことがないから《門》を習得していても、目的地に繋ぐことができない。
アウグスタの土地勘に頼る。
「常設ではありませんが、繋ぎやすくする触媒を用意していますから、そこへ……私の実家へ繋ぎます……よし、問題なく繋げられました」
現れた《門》は僕がよくやる長方形じゃなくて、上が丸い形。
繋がったと言うので、くぐる。
すると、薄暗い大部屋に出た。
振り返ると、お金持ちが庭に置くようなアーチがあった。
なるほど、これが触媒で、上が丸いのはこのアーチの形か。
「さて、出迎えは……騒がしいのが来ますね」
強い魔力が近づくのを感じる。
それに、だんだん大きくなる足音も聞こえる。
「……やはり姉上でしたか。よくお戻りになられました」
ヨーロッパっぽい、身なりのいい男子が現れた。
アウグスタと同じ肌色に、同じ金髪碧眼。
青年と言うよりは少年っぽいところが残る、イケメンくんだ。
「《ハインツ/Heinz》、久し振り。その様子なら、家督としてなんとかやれているようだね」
アウグスタを『姉上』と呼んだ少年は『ハインツ』と呼ばれた。
それが彼の名前か。
「ハインツは愛称で《ハインリヒ/Heinrich》が正式な名ですよ。私の弟であり、ファーシェガッハにおいて伝統ある爵位《雷霆男爵/Thunder Baron》を継ぐ者です」
ハインリヒ……で、愛称がハインツ。
男爵の家柄の跡取り息子らしい。
でもそのハインツくんは、嫌そうな顔で僕を見ている。
やっぱり魔王って嫌われ者なのかな。
「姉上から離れろ。貴様は姉上の何なのだ。なぜ姉上がわざわざ、貴様を連れて来た」
「なぜって……」
参ったな。
軽く観光に来た程度の気分でいただけなのに、矢継ぎ早の質問責め。
「リョウタ様は私がお仕えする主君、ヴィランヴィーの魔王であらせられるのだから、私がご案内した。何か文句が?」
さすがにアウグスタがフォローしてくれるか。
弟が相手だから口調が敬語じゃないというのは、いつもアウグスタから敬語で接して来られている僕からすると、ちょっと新鮮。
「近い! 姉上にくっつくな! 姉上も姉上だ、このような子供に仕えるなどと!」
「リョウタ様は魔王だと言っただろう。それに、私から見ればお前だってまだまだ、子供のようなものだぞ」
ハインツくんは……いや、僕がそんな口をきいたらますます怒らせそうだ。
このハインリヒ男爵は僕が気に入らないのだろう、というのは伝わる。
感じる魔力に敵意が混じってるよ。
「しかし、だからとてそう易々と気を許すとは!」
「気だけでなく、体も許しているが?」
「はァー!?」
ちょっと!?
アウグスタ、もしかしてわざと煽ってる?
そりゃ確かに、昨夜から早速エッチしたけど!
「何が『はァー!?』だ。私が誰と寝ようが私の体だ。私の自由であって、お前の指図は受けないが?」
「くッ……あ……姉上の分からず屋ッ! おい、貴様! このままでは済まさんからな!」
ハインリヒ男爵は強い憎悪を込めて僕を睨んだ後、捨て台詞を残して立ち去った。
しかし、アウグスタに対するあの執着っぷりは……
「はあ、やれやれ。《空樽は音が高い》……いつまでも姉離れができない甘えた弟で、困ります」
……あれはたぶん、シスコンって言うレベルだろう。
それでアウグスタと親しくしてた僕が気に入らないという筋書きか。
「僕だって、アウグスタに甘えてたと思うんだけど」
「リョウタ様は可愛いのでいいのですよ♪」
可愛いからって。
見た目のことなら、ハインリヒ男爵だって美少年なのに。
それ、彼にも言ってあげなよ。
「ですがハインツはそれでは困るのです。我が男爵家はファーシェガッハの中でも最古の歴史を持つ『御三家』の一つなのですから、考えてくれなくては」
御三家とはまた、すごい話になってきたな。
ということはアウグスタはすごい良家のお嬢様じゃないか。
で、その家柄にふさわしい弟になってほしいわけか。
なんとなく察した。
「さて、庭に出ましょう。ファーシェガッハと言えばやはり空! なんと言っても、どう考えても、空ですよ」
薄暗い大部屋を出る。
間取りはわからないけど、立派な内装の屋敷の中だ。
アウグスタの実家はすごいな。
そして外に出ると、空が不思議な色をしている。
不思議な色どころか、色が一定じゃないように見えて、ゆっくりと別の色に変わってる。
すごい。
神秘的で不思議な空。
アウグスタが僕に見せたがるわけだ。
……うん?
「あっちの方、何か浮かんでる?」
空に何か見える。
あれは何だろう?
「ああ。あれは浮島ですね。このファーシェガッハでは大小様々なサイズの島が多数浮かんでいて、皆、そのいずれかを領地として住居を構えています。なぜ浮いているのかは皆、考えますが……誰も解き明かせていない謎ですね」
島が、空に浮かんで……!?
ファーシェガッハの空、不思議すぎる!
「ということは、まさか」
「ええ。当家のこの敷地もまた、浮島の一つです。御三家として、ファーシェガッハの中でも指折りの大きな浮島を押さえていますよ」
普通に重力を感じるし、風はちょっと強く感じるけど空気はきれいだし……
いいな、ここ。
「御三家ってことは、他にあと二つ、由緒正しい家柄のところがあるんだよね?」
「ええ。リョウタ様もご存知のフリューが、御三家の筆頭《火炎公爵/Fire Duke》ですからね」
へえ、あのフリューが。
彼女が妙に偉そうなのは、御三家ってバックボーンがあるからか。
なんか納得できちゃった。
「残る一つ《氷雪伯爵/Blizzard Count》もよく知った相手で、昨夜から話に出している我が盟友ですよ」
ファイヤーデュークに、ブリザードカウントに、サンダーバロン。
爵位って一般的に、バロン……男爵が一番下って言うんだっけ?
「一般的にはそうらしいですが、我ら御三家は家の歴史の長さが他とは違いますのでね。私もあまりこだわりませんし、周囲もそれで当家を侮ることはありませんし」
そういうものなのかな。
よくわからないけど、ちょっと特殊らしいというのはわかった。
家柄って難しいね。
「じゃあ、あとはそのブリザードカウントさんに会ってみたいかな」
「もちろん。私も、リョウタ様を彼女に会わせたくてお連れしたのですから」
ん、彼女?
ブリザードカウントさんって女性なのか。
「ただしこのファーシェガッハ、浮島と浮島の間を飛ぶのも《門》で繋ぐのも難しいものですから、こちらからは簡単に会いに行けません。彼女ならば、この空を越えられる乗り物を持っていますが……あっ」
「何だろ? この音……」
そこまで話したところで、変な音が近づいてきた。
少しして、扇風機の運転を『強』にしたような、回転と風切りの音だと気づく。
でも、それよりずっと強くて大きな音。
「リョウタ様、あれを。ああいったものを飛ばすのはファーシェガッハ広しと言えども、我が盟友だけです」
「あれを、って……ええー!?」
アウグスタが指差した先の空には、飛行機が。
機体の後ろの端に回転翼をつけた飛行機が、僕らの上空を旋回していた。
このファンタジーな空で……なんで、飛行機……!?
◎空樽は音が高い
中身のない人間ほど得意そうにしゃべりたてるというたとえ。
空の樽は叩くと高い音が出ることから。
レシプロの飛行機が登場。
これまで出してきた次元の名前は、実は模型メーカー各社をもじってきています。
ファーシェガッハがとかく空に特徴がある次元なのも、飛行機模型メーカー『ハセガワ』のもじりだからです。
他の次元も、なんとなく察しがつくかと。