12 敵に『塩』を送る
主人公抜きの三人称視点で『女子会』になります。
愛魚とベルリネッタとトニトルスだけ登場になります。
半月が照らす夜更け。
深海愛魚は上機嫌だ。
愛する男に純潔を捧げて『女』にしてもらえて、結ばれた。
痛みが残る股ではまだ少し歩きづらいような気もするが、その痛みもまた『証』なのだと思えば、むしろ心地よいとさえ思える。
しかし、その相手である真殿了大にはいろいろと課題が残っている。
そこで愛魚は、土産を持って相談相手を訪ねることにした。
「こんばんは、ベルリネッタさん」
愛魚の相談相手はベルリネッタ。
その身をもって了大を『男』にした相手であり、恋敵ではあるものの、了大の絶大な信頼を受ける女。
「あら……まななさん、こんばんは」
メイドとしての仕事を終え、自室に戻ろうというところで、ベルリネッタは愛魚に呼び止められた。
本当は了大に『愛でて』ほしかったのだが、ひとりで眠りたいと言われて追い返されたところだ。
「少し、飲りません?」
愛魚はベルリネッタに両手の土産を見せる。
この次元では真魔王城にすらない、了大が生まれた次元の――科学文明の次元の――銘酒を。
両手に一本ずつ持っている瓶は、形も中身の色も違う。
「父はいろんな人からいろんなお酒をもらうんですけど、ほとんど飲まないんですよ。お酒に弱くて」
向こうの次元での愛魚の身分は学生で未成年だが、実情はそうではない。
法制の違いを抜きにしても、こちらの次元で言えば酒を飲もうが男と夜を過ごそうが問題ない、成年として認められる年頃だ。
しかも《形態収斂》などのさまざまな英才教育を受けている。
「まあ。だからと言って、黙って持ち出してよいものではありませんよね?」
ということで、この場で問題になるのはせいぜいその酒の所有権くらいのものだが、本来の持ち主である愛魚の父親、深海阿藍は酒に弱い体質で、どうにも眠れない時にごく少々飲むだけというくらいなので、家には飲まれない酒が増えていた。
「なので、相談したら好きなだけ持ち出していいって言われました。ちゃーんと、父の許しを得て持ってきてます」
その辺りは愛魚も当然、先刻承知。
反抗期など《形態収斂》を習得する前にとっくに終わっている上『魔王である了大に取り入りたい』阿藍と『恋人である了大に愛されたい』愛魚とでは、今や利害が一致している。
その両者にとって、頼みもしないのに贈られた酒などコストとしては安いもいいところ、無料同然。
何本奢っても惜しくはないのだ。
「で、今日は了大くん抜きで女同士の話、ということで」
愛魚にとっては実質無料でも、ベルリネッタにとっては自分の次元にはなく、向こうの次元でも高額な酒。
いくらベルリネッタが《不死なる者の主》であっても、向こうの次元に伝手や生活基盤がなければ手に入らない代物だ。
それを持ってきた愛魚の様子を見れば、以前のような嫉妬は鳴りを潜め、落ち着いていて友好的。
ならばここは、素直にご馳走になっておこう……
というところに。
「ふむ? その酒盛りは二人だけで、かな?」
雷のくちばし。
了大には細かく素性を聞かれてはいないが、今や数少ない《龍の血統の者/Dragon Pedigree》であり、教師として遠いねぐらから真魔王城に呼ばれた智将だ。
そのトニトルスが、酒盛りと聞いて首を突っ込んできた。
「そういうわけでもありませんよ?」
愛魚は考えた。
専属教師として、こちらの次元についての授業で了大と二人きりで過ごすことが多いトニトルスとは、仲良くなっておくべきだ。
問題が酒の所有権ではなく、酒の量になった。
「ならば、我の部屋でどうだ。我もお気に入りの《剣柳》を出すぞ」
トニトルスの部屋に誘われたのはわかったが、ケンリュウというのが愛魚にはわからなかった。
そこでベルリネッタが助け舟を出す。
「剣柳はトニトルスさんがいつも切らさぬように持っておいでの、お酒の銘柄です。トニトルスさんはなかなかのお酒好きですよ」
そういうことかと得心がいった愛魚に、断る理由はない。
それでも酒が足りなければ、追加を持って来よう。
ということで三人は《書庫》の隣、トニトルスの部屋に集まった。
三人の手には木製の杯があり、愛魚のものの中身は吟醸酒、トニトルスとベルリネッタのものは中身が蒸留酒だ。
それぞれに半分ほど注いだところで、愛魚が音頭を取る。
「えー、それでは《第一回・了大くんカワイイカワイイ♪会議》を始めたいと思います。乾杯!」
「乾杯♪」
「乾杯!」
了大を愛する愛魚とベルリネッタ、それと専属教師として好意を持って接するトニトルス。
この三人の酒盛りであれば、必然的に酒の肴は了大ということにもなる。
異論を挟む野暮はいなかった。
「あら、美味しい……これは良いお酒ですね」
「くっはァ! 美味い! これほどの酒をじゃんじゃんもらっておいて死蔵とは、アラン殿はもったいないことをする!」
強めの酒でも高い酒でもおかまいなし。
ベルリネッタもトニトルスも、酒には強いようだ。
「こちらの剣柳はすっきりとしていて飲みやすいですね。美味しいです」
愛魚の方も剣柳が気に入ったようだ。
ゆっくりと、そしてしっかりと、最初の一杯を味わって飲み干す。
「さて、まずはベルリネッタさん。『手ほどき』のお勤め、ありがとうございました」
それからベルリネッタに対して、愛魚は恭しく頭を下げた。
嫉妬に駆られて『あ゛ァ!?』などと言っていたのが嘘のようだ。
「いえいえ。わたくしとしましても、願ったり叶ったりでしたから」
了大の『初めての女』になりたいという希望がめでたく叶ったベルリネッタには、幸福感こそあれども何の不満もない。
ただ、気になることはある。
「しかし、本当によろしいのですか? わたくしはまななさんにとっては恋敵、邪魔者なのではなくて?」
「そうだな。というよりお主らは互いにわざわざ、リョウタ殿に恋敵をあてがおうとしているようで……珍妙だぞ」
ベルリネッタがそう思うのも当然のこと。
ついこの間まで『簡単に折れそうな温室育ちの花』と思っていた娘が、一気にしたたかになったのだ。
急な変節の真意は、確かめておきたい。
もちろんそこは、トニトルスも気になる。
「……ベルリネッタさんとは、共同戦線を張った方が賢いと思うんです」
共同戦線。
どうせ了大を独占するのは無理だというなら、無闇に束縛したり他の女から遠ざけたりしようというのではなく、他の女とも協力することにより得られる利点を引き出そうという考え。
ただし、それには合理性のための割り切りが必要になる。
ましてや、嫉妬に駆られたままでは無理だ。
「この間までの悋気が嘘のよう。お強くなられましたね」
そういった駆け引きに慣れた、百戦錬磨の阿藍であれば話はわかる。
しかし、いくらその阿藍の娘とはいえ、純情一路の愛魚がそこまで強く変われるだろうか。
「悋気?……ああ、ヤキモチですか。実はまだ、全然ってわけじゃないんですけど……考えてみたらほどほどにしないとなって」
変われる。
心身のすべてを了大に委ね、了大の優しさや愛情をその身に刻みながら純潔を捧げた。
その了大のことは彼がもっと小さい子供の頃から、ずっと同じ場所で見つめてきた。
「了大くんはいじめられっ子でしたから、他の人からの敵意とか圧力とか、そういうのにすごく敏感なんですよ」
そして、見つめてきたからこその的確な分析。
最近会ったばかりのベルリネッタやトニトルスが知らない了大の別の顔を知っているからこそ、彼が何を嫌がるかも理解できる。
誰よりも彼の近くにいるという自信が、愛魚に精神的な余裕や安定を作り出していた。
「私たちがいがみ合って、その様子を了大くんが嫌だなーって思ったら、それで了大くんの心が離れちゃったら……そんなの結局、悲しいじゃないですか」
陶器の酒瓶から二杯目の剣柳を注ぎ、杯の中で揺らしながら了大を思い浮かべる愛魚。
愛しい。
素直に心から、そう思う。
「私は……了大くんを、癒してあげたいんです。そういうもので、傷ついた心を」
彼の真心を知るからこそ、そこに惹かれるからこそ、惹かれる女が増えるのも理解できる。
元々の次元での孤独とはまるで正反対に、この次元での了大は皆に求められている。
真心を隠したくなるほどに傷つき、心が疲れているのなら。
そしてその心を、少しずつでも癒してあげられるなら。
恋敵とでも協力しよう。
皆で彼を包んで、癒してあげよう。
それが愛魚を強くした、彼女なりの愛情だった。
「本当に、理解が深いことで……わたくしでは、まななさんにはかないませんね」
ベルリネッタの微笑みはどこか悲しそうだ。
『初めての女』になって、愛魚にも『負けない』点はできたと思っても、決して『勝てない』ようにも思う。
事実、愛魚を裏切りたくないと思う了大の強い意思には、どんな誘惑をもってしても勝てなかったまま、愛魚が承知しているからということでなんとか『初めて』に滑り込んだようなものだったから。
「そんなことありませんよ。私だって、本当はいつ了大くんを取られるかわからなくって怖いんですよ?」
愛魚は素直に不安を口にしてみせる。
ベルリネッタの女性としての魅力は、まさに人間離れ。
《不死なる者の主》であることを抜きにしても、その上品な立ち居振る舞いと相まって、愛魚から同性として見ても魅力的な存在だ。
ましてや異性である了大から見れば、その存在自体が誘惑たりえる。
それこそ、寝取られてもなんら不思議はない。
「万が一にもりょうた様がまななさんを裏切るようなことがあれば、わたくしからりょうた様を叱ってさしあげますとも」
了大に惚れたベルリネッタとしては、もう少し自分に振り向いてほしい。
だがその一方で、愛魚の恋人として筋を通す了大の真心にこそ惚れたベルリネッタは、愛魚への信義を失って色に狂うだけになった了大は見たくない。
求めながら遠ざかるジレンマの中で、了大が真なる魔王としても人としても成長していくためなら。
少しずつでも、了大が成長する助けになれるのなら。
恋敵とでも協力しよう。
皆で彼を包んで、後押ししよう。
それが愛魚に負けない、ベルリネッタなりの愛情だった。
「《敵に塩を送る》というのは、あちらの次元の故事だったか。見ていて面白いな、お主ら」
そんな二人の奇妙な関係を見て、トニトルスが口を開く。
不思議ではあるが必ずしも敵対的なだけではないならば、そしてそれが了大に対してよく働くのならば、特に止めることもないだろう。
と、なれば次は。
「さて、我が『仲間』に入れてもらえるのは、この酒盛りだけかな?」
自分も、了大の寵愛が欲しい。
生徒と教師、魔王と忠臣、という役職的な線引きを越えて、男と女になりたい。
そう思わせる魅力を、トニトルスは了大に感じていた。
「まあ!」
「……ということは」
ベルリネッタと愛魚は、皆まで言われずとも察した。
トニトルスも『同じ』だと。
「おう。我もご相伴に与りたいとも。『そういう意味』でな」
薄いピンク色の粉を包んだ懐紙を出しながら、トニトルスははっきりと宣言した。
そしてその粉を、愛魚の杯のふちにつける。
「塩で思い出した。その岩塩を併せると、剣柳はもっと美味くなるぞ」
粉の正体は岩塩。ピンクソルトだった。
言われたとおりに愛魚が、岩塩をつけられたところに口をつけて剣柳を飲む。
「……美味しい! さっきとはまた違う味わいですね」
素直に驚きながらも喜ぶ愛魚に、トニトルスは満足げだ。
その様子を眺めながら、自分の杯に手酌で蒸留酒を注ぐが……
「む、これは終わりか」
ほんの少しが杯に入ったところで、瓶からは雫が落ちるだけになった。
仕方がないので、愛魚が持ってきたもう片方の瓶に手をつける。
「……構わんよな?」
一応、確認を取る。
自分のものではない以上、愛魚に断らずに封は切れない。
「もちろん。夜はまだこれからですから」
トニトルスが出した剣柳も、酒瓶がかなり軽くなっている。
中身はなかなか減っているようだ。
お互い様ということで、愛魚に断る理由はない。
「話し足りないことも、まだまだありますものね」
ベルリネッタもまだまだ話したい、飲みたい、という様子だ。
今夜は長くなりそうだ……
◎敵に塩を送る
争っている相手が苦しんでいるときに、援助を与えてその苦境を救うこと。
武田信玄が駿河湾の塩を入手できなくなり困っていたとき、敵である上杉謙信から日本海の塩を送られ助けられたという話から。
ただし諸説あり、一説には無償ではなく、越後の塩商人に甲斐や信濃で割高に塩を売らせて儲けさせたという説も。
女子会前編、シリアスパートが終了です。
次回は女子会後編、コメディ&猥談パートです。
なろうの基準がよくわかりませんので、エロさは本当にちょっとだけです。