すていすくーる!
小学生男子というものは単純なもので、坊ちゃんめいて二階から飛び降りるだけでヒーローになれる。
今となって考えてみれば迷惑行為も甚だしいのだけれども、あの頃は大人に迷惑をかけることこそがヒーローになるコツだったのだ。
言ってしまえば、度胸があれば衆目の的になれるのである。
大人からしてみると、僕らのしていることは目の上のたんこぶどころか、目の上に生えたキノコのように邪魔で鬱陶しいものであっただろう。
今でこそ申し訳ないという気持ちで一杯になるのだけれども、しかし、単純な生き物である男が更に単純であった頃の子供の時期の愚行だ。どうか寛大な心で許してほしい。
きっとあなたも、そういう時期があったはずだ。それに、一応は、人のモノを壊したりはしていないはずだし。
迷惑はかけたけれども、実害はかけていない。
それもまた、目の上のたんこぶ感が強い。
「え、なんだ。つまりお前は夜の学校に忍び込んだのか?」
度胸試しというのは、つまるところ、相手をどれだけおどろかすことができるかが大事だ。
ええ、僕にはそんな度胸なんてないよ。と驚かすことが出来たならば、大成功と言ってもいいだろう。
そういう意味では、目の前にいる友達は大成功をおさめているにも関わらず、その目はどこか怯えているようにも見えた。
「お、おう。昨日な、理科室にな、忍び込んでやったんだ。これ、内緒だぜ。お前にだけ話しているんだからな」
震える声で友達――確か名前は映移写とか、そんな名前だった気がする――はそう言った。
変な話だな。と僕は思った。
夜の学校に忍び込むなんて大胆不敵ですごいことをやってのけたにも関わらず、誰にも言うな? それじゃあ度胸試しの意味がないではないか。
そう思ったものの、度胸試しをした張本人である映が言うのだから、僕はその約束を守るべきである。頷くと、映はそのまま去っていった。
さあ、どうしたものか。
圧倒的敗北感。
なにか、夜の学校に忍び込むを超えるような度胸試しはないだろうか。
自分の椅子に座って頭を抱える。
きっと映は少し離れた場所で悶絶している僕を見て、喜んでいるに違いない。
悔しい、悔しい。クラスメイトの話を聞いて、みんなが驚きそうなことを色々考える。
クラスの話題は二つほどの事柄で一杯になっていた。
片方は、クラスメイトの自殺。
もう片方は名前も知らない警備員がどうやら死んだらしい。という噂だ。
自殺したクラスメイトの名前は、狭下宿。
小学生とはいえ、クラスには無意識のカースト制度のようなものができていて、特に女子の間ではそれがしみついていた。格下とか格上とか、そういうものが蔓延していて、彼女は格上の中の格下だった。
まあつまり、一軍の中にいた立場がすごく弱い者である、一軍グループの誰かの機嫌を損ねれば、一瞬でクラスの最下層に落っこちてしまいそうな立場の弱い子だった。
ゆえにかどうかは分からないけれども、彼女は数日前に自殺をした。
屋上からの飛び降り自殺だった。
たまに話していたというか、一応、名前で呼び合う程度には仲が良かった僕からしてみると、それは結構な大事件のようだったが、しかし、クラスメイトたちはそれを雑談のネタとしか扱っていないようにも思えた。
既に机には花はいけられていない。
過去を引きずっていない。と言えば聞こえはいいかもしれないけれど、どちらかというとこれは、どうでもいいものをポイ捨てした。と言った方が正しいような気がする。
もう一つは名前も分からない警備員が死んだというお話。
そもそも警備員がいたこと自体知らなかった僕にとっては、それこそ創作の中の話のようにしか感じられなかった。頭がねじ切られていたらしい。という噂の内容も、それを加速している。
はてさてはてさて。
その二つの噂には共通する事柄が一つあった。
死んだ二人はどうやら、夜の学校でさ迷っているらしい。ということだ。
「……よし」
夜の学校に忍び込むを超える度胸試しを思いついた。
夜の学校に隠れて、朝になるまで――学校の中で過ごすのだ。
幽霊の噂が流れている学校で夜の間過ごすのだ。きっと皆驚くに違いない。
決めてからの僕の行動は実に迅速だった。
給食の時間に余ったパンと牛乳を手に入れ(狭下宿の分だ)、夕食にするべくランドセルの中に突っ込む。
おわりの会が終わって、家へと変えるクラスメイトの波に紛れて教室を出た僕は、三階にある空き教室に忍び込んで、掃除ロッカーの中に入った。
ここならば巡回をしている先生や、教室のカギを閉めて回っているおじさんに見つかることもないだろう。と当時の僕は踏んだのだ。
夜になったらなにをしよう。うちの学校には学校の七不思議がある。それを調べて回るのも楽しいかもしれない。ランドセルの中に入れておいたパンと牛乳を口にしながら、腐った牛乳を汚れた雑巾で洗ったような臭いがする掃除ロッカーの中で、しゃがみ込みながら笑った。
***
頭ががくん。と落ちて、僕は目を覚ました。
どうやらいつの間にか眠っていたらしい。あごまで達しているよだれを拭いながら、僕はロッカーを開いた。
窓の外は見たことがないぐらい真っ暗になっていた。月の光でようやく見える、黒板の上にある時計は一時を指していた。午後ではなく午前の。
いつのまに。
小学生の体力的には、ずっと起きているのは無理だったかもしれない。
大晦日も十二時まで起きていられないお年頃だったから。仕方ない。
時計から視線を外して、僕は早速教室の外に出ることにした。鍵を開けて、廊下に出る。
途端、冷たい風が吹いた。
どこかの窓が開いていたのかもしれない。ぶるり、と体が震える。
「うー、さぶい」
廊下に声が反響した。他の声はしなくて、しん。とした音だけが聞こえた。
もちろんのことだけど、同級生の姿も下級生の姿も上級生の姿も先生の姿もない。
誰もいない。なんにもいない。
今まで、誰もいない学校というものを今まで見たことがなかった。
学校というのは基本誰かいるもので、誰かが喋っているもので、とてもとても騒がしいところだ。静かなところに行っても、必ず誰かの声と気配がするものだ。
しかし、今日はしない。なんにもしない。
静かであることがこんなにも恐いとは、思わなかった。
廊下の向こうは暗くてなんにも見えない。もしかしたら延々と続いているのではないか。と錯覚してしまうぐらい。
暗闇の中でなにかが動いたように見えた。そういえば、警備員と宿の幽霊がふらついているらしいんだっけ。
ちっ。ちっ。ちっ。ちっ。
背後の空き教室から、秒針の動く音が聞こえてくる。
息をするのを忘れていたことに気づく。吐いて、吐いて、吐いて、吐いて。吸って。
大丈夫だ。恐くない。いつもとちょっと違うだけだ。
「……とりあえず、なにかしてみよう」
誰に言うわけでもなく、僕はそう口にした。
無音が耐えられなかったわけではない。
学校で夜の間ずっと過ごす。という度胸試しを始めたはいいが、いかんせん、その間なにをしているか考えていなかった。
せっかくだから、もっとレベルの高い度胸試しにしてみたい。
僕はそう考えて、学校の七不思議の存在を思いだした。
うちの学校――五階建てのどこにでもありそうな普通の学校には、どこの学校にも普通にありそうな学校の七不思議がある。
昇るときと降りるときで数が違う階段。
願いを叶えてくれる呪いの鏡。
図書館にいない人。
貯水タンクの幽霊。
動く人体模型。
観察池の幽霊。
急に鳴る公衆電話。
どこかで聞いたことがあるようなものから、この学校オリジナルなやつまで合計七つ。
それを確認して回るのはどうだろうか。それなら、時間も潰せるはずだ。さっそく僕は動き始めた。
***
一つ目。
観察池の幽霊。
学校の裏にある理科の授業でたまに使う池に、小さな女の子の幽霊が現れるのだという。
池の周りに生えている細長い草が冷たい風に吹かれてかさかさと音をだしている中、僕は一時間ぐらい座って観察池を見ていたけど、大きな鯉が一匹、ゆうゆうと泳いでいるだけで、幽霊は出てこなかった。
二つ目。
急に鳴る公衆電話。
僕が小学生の頃には既に公衆電話は廃れていた時代であった。
それでも、一階にある受付と校長室の間に一個公衆電話が設置されていた。どうやら、子供たちが家に緊急の連絡をいれる際に利用できるようとのことだったのだが、しかし、十円を出すのも惜しい子供たちは職員室にある電話を先生に頼んで貸してもらっていて、公衆電話が使われていることなんてそうそうなかった。
この日も、公衆電話は動くことはなかった。確認してみたら、電源すら入っていなかった。誰も使わないからとうとうただの置物になっていたらしい。
これで鳴ったら確かに怪談ではあるけれども、結局三十分待っても鳴ることはなかった。
三つ目。
図書館にいない人。
三階にある図書館には本来ならいないはずの人がいるらしいのだが、しかし、鍵がかかっていて中に入ることは出来なかった。
入口の窓から確認してみるも、やはり中には誰もいなかった。
四つ目。
動く人体模型。
同じく三階にある理科室に設置されている人体模型が夜動き出すという定番のもの。
しかし、人体模型は誰かがイタズラをして壊してしまったらしく、修理にだされていて置いてなかった。
五つ目。
願いを叶えてくれる呪いの鏡。
真夜中の惨事、西階段、三階と四階の間にある踊り場に設置されている鏡に、幽霊が現れるのだという。
その幽霊に呪ってほしい相手の名前を言うと呪ってくれるらしい。
時間も丁度三時前なので、西階段を昇る。
ついでに六つ目の噂である――昇るときと降りるときで数が違う階段の噂を試してみる。これに関しては詳しくは知らないんだけど、どうせ上がるときと降りるときで階段の段数が違うとかそういうのだろう。結果としては変わらなかった。
鏡の前に立つ。
鏡には僕の姿だけうつっていて――あと、後ろに誰かがいた。
黒い髪の女の子だった。
ばっ。と振り返る。
いない。でも、クスクスという笑い声が階段をあがっていくのは分かった。
今の――誰だ?
見覚えは――ある。
名前は――思いだせない。
確か、クラスメイトにいたはずだ。
ぎゅううぅぅ……。と心臓を握りしめられるような感覚に陥る。暫くの間動くことができなかった。
顔だけを動かして、笑い声が上がっていった階段を見上げる。笑い声はどんどん階段を上がっていったような気がした。
ごくり、とつばをのんで。
僕は階段をのぼった。最後の七不思議、貯水タンクの死体も気になるし、それに、あれを放置しておくのも、なんだかモヤモヤする。
あれが幽霊であっても、幽霊でなくとも、どちらでもいい。いや、本音を言えば幽霊でない方が良いんだけど。
それでも、正体が分かっていることと、分かっていないことでは、雲泥の差が明らかに存在する。
知っておいた方が、いい。だから僕は階段をあがった。笑い声は更に上の階から聞こえた。
僕はもう一階分階段をのぼる。廊下にでると、光が当たった。懐中電灯の光だった。
誰かいる! 僕はとっさに、近くの教室に隠れた。教室のドアのカギはしまっていなかった。他の教室はしまっていたのに。
ギリギリ廊下側の窓が見える、教壇の下に潜り込んで息を潜める。
懐中電灯の主は、僕に気づいていなかったようで、カツーン。カツーン。という規則的な足音がゆっくりと近づいてくる。
教室の前を通り過ぎる。
奇妙な人だった。
顔はやつれたおじさんの顔なのに、体は僕とそんなに変わらない――小学生のような体格をしているのだ。
まるで、頭を落とさないようにしているかのように、ふらふらと移動しているそれを、僕は教壇の下からまじまじと見ていた。
その人は、そのまま教室の横を通り過ぎようとして――止まった。
なにかに気づいたように、足を止めた。
なにに? それはもちろん――僕に。
ゆっくりと振り返る。僕の方を見る。しわのあるおじさんの顔は、まるで小学生女児のように笑った。
「あ、平行くんだ」
その呼び方は、気さくな呼び方は。
まるで、飛び降り自殺をしたクラスメイト――宿のようだった。
***
さてさて。
これが僕の体験した不可思議事件の全てだ。
おじさんと小学生女児が合体したようなナニカを目撃したことが不可思議事件の全貌?
いやいや、そうじゃあない。
目撃したところが、変なんだ。
さきにも説明したと思うけど、僕の通っていた小学校は四階建てで、呪いの鏡があるのは西階段の三階と四階の間にある踊り場。
だから。
笑い声を追いかけて、もう一階上に上がるなんて、不可能なんだ。
それ以上、上の階はないはずなんだ。
昇るときと降りるときで数が違う階段。
僕はそれを、階段の段数だと思っていたけれども、そうではなくて――そのまま、階段の数だったんだ。
階段が二つ増えて、階数が一つ増える。
だからこの噂は正しくは――『存在しない五階』なのだろう。
それに気づいたのは、朝になって隠れていた教室からでて、階段を下りようとしたときだった。階段がなくなっていた。確かに昇るときと降りるときで階段の数が違うけれども、これはどうかと思う。僕は、存在しない五階に閉じ込められてしまったのだ。どうか、どうか。この手紙は教室の窓から紙飛行機にして飛ばしています。階段はないけど、窓から見える景色は五階からの高い景色で、学校から見える景色そのものです。校庭は見えますし、遊んでいる生徒の姿も見えます。クラスメイトたちの顔も見えます。でも声を荒げても気づいてくれませんし、そもそもここに閉じ込められて五年ぐらいは経過しているはずなのに顔ぶれが変わらないのはおかしいです。たまに皆がこっちを見ます。見覚えのある顔なのに本当に彼らなのか疑問に覚えます。さすがに五階から飛び降りる度胸はありませんし、この状況から判断するに、外に出るのは危険だと判断しています。どういうわけか、お腹が空かないおかげで、どうにか五年は過ごせていますが、それでも、精神的にはもうつらいです。こわいです。警備員と宿が合体したような幽霊はあれから一度も見ていません。多分あれは僕が見た幻覚だと思います。そうでないと二人の姿が合体した姿で幽霊が出てくる理由がありません。二人の幽霊を想像している間にくっついてしまったんだと思います。そうであってほしいです。こわいです。自分が一体どういう状況に巻き込まれているのか分からなくてこわいです。だからどうか、この手紙を拾った学校の五階を探してください。見つけてください。僕を助けてください。お願いします。
如月平行