116 『裸』の付き合い
世はCOVID-19で歴史的非常事態ですが、わりとエッセンシャルな職らしいのと職場に感染者がいないのとで、割と普通に繁忙期の残業でした。
それでも今週もなんとか、落とさず遅刻だけで済ませて話も動かします。
よろしくお付き合いください。
気の緩みから、ルブルムの名前を聞く前に呼んでしまった。
この周回ではまだその名前を聞いてなかったんだから、知っているはずがないのに。
「えっと、その……」
ルブルムの目を見てみる。
責めるような感じではないけど、何だろう……
やっぱり、納得できないというような表情だ。
「カエルレウムも、妹が……つまり、ワタシがいること自体は話してたと思うけど、ワタシの名前までは言ってなかったはず」
「そう言えばそうだ。わたしからりょーたには、ルブルムのことは特に詳しくは教えてないぞ。名前も」
カエルレウムも違和感に気づいた。
同じ顔が、四つの瞳が、僕を射るように見つめる。
こうなると隠すのも限界か。
「……仕方ない、話すよ」
カエルレウムの部屋の、防音に関する性質を当てにして、部屋に入ってから二人にだけ周回のことを話した。
斯々然々。
全部話すと長くなるから、重要性のないことを省いたり、周回数は少な目に言ったり……
「でも、得体が知れない敵ってのは厄介だね」
「ゲームなら攻略法があったりするのになー」
……アルブムのことは『得体が知れない敵』としてぼかしたり。
はっきり『アルブムは敵だ』なんて言った日にはご破算だ。
この関係を壊さないためには、アルブムのことは言えない。
「なんだかマルチエンディングのゲームみたいだな。途中の展開や結末が変わるってのは。これまでの展開で、わたしはりょーたと仲良くしてなかったのか?」
カエルレウムは割とすんなり信じてくれた。
以前の周回の、別の展開の自分がどうだったか気になるらしい。
「最初の一周目は仲良くしてたよ。でも、あとは……カエルレウムが引っ越してここからいなくなったり、敵になっちゃったりしてた」
「えー! そんなのやだ! りょーたと遊べないじゃないか!」
僕だって嫌だよ。
だからこうして周回してるんじゃないか。
「ふぅん……ね、ワタシは? ワタシも、りょーくんの敵になったの?」
「……なった」
ルブルムは素直には信じていないみたいだ。
やっぱり、魔王でも勝てない敵が出るとか時間が戻るとか、信じがたいよね。
「りょーくんの敵になるなんて、その時のワタシは何を考えてたんだか?」
「さあ……」
ずっと会えなくて、やっと会った時にはもうすっかり敵だった、という周回もあった。
カエルレウムとルブルム、この二人はアルブムの娘だから《服従の凝視》以外にも親子の絆などの他の原因もあるんだろう。
これは隠す隠さないじゃなく、本当に僕にはわからないことだ。
「りょーくん。ワタシはね、りょーくんを責めてるわけじゃないの。これまで『りっきー』として接してきた中で、りょーくんは何でも話してくれてたのに、この件になった途端に話してくれなくなったり、それどころか隠し事をしようとしたり。それが寂しいの」
「ルブルム……」
でも、やっぱりアルブムのことは言えない。
騙しているような気がしなくもないけど、実際は僕だってアルブムの全部を知っているわけじゃない。
何度戦っても勝てないくらいに実力の底が見えなかったり、あの変な触手が生えてる理由もわからなかったりする。
なら『得体が知れない敵』という不確定な言い方だって、まんざら嘘ばかりでもないだろう。
そう考えて、割り切ることにした。
隠し事をしてるんじゃない。
自分でもわからなくて、だから負けてきてるんだと。
ここで、これはここだけの話、三人だけの秘密にしてとお願いしておいた。
「なあ、その敵は今からすぐ来るわけじゃないんだろ? だったらとりあえず、今日は遊ぼう?」
「はあ……カエルレウムは呑気だね。りょーくんがこんなに心細いと思ってるのに」
「まあまあ」
遊ぼうと言うカエルレウムをルブルムはたしなめるけど、僕はカエルレウムの提案に乗ろうと思った。
そしてまた、カセットを差し込まれたゲーム機に電源が入れられて、テレビにキャラクターや文字が映し出される。
それらを形作る光の点々が、今は僕の心を癒してくれるような気がした。
これまでの周回の嫌な記憶を、忘れさせてくれるかのように。
たっぷり遊んだら、カエルレウムもご満悦。
風呂に入って体を洗って、寝なきゃ。
「って……なんでルブルムも来るの」
カエルレウムの部屋を出てから浴場まで、ルブルムがぴったり付いてきた。
まさかとは思うけど……
「そりゃ、一緒に入ろうかと思って。聞くだけ野暮だよ?」
……まさかだった。
この周回でのルブルムとオフラインで会うのは初めての日なのに。
どうやったらそうなるんだか知らないけど、風呂当番になってる幻望さんも、しっかりルブルムの分までバスローブを用意してる。
まあ、僕から変に手出ししなければいいだけか。
「背中、流してあげるからね」
背中か……
そのくらいならいいか。
僕の背後に回ったルブルムが、石鹸の泡を立てる音がする。
泡を立てながらスポンジを握ったり手を緩めたりする音。
なんでも《水に棲む者》の管轄で海綿動物の狩場があるらしく、体を洗うスポンジにその天然海綿を使っている。
狩猟数を調整して、乱獲で絶滅しないように注意しながら納入してくれているそうだ。
電子文明でも、肌触りのいいものは高級品なんだよね。
こういうところも王様のお城って感じ。
「それじゃ、始めるよ」
「うん、お願い」
ルブルムが僕の背中に、スポンジを……!?
違う!
スポンジの感触じゃない!
「ちょっと!? これって……!?」
「ふふん、いいでしょ? 柔らかくて、気持ちいいやつ♪」
柔らかいのは確かに柔らかいけど……
これ、おっぱいだ!?
「それ、それ♪ どう? りょーくん、気持ちいい?」
「う、うん……いいよ……」
僕の背中に……ルブルムのおっぱいがぴったりフィットして、形を変えながらむにむにと動いて……
洗われてるんだろうけど、変な汗が出そう……
「も、もういいよっ」
「本当に? まだ背中をちょっと洗っただけで、他は全然なのに。頭とか……前とか♪」
「いいから!」
前は!
今は、前はダメ!
僕の体なのに、僕の言うこと聞かなくなってるから!
ということで残りは自分で洗うことにした。
手早く洗って、浴槽に。
「りょーくんはシャイだなぁ。もっと堂々としてればいいのに」
ルブルムはルブルムで堂々としている。
体を隠す様子もないし、同じ浴槽で近くに寄って来てる。
「いや、オンラインじゃともかく、オフラインじゃ今日会ったばっかりなんだから、そういうわけにも」
りっきーさんとして僕の好みを熟知している『爆弾キャラ』なせいか、今にも我慢できなくなりそうで困る。
それはそれで、この流れなら受け入れられるんだろうけど……
「それに、会ってすぐっていうのは、なんだか違う気がするんだ」
……カエルレウムもルブルムも、こうして友好的な関係になれたのは、僕の体感ではすごく久し振りだ。
だから『今』は、この関係性をこそ大切にしたいと思った。
「りょーくん、しっかりしてるんだ」
しっかり……してるのかな。
体感では一周あたり約九ヶ月、たまに変わったことがあって短くなった周回もあったけど、それを二十周前後は重ねてるから……
精神年齢では、おじさんっぽくなってきてるのかな?
わかんないや。
「ふふ。でも、よかった。そういうしっかりしたりょーくん、前よりもっと好きになっちゃった」
「そ……そう?」
ルブルムの視線がしっとりと、そしてしっかりと僕を捉える。
照れくさいけど、悪い気はしなくて、むしろ嬉しい。
こうしているとルブルムがとても魅力的に映る。
「ワタシとしては、ね……」
ルブルムの気持ちは、どうなんだろう。
こうしている時点でわかりそうなものだけど、やっぱり言葉が欲しくなる。
「ここでりょーくんが我慢できなくなって『へへへ、ここまで来たってことはその気ってことだろ』って言われて押し倒されたり『誘ってんだろ、このアマ』って言われておっぱい揉まれたり『ハメてやるから股開けよ』って言われて一気に《ピー!》を《ピー!》で奥まで《ピー!》たりされるかと思ってたけど……うへへ……♪」
何それ怖い。
前言撤回、やっぱりどこか残念な子だ……
「でも、そういうの無しでの《裸の付き合い》ってのも、いいもんだね♪ ね、そう思うでしょ、りょーくん?」
「う、うん……僕もそう思うよ……ルブルム……」
今日は《裸の付き合い》ということで、一線を越えることはしなかったけど、かなり親密さが上がった気がした。
風呂で温まったからというだけじゃない別の熱気が、体の中から出るのを感じるかも。
翌朝。
今日はトニトルスさんの授業があるけど、いつもの不眠症以上にあんまり眠れてない感覚。
昨夜見たルブルムの裸体がちらつくせいだ。
もちろん、授業には向かうけど。
「やっぱり、我慢しない方がよかったのかな……」
浴場でルブルムが大胆に接してきて、興奮しなかったわけじゃない。
むしろ必死に抑えたくらいだ。
でも、抑えたままじゃスッキリしない。
「僕だって、男子なんだから」
「ほう」
ほう、って。
気がつくと目の前にトニトルスさんが来ていた。
教室にしている《書庫》で僕を待つんじゃなくて、僕を出迎えに来たのか。
「我はリョウタ殿の男子らしい所は、まだあまり見ておりませぬが、な」
トニトルスさんはどこまで信じられるんだろう。
アルブムの弟子らしいから、師弟関係の恩義やしがらみ、同族間の絆……そういうものがある。
僕と天秤にかければ僕より重たいそれらが、トニトルスさんを僕の敵にする。
「男子らしい所はともかく、魔王らしい所はぜひ拝見したいものですな。今日からは内容を難しくしますぞ」
こういう不安が持ち上がると、憂鬱な気分になる。
せめて授業内容に没頭して、トニトルスさんには真面目な所を見せておこう……
「って、何これ!?」
……難しくするって、難しくしすぎだろ!
一周目はもちろん、これまでのどの周回でも見たことがない複雑な構文と術式。
出てくる用語や単語にも、見たことがないものがちらほら見受けられる。
これは、過程を二つか三つは飛ばしていそうなんだけど?
「どうされましたかな。魔王たるリョウタ殿の知識と経験ならば、このくらいで困ることはないと踏んでおりましたが」
やっぱり疑われてるのか。
何の嫌がらせだよ。
とはいえ、わからないものはわからないので、素直にわからないと言う。
「……今は授業ですから良いですが、敵は今のように許してはくれませぬからな。精進なされよ」
憂鬱だ。
仕方ないから、わからないキーワードだけいくつか覚えておいて、アウグスタに聞くことにしよう。
今日の授業は散々だった。
カエルレウムのゲームで遊ばせてもらおう。
対戦じゃなくて協力プレイの、難易度は低いやつで、スカッとするやつがいいな。
不良をボコボコにするとか、街をめちゃくちゃに壊すとか……
そんなことを考えながら、カエルレウムを呼び出してみると。
「あー、りょーた! 聞いたぞ!」
カエルレウムが不機嫌。
どうしたんだろう。
「ルブルムと一緒に風呂に入ったって言うじゃないか! わたしだって、りょーたと一緒に風呂に入りたい!」
そのことか。
否定しようもないから素直に認めるしかないけど、とりあえず今は思い浮かべてたようなゲームがないか聞いてみよう。
「あるぞ。《マッドファイヤーストリート/Mad Fire Street》にするか」
ストリートギャングを殴り飛ばしてやっつけて、街に平和を取り戻すというストーリーのゲームらしい。
思い浮かべてたまんまだ。
「死ね、死ねっ!」
ところが、むしろカエルレウムの方がイライラをゲーム内のギャングたちにぶつけるありさま。
協力プレイモードで僕も遊んでるけど、カエルレウムに派手に吹き飛ばされたギャングが僕の操作しているキャラクターに飛んできて当たったり、必殺攻撃の巻き添えになったり。
いつになく荒っぽいプレイだ。
なんだか、らしくないな?
「どうしたの、カエルレウム。今日は変だよ」
ゲームをポーズ機能で中断して、カエルレウムの顔を覗き込んでみる。
するとカエルレウムはコントローラを放り出して。
「だって……りょーたのこと、取られると思ったんだもん……たとえルブルムが相手でも、りょーたはダメ……取られたくない。りょーたが好きだから」
衝撃的だった。
カエルレウムはお子様なところが抜けないとばかり思っていた。
むしろ、だからこそいつでも自分の気持ちに正直なのかもしれない。
その素直さで、僕を取られたくないと言い出す。
僕は……どうする、と思った途端、呼び出しの合図が来た。
この部屋に誰か尋ねて来てる。
「誰かメイドさんかも。そろそろ夕食かな」
ところが、そうじゃなかった。
現れたのはメイドの誰でもなく。
「りょーくん、またここにいたんだ……りょーくんは、ワタシよりカエルレウムの方がいい、ってこと?」
ルブルムだった。
それも、いつになく陰鬱な感じがする。
「カエルレウムと知り合うよりもずっと早く、あの深海のお嬢様なんかよりずっと深く、ワタシが……ワタシが他の誰より、りょーくんの心を支えて来たのに」
「ルブルム、はっきり言うぞ。わたしはりょーたが好きだ。だからルブルムが相手でも、わたしは負けたくない。後からって言われても、好きになっちゃったんだから」
そんな。
カエルレウムとルブルムは、何があっても仲良しだって思ってたのに……
この二人の仲が険悪になることがあるのか。
それも、僕の取り合いでだって!?
◎裸の付き合い
浴場などで裸になって交流すること。
肉体的に裸になることだけでなく、互いの本音を言い合えるように精神的な意味で裸と考えて言うことが多い。
周回の隠し事でボロを出す展開の前に、もうひとつ問題を積んでみました。
この周回もまた、素直に勝てるようではない感じに。