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鳥籠

 書斎に籠り、机一杯に何やら広げていたエストは、ノックされる扉を振り返った。

「ヘッジです。お茶をお持ちしました」

(もうそんな時間か……)


 毬栗頭――ヘッジが手際よくお茶を入れ、エストへ差し出した。

「どうぞ」

「ありがとう。なんだか板に付いて来たね」

「そうですか?」

「うん。時々ローデックくんが居るような気がする時があるよ」

「兄貴が……? ありがとうございます!」

 目を輝かすヘッジへ微笑み、ティーカップを口に運んだ。


 常ならば……いかにも長いうんちくが始まりそうなものには触れないのだが……、気を良くしたヘッジは、机一杯に広げられた古い図面に目を向けた。


「ところで……それは何なんです?」

 その瞬間、エストの目がキラキラと輝いた。

「ヴェルムントの図面だよ。ある方からお借りしてきたんだ」

「それって、いつだか副社長と見物に行ったっていう?」

「うん。ノーキスからは行けなかったから、エミリーくんのコネを使ってパラドから向ったんだけど……、道中色々あってさ、エミリーくんが帰るって大騒ぎして、結局望遠鏡で眺めて帰ったんだ」


「あー、詳しくは聞いてませんが、副社長が暫く拗ねやしたね」

「二度程死にかけて、トイレに行ったらカエルに食べられちゃてさ、そこからもう帰るって聞かなくて……」

「……」

「もう少しの所だったのに、あの時は本当に残念だったよ……」

 しかし、言葉とは裏腹に、エストの顔は晴れやかだ。

「まさかこんな形で雪辱を晴らせるとはね」

 そう言ってカップ戻し、満足げに図面を眺めた。


「ヴェルムントって、ドラゴンと戦う為の要塞なんすよね?」

「うん。主に天鼠竜(ビュリウス)を想定した要塞だよ。設計は閣――」

「閣?」

「ジ、ジークが連れて行ったパラドの職人達で、実際の建築はほとんどリリスが行ったそうだよ」

「へー、お嬢(ルチルナ)がやってたような感じなんすかね? 石材を歩かせて」

「うん。リリスの神眼は石兵の王(ゴーレム・レイ)と呼ばれる石の目(ラピス・アイ)の上位版。この巨大な要塞を数日で作り上げたそうだよ」


「……」

 流石に信じ難いというベッジ視線に気が付き、エストはニコリと付け加えた。

「と言われているけど、真相は不明だよ」

「ふ〜ん」と唸り、ヘッジは改めて図面を眺めた。


 岩山から削り出したような巨大な塔が描かれている。そこへ至る橋も、尾根から削り出したかのようだ。

 塔の足元にトンネルと思しきものがあり、橋はそこへ繋がっている。


「岩山を丸ごと取り込んだ巨大な建物だよ。外見からは分からないけど、岩をくり貫いて作られた地下部分も中々の広さだよ」

 ペラペラと図面を捲り、続いて脇に置かれた地図を指した。

「ブリムを挟んで向こう側、この一帯は岩山が連なっていてね、ビュリウスのねぐらになってたらしい。そしてヴェルムントがここ」

「目と鼻の先じゃねぇですか……」


「これを見ると……数日で作ったっていうのはあながち嘘とは言い切れないんじゃないかな」

「……たしかに。ちんたらやってられる場所じゃねぇですね……」

 と唸り、ヘッジはしげしげと図面を眺めた。

「ところで、対ドラゴン言われてもあっしにはイマイチなんですが……」


 エストは図面を捲り、塔の三面図を開いた。

 正面と側面を見ると、天辺はドーム状に塞がれているように見える。しかし、上面を見ると中央に穴が空いていた。

「通称『鳥籠(とりかご)』」

「またデカい鳥……」言いかけて、ヘッジは顔を上げた。

「正解。中に入れるのはドラゴンだよ」そう言って、正面下部に描かれた入り口らしき穴を指した。


「これは入り口じゃない。入れたものを運び出す搬出口なんだ。

 ここには描かれていないけど、落とし格子と跳ね橋が取り付けられていて、跳ね橋を降ろすと橋へ降りるスロープになるんだ」

 続けて断面図を開いた。

 外壁と内壁は非常に分厚く、間に通路らしき空間が設けられている。


「外壁と内壁の間に作られたこの空間は、螺旋状に天井まで続いている。外壁と内壁の両方に矢狭間があり、そこから槍を撃ち込むんだ。穴から逃げようにも、天井からも槍が撃ち込まれる」

 エストが指さしたそこには、天井から円錐状に降りる穴の入口と、天井に設けられた矢狭間が一直線に結ばれていた。


「魚の罠みたいなもんすかね?」

「穴の開閉は手動だけど、まあ同じだね」

「しかしまあ……要塞というか、処刑場って方がしっくりきやすね」

「その認識で概ね正しいよ。因みに、鳥籠はそれ自体が巨大な魔法具になっていて、咆哮やブレスのダメージを軽減し、建物の強度も補っていたんだ。魔力炉を動かせば、それらはまだ機能するそうだよ」


「へー」っと相槌を入れ――ふと図面を指差した。

「で、これは幾らしたんですか?」

「これは借り物だよ」

「またまたぁ〜、あっしに隠す必要はありやせんよ。社長が何に幾ら使おうが、あっしの知るところではありやせん。

 ただですね……副社長に社長の支出を報告するようにキツく言われてまして………」

 エストは首振って深いため息をついた。


 ザシャを立ってから、何故ヘッジが出納管理を始めたのかようやく合点が行った。

 クロエのご機嫌取り以外にこれといって仕事は任せていなかった為、自主的に始めたのかと思っていたのだが……。

(エミリーくんの差金だったか……)


「名目は変えます。ですがね、出て行ったものとお迎えしたものの釣り合いをですね……」

「これが本物かつ借り物であるという証拠を君に見せられないのが本当に歯痒いよ……」

「そんな事はどうだって構いやせん。社長は好きな時に好きな物を、自由にやってくだせい。

 ただですね、出て行ったゴーレムが、指人形になって帰って来た。なんて事は書けやせんので――」


 その時、扉を開いて誰か入って来た。

「なんだか楽しそうですわね。あたくしも混ぜていただけませんこと?」

 振り返ったエストとヘッジは、そこに立つクロエをポカンと見つめた。

 美しいドレスを纏い、ぶっきら棒だった眼帯にはレース細工の花が咲いていた。

 手入れされた亜麻色の髪は光を弾き、サラサラと音が聞こえてきそうな気がした。


 ふと、微笑んでいた彼女の顔が般若の如く歪んだ――

 弾丸のような唾を吐き捨て、すかさず振り抜かれた鞭を見事に捕まえた。

「ああああ! 口ん中が腐っちまいそうだよ!!」

 更に目を吊り上げ、講師である御婦人を振り返った。

「んなもん何時までも食らうと――」

 御婦人はサッと新しい鞭に持ち替え、喚くクロエの頬を打った。

「痛ッ――!!」

「何時まで経っても傷が塞がりませんわよ?」

 クロエの目に涙が滲み、頬に貼られたガーゼには薄っすらと血が滲んだ。


「凄いじゃないか! 素晴らしいよ! うん、君は絶対に出来ると思っていたよ!!」

 涙目のクロエを見つめ、エストは目を輝かせた。

 彼女へ駆け寄り、舐めるように見回して頷くエストへ、御婦人が囁いた。

「今少しお時間をいただければ、より完璧に仕上げてご覧にいれます」


「勿論! 引き続きお願いします!!」

 御婦人へ返し、興奮そのままにクロエへ向き直った。

「完璧だよクロエ! その調子で頼むよ!!」

「お、おう……」

 と珍しく口ごもった。あまりの勢に、さしものクロエもたじろいだようだ。



 ◆



 同じ頃――ヴェルムントへ渡る橋の袂に五人の男女を見ることが出来る。

 ドラゴンを倒す騎士が描かれたエンブレム――ノーキスの衛兵達だ。しかし、町で見かける衛兵達のエンブレムとは意匠が異なる。


 橋の幅は広く、十五、六メートルはありそうだ。『鳥籠』の足元に穿たれた四角いトンネルへ向けて真っ直ぐに二〇〇メートルほど続いている。

 あちこち崩れてはいるが、人が渡る程度は問題なさそうだ。

 そして『鳥籠』の向こうには、大きく口を開けたブリムの谷が見える。


 男は手をかざし、景色を四角く切り取った。

「こうやって額に飾ってあれば自然なんだけどさ」

 手を下ろし、まじまじヴェルムントを眺めた。

「非常識な建物だよな……」

「子供が描いた絵をそのまま作ったみたいな……人間が造ったなんて信じられないわ」

「理論上はこうだ。ってのを本当に作っちまうんだからな、この時代の連中はイカレてるよ」


 ふと、後ろで誰かが手を叩いた。

「さっさとやる事やって、観光はそれからだ」

「へいへい」と振り返った面々へ、男は手早く指示を出した。

「デニスとライナーは観測所へ。ドロレスとハンスは俺と来い」

 そう言って、橋へ向かって歩き出した男に二人の男女が続いた。


 空はカラリと晴れ渡り、雲は見えない。陽射しはあるが……冷えた空気が鼻を突いた。

 時折吹く風が頬を切り、三人は首を竦めてやり過ごした。


 ――ふと、三人は橋の中程で足を止めた。誰に合わせたでもなく、三人が三人とも何となく立ち止まった。

「……班長」

「……」

「なあ、スヴェン」

「……なんだ?」

 呼んだものの……言葉を発しないハンスに代わり、ドロレスが口を開いた。


「なんか……気味が悪い」

「ここってこんなに静かなところなのか?」

「……」

 結果論ではあるが……彼らは北門を越えるだけの力量を有している。

 それを、自身がもっと意識するべきであった。本能が感じ取っていたものに、もう少し素直に向き合うべきであった。


「……北で何か異変が起こっているらしいからな、その影響だろう」 

 再び歩き出したスヴェンに従い、二人も彼の後に続いた。



 一方、観測所を目指すデニスとライナーは、ヴェルムントへ背を向けて急斜面を登っていた。

 観測所とは、ヴェルムントの向かいの山中に築かれた物見台の事だ。

 一応道はあるが……そう呼ぶにはあまりに粗末で、両手も使わねば進むのは難しい。もしも足を滑らせたら、そのまま下まで落ちてしまうだろう。加えて鎖が設置された場所は、垂直と言っても過言では無い。


 幾度目かの鎖場へ差し掛かった時、辟易としたライナーは、先を行くデニスへ思わず愚痴を溢した。

「もう少し何とからなかったのかね、この道は……」

「あのデカい鳥籠を五日だか三日だかで作ったらしいからな、ここなんて数時間の仕事だったろうさ」

「それ本当なのか?」

「さあ? 昔フェイレンの爺さんに聞いた」

「ふーん」


 振り返ると、豆粒のように小さくなったスヴェン達が橋を渡り切り、トンネルへ入る様子が見えた。

 こうして見下ろすと、橋はかなり傷んでいる事が分かった。


「あと何年かすれば、向こうへ渡る手段はなくなりそうだな」

「あと数年で北天も解散という話だ、北天と共にヴェルムントも……。まあ、丁度良いんじゃないか」

「そうだな……」

 暫くヴェルムントを眺めていた二人は、遥か先の観測所を見上げて溜め息をついた。



 一方、トンネルの中――

 入り口を振り返ったハンスは、訝しげにドロレスへ溢した。

「扉を撤去した……て報告にあったか?」

「無かったと思う……」

 開いているだけだと思っていたトンネルの入り口は、扉が無くなっていた。


 このトンネルは、幅こそ広いが、ドラゴンの侵入を防ぐ為に天井は低く抑えられている。

 加えて格子状に柱が並び、その間にそれぞれ扉が取り付けられていた。それがことごとく無くなっていたのだ。

「あの報告書は、少なくとも三十年は前の古いものだ。色々と状況は変わってるだろう」


 そう返しつつも、違和感は感じていた。自然に崩れた……にしては残骸が少ない。かと言って撤去というには雑すぎる。

「……」

「ふーん……。まあそれはどうでもいいや」

 ハンスはその説明に納得はしていないが、それを議論するつもりはない。

「で、俺達はこれから何をするんだっけ?」

「跳ね橋を下ろして北天を迎え入れる準備だ」

 それを聞いた二人と、言った本人も大きく溜め息を溢した。


「我らが隊長様は、自ら怒られに行く天才だよな……」

「故人扱いとなってはいるが……まあそういう事だ。どうにかポイントを稼ぎたいんだろう」

「不機嫌なバゼル様の顔が目に浮かぶよ」

「なあ……。クラウスの旦那がキレなきゃいいんだがな……」

 そう言って、ハンスはランタン型の魔力ランプを灯した。

「さっさと終わらせようぜ」


 ――道すがら、ドロレスは尋ねた。

「あの人って、怒るとそんなにヤバいの?」

「まあ、あの人に限らずなんだけどさ……」

 そう言ったハンスの後を、スヴェンが引き継いだ。

「北天は、北天である事に強い誇りを持っている。ノーキスに脅威が迫った時、街を守る最初の壁となる。特にドラゴンがらみとなれば絶対に譲れない」


「クラウスの旦那はそこんところが特にな……」

「……私達って、そこにチャチャを入れに行くのよね? 大丈夫なの……?」

「さあね……、こっちの事情も汲んではくれるだろうけど、ある程度は覚悟しといた方がいいぞ」

 ドロレスが溜め息を漏らすと同時に、先頭を行くスヴェンが立ち止まった。


 積み上がった瓦礫が、完全に行く手を塞いでいる。

「思ったよりもガタが来てんだな」

 ハンスは崩れた天井と壁をランプで照らした。

「魔力炉を止めて随分経っているからな……。もともと魔法による補強を前提とした建物だ、当然の結果だろう」

「魔力結晶をケチった連中のツケを俺らが払うのかよ……」

 そう言って、ハンスは見取り図を取り出した。


「えっと……。鳥籠の下に潜って……脱出口から中へ入るしかなさそうだな」

「脱出口?」

「鳥籠の底に、脱出口が数カ所作られてる。ここから中へ入るしかなさそうだ」

 ハンスは脱出口を差していた指を滑らせ、ランプを翳して近くの扉を照らした。

「そこから地下へ行ける――」



 ※


 

 観測所へたどり着いたデニスとライナーは、水筒の水を含んんで眼下のヴェルムントを眺めた。

「なんでまたここなんだ?」

 その問いに、デニスは鳥籠の向こうに広がる荒々しい岩山を指した。

「モル・ラルタから消えたグループってのは、元々あの辺りをねぐらにしていたビュリウスの群れなんだ」

「帰ってくるかも……か」

「二千年は生きると言われているからな……あり得ない話じゃない」

 

 暫し景色を眺めていたライナーは、ふと背を振り返った。

「で、ここが観測所か?」

 二人が立つこの場所は、石を組みヘリポートのようなスペースが確保されている。

 しかし、わかり易い人工物はここだけで、後は岩肌をくり抜いた洞窟があるだけだ。


「ここから観測用の気球を上げていたらしい」

「気球?」

「布袋を浮かせて、そいつに魔法具やらなんやら色々ぶら下げて一緒に飛ばすんだ」

「ふーん? どういう魔法なんだ?」


「魔法ではなく現象だとかなんとか……俺には違いがよく分からん」

「ふーん」

 首を傾げたライナーは、改めて眼下のヴェルムントを眺めた。

(跳ね橋が降りてない……)


「手間取ってるな」

「思ってたより傷んでいるようだしな」

 そう言って、デニスは洞窟の奥に見える備品室の扉を振り返った。

「こっちはどうなんだろうな……」

 彼らに課せられた任務は、備蓄品の状態の確認だ。


 ――扉に取り付けられた大きな錠前を外し、二人は備品室へ入った。

 想像と違い、中は綺麗だった。壁面の棚には保管箱が並び、棚に入らないものはきっちりと揃えて床に積まれていた。

「……綺麗だな」

 なにげなく――保管箱の一つに手を伸ばしたデニスは驚きの声を上げた。


「まだ魔法が生きてる」

「へぇ、いい術者を抱えていたんだな……」

「そうか……この当時は魔法でパッキングするのが当たり前だったんだよな」

「魔力結晶を放り込むだけで同じ事が出来るようになったからな……。今これが出来る人間はどのぐらい残っているんだろうな……」


 感心するように呟いたライナーは、ニヤリと笑みを浮かべて煙草入れを取り出した。

「先人の仕事に感謝だな。お陰で俺達がサボれる」

「鳥籠組には悪いが、のんびりやらせてもらうか」

 

 

 ※



 一方、鳥籠の地下を行く三人は――

 行く手を阻む壁に、天井へ続く金属製のタラップが見えた。

「あれか……」

 ランプを向けると――天井に丸い穴があり、その奥にハッチが見えた。


「ここから鳥籠の底に出られるはずだ」

 ハンスの脇を抜け、タラップを登ったスヴェンとドロレスが二人がかりでハッチのハンドルを回し、肩をぶつけて押し上げた。

「二人じゃムリね……」

「ハンス、手を貸してくれ」

 三人がかりで何とか押し開け、穴を這い出した。

 

「真っ暗だな……」

「天井が閉まってるんだろう」

「灯りを頼む」

「はいよ」

 と、下に置いてきたランプを取りに戻ろうと――ハッチを振り返ったハンスの前に、幾筋かの光の柱が立った。

 見上げると、逆光の中に光を遮る影が見えた。


(なんだ……? 天井のは開いてるんじゃないか?)

 それは微かに動き、隙間から光が溢れていた。

(何かが遮って……)

 天井を見上げ、指差した。

「ありゃなん――」

 その時、スヴェンが組み付くように背後から口を塞ぎ、鼻に指を立てたドロレスが鬼気迫る顔を突きつけた。


 ふと、風の音を聞いた。帆が風を捉えたような――

 同時に、三人はドスンと響いた衝撃に足を掬われ、吹き抜けた突風が彼らを床に転がした。

「痛っ……て」

 暗闇で姿は見えないが、何か……とても大きなものがそこに居る。

 姿は見えないが、その気配はそれだけでハンスを凍りつかせた。


(……何……だ?)

 数本の光の柱が瞬き――新たな柱が、先程開けたハッチへ降りた。

 ――ポッカリと闇が切り抜かれ、顕になったハッチへ彼の意識は縫い付けられた。

「……」


『あの中へ飛び込め!』

 本能が叫んだ――その時、切り抜かれた闇の断面から……気配の主がゆっくりと顔を突き出した。


天鼠竜(ビェリウス)……!!)


 短い首、やや突き出た口とひしゃげた鼻……。そこだけ見ると巨大な蝙蝠(コウモリ)のようだが……隙間からずらり覗く厳つい牙と、毛ではなく鱗のような皮膚に覆われた顔面は、やはりドラゴンのそれだ。

 側頭部から輪郭に沿って伸びる大きな角は、尖った耳のようにも見える。


 訝しげにハッチを覗き込み、匂いを嗅ぐその風圧が、周囲に積った埃を舞い上げた。

(ウソだろ……)

 一瞬――鼓動を忘れていた心臓が遅れを取り戻そうと脈打ち、喉を塞ぐ息を飲み込んで口を押さえた。

 グルグルと唸るような呼吸が、耳の底から全身を震わせ、足を突っ張るようにもがいてジリジリと後ろへ下がった。

 動くな! そう命じる意思に反し、体はもがき続けた――


 ふと、差し込まれていた顔が引っ込んだ。

 同時に、闇の中で首をもたげ、こちらを振り返る姿をありありと脳裏に描いた――

 次の瞬間、耳を(つんざ)く咆哮が叩き付けられた。

 まるで、部屋を埋め尽くした巨大な風船が破裂したかのようだった。

 ビリビリと大気を揺さぶる衝撃がハンスを弾き飛ばし、激しい目眩と痺れが四肢の自由を奪いった。


(は、早く……! 早く逃げないと……!!)

 急いで立ち上がろうとするも……視界はグルグルと回り、咆哮に支配された体は動かない。

 それを承知しているかのように、唸るような呼吸が……一歩、二歩と地揺れを伴いゆっくりと迫って来る。

(か……体が……、マズい……動いてくれ!!)

 鼓動と呼吸が肩を揺さぶり、乱れる視界の隅々に視線を走らせた……。


(ど……何処に……居る……?)

 一瞬の静寂の後――間近まで迫っていた気配が、鼻先で実体を成した――


 闇に慣れてきた目が――キュッと自分を捉える巨大な目玉を浮き上がらせた。

「ヒッ――」

 悲鳴を上げる間もなく、巨大な牙が突き立てられた――


 その瞬間、残された二人は同時に駆け出した。体を支えようとしない半身引きずり、這うように駆けた。ただただ気配に背を向け、闇の中を駆けた。

 追うように放たれた咆哮が駆け抜け――風に吹かれた綿埃のように、二人は床を転げた――


 そこからどうなったのか……痛みに悶える間もなく、全身が発する痛みと、迫りくる恐怖が二人から意識を奪った――

 覚えているのは、体を小突き回すような痛みが続き、何かに叩きつられたという事だけだった。

 


 ※


 

 ――赤々と輝いた火種が灰に埋もれ、ライナーが煙を吐き出した。

「ピカピカの鎧に白馬って姿を見ると、やっぱもう北天って組織はお飾りなんだなって思ったよ」

「あれにはちゃんと意味があんだよ」

「ふーん?」


「魚釣りの疑似餌分かるか?」

 ライナーから煙草を受け取り、デニスはチリチリと火種を燃やした。

「あのキラキラした板切れか?」

「ああ」

 煙を吐き出すデニスを見つめ、ライナーは眉を顰めた。

「……冗談だろ?」


「いや、自分を餌にドラゴンを釣るんだよ。団員達が黒で統一されてんのもその為だ」

「上から見ても横から見ても、黒い中にポツンとね」

「そりゃ歴代の北天守晴にはエルフも居たってのに、代替りが激しいわけだ……」

 

 呆れたように首を振り、デニスから煙草を受け取ろうと手を伸ばした――その時、二人はハッと扉を振り返った。

「……今の」

「咆哮か?」

 顔を見合わせた二人の耳へ、それはもう一度届いた。


 外へ飛び出し、眼下のヴェルムントを見た。

「ウソだろ……」

 二人の声が重なり、その視線は無意識に数を数えた。一、二、三――

 咄嗟に身を引き戻し、這いつくばるように伏せた。


「こっちを見た……」

「……見つかったのか?」

「分からん……でもあいつらめちゃくちゃ目が良いんだろ……?」

 顔を見合わせていた二人は、そっと目を覗かせ……安堵すると同時に這いつくばって洞窟へ戻った。

 

「本当に……本当に戻ってきやがった……」

 頭を抱えるデニスへ、ライナーが問いかけた。

「あいつらは……無事なのか……?」

「……」

 見合わせた目を、互いに逸した……。


 立て続けに響いた咆哮……その意味はわかっている。

 何者かが、彼らのテリトリーを侵したのだ。それが誰かは言うまでもない。

 だが……、『助けに行く』という言葉は、喉より先へ押し出す事ができなかった。


「……北天が、北天を待とう」

 震えるライナーの声に、デニスが返した。

「あんな数を……どうにかできるのか……?」

「……」



 ※



 目を覚ましたスヴェンは、凍えるような寒さを覚えた。

「痛ッ……」

 頭を押さえ、ゆっくりと身を起こした。崩れた壁の隙間に月が浮び、差し込む光が周囲を淡く照らしていた。

(月……? 一体何が……?)

 その瞬間、気を失う直前の出来事が脳裏を駆け抜け、叫びそうになる口を咄嗟に両の手で塞いだ。


 どのぐらいそうしていたのか……鼓動が落ち着きを取り戻し、五感が徐々に自身の様子を伝え始めた。

 全身の痛み、血の匂い、体に飛び散ったハンスであった物……。

(……ここは? 何処だ……)


 前後を壁に挟まれた狭い空間に座るように倒れていた。床には崩れた石材が散乱し、見上げると崩れた天井が見える。

「……」

 横を見ると、少し離れた所にドロレスが倒れていた。

 一先ずは助かったようだが……。


 痛む体を引きずり、ドロレスの元へにじり寄った。

「おい、ドロレス……」

 息はある。自身と同じく、あちこちに血と肉片が付着しているが、彼女のものではなさそうだ。

「ドロレス、起きろ」

 

 ――目を覚ますと、自分を覗き込むスヴェンの顔があった。

「……痛……ッ」

 身を起こすと――凍えるような寒さと、全身に強い痛みを感じた。

 直後、彼女は目を剥いて後退った。両手で口を押さえ、突っ張るように地面を蹴った。背で壁を押すように、地面を蹴り続けた。

「大丈夫だ。落ち着け」


 パニックを起こしていたドロレスだったが、冷静なスヴェンの姿が彼女に落ち着きを取り戻させた。

「ここは……? 私達は……」

「たぶん外壁と内壁の隙間だ」

 そう言って、壁の穴を指した。

「持ち上げるから外を見てくれ」


 ――スヴェンの肩に足を乗せ、ドロレスは穴に手をかけて一気に体を引き上げた。

「……どうだ? 何が見える?」

「……ブリム」

 つまり……、ここは道からも入口からも死角となるという事だ。瞬時にそれを悟り、二人は崩れるように座り込んだ。


 静かで……穏かな光が差し込むこの空間とは裏腹に、底なしの絶望が二人にのしかかった。

 ……やがて、絞り出すようにドロレスが呟いた。

「北天が……来るんだよね……?」

 彼女の顎を震わせているのは、寒さだけでない。その声は、怯えた子供のようであった。


「……俺達が三日かかった。……どんなに早くてもそれ以上だ」 

「でもここに着いたら、見つけてくれるよね? あいつら(デニスとライナー)も居るんだから、あたしらにな何かあったって分かるはずだし、三日……三日我慢すれば」

 視線が定まらないドロレスは、早口にそう捲し立てた。


「……」

「……そうよね?」

「……」

「ねえ!」

「分からねぇよ!!」

 剥き出した瞳に、あの光景が蘇った。


「お前も見ただろ!? 鳥籠の天井を……!」

「……」

「そうだとして! 俺達を見つけたとして! ……あの群れを蹴散らして助けてくれると思うか!?」

 ドロレスの顔が強張った。

「北天にそんな力があるのか……?」

 そう言ったスヴェンの顔を……濃い絶望が覆った。

「そもそも……俺達の命に、そんな価値があるのか……?」


「……どうなるの……? あたしたち……」

「……」

 無言のまま、スヴェンは崩れた天井に目を向けた。

「跳ね橋を降ろす。幸い落し格子は落ちている」

「ムリよ……! 死にに行くようなものよ!!」

 ドロレスの肩を掴んだ。

「聞け、あの格子は特別だ。もしもの時に人が出れるように升目が大きい。ビュリウス達は通れないが俺達は通れる」


「助け待ちましょ……ね、お願い……」

 しかし、スヴェンはこの僅かな間に覚悟を決めていた。

「やってもやらなくても、死に方が変わるだけで同じ事だ。ここでミイラになるか、飛び降りるか」

「……ハンスみたいに食われるのは嫌……」

「だが、生き延びられる可能性がある――」

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