ある男の記憶4
最近、ベッドから出してもらえる事が多くなった。まだ二本足で立つ事は出来ないが、這い回って動けるようになり行動範囲が広がった。
魔法の訓練も順調だ。紋様を任意の場所に描き出す事にも成功し、最近は複数描く事に挑戦している。なかなかに難しいが、出来るようになるのも時間の問題だろう。
たまに顔を出す父を泣きわめいて追い払い、困り顔の母が俺をあやす。寂しげな顔で去って行く父の姿にチクリと心が痛むが……認めん。認めんぞ。
そんな光景がごく当たり前の日常になった我が家へ――父に代わり、母方の祖父母、特に祖母が頻繁に母を手伝いに訪れるようになった。
祖父母と言っても、人族で言えば二十代半ばの見た目をしていてなんとも妙な感覚に陥る。
周囲で交わされる会話から情報収集をしていた俺は、母と祖父母の会話から母と父の年齢と馴れ初めを知った。
母は二百十歳、父は三百歳ぐらい。本人もはっきりとした年齢が分らないらしい。巨人族の父と不死の特性を持つ魔族の母とのハーフなんだとか。母とは会ったことがなく、種族は判然としないそうだ。
俺も魔族という物自体が分らん。俺の知る限りそう呼ばれる種族には覚えが無い。やはりギースとして生きた世界とは少し違う世界のようだ。
エルフの平均寿命は七百年から八百年。千年生以上きる者も珍しくはない。巨人族も長寿な種族ではあるが、エルフ程ではない。平均して寿命は三百歳前後と言われている。
父の年齢を考えると、間もなく寿命を迎える歳という事になる。しかし、エルフの見立てでは中年期に入ったぐらいだそうだ。
父の母、俺から見ると父方の祖母は、エルフを遙かに凌ぐ寿命を持った種族である可能性が高いそうだ。不死というくらいだ、寿命の概念すらない種族なのかもしれない。
取り敢えず、父は腕を切り落とすと、生えては来ないが暫く繋いでおけばくっつくそうだ。本人曰く、疲れるが生やせない事もないとかなんとか。
父と母の馴れ初めだが、近くの森で異常発生したギガントードの大群が村に押し寄せた事があったらしい。
その時、村の主立った戦士達は別件で村を離れており、母も生存を諦めかけていたとか。
そこへ現れた救世主が親父だった。
親父はギガントードの大群を文字道りちぎっては投げちぎって投げ撃退したそうだ。
散乱した臓物の処理に一月、辺り一帯に立ちこめた臭気が晴れるのに更に一月程要したとか……。
このギガントード事件が母と親父が知り合ったきっかけらしい。
結婚に至ったのは、てっきり吊り橋効果的なもので、残念フェイスがパーフェクトフェイスへと補正された結果なのかと思っていたのだが……。
結婚したのは二年前。ギガントード事件は十五年も前の事らしい。
前の世界で残念フェイスだった俺にはなんとも堪える話だ……。
ベッドから出されると、這い回って家中を探索した。
中でも、まず確認したのは太陽と月だ。俺のベッドのある部屋には窓がない。俺が覗けそうな窓を探し、這い回った。何用なのかは分らが、床に近い位置に長細い小さな窓を見つけ、張り付いた。
太陽は東へ沈み、月は二つ出た。
次ぎに、家具など生活用品をくまなく見て回った。やはりギースとして生きた世界と酷似してた。
本を見つけると遊ぶフリをして読みふけった。しかし、俺の手が届く範囲には求めるような情報が書かれた本は見当たらなかった。
俺が求めるのはこの世界の詳細な歴史や地図、そして魔法に関する知識だ。
村の歴史書ならあった。よくある、誰それがこの地へ移り住み――といったやつだ。因みに、その誰それは祖父だ。そして著者も……祖父だ。
一応この村は二百年以上の歴史を持っているらしい。年数だけ見ればそれなりの歴史があるように感じるが、この村の歴史は一言で言い表せる。
「ずっと森に引き籠もっていた!」それだけだ。
余程めぼしい出来事がなかったとみえ、ギガントード事件は一大スペクタクルとなっていた。イケメン補正された親父とギガントードが戦う挿絵まであった。
……こうやって歴史はねじ曲げられてゆくのだ。髭と牙を書き足しておいた。
※
――手の届かない本を取ろうとして雪崩を起すこと数回。暖炉での魔法の試射未遂数回。落書きもばれた。俺は再び柵付きのベッドに閉じ込められた。
なかなかベッドから出して貰えなくなり、出されてもビッタリと誰かが付き添って片時も監視の目が緩まない。一瞬でも目を離す時はベッドに戻される。特に暖炉には付き添いが居ても近寄らせてはもらえない。
元々暖炉の側に居るときは監視の目は厳しかったのだが、ほんの少しの間だが、監視が無くなる状態が何度かあった。その度に暖炉ににじり寄り、魔法の試射を試みた。
そしてその度、炎に手をかざしたところで発見されて引き戻され、現在の監視の体制が敷かれる事となった。
しかし、祖父母が孫に甘いというのはこの世界も同様だ。特に甘い祖母は、母が不在であればキャッキャキャッキャと声を掛けていればすぐにベッドから出してくれる。祖母を利用し、暖炉へにじり寄る機会を根気よく窺った。
そして、ついにチャンスが到来した。
玄関からした大きな物音に驚いた祖母が俺の側を離れた。玄関までの距離を考えると、十分に間に合う。
俺は即座に行動を開始した。この日の為に何度もシミュレーションしてきたのだ。
手と膝で床を蹴り、一直線に暖炉へ向かった。炎に手をかざし手の中に紋様を描き出す。経験が無いのでさじ加減が分らない。故に込める魔力は限界まで薄く――
(ついにこの時が来た! 炎――)
「いふひふぅ!!」
迂闊だった――そう言えば、俺はまだ満足に喋ることが出来ないのだった……。当然、魔法は発現しなかった。
それから数日、ベッドの上で抜け殻のように横たわる俺を母は大層心配していた。
(――紋様、魔法陣に魔力を込め、呪文で発動させる)
昔、俺に魔法を教えようとしていた魔術師の言葉を思い出していた。
(描き出された紋様や魔法陣は未完成の魔法……鍵となる呪文を吹き込む事で完成し、魔法として発現する――)
ベッドの上を右に左に無気力に転がった。
(しっかり発音出来るようになるまでは無理か……こればっかりは体の成長を待つ外無い……)
やる気の無い俺に、額から頭頂部にかけて禿げ上がった頭を頻りに撫でながら、根気よく説明をしていた魔術師の姿を思い出す。
(あいつよくキレなかったよな……あんなあからさまにやる気の無い奴に何かを教えるなんて、俺には出来んぞ……)
考え事などをしていると、禿げ上がった頭を「ペシ!」と叩きそのまますりすりと撫でる癖を持った男だった。
(「ペシ! すりすり」「ペシ! すりすり……」触ったら怒るくせに、自分でペチペチやるんだからな、叩いてみたくなるっての……。
そう言えばずっとハゲと呼んでたけど、本名は何と言ったっけ? ――ハゲはハゲでいっか。みんなハゲって呼んでたし……)
※
(――一度だけ魔法について何かを尋ねた覚えがあるんだが……なんだっか……。何か重要な事だった気がするのだが……)
記憶を掘り起こし、魔術師の言葉に耳を傾けた。
「ペシ! すりすり」
うるさい! やめろ!
(――ダメだ。ハゲてた事しか思い出せなくなった……)
ベッドを転がりながら少しずつ、少しずつ視線を頭から下ろし、耳をそばだてた。
(――呪文――魔力……そうだ。呪文はただの言葉ではない……魔法を完成させる言葉――)
何かを思い出せそうな予感に、右に左に体を転がした。
(――魔力――それが呪文……そうだ! 魔力を込めた言葉が呪文。未完成の魔法を完成させるのに必要なパーツに魔力を乗せたもの。それが呪文! 言わば、魔法と言う完成されたパズルから抜き取られたピースを戻す事で魔法を完成させる。そのピースが呪文。そうだ、そうだ。
そして言葉に魔力を込める。それを追求したものが呪い! 思い出したぞ……。呪いと言う言葉に俺の触手が動いたのだった。そして、魔法とは――)
数日ぶりに……むくりと体を起こした。
(俺の魔法の訓練は間違っていた。だが、今なら……いや、今しか正せるチャンスはない)
ベッドの柵から暖炉を窺った。暖炉の前にも展開された柵バリケードの隙間から、炎をじっと見つめた。
(――魔法とは、本来その全ては呪い。呪言。そしてそれはそれぞれの魔術師が生み出したオリジナルの物。それを万人が扱えるようにするために開発されたのが巻物。
魔法をシンボル化し、発動に必要な魔力を送り込む事で誰もが簡単に魔法を発現させる事が出来るようにした物。
そしてそれを応用し、魔力で紋様や魔法陣を描き、呪文で発動させる形態を確立した。それが、シンボル魔法。世間一般に言われる魔法がこれ――)
一部が欠け、未完成の状態の紋様や魔法陣。魔法と言う完成したパズルからいくつかのピースを取り去った物が、シンボル魔法で使う紋様や魔法陣だ。
自ずと、そこへ嵌めるピースの形は決まる。その形状を言葉に置き換えたのが呪文だ。正確には、置き換えられた言葉へ魔力を込めて発したものが呪文となる。
呪文として選ばれる言葉は、発現させる魔法にちなんだ言葉が選ばれる。
シンボルの作成に当たり、何という言葉を呪文として使うのかは自由だ。火を出す魔法に「水」という呪文を使うようにシンボルを作る事は可能である。
しかし、これでは使用者が混乱してしまう。故に、発現する魔法にちなんだ言葉が自然と選ばれるようになり、暗黙的なルールともなっている。
一方、呪言はまるで違う。シンボル魔法で例えるならば、発現する魔法そのものを言葉へ置き換えていると言える。呪言は、その発せられる言葉一つ一つが完成された紋様や魔法陣となる。呪言は発せられると同時に魔法が発現する。
シンボル魔法には様々な紋様や魔法陣が存在する。
火の魔法を発現させる物、水の魔法を発現させる物、風、土――そして、どういった形態で発現させるかによってもシンボルは変化する。
それらを単体又は複数組み合わせて様々な魔法を発現させる。しかし、呪言にはそれがない。種類という概念がないのだ。強いて言えば、一種類だ。魔法と言う魔法を発現させる魔法。
シンボル魔法は術者の外に様々な魔法を紋様や魔法陣によって形成し、術者が与える呪文により完成して魔法が発現する。全ては術者の外で行われる。
呪言はその逆。魔法は術者の中で形成され完成している。完成した魔法を外へ伝える媒介として言葉を使っているに過ぎない。当然、術者の中で発現させる事も可能だ。
シンボル魔法で用いる紋様や魔法陣とはそうして発現した魔法の一部を切り抜き、図式化した物なのだ。
一見良い事ずくめな呪言だが、普及に際しては大きな壁が立ちはだかった。神業的な職人芸の結果だけを見て、それを行えと言われても無理な話だ。
その結果に至るプロセスを理論では理解出来ても、再現するのは全くの別物だ。
その技は長い年月を費やし研鑽に研鑽を重ね、感覚を磨き養い会得するものだ。才能の有無にも大きく左右される。教える側も目に見えぬ感覚を言葉で伝えるのは非常に難しい。故に、呪言を習得するには膨大な時間を要した。
そこへ登場したのがシンボル魔法だ。それぞれが持つ魔法の才能――魔力の総量や魔力の扱い方の上手さなどで、発現する魔法の強さや規模は大きく異なるのは呪言と変わらないが、魔力の錬成、放出が出来れば基本的に誰にでも扱えた。
その為、シンボル魔法は爆発的に普及し、魔術師と呼ばれる者達が一般化した。そして、大きく普及すれば当然その研究も盛んになる。
紋様や魔法陣を研究、解析し、数々のオリジナルのシンボルが登場した。そして、一般化した魔術師の中にはやはり、魔術師としての高みを目指して呪言へも手を出す者が現れるのだが……シンボル魔法に馴染んだ者が呪言を習得するのは想像を絶する困難が伴った。
シンボル魔法と呪言では魔法を発現させるプロセスがあまりにも違いすぎた為だ。魔力で魔法を練り上げるのではなく、術者の外に魔力で魔法の表面を描く。それもある一部分だけをだ。
例えるなら、2Dと3Dの違いのようなものだ。シンボル魔法にはX軸とY軸しかない。Z軸の概念が無いのだ。もっと言うと、木彫りの箱に精巧な塗装を施し、パッと見本物に見える物を作るのが精々。当然中身はない。
それが当たり前となっている者にはあまりにも分厚い壁だった。
一度体が覚えた事を修正するのは難しい……。今すぐ自転車の乗り方を忘れろと言われても無理なのと同じだ。そうして、呪言を扱える者はその数を減らしていった。
(――まだ間に合うはずだ。俺はまだシンボル魔法を使用していない。ある程度の手順は習得してしまっているが、まだ忘れられるはずだ……)
柵バリケードの隙間から、薪のまだ燃えていない部分に焦点を合わせた。
(呪言は術者の中で魔法を完成させる……全てのプロセスを己の内で――
炎だ。炎をイメージしろ。紋様を描いた時のように……だが外へはだすな、内に留めるんだ――そう、そうだ、魔力をくべどんどん燃やせ――そして炎を体から出す……!)
見据えていた薪へ向け「ビシ!」っと手を突き出すと同時に吠えた。
「ふぁ!」(ハッ!)
――何も起こらなかった。
俺は横になり、転がって俯せになった。
(とても恥ずかしい事をした気がする……。誰かに見られた訳じゃないんだし、気にする事はない……。
――仮に誰かに見られたとしても、そんなの慣れっこだろ? 手を突き出したポーズはなかなかキマってたとおもうぞ? 「ハッ」と言いたかったのに「ふぁ」としか発音が出来なかったなんて些細な事だろ? 前の世界で築いた黒歴史は伊達じゃないだろ?)
むくりと体を起し――、再び薪を見据えた。
(出来る……きっと出来る! きっとこれは、これからの人生をハードにするかイージーにするかの分岐の一つだ! こんな事でめげてどうする! 黒歴史上等だ!)
この日から俺は体の中に魔力を噴上げ体中に巡らし、こねくり回す訓練に明け暮れた。母が見てようが、祖父母が見てようが、暖炉へ向け「ビシ!」っと手を突き出し続けた。
最初は困惑顔で見ていた母と祖父母であったが、新しい遊びを発見し、出せとぐずらなくなったと暖かい笑顔で見守ってくれた。
暖かいだ。生は付かないぞ。
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