98 酒色に『耽る』
三周目。
了大の精神がどんどんやさぐれて行きます。
今回は堕落しますが、具体的にどう堕落するかの様子は読み飛ばしてもいいようにして、次回以降少しずつ立ち直らせます。
後味が悪い部分ですが、トゥルーエンドには不可欠な過程として、ここはどうかお付き合いください。
時間が戻った『三周目』の保健室。
年増の校医が、迷惑そうに僕を見ている。
嫌な眼差しだ。
「もう施錠したいから、起きてちょうだい」
もうそんな時間か。
帰りのホームルームにも出てないや。
「まったく。もういい年なのにギャーギャー泣いて、うるさいったら」
今、何て言った、このババア……!
僕のことも、僕がどんな目に遭わされたかも、何も知らないくせに!
「何よ、その目は。これは担任の先生に報告かしらね」
校医の冷たい態度が、僕を刺したベルリネッタさんとダブって見える。
嫌な奴……黙れよ。
むしろ、いっそ……死ね!
「おっ……?」
目の前の校医がどうしようもなく憎くて憎くてたまらなくなって《凝視》に魔力を込めたら……死んだ。
これは《威迫の凝視》じゃなくて《死の凝視》になったのか。
《死の凝視》……
あの人と、ベルリネッタさんと同じ《凝視》に……
「あ、出てきた。真殿くん!」
保健室を出ると、愛魚ちゃん……いや、深海さんがいた。
僕の鞄を持ってる。
「教室に置きっぱなしだったからと思って……迷惑だった?」
「いや……ありがとう」
何から話していいかわからなくなって、とりあえずお礼だけ言って鞄を受け取る。
あ、スマホ……取られてるままか?
「それとね、スマホ……落としてたって聞いて、これ」
あいつら、本当は盗んでたのを、落とし物を拾ったことにしたのか。
まあ、取られたままよりずっといい。
今はとても、あんなのに構う気になんかならない。
「……元気ないね?」
さすがに深海さんには隠せないな。
深海さんが僕の様子をずっと見てきたことだけは、この周回状態とは無関係だ。
「嫌な夢を見てたんだ」
あんなの、夢であってくれ。
いっそベルリネッタさんも真魔王城も何も全部実在しなくて、愛魚ちゃんも家がお金持ちなだけの普通の女の子で、あとは僕の妄想か幻覚だけだったらいいんだ。
なぜか僕から離れようとしない深海さんと、そのまま帰りの電車も一緒に乗って、家に帰った。
自宅でスマホをいじる。
時刻はやっぱり五月ごろで、前回と同じ《後進復帰》だ。
あ、しまった。
手癖でファイダイにログインしちゃった。
今はこんなの、やる気に……
『はろー☆』
ルブルム……ネットでは、りっきーさんか……
りっきーさんからのチャット送信が来た。
仕方ない、返しておくか。
『こんばんは。今日はログインだけのつもり』
新しい周回になって『今まで』のままのりっきーさんになった。
僕を見捨ててゲームにログインしないりっきーさんは、もういない。
『なんだかつれないなあ。ファイダイ飽きてきた?』
『体調が悪いんだよ。保健室で寝てから帰ってきたの』
嘘……とばかりも言えないかも。
前回のことを思うと、吐き気なんかもしてくる。
『わぁ、それじゃしょうがないね。お大事に』
僕が体調不良を訴えると、りっきーさんは会話を終わらせた。
もう、このまま寝よう……
体調不良というか、思うような時刻や長さで眠れないまま、翌日になった。
不眠症にでもなったかな。
午前三時になっても目が冴えたり、授業中に突然意識が途絶えたり。
そして、寝ている時に見る夢の内容が最悪。
「りょうた様♪」
ベルリネッタさんだ。
いかにも優しそうな微笑みで、僕に近づく。
「りょうた様、とっても可愛らしくて……」
僕の目の前に立って、微笑んだまま。
次の瞬間には。
「……馬鹿な子」
僕の腹を刺すんだ。
ためらいなく、嬉々として、表情は冷たく……微笑んだまま。
「真殿、また居眠りか? まったく。やる気はあるのか、お前は」
「……すいません」
居眠り常習犯扱いになってしまった。
好きで居眠りしてるんじゃない。
眠れないんだよ。
……意を決して、心療内科の受診を予約。
今まで『頭がどうかした人が行く病院』と思って、心のどこかで差別してた気がする。
きっかけさえあれば、自分でも行くようになる病院なんだな。
これは考えを改めて反省しよう。
運よく日程が空いてたので、金曜日に早速受診できた。
「ストレスからくる症状としては、典型的なものですね。《ベルソムラ》と《サインバルタ》をお出ししますね」
ベルソムラが、睡眠へ導いて持続させる薬。
サインバルタが、気持ちを楽にする薬。
これで楽になれればいいけど……
「やっぱり、最近元気ないね?」
深海さんだ。
どこにでも現れる……というか、僕の監視役だからだろうな。
それがわかっていれば不思議はないか。
「嫌な夢ばかり見るんだ」
「大変だね……ね、明日から土日だから、気晴らしに出かけない? すごいところを知ってるの」
すごいところ、ね……
お金持ちならではのリゾートか、それとも。
まあ、まさかこんな時にとは思うけど、乗ってみるか。
それが間違いだった。
連れて来られたのは真魔王城。
心療内科でもらった薬を、忘れずに持ってきておいてよかった。
「すごいでしょ、美人のメイドさんがいっぱいだよ!」
「そうだね」
「珍しくて美味しい料理も出るし!」
「そうだね」
「ベッドも大きくてふかふかだし! これならぐっすり眠れると思うよ!」
「そうだね」
落ち着いて考えれば、良かれと思ってセッティングしてくれたことぐらいはわかる。
でも『この深海さん』は知らない。
僕の元気がない原因こそ、この真魔王城での出来事なんだってことを。
「真殿くん、さっきから『そうだね』しか言ってない……」
「……そうだね」
メイドの顔と名前は、全員じゃないけど覚えてる。
なんなら幻望さんとか候狼さんとか『一周目』では肉体関係になった子だっている。
料理にしても時間を二周した『今』となっては、食べたことのないメニューはもうない。
ベッドに至っては言わずもがなだ。
……それを『今』言って、深海さんに当たり散らしても仕方ない。
そんなことをしても解決にならないし、そんな気力もないし。
「もう……」
「だから、不眠で具合が悪いんだよ」
「あっ!? その、ごめんね、気づかなくて」
「ううん、いいんだ」
わざとらしく見せびらかすように、ベルソムラとサインバルタをそれぞれ一回分取り出す。
薬局で簡単に買えるのとは違う薬を見て、さすがに深海さんもわかってくれたようだ。
「本当にこのベッド、使っていいなら……寝させてもらおうかな。ねえ、そこの人」
近くにいたメイドに水を持ってきてもらう。
薬を飲んで、水も飲み干す。
「おやすみなさい」
薬に頼って、僕はやっと眠りに落ちた。
ゆっくり眠れると……いいな……
ここは、どこだ?
手の中に何かある?
「ほら、りょーた♪」
……カエルレウム?
そうか、これはゲーム機のコントローラーか。
「りょーくんの番だよ、ほら」
ルブルムもいる。
催促されてゲームの画面を見ると、ビリヤードのゲームだった。
どっちが先に九番を落とせるかの『ナインボール』ルール。
「やれやれ、それが済んだら座学の時間にしますぞ」
トニトルスさん。
渋々という様子だけど、ゲームが一区切りつくのを待ってくれてる。
「了大さんは人気者ですねえ」
ヴァイス。
遠巻きに見守っているような感じで、一歩引いている。
「もう……でも、了大くんは可愛いから、仕方ないか♪」
愛魚ちゃん。
何も知らない『深海さん』とは違う、皆ともうまくやっていく折り合いをつけた『最初の愛魚ちゃん』だ。
この面子が揃うということは、これは一周目の時間。
ということは。
「りょうた様♪」
「ベルリネッタさん!」
いた。
僕と心を通わせた『最初のベルリネッタさん』だ!
「ベルリネッタさんだ……ああ……ベルリネッタさん……ああぁぁ……」
「あらあら、泣いてばかりではわかりませんよ?」
泣きたくなるに決まってる。
僕はベルリネッタさんにすがりついて、ひたすら泣いた。
「僕のそばにいて……ずっと一緒にいて……絶対離れないで……」
「まあ、熱烈なこと♪ ええ、わたくしはずっと、りょうた様のお側におりますよ♪」
ベルリネッタさん……
どこにも行かないで……
「ええ、どこにも行きませんとも」
「!?」
突然、視界がまるっきり変わる。
真魔王城の……王様ベッドの……天蓋!?
周りには誰もいないと思ったら、一人いた。
「寝言でわたくしの名を呼ぶなんて、一体どんな夢を見ていらしたのやら」
ベルリネッタさん……
どうして、僕の股間になんか手を這わせてるんですか……
「ご遠慮などなさらずに。わたくしがお世話してさしあげますから」
違う。
ベルリネッタさんだけど、ベルリネッタさんじゃない。
僕が知ってるベルリネッタさんは、こんな風には迫らない。
「う、わあああッ!」
思わずベルリネッタさんを突き飛ばしてしまう。
でも、それに対する反応を見れば、それでよかったんだってすぐわかる。
だって……だって、この人は……
「このわたくしを、突き飛ばすなんて……なんて子なの……!」
……この人は、僕のことなんか少しも愛してくれてない!
甘い言葉で近づいてきてても、あの時とは違うんだ!
もう……『最初のベルリネッタさん』は……どこにもいないんだ……!
結局、皆して僕の魔力が欲しいだけなんだ。
僕が魔王輪を持ってるから、おべっかを使ってちやほやしてるだけ。
普通の人間だったら鼻も引っかけないのに、魔王だからうわべだけ媚びてへつらってるだけ。
もういいよ。
それならそれで結構だ。
「ヴァイスベルク!」
「は、はい!?」
ヴァイスを呼ぶ。
こいつは身代わりだ。
「僕に化けてマクストリィに行って、僕の代わりに学校に行ったり家族の相手をしたりして、日常生活の辻褄を合わせてろ」
「え……それだと、あたし……」
口答えするのかよ。
僕は魔王なのに。
「魔力が欲しかったら、言われたことをうまくやれ。学校の夏休みにでも帰って来たら、相手してやる」
「……はぁい」
電子文明の次元……マクストリィはこれでよし。
あとはこの城の女たちの相手をしていれば、食事も酒も風呂も寝床も、全部世話してもらえるわけだ。
引き換えに魔力を与えている間だけは。
「今宵はいかがいたしましょう」
ベルリネッタ。
従順そうな顔をして、実はとんでもない裏切り者だ。
そもそも最初の最初だって、こいつが僕に仕掛けて来たのは《死の凝視》。
つまり、僕なんか殺してしまっても魔力さえ奪えればいいと思ってたんだ。
僕はなんでこんな女に入れあげてたんだ。
もう顔を見るだけでもバカバカしい。
「候狼にする。メイドの勤務時間を調整しろ」
「かしこまりました」
どうせ魔王輪がある間だけは、こいつもおとなしく従うんだ。
そのうち相手してやるさ。
「候狼、参上いたしました」
候狼。
鼻が効くせいか『匂いフェチ』的な所もあるっぽいけど《仕える狼》と名乗っているのは伊達じゃない。
どこに配置しても確実に、そして忠実に役割をこなす。
* 候狼がレベルアップしました *
もちろん、それはベッドの上に呼んだ場合でもだ。
裏切らない女はいい。
ただそれだけでも価千金だ。
「おい、少年」
トニトルス。
偉そうにしてるけど結局はこいつも裏切り者、アルブムの腰巾着だ。
飲んべえ相手なら酒でも飲みながら話すか。
「ここ最近様子を見ていたが《酒色に耽る》ばかりで、日がな一日ぐうたらと……それでも魔王か」
「魔王だったらどうしろって言うんだ。え? 僕は皆に魔王の魔力を与えて、皆が強くなるようにしてる。むしろ、せっせと働いてると思わないか?」
何と戦うでもない、大した事件もない日々。
敵らしい敵なんて、アルブムくらいなものだったじゃないか。
「思わんな。その調子では、いつ現れるとも知れん勇者におめおめ負けるぞ」
「いつ現れるとも知れん? ふふ、ははははは!」
「何が可笑しい!」
そうか、知らないんだっけな。
どうせこいつは仲間じゃない。
だったら早いうちに言って、切るか。
「僕は知ってるんだよ。勇者がいつ現れるか、現れたらどうすれば勝てるか……そもそも、どこの次元にいる誰なのかも知ってる。《刻》が来なきゃ打てる手がないから、今は動かないだけだ」
「出任せをッ!」
「そう思うならマクストリィに行って、あっちでサンクトゥス・ルブルムが使ってる教会の近くに住んでる、寺林凜を訪ねろ。気配や魔力をよーく見ながら、な」
アルブムに尻尾を振る飼い犬相手に、喋りすぎたかな。
まあいいか。
どうせ僕から言わなくてもアルブムは寺林を自分で見つけて、こっちに転移させてくる。
それなら、寺林のことを今教えても大して変わらない。
言い伝えの真の意味だけ隠しておけばいいさ。
「……後で吠え面をかくなよ」
後でも何もあるもんか。
裏切る女なんかに用はない。
「今宵はいかがいたしましょう」
ベルリネッタは毎日欠かさず、こうして僕の御用聞きだ。
女をあてがっておけば、僕を飼い慣らせると思ってる。
「シュタールクーにしよう。ああいうのもいい」
「かしこまりました」
城に常駐の女なら、言えば誰でも抱き放題だ。
そうでもなけりゃ魔王なんてやってられるか。
* シュタールクーがレベルアップしました *
「今宵はいかがいたしましょう」
ベルリネッタは毎日欠かさず、こうして僕の御用聞きだ。
でも面と向かって言わないだけで、今この瞬間にも『馬鹿な子』って思ってるのが伝わってくる。
「……お前で」
「かしこまりました」
そもそも魔王輪が発現する直前から、僕は他人の敵意や悪意をぼんやりとは感知できた。
感覚を研ぎ澄ました今となっては、こいつの腹の中なんてお見通しだ。
* ベルリネッタがレベルアップしました *
「そうやって従順にしていれば、いい女なのにな……今日はもういい」
「……失礼いたします」
愛のない言葉を交わして、夜が終わる。
ベルリネッタを下がらせて、一人で眠った。
こうして僕はひたすら、その場限りの快楽に溺れては日々を怠惰に過ごし、アルブムに負けては繰り返し時間を戻して、ひたすら堕落していった。
立ち直るきっかけを得られたのは、およそ二十周近くの周回を経てからだった……
◎酒色に耽る
飲酒や異性との遊びに没頭し、思うままに快楽を満たすこと。
ベルソムラとサインバルタは実在する薬です。
自分が実際に処方されたことがある経験を反映させ、精神状態の描写を修飾する小道具として登場させました。
そして、ここが本作品の全話通じての『どん底一歩手前』になります。
本当の『どん底』は特に後味が悪くなる話になりますので、ナンバリングは98.5話として読み飛ばしても大きな問題がないように構成します。
了大の精神面は99話から早速少しずつ立ち直らせて『上げて』行きますので、どうかお付き合いください。