籠の中
空が紅く染まり――集まった面々を前に、クラウスが木箱を開いた。
「君達にも着てもらう」
そう言って、全身をすっぽりと覆う黒い貫頭衣を取り出した――
黒装束に身を包み、カルアはレムとランランの背に括り付けた樽の状態を確かめた。
(大丈夫……)
ローレンスは、ルチルナには大き過ぎるそれを調節しながら囁いた。
「もしもの場合、私は何よりもお嬢様の安全を優先いたします。それが誰かに犠牲を強いる事であっても、私は迷いません」
「……」
「たとえお嬢様に恨まれる結果になろうとも、私はお嬢様の安全を優先いたします」
ふとカルアが駆け寄った。
「これ、ルチルナが持っておいて」
そう言って、お守りをルチルナの首にかけた。
「……いいの?」
「あなたが一番消耗するんだから」
その時、コツコツと蹄の音が響き、皆の視線がバゼルへ集まった。
バゼルも兜を脱ぎ、黒い貫頭衣に身を包んでいた。跨る白馬も黒い馬着に身を包んでいる。
夕陽を背に、バゼルは一同を見渡した。
「これより、ヴェルムントへ向かう」
そう言って、沈み行く太陽を振り返った。
「これが見納めとなるやもしれん」
足を揃え、踵を踏み鳴らす音が響いた。
やがて……紅く燃えていた稜線が、夜空へ溶けた――
ニック一行が先頭を行き、その後ろをカルア一行とデニスが、それを囲むように、オスカー率いる四人の団員が張り付いた。
「もしもの時は本隊が前に出る。絶対に俺達の後ろから出るな。いいな?」
オスカーはそう言って何度も念を押した。
幸い、月明かりに照らされ道はよく見えた。お陰で一行は快調に歩を進める事が出来た。しかし、黒尽くめで夜陰に紛れる彼らには、この明るさは少々迷惑でもあった。
これといった会話はなく――枝を伸ばすように、周囲に意識を張り巡らせた。
ツンと冷えた空気が鼻を紅く染め、時折吹く風に気配を探りながら、ピリピリとした緊張に包まれて歩き続けた――
※
まだ歩くのか……? ついに疲労が緊張を破り、そんな事を思った。
道は大きく膨らみ、ブリムの谷が間近に迫った。
地図によれば、間もなくヴェルムントが見える頃だ。
ふと、隣を歩くデニスが指差した。
彼方に、ひょこりと突き出た岩山が見えた。
「ここからだとハゲ山のように見えるが……あれがヴェルムントだ」
単眼鏡を目に当てると、巨大な塔が見えた。
(あれがヴェルムント……)
「あの中に天鼠竜が……」
アイクの言葉に、一瞬心臓が大きく脈打った。
ルチルナへ歩み寄り、崩れた道を復元する彼女へ声をかけた。
「大丈夫?」
「ええ、平気よ」
ルチルナへ頷き、ヴェルムントを指差した。
「……出来るだけ静かにやるわ」
――近づく程に、その巨大さに圧倒された。
「一体どうやって造ったんだよ……」
リンに続き、アイクが呟いた。
「人間がこんな物を作れるなんて信じられないよ……」
「リリスが神眼の力を使って建てたという逸話がある。それが本当なら、建てたのは人間じゃない」
デニスが返した――その時、前を行くニック達が身構えた。
が、直ぐに構えを解いてデニスを振り返った。
「ありゃお主の仲間か?」
岩肌に身を寄せ、屈むようにライナーが駆けて来た。
「脅かすな……」
そう言うデニスへ、ライナーは興奮気味に返した。
「まさかこんなに早く着くなんて……どんな裏技を使ったんだ」
「それは後だ。とにもかく状況を」
そう言って彼をバゼルの元へ導いた――
一通りライナーの報告を聞き、バゼルは尋ねた。
「裏側が崩れているというのは間違いないのか?」
「はい。鳥籠を出入りする様子から、少なくとも成体が出入り出来るだけの穴があるようです」
「中の様子は全く分からないか?」
「残念ながら……」
「大きく崩れていると……どうなるんですか?」
カルアの問いに、クラウスは唇を噛んだ。
「察しはついているだろうが、あの巨大な塔は連中を閉じ込める為のものだ。飛行を制限し、要塞からの補助を受けながら戦うんだ。飛行を制限出来ないとなると……」
ややあって、バゼルが立ち上がった。
「形を保っている事を祈ろう」
そう言って、カルア一行へ向き直った。
「これより先の道に異常はないそうだ。貴殿らの助力に感謝する」
バゼルが頭を垂れた。その時――
「待って」
「お嬢様!」
声を荒げたローレンスを、ルチルナは鋭く見返した。
「出来る事をやらずに帰って、全滅なんてされたら寝覚めが悪いわ」
そう言って、バゼルへ目を戻した。
「私なら、中の様子を探れるわ」
「本当か?」
「ええ、簡易ゴーレムを送り込めれば、中の様子を見ることができるわ」
「……頼めるか?」
「断るんだったら最初から言わないわよ。ただ……」
「ただ?」
顔を俯けるルチルナの肩に、アイクが手を置いた。
「断るんだったらコンラートに残ったさ」
「急がないと夜が明けちゃうわ」
とカルアが続いた。
※
カルア達を守るように、橋の袂に北天が陣を構えた。
「もしもの時はこのまま戦う事になる。絶対に俺達の後ろから出るな」
オスカーへ頷き、アイクが弓を引き絞った。
「〈糸繰〉」
カルアの手に浮かんだ魔法陣がかき消え、矢尻の先から細く絞った光の筋が伸びた。
「ルチルナ、何時でもいけるよ」
ルチルナの左目が大きく開かれ、現れた四つの瞳孔がゆっくりと動いた。
地面に積っていた砂が盛り上がり――まるで毛糸でも編むように、小さな人形が出来上がった。
「空洞にしたから、見た目より軽いわ」
「できるだけ矢尻を包むように掴まって」
「こう……かしら?」
「うん。いい感じ。じゃあカルアはルチルナの合図で矢をそらして」
カルアが頷き、細い光の筋がヴェルムントを越えるように山なりの弧を描いた。
「行くよ」
――微かな衝撃波を残し、矢が放たれた。
〈糸繰〉に沿ってグングンと空へ登り――ヴェルムントへ向けて降下を始めた。
「いいわよ」
カルアが軌道を変える直前、簡易ゴーレムが矢を離れ天井へ着地した。
「上手く行ったのか?」
そう尋ねるクラウスへ、ルチルナが頷いた。
「降りる時に、左に穴が見えたわ」
「そこには近づくな。ぶら下がっているやつが居るかもしれん」
続けて、「どの辺だ?」と見取り図を広げて見せた。
「この辺よ」左上の縁を指した。
「今お前は何処に居る?」
縁に沿って指を滑らせ、中央付近で止めた。
「いま天井の縁まで進んだわ」
「壁面の様子は見えるか?」
「ここから見える範囲では崩れている所は無いわ」
「十分だ。中央の引き込み口から中に入ってくれ」
「少し待って。小さいから移動に時間がかかるわ」
その時――小さな光を見た。微かだが、下の方で何かが光った。
「今……」
「どうした?」
はるか下――塔の根本でチラチラと何かが光りを弾いている。
よく見ると、少し膨らんだ土台の一部が崩れている。
「根本が崩れてて……そこで何か光ってる」
「……」
腕を組むクラウスへ、ルチルナは続けた。
「降りる事は出来るけど、戻ってる間に夜が明けちゃうわ」
堪りかねたように、デニスが割り込んだ。
「中に入った連中かもしれない」
「どう見える? 人か?」
「……ここからじゃ分からないわ」
「二体に分離するのは難しいかな?」
そう尋ねるアイクへ、ルチルナは首を振った。
「見える範囲でなら簡単なんだけど……」
「そっか……」
難しい顔をする面々を、リンは不思議そうに見回した。
「降りてみて何も無かったらやり直せばいいだろ。今度はもっと手前に降りれば、それで時間のロスもチャラだろ」
その場にいた誰もが、ハッとリンを振り返った。
「たまには役に立つのね」
「……そりゃどーも」
ルチルナの操る簡易ゴーレムが、壁を滑るように下り始めた。
「どうやって降りるの?」
「壁を取り込もうすれば貼り付けるわ」
「なるほど……」
「見えた」
※
膝を抱え……踞ったドロレスは、涙と寒さに肩を震わせていた。
それに合わせ、チラチラと揺れる髪留めが月明かりを弾いた。
スヴェンの姿はなく……しゃくり上げるドロレスから時折嗚咽が溢れた。
ふと、差し込む月明かり灯りを影が横切り――ハッと穴を振り返った。
「――!!」
しかし――そこには何もなく、空には美しい月があるだけだった。
「……」
胸を叩く鼓動を落ち着かせ、顔を戻すと――小さな土人形が立っていた。
「……?」
不思議と恐怖は感じなかった。腫れ上がった目を拭い、それを見つめた。
「女が居るわ」
「ドロレスだ! 他は? スヴェンとハンス――男は居ないか!?」
「彼女だけよ」
「話せるか?」
クラウスが割り込んだ。
「音は拾えるけど、こっちの声を届けたりはできないわ」
「何か字が書けそうな物はないか」
「あるわけないでしょ」
ルチルナの神眼が、小刻みに震えた――
簡易ゴーレムの右腕が、編み物を解くように細糸状に漂った。
「難しいわね……」
微かに歯を鳴らし、クラウスへ尋ねた。
「何を聞くの?」
「待ってくれ」と、バゼルを手招いた。
ドロレスの鼻先で、糸のように伸びた砂がくねくねと曲がり文字を描いた。
「我々は――」
ドロレス目に涙が溢れ、指の隙間から嗚咽を吐き出した。
「北天……」
絶望に押し潰されていた心が、息を吹き返した――
全身の痛みが、凍えるような寒さが、生きる希望へ変わった。
「中の様子が知りたい。中に何頭居る? その内――」
「ちょっと待って」
矢継ぎ早に尋ねるバゼルを、ルチルナが遮った。
「泣きじゃくってて……話せるような状態じゃないわ。少し待って」
バゼルは頷いたが、その声には有無を言わさぬ力が篭っていた。
「時間が惜しい。呼びかけ続けてくれ」
拭っても拭っても溢れる涙の合間に、ドロレスは瞬く文字を微かに読み取った。
(上等兵……)
(メイヤー上等兵……)
歯を食いしばり、涙を堪えて文字に集中した。
(ドロレス・メイヤー上等兵)
――ややあって、ルチルナが口を開いた。
「成体が五頭。孵化して間もない幼体がおそらく三頭。正確な数は分からない」
「五頭か……」
「待って……。成体はたぶん五頭。姿を見たのは四頭、五頭目は目を見ただけで姿は見てない。あと、通路が崩落してて通常の入口は使えない」
じっと黙っていたデニスとライナーであったが、ついに割り込んだ。
「他の二人は?」
「スヴェンとハンスはどうした?」
「死んだわ。二人共」
ドロレスの目に涙が溢れた。
「ハンスが喰われて……。その隙に逃げ出した私達はここ落ちて助かった。スヴェンは……」
声が詰まり、嗚咽を漏らした。
「跳ね橋を下ろそうとしたの……。あいつらは格子を通れないけど、私達は格子の目を潜れる。だからあいつらが寝ている間に跳ね橋を下ろして……」
言葉が途切れ、ボタボタと涙を落とした。
「あいつら待ってたのよ! 私達が出てくるのを……! おもちゃでも与えるように幼体をけしかけて……」
身を震わせ、肩を抱くように踞った。
「でもスヴェンは辿り着いた……。走って、走って、ロックを外した……。
もう一つは、私が外すはずだった……。なのに……ごめんなさい。スヴェン許して……私、足が竦んで……。ごめんなさい……あなたを、あなたを見殺しにした……!」
ややあって……じっと耳を傾けていたバゼルが口を開いた。
「メイヤー上等兵。跳ね橋を下ろせ」
意外にも、ドロレスは驚かなかった。
「……分かった」
「そこで合図を待て」
バゼルとクラウスはその場を離れ、北天の面々が慌ただしく――しかし静かに動き始めた。
同時に、オスカーがカルアの元へ駆けて来た。
「カルア、荷を解いてくれ」
一方――
ふと立ち上がったドロレスは、ボソボソと呟いた。
「私が死んだら、私の財産はスヴェンとハンスのご家族へ渡して。大した額は無いけど、私には受け取る身内が居ないから……」
そう言って浮かべた笑みは不自然で……とても寂しげに見えた。
「あと、観測所へ行った仲間がいるんだけど……」
「ここにいる」
「そっか……。無事なんだね」
「……」
ルチルナは、先程の不自然な笑みが気に掛かっていた。
「さっきの笑顔……最初に見た泣き顔より笑ってなかった」
ハッと顔を上げ、ドロレスは首を傾げた。
「……あなたは? 北天なの?」
「私は冒険者。C.O.Lのルチルナ・メイフィールド。同じくC.O.Lのカルア・モーム、ローレンス・シェパード、アイク・ウィーリス、リン・ソーヤーと共に北天の補佐に雇われた」
「……リリス。この子はゴーレムだったのね……。ゴーレム使いの冒険者なんて珍しいわね」
「それよりさっきの――意味を教えてもらえないかしら?」
「……私の命に、大した価値はなかったんだなって……」
そう言って……力なく天井の穴へを見上げた。
「あそこへ戻れって言われた時に、スヴェンの言った事は正しかったんだって気が付いたの」
「……じゃあ、北天の連中も大した価値は無いのね」
「……?」
「あなたが行けと言われたその場所へ、自ら乗り込もうとしてる」
「……」
ふと、ドロレスが微笑んだ。
「そうね、同じね」
そう言って、何か気が付いたように首を振った。
「バゼル様の為に命を捨てる……なんの不思議があるのよ。私は近衛なのよ」
ドロレスはブーツの紐を固く結び直し、両手で頬を打った。
「合図を待つ」
一方――
樽を前に、オスカーが唸った。
「二人でいけるかと思っていたんだが……三人でもキツイな。かと言って中身だけにする時間もない……」
「どうした?」
戻ってきたクラウスが声をかけた。
「想像以上に重くて……」
「仕方がない。もう一班連れて行け」
「二班も削っちまうのは……持っていくのは半分に――」
そこへバゼルが戻った。
「確認だ。成体は五頭だな?」
ルチルナを通してドロレスへ尋ねた。
「姿を見たのは四頭。跳ね橋を降ろそうとした時に何度も確認した」
「何故五頭と?」
「……スヴェンが殺られた時、暗がりに目を見たの。青く光る瞳が、たしかに私を見ていた」
その瞬間――バゼルとクラウスが顔を見合わせ、北天がどよめいた。
「ブルー・アイ……」
呟いたクラウスへ、バゼルが頷いた。
「まさか……見える日が来ようとは……!」
「ブルー・アイ?」
尋ねるカルアへ、オスカーが答えた。
「初代北天守晴、ガトーを喰った奴だ……」
「ガトーだけじゃない。幾人もの北天守晴と団員達を喰らった――我々の天敵だ」
そう言ったクラウスの瞳は闘志に満ち――いや、バゼルも、団員達も同じ目をしていた。
「ヤツの右目が青く光るのは、ガトーが突き刺した剣が目玉の中に残っているからだ。嵐を喰らうと云われたフェイレンの宝剣、シュトゥルムイーターが放つ光だ」
「やっぱり運ぶのは半分に、二班も欠いて始めるには相手が悪すぎる! いや、俺が持てるだけ運んで――」
そのやり取りを見つめていたカルアはルチルナを見た。
――互いに頷き、リンとアイクも二人へ頷き返した。
「ローレンス。いいわね?」
と振り返ったルチルナへ、ローレンスは項垂れるように頷いた。
「魔力炉へは私達が行きます」
ハッと振り返ったクラウスは首を振った。
「申し出はありがたいが、これ以上巻き込むわけにはいかない」
「そう言われても……もう引き返せないところまで来ています。今から撤退しても、もしもの時にこの一本道に逃げ場はありません。安全なのは……」
カルアはヴェルムントを指差した。
「あの中で待つよりありません」
クラウスは言いかけた何かを飲み、バゼルと共に深々と頭を垂れた。
「すまない。よろしく頼む」
「貴殿らの助力、心より感謝する」
その足元に――三枚の登録証が転がった。
「これでテメェの命令は無効だろ? オレらは勝手にやらせてもらうぜ」
「好きにしろ。ただし、我々の邪魔はするな」
目を吊り上げるクラウスを、ニックが睨み付けた。
「いいか、中の奴はテメェ等にくれてやる」
そう言って鳥籠を指差した。
「出てきたのはオレらの獲物だ。邪魔したらまとめてブッ殺すぞ」
踵を返したニック一行と入れ替わりに、デニスとライナーが駆け寄った。
「俺達も行かせてくれ」
そう言う二人へ、カルアは首を振った。
「お二人はメイヤーさんを。言い難いですが……無傷で済むとは思えません」
「そうだな……たとえ腕一本でも、連れて帰ってやらないとな」
そう言うデニスの肩をライナーが掴んだ。
「無事を祈ろう。そういう事を言うんじゃねぇ」
「要塞の中に医療品などはありますか?」
「いや、要塞内には何も残って――」
言いかけて、二人は観測所を振り返った。
「俺が行く。お前はもう限界だろ」
そう言って駆け出したライナーを見送り、デニスはカルアへ向き直った。
「これはヴェルムントの見取り図だ。魔力炉の操作法もここに書いてある」
そう言うと、図面捲り指を差した。
「もし鍵がかかっている場所があれば、ここに保管されているとはずだ」
「ありがとうございます」
※
先頭に立ったバゼルが貫頭衣を脱いだ。
皆も次々と貫頭衣を脱ぎ、見届けたバゼルが兜を被りルチルナへ頷いた。
「ドロレス・メイヤー上等兵。健闘を祈る」
ドロレスは上着を脱ぎ捨て、シャツ一枚になった。
瞑目し、大きく吸った息を――細く、細く押し出した。
恐怖はある。逃げ出してしまいたいほどの恐怖が、全身を震わせている。
しかし、後に続く者達が居ると思うと、不思議と心が奮い立った――
目を開くと同時に、短剣を咥えて壁に取り付いた。
ドロレスを追い、ルチルナの簡易ゴーレムが肩に張り付いた。
「後ろは私が見るわ」言葉で伝える間は無かったが、それはちゃんと伝わっていた。
「後ろは任せたわ」
――穴を這い出したドロレスは、最小限の身振りで天井を指した。
この静かな空間に、凶暴な捕食者が潜んでいるとはとても信じられなかった。しかし、それはたしかに居た。
左隅の穴に、差し込む光を遮るシルエットが見えた。
(あいつはもう気が付いてる)
手足の爪を掛け、器用に穴の縁に掴まっている。その姿は、名が示す通り蝙蝠を彷彿とさせた。
蝙蝠あれば毛に覆われているであろう場所は硬い皮膚と鱗に覆われ、胴よりも長い尻尾は蛇に似ている。
身を反らすように曲げた首が、ぐるりと回りこちらを見た――
ドロレスは大きく息を吸い――全力で駆け出した。
咥えた鞘に歯を突き立て、全力で駆けた。
(もう少し……。引き返せない所まで進んだら――)
簡易ゴーレムが、グイと髪を引いた。
その瞬間、ドロレスは身を翻し腹這いで床にしがみついた。
(同じ手は食わないわよ!)
帆が風を捉えるような音が聞こえ――地を伝う衝撃と突き飛ばすような風が彼女を襲った。
しかし、床にしがみついたドロレスは難それをなくやり過ごした。
遮るものが消え、道を示すように月明かりが差し込んだ。
すぐさま跳ね起き、差し込む光の中を全力で駆けた。
(やっぱり……あいつは追って来ない)
迫る足音は軽い。後ろを窺うと、追ってくる幼体の姿が見えた。
幼体といっても、姿形は成体とあまり変わらない。体もドロレスより遙かに大きい。しかし、まだ自身がビュリウスである自覚がない。
左右に並んだ幼体が、威嚇するように牙を剥いた。
(まだ様子を窺ってる……このまま――)
その時、再び髪を引かれた。
咄嗟に身を屈め、飛び掛かってきた一頭をやり過ごした。しかし――飛び越えた先で踵を返し、行く手を塞いだ。
口に咥えた剣を抜き、ドロレスは怯む事なく斬りかかった。
図体はでかいが、幼体はまだ自身の力を知らない。飛び退いて剣を躱し、あっさりと道を開けた。
吐き捨てた鞘に驚き、左右を走る二頭も足を止めた。
(あの時も、初めの内はこうだった……)
それがいつまでもは続かない。本能が、ゆっくりと彼らを大胆にして行く……。
左に迫った足音が、不意に静かになった――
(……来る!)
翼を広げ、暗がりから躍り出た一頭が、喰い付こうと牙を剥き出した――その目玉へ、逆手に握った剣を突き立てた。
悲鳴を上げて床を転がる仲間を飛び越え、もう一頭が迫った。
剣を警戒し、右へ左へ位置を変えながら爪を繰り出すが………腰が引けたそれは僅かに届かない。
ついに飛び上がり、翼を広げてドロレスを飛び越した。その後ろへ、もう一頭着地した。
(四匹居たのね……)
彼女を待ち構え、振り上げた爪が月明かりを弾いた――
しかし、ドロレスは足を止める事なく間合いへ飛び込んだ。身を倒し、振り抜かれる爪を鼻先で躱して仰向けに床を滑った。そのまま股を抜け、もう一頭の懐へ飛び込んだ。
咄嗟に飛び退こうとするも――怯んだその顎へ剣を突き立てた。傷は浅いが、退かせるには十分な一撃だ。
(後少し……!)
月明かりが、落し格子の直ぐ脇――壁の窪みに、床から生えた大きなレバーを照らしている。
(私の勝ちよ!)
持てる全てを注ぎ、全力で駆けた――
その時、簡易ゴーレムが形を変え、彼女の耳を塞いだ。
「きゃッ……!」
っと詰まった悲鳴を上げ、ルチルナ膝を折った。
同時に、鳥籠から咆哮が響いた――
崩れ落ちるルチルナを抱きとめながら、ローレンスは歯を食い縛った。
壁越しで効果は大きく落ちているとはいえ、ドラゴンの咆哮だ。皆の体がぐらりとよろめいた。
狩りを学ぶ子供を手助けするように、後ろに控えていた成体がちょっかいを出してきたのだ。
「ドロレス……もう少しよ……!」
咄嗟に耳を塞がれたとはいえ……至近距離で咆哮を受けたドロレスは、糸が切れた操り人形のようにゴロゴロと床を転げた。
砂に戻った簡易ゴーレムが、サラサラと首筋を伝い床へ積もった。
顔を上げると、すぐそこにレバーがあった。
(後……少し……!)
床を掴み、体を引き摺り震える足で立ち上がった。
「――ッ!!」
その足を払らわれ――視界がぐるりと宙を舞った。
「ぎゃッ!」
床へ倒れた彼女へ、幼体達が殺到した――
しかし、悲鳴を上げて直ぐに飛び退いた。
ドロレスは短剣を振り回し、よろよろと立ち上がった。
「わたしの勝ちよ……!」
倒れ込むようにレバーを掴んだ。
「……!?」
ドロレスの顔から、血の気が引く様子がありありと見て取れた。
「なんで……? なんで動かないのよ!!」
部品が錆び付いているのか……レバーは僅かに動いただけで、それ以上は引けなかった。
「なんで……ここまできて……」
幼体たちが、ジリジリと距離を詰めてくる。
ドロレスの脳裏を、スヴェンの最後が駆けた――
喰い付いた幼体に振り回され、喰い千切られていったスヴェン……。
ハッと――、ドロレスは幼体達を振り返った。
脳裏を駆けた光景が……彼女に悍ましい閃きを授けた。
レバーに腕を回してベルトを掴んだ。
短剣を捨て、にじり寄る幼体へ手を伸ばした。
「食べたいんでしょ? ほら、喰ってみろよ!!」
その瞬間――一体が腕に喰らいついた。
ドロレスの悲痛な叫び声が響き、食い千切ろうと首を振り回した。
しかし、喰い付いた腕はそれに逆らい引き戻される――離すまいと更に牙を突き立て、後ろへ下がった。
肉が引き千切られる痛みに、ドロレスは悲鳴を上げた。
それでも尚、両腕を引き戻した――
「あ゛あ゛あ゛あ゛ぁぁ!!」
嗄れた悲鳴が響き――筋が、肉が千切れる音を聞いた――
その時、レバーが倒れた。
引き摺られる鎖が火花を散らし、跳ね橋を送り出した――
ズルズルと壁に背をもたせ……自分の腕を奪い合い、貪る幼体達を眺めた。
「精々味わいなさい……。最後の食事よ……」
喉を鳴らし、振り返った幼体達がドロレスめがけて駆け出した――
「……」
ふと、床の血溜まりが目に留まった。
生乾きの大きな血溜まりはスヴェンの、飛び散って乾いているのはハンスのものだろうか……。
「ハンス、スヴェン……」
頬を伝う涙が、顔を離れた――
「お待たせ……」
その時、先頭を行く一体が血溜まりに足を取られ、他を巻き込んでよろめいた。
しかし……すぐに体勢を立て直し、再び駆け出した。
――その頭が吹き飛んだ。
「……?」
同時に、乾いた轟音と衝撃が駆け抜けた。
「八番! 九番!」
クラウスの号令が響き、立て続けに槍が撃ち込まれた。
それは轟音と共に迫る数体を貫いた。
格子の目を潜り、白いものが飛び込んだ。
コツコツと蹄の音を響かせ、ドロレスの前にバゼルが立った。
「見事だ! ドロレス・メイヤー。後は我々が――北天が引き継ぐ」
2023/02/17 微修正




