ハードボイルド・ミント・ラバーズ
漫画化します(断言)
「歯磨き粉って食べたことある?」
そう言って君は季節外れのバカルディを一息に飲み干した。夜間外出許可を取っていなかった俺はさっさと帰って眠りに就きたかった。
このバーの床はヘドロまみれだし、壁には人の顔のシミが無数にあり、いくつもある時計の針は例外なく狂っている。
今も先ほどまで管を巻いていた酔っ払いが3つ隣で溶け始めている。早く脱出しなければ俺もヘドロの仲間入りだ。
じゃあそろそろ、と別れを切り出そうとすると君は石鹸シャンプーと不摂生で傷んだ髪をブチブチと引き抜いて俺のマッカランに放り込んだ。
まだ帰らないで欲しいの合図である。
やれやれ面倒臭い女だ。
「マスター、最後にミントのキツイやつ、この子にも同じのを」
これで満足か、と君に目配せをすると白目を剥いて歯を食いしばりながら笑点のテーマを喉からひり出すように歌っていた。
この笑顔に騙されてはいけない、単に狐に憑かれているだけだ。こいつは本当に男に気があると思わせるのが上手い。アブない女だ。
俺は照れ隠しに仁丹を取り出し何粒か口に放り込む。
「お待たせしました、テキサス・ミント・ラバーズです」
「マスター、これ、存在しないカクテルでしょ?」
と聞くと、マスターは不敵な笑みを浮かべながら透けるように消えた。大人の対応ってやつなのだろう。なんだかんだ言ってもここは気の置けないいい店だと改めて思う。
俺はグラスを手に取り、煙草のヤニで鍾乳洞になっている天井に捧げる。
「冬を越せなかった全ての虫たちに乾杯」
子ども用の歯磨きのような味のカクテルを一口飲み下すと、膝元まですっかり溶けてしまっているのに気付いた。またこの女にしてやられてしまった。どうせもう終電にも間に合うまい。
「今夜はとことん付き合うよ、俺のハートまで溶け落ちるまで、な」
諦め切った笑みを君に向けると、さも嬉しそうに血が出るほど喉を掻き毟り始めた。
「ははっ、君は大袈裟だな」
また一口、カクテルを飲み下す。床のぬかるみに沈むまでもうあと一時間も持つまい。そして朝になって再生したらまたひよこの鑑別だ。君はもういない。でも今日も俺はあの言葉を言わずにドロドロに溶けてしまうのだろう。
座高が下がってきているのを感じながらもう一度君を見る。さっきよりも20キロばかし太ったように見えた。
「めそそほろろぴょんぱらら?」
「いや、なんでもないさ」
誤魔化すようにカレーに歯磨き粉かけて食べる同僚の話をしているうちに心臓が溶けて俺はぬかるみに滑り落ちた。
「意気地なし」
最後に君がそう言ったのを俺は確かに聞いたさ。