冒険者カルア・モーム
いそいそと受付へ向かったカルアの目に、トレーに乗った登録証が飛び込んだ。
薄い透明感のある黒色で、身幅の広い定規の様な形をしている。手より少し大きいぐらいに見えるが、反っているので実際はもう少し長いだろう。両端は少し細くなっており、上下に小さな穴が開いている。
登録証と一緒に、丈夫そうな組紐と帯状の鎖が置かれていた。
見入ったままのカルアに、受付嬢はにこりと微笑んだ。
「説明を初めてもよろしいですか?」
「――あ、はい」
一呼吸空け「それでは」と受付嬢は説明を始めた。
「まずはじめに、厳罰となる禁止行為が四つあります。違反すると殆どの場合、登録が抹消されます。抹消された場合五年間再登録できません。場合によっては再登録出来なくなります。最低でも資格停止処分となり、期間はまちまちですが、最長は無期限となります。
これは冒険者ギルドとしての処分です。法に触れる行為があった場合、ギルドの処分に加え、その国の法で捌かれ、身柄も引き渡されます」
受付嬢は事務的な口調で、カルアが話を飲み込んでいるか様子を窺いながら説明を続けた。
「当然の事ですが、犯罪行為、その幇助または荷担する事。
国によって法律は違いますので、他国へ向かわれる際はしっかりと確認して下さい。訪れた最初に、現地の冒険者ギルドでお尋ねになるのが確実です。
次ぎに、戦争行為への荷担、幇助。
如何なる理由であっても認められません。例として、交戦地域において負傷兵の治療を行った場合、幇助と見なされます。絶対に関わらないようご注意下さい。
やむを得ず――自身やパティーメンバーの生命が脅かされた場合など、正当性が認められれば処分はありませんので、必ずギルドへ報告してください。
判断に困った場合は、必ずギルドに相談して下さい。冒険者ギルドはそれに答える義務を負っています。判断に迷ったり、問題が持ち上がった時は、独断せず一度ギルドへ投げて下さい」
カルアは、こういった冒険者に課せられる制約はある程度は知っている。もちろん、戦争へ一切関与していけないという事も知っている。しかし、負傷者の治療も認められないという事に釈然としないものを感じた。
とはいえ、噂話程度に聞いた事がある程度で、カルアにとって戦争と言うものは遠い遠い存在であり、現実味のない話であった。
「次ぎに、冒険者ギルドが所有又は借用する施設や敷地内での私闘。
理由の如何に関わらず、双方に重い処分が下されます。
最後が保護責任の放棄。
ランクの違う者と依頼に当たる場合、上位の者が下位の者を保護する責任を負います。正当な理由無く責任を放棄した場合、処罰されます」
受付嬢は事務的な顔を崩し「何か質問はございますか?」と声を和らげた。
ここまでは自分が知っている事との差異はない。
「大丈夫です」
受付嬢は頷き、事務的な顔に戻った。
「では、依頼の受注についての説明を致します――」
カルアは知っていた事などは聞き流しつつ、エサを前にお預けを食らった犬のように、チラチラと登録証に目を落とした。
「――受けたい依頼をクエストボードから剥がして受付にお持ち下さい。基本的に、一度受けた依頼は正当な理由なくキャンセルは出来ません。
当ギルドの場合ですと、奥に行くしたがってランクが上がるように掲示しています。入り口脇に急ぎの依頼、期限の近い依頼をランクに関係なく掲示しています。依頼票の見方ですが――」
受付嬢が取り出したサンプルを手に取った。
それは、登録の時に見た薄い板と同じ材質で出来ているようだが、こちらはかなり薄い。
折り紙程の大きさで、油紙の様な色をしていた。上の両端に小さな穴があり、持ち上げると自重でほんの少したわんだ。
淵に僅かな余白を取り、内側にいくつかの枠が描かれている。一番下の枠は大きく、他を合わせたくらいに広い。
「――淵の部分にランクを示す色が付きます。ご自身のランク以下の物をお持ちください。パーティーで受注される場合は、基本的にメンバー中で最もランクの低い者が受注できる物までとなります。
一番上に依頼の種別が書かれます。採集は○、輸送は△、討伐は×。複数の記号が書かれる場合もあります。例えば、護衛であれば△と×が書かれます。
それともう一つ、□が書かれているものは保険が適用されます。保険が適用されない依頼で弁済が発生した場合は、その国の法律に則った手段で、個人で弁済して頂く事になります」
カルアは少し不安に駆られたが、それを見透かすように受付嬢が付け加えた。
「通常、そういった可能性のある依頼は受注の際に警告がなされますので、受けてから気が付く、と言う事は無いと思います」
ほっとしたが、「無い」とは言い切らなかった。暗に「こっちも見落とす事はあるよ」と言われた事に気が付き、やはり少し不安になった。
「種別の下に報酬金額。手数料である三割を引いた金額になります。報酬が物品の場合、その品の授受を行う国での、その品の評価額の一割をギルドに納めて頂きます。
その下に依頼内容、一番下に特記事項。依頼に対する細かい指示や、追加報酬などがある場合はここに書かれます。
追加報酬が発生した場合は、通常の報酬と同じく、現金であれば三割、物品であれば評価額の一割をギルドに納めて頂きます。
ギルド以外の場所で報酬を受け取られた場合は、一月以内に最寄りの冒険者ギルドへ納めて下さい。正当な理由なくこれを怠った場合、処罰の対象となります。
また、依頼に失敗した場合、ギルドが受け取るはずであった手数料の一部――最低一割、最大は満額をお支払い頂くことになります。
個人で――冒険者ギルドを通さない依頼をお受けになった場合は、当然ですがギルドへ納める金銭は発生しません。全てご自身の責任の下に行って下さい。冒険者ギルドは一切関知致しません」
受付嬢が表情を崩すのを見て、次の言葉を悟ったカルアは、頭の中で先の説明を反芻した。
(現金三割……物なら一割……。ギルドがタッチしてない依頼は自己責任でどうぞ)
「大丈夫です」と頷いた。
「依頼は、通常依頼、指名依頼、ギルドオーダーの三種類あります。クエストボードから受けて頂くのが、通常依頼。指名依頼は、あちらの――」
受付嬢がカウンターから身を乗り出し、一番右の受付の更に隣に置かれた物を指した。
上部が斜めにカットされた、腰の高さ程の丸い柱が床から生えていた。
色は黒く、切断面は指を閉じれば両手を乗せても余る程の面積があった。石とも金属とも思える材質で、表面は周囲が映り込むほどに磨かれている。
「――斜めになっている部分に登録証をかざすと、指名の依頼の有無が確認出来ます。お得意様ができると何かと有利になる事が多いので、こまめに確認してみて下さい。
無論、断ることも可能ですし、断っても何ら問題はありません。受けるか否かはご自身で判断して下さい。次ぎに――」
(お得意様かぁ……コネは大切だけど、見極めろ。切るべき関係は切れ。だったね。師匠達は何か嫌な経験があったみたいだったな……)
「ギルドオーダーについて。これは冒険者ギルドが冒険者の皆様に出す依頼です。通常依頼、指名依頼共に存在します。ただし、指名依頼は原則的に断ることは出来ません。正当な理由無く断った場合は処罰の対象となります。
そしてもう一つ、『発令』という形で出される依頼があります。
発令を行った冒険者ギルドの管轄地域に居る全ての冒険者に受注する義務が発生します。理由の正当性が認められれば断ることが出来ますが、認められることは無いと思って下さい。
ただ、『発令』の場合でも定員が設けられる場合が殆どですので、必ずしも参加する事になるとは限りません。
活躍が認められれば、裏方でも称号などが贈られる可能性もありますので、募集されるランクに該当した場合、積極的な参加をお願い致します。
依頼種別に関わらず、失敗が多い場合はギルドから調査が入ります。場合によっては降格、登録抹消処分となりますので、無理なく、計画的な受注を心掛けて下さい」
一区切りついたのを悟り「大丈夫です」と頷くカルア。ここまで繰り返せば慣れたものだ。しかし、本当に話を飲み込めているのか……。
(ぺーぺーを募集する発令なんて聞いた事が無い。当分は関係ないかな)
「次ぎに、支援と保護について。
何らかの理由により、宿を取る事ができなくなった場合――最も多いのは財布の盗難や紛失ですね。ギルドは金銭の貸付は行いませんが、こういった場合、ギルドが所有、または借用する寄宿施設を最長三ヶ月間使用する事ができます。ただし、ご利用になるには幾つかの条件がございます。
登録から六ヶ月以上経過している事、三ヶ月以内に活動実績がある事、過去一ヶ月以内に寄宿施設の利用が無いこと。これらを満たしていれば、無償でご利用になれます。
寄宿施設を利用している間は、ランクに応じた依頼を優先的に紹介致しますので、一刻も早い退去に努めて下さい。これは義務になります。食事も提供されますので、もしもの時は遠慮なく申し出て下さい」
(真面目に活動していれば、助けるよって事か……。お金がなくなった瞬間に飢えるっていう事はないんだね。
師匠達ってこういう所は全然教えてくれなかったな……意味深に「金は一番丈夫なポーチに入れろ……」ってだけだったよ)
「その他に、冒険者ギルドを置く国においては、通行税は五割免除。依頼の達成に必須な移動の場合は全額免除されます。
また、神殿の水は無償でご利用になれます。その他の設備に関しましても、ランクによって変わりますが、割引または無償でご利用になれます。ご利用の際は、神殿側の指示を厳守して下さい。神殿に対する不敬は、国からもギルドからも厳罰が下されます」
カルアの質問が無いことを見届け、登録証が乗せられたトレーを押し出した。
「どうぞ。依頼の受注と報酬を受け取る際に必ず必要になります。常に携帯して下さい。携帯する方法に決まりはありません。身につける、仕舞う、好みの方法で携帯して下さい。紐や鎖も好みの物に取り替えて構いません」
カルアは登録証を手に取り、迷わず鎖に手を伸ばした。
「正面から見て右端を持って、魔力を込めて下さい」
受付嬢に言われるがままにやってみると、ゆっくりと丸まるように曲がり始めた。
「戻す時は左端を持って、魔力を込めて下さい」
言われた通りに左端に魔力を込めると、ゆっくりと曲がりがとれ、垂直になったところで止まった。
しばらくの間曲げたり伸ばしたりを繰り返し――満足すると鎖を取り付けて首に回した。鎖の長さと曲がりを調整し、首元にゆったりとぶら下げた。
「有料ですが再発行可能ですので、紛失された場合は最寄りの冒険者ギルドで手続きを行って下さい。
もし拾った場合、最寄りの冒険者ギルドへ届けて下さい。回収が困難である場合は、その場所を知らせて下さい。これらは義務になります。
それと、これも有料になりますが、エンブレムなどの図柄を入れることが出来ます。面積に制限はありますが、お好きな図柄を入れる事が可能です。デザインを描いた物をお持ちなって下さい」
(あれは自由に入れられるんだ! 師匠達はこんな事教えてくれなかったよ……知ってたら考えておいたのに……)
カルアは早速頭の中であれやこれやとデザインを描いては消しを繰り返した。
「質問があればどうぞ」
「――あ、大丈夫です」
我に返ったカルアは慌てて姿勢を正した。
「分らない事や判断に迷う事があれば、何時でも、最寄りの冒険者ギルドへご相談下さい」
受付嬢は立ち上がり、
「規約を守って行動して頂ける限り、冒険者ギルドはあなたの支援と保護をお約束します」
とカルアと握手を交わした。
澄まし顔で握手を交わしたカルアだったが、早速クエストボードへと向かうその顔は……何かを噛み殺し、だらしなく緩んでいた。
(――△、△、○、△――△×、これは黄色か……黒は採集と輸送しかないかぁ。港か倉庫で荷運びか……。師匠達はとにかく採取を受けろって言ってたし、採集依頼はと――)
候補を幾つかに絞り、師匠に言われた事を思い起こした。
(何処へ行っても、まずはその土地で採れる薬草や食品の知識しっかりと頭に入れる事。
実際にその目で見て、手に取って学べ。薬や食い物の知識は生き延びる可能性を飛躍的上げる。戦闘など逃げてしまえばいいのだ。
そうだ逃げるが勝ちじゃ! そもそも旅ならワシとすればいい! そうだだそれがいい! 冒険者などやめてしまえ! ワシと二人で旅に出るのじゃ! そして二人でガン・ダーラを――)
カルアは頭を振って師匠の言葉を半分ほど追い散らし、薬草の採集依頼を持って受け付けへ向かった――
受付嬢が取り出した石版のような物体は、指名依頼の確認を行う円柱によく似た材質だ。真ん中が少しへこんでいて、依頼票がぴたりとそこに納まった。
「登録証をかざして下さい」
促されるままに、身をかがめて登録証を近づけると、ボヤッと石版が光り、依頼票の真ん中に〈受注者 カルア・モーム〉という文字が彫り込まれた。
(冒険者ギルドって変わった魔導具の宝庫だな……)
関心するカルアを他所に、受付嬢は慣れた手つきで石版と依頼票を仕舞い、依頼票の下に敷いていた白い布紙と金属の細い筒をカルアへ手渡した。
布紙には先程の依頼票の中身が転写されており、金属の筒は、ペンを入ればピタリと収まりそうな物だった。
「控えを仕舞うのにお使い下さい。これは初回にギルドで配布している物ですので、ご自身に合った物を探してみて下さい」
筒を上部の切れ目から引っ張ると、「ポン」小気味良い音を鳴らしキャップ状の蓋が取れた。
カルアは控えをくるくると丸め、筒の中へ仕舞った。
「袋と背負子は無料で貸し出しを行っておりますが、どうされますか?」
「それじゃ袋を」
「著しく破損させてしまった場合は買い取って頂くことになりますのでご注意下さい」
袋を受け取り、いそいそと出口へ向っていると――不意に名を呼ばれた。
「カルア・モーム」
振り返ると、少し前に話をした剣士風の男が手招きをしていた。
(……?)
カルアは頭に疑問符を浮かべながら、手招きする男の元へそろそろと歩み寄った。
男は卓上に小さな金属製のカップを四つ並べ、酒瓶を傾けた。
テーブルを囲んでいた弓を背負った女性と魔術師の男がカップを手に取り、カルアの登録証にちらり視線投げた。
意味を理解したカルアがカップを手に取ると、剣士風の男がカップを掲げた。
「新たな冒険者に」
男の声を合図に、掲げられた四つのカップが「チン」と小気味良い音を鳴らした。
一息に呷る三人につづいてカルアも一息に呷った。強めの酒が、ツンと鼻を抜けた――
「持ってけ」
カップを置いたカルアに、剣士風の男が小瓶を投げて寄越した。底の方に薄い緑色の液体が見える。傾けるとビンの底を舐めるようにゆっくりと動いた。
口々に「がんばれよ」と言う三人にカルア深々と頭を下げた。
「はい! ありがとうございます!」
瓶の液体が何なのかは分らないが、きっと役に立つ物なのだろう。そんな事を考えつつ、思わぬ祝福の余韻を噛み締めながらギルドを後にした。
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