束の間
テラスへ出たジークは、椅子にもたれ町を眺めた。
ムラのない空から注ぐ陽射しが、町を鮮やかに彩っている。
山々はくっきりと稜線を引き、畑を覆う緑は、記憶に刻まれた匂いまでも鮮やかに呼び起こした。
湖を進む漁船も、そこに描き足したようにくっきりと見える。
真っ白な雲が時折陽射しを遮り、コントラストを強調した。
「……平和だ」
エナンは国内の火消しに忙しいようで、急激に勢いを失った。あれから数年が経過したが、状況は芳しくないようだ。
周辺の国々は、この隙きに軍備やら同盟やらに勤しみ、おかげであくびが出るほどに平和だ。
まあ、影で新生ヴァルネが暗躍しているようだが、うちには関係ない。武器の出荷数が少々合わないようだが、無関係だ。スクロール類の在庫数もおかしなところがあるようだが、それもきっと関係ない。
関係性がハッキリしている事は、人口減少ぐらいだ。あの一件で、わが町は大きく人口を減らし守備隊も随分と減ってしまった……。しかし、この分なら大丈夫だろう。
財政は良好、人口も順調に増えている。焦らずともいずれ適正な数に戻る。
「お頭」
ふと物陰から声が聞こえた。お庭番の定時報告だ。
「変わり無いか?」
「異常はない」
「そうか……。今日はもう全員引き上げさせろ。当分の間は最低限の見回りでいい。ゆっくり休め」
「分かった」
声と共に、樽の陰から忍び装束に身を包んだ獣族の女が現れた。
装束を脱ぎ、小具足を外して隣に腰を下ろした。
「……」
大きなブラシを取り出し……毛長猫のような被毛をくまなく解きほぐし、フワッフワのサラッサラになった彼女は、何か言いたげな視線を送った。
「なあジーク」
その先は、聞かずとも分かった。
「もう少しだけ待ってくれ。もう少しで目処が付く」
「先月もそう言ったぞ。その前も」
「こ、今度こそ大丈夫だ。議会の承認も取り付けた、今暫く待ってくれ」
「……分かった。お前は何時でも忙しそうだからな、あまり期待せずに待つよ」
「……」
彼女は席を立ち、手すりに寄りかかり町を見渡した。
「なあジーク、私達に安めと言ってくれるのは有り難いんだが、お前はちゃんと休んでいるのか? ここで町を眺めている時以外、何もしていないという姿を見た覚えがない」
「俺は生まれつきこうなんだ」
町を眺める彼女の背に付け加えた。
「一つの言わせてくれ。忙しいからお前達の要望を後回しにしている、などというような事はない。それだけは覚えておいてくれ」
「分かった」
微笑んだ彼女は、手すりを飛び越えて道へ降りた――
ちょうど道を歩いていた子供達が、その姿を振り返り「あっ!」っと声を上げて駆け寄った。
彼女へ抱きつき、フワッフワの体に頬ずりして目尻を下げた。
「……」
彼らが極端な人見知りである事は以前に話したかと思う。しかし、同じ町の中で共同生活をする以上ある程度社交的になる事は予測できたし、当然の変化であろう。しかし……。
「……」
子供らを受け止め、尻尾を巻き付けてニコニコと微笑むこんな姿を誰が予見できようか……。
わが町に根付いた風呂文化は、孤高の種族の価値観を……文化を根底から覆した。
風呂と言えば砂や泥に体を擦り付ける事で、ブラシを当てる気などない体毛はボッサボサのゴワッゴワ。所々ノリでも塗ったように固まっていた。目にする度に、ついついゴミ箱を漁る姿を幻視してしまうような有様だった。当然と言うか臭いも酷く、森から町中への移住は困難を極めた。
風呂に入れようにも濡れる事を極端に嫌い、風呂に入る我々に眉を顰めていた。
それがどうだ……。
隙きあらばせっせと体を洗い、もっとフワフワのサラサラになれる石鹸やリンス的な物の開発をドワーフ達にせっつき、暇さえあればブラッシング、ブラッシング。如何にツヤッツヤでサラッサラでフワッフワの毛並みであるかを競うようになった。
そしてその毛並みを愛でられる事が快感らしく、撫でられる、ブラシを当てられる、そして今抱きついている子供らを非常に好ましく思ってるらしい。おそらく、この町の獣族達は、全種族中最もフレンドリーな種族だろう……。
以前は毛玉を片っ端から切り落とし、毛が長い事への不満を漏らしていた彼女だが……今ではその長い被毛が何よりも自慢で、仲間内でも羨望の的らしい。
「……」
そんな大激変を遂げた彼らを見つめ、俺は何かとてつもなく悪い事をしてしまったのではないかと、時折考えてしまう……。
しかしまあ、そのおかげで町へ馴染み、動きにくいと却下された忍び装束を着るようになった。
刀も気に入っているようだし、今ドワーフ達に甲冑を作らせている。
「ジーク。完成が楽しみだ」
振り返った彼女はそう言って、子供らと戯れながら去って行った。
「……」
完成が楽しみだとというのは甲冑の事ではない。
今俺が抱えている重大案件の一つ……獣族専用風呂の事だ。
(旧浴場を残しておくべきだった……)
獣族達が風呂に入り始めたのは、公衆浴場を大きな物に建て替えて間もなくの事だ。
まさかこんな事になるとは思いもよらず、元の浴場を潰して建て替えた。
今現在、浴場は種族別……というか、獣族と巨人族は日に一度、一番最後という制限が設けられている。
もちろん理由があっての事だ。
まずルシンとサヒルだが、あの巨体が入ると湯が極端に減る。それと奴らの針金みたいな体毛を踏むと滅茶苦茶痛い。短いやつが特に凶悪だ。
そして獣族の方も毛問題だ。
連中は湯船に浸かる事にはさして興味がない為、湯船の毛問題はそれほど深刻ではない。
問題は洗い場だ。排水口も排水溝も一瞬でその機能を失う。床も一面毛まみれになる。
よって、連中の浴場使用は最後となった。ちなみに、普段から裸足で暮らしている彼らは巨人族の毛を踏んでも平気らしい。逆にルシンとサヒルも獣族の毛は全く気にならないらしい。
ちなみに、おそらくだが、獣族が風呂に入るようになったきっかけは多分この二人だ。
唯一交流を持つ巨人族がちょくちょく風呂に入っている事を知り、一部のチャレンジャーが入ったのだろう。
ともかく、獣族専用風呂を作る事は決定事項だ。
理由は二つ。仕方がないとはいえ、彼らにだけ浴場の使用制限を課しているこの現状は是正すべきであると考えているからだ。
そしてもう一つの理由……。
正直なところ、理由の九割はこっちだ。それだけ重大な理由だ。
少し前、獣族の子供が産まれた。
それがどうした? そう思っただろう。
だがただの子供ではない。
なんと、人族とのハーフだ。
その姿を見て俺は驚いた。見た目は殆ど人で、フェネクに似た大きな耳とフサフサの尻尾という夢の生物だ。
見た瞬間、これを獣人族という新たな種族として扱う事を決めた。
これまで町に男獣族を招く手をあれこれと考えていたが、それはもうどうでもいい。
これからは、このハーフ達を一種族であると言えるほどに増やす手段を考えねばならない。
そこで重要なのが風呂だ。
ハーフが誕生したきっかけは、言うまでもなく彼らがサラサラのツヤツヤのフワフワになった事だ。
皆の彼らを見る目が一変した。そして、違う意味で一変した男が何人もいる……。
これからも、よりサラサラでツヤツヤでフワフワになって、そういう男どもを射止めてもらわねばならない。
よって、獣族専用風呂はなんとしてでも建設する。町議会の承認も取った。まあ何人かには無理矢理首を縦に振らせたのだが……その記憶は抹消したので問題ない。
しかし、ここで問題が一つ……。
俺が推し進めてきたエルフ領へのトンネルが間もなく開通する。俺は工事の手伝いと開通後の記念式典の準備で忙しい。
しかし、前回モーゼルを騙し討ちにしため今回はヤツの協力は望めない。
「どうしたものか……」
何とか言いくるめてもう一度ヤツにやらせれないものか……。
「んん……」
娼館誘致で釣る……。
(いやいや、人口の回復は最優先事項の一つのだ。そういう欲は町人同士でぶつけ合ってもらわねば)
奴が風呂を作りたくなるような……何かとっておきのエサはないものか……。
「……」
エロジジイが食いつくエサ……。食い付かずにはいられないエサ……。
(獣族……。風呂……。夢が詰まったハーフ……)
「んん………………ん? んんんん?」
◆
俺の顔を見た瞬間、モーゼルは青筋を浮かべ目を吊り上げた。
「断る!!」
「まあ、落ち着けモーゼル」
「黙れ!! よくもおめおめとワシの前に顔を出せな!! 帰れ!!」
閉めようとする玄関に足を滑り込ませた。
「まあまあ、話ぐらい聞け」
「断る!!」
「まあ、とにかく聞け」
「こ! と! わ! る!! どうせ獣族達に風呂を作れとせっつかれておるんじゃろが!! ワシには関係ない!!」
閉めようとする扉に手を差し込んだ。
「違う違う。風呂は俺が作る。今日はお前に詫びをしにきたんだ」
「詫び? 貴様が?」
扉の隙間に浮かび上がった魔法陣をかき消し、扉をこじ開けた。
「おい、落ち着け」
「どうせ体良く何か押し付けるつもりじゃろが!! もう騙されんぞ……!」
「違う違う、純粋に詫に来ただけだ」
「許す気はない!! 帰れ!!」
「話ぐらい聞け。これまでの詫に、お前に異世界の癒やしを体験してもらおうと思ってな」
「で、その代わりに風呂を作れ。そんな事はお見通しじゃ!!」
(よく分かってるじゃないか……)
モーゼルの背に次々と浮かび上がる魔法陣をかき消しながら話しを続けた。
「思わず変な声を漏らしてしまう興奮と癒やしを味わいたくないか?」
「……」
「好評なら今後大々的に展開する予定でな、一枚噛みたいのであれば今しかないぞ」
「それが詫か?」
「お前がこれを詫として受け入れるかどうかは任せる。とにかく、気が向いたら一度来てくれ――」
◆
――翌日、とある空き家。
ヴァルネへの移住に伴い町には多くの空き家がある。ここはその内の一つだ。ガラスを多用し、小綺麗な店に改装した。
今は寂しい場所だが、人口が増え空き家に人が戻ればなかなかの立地だ。
(掛かった……)
「モーゼル、よく来てくれた」
「……」
「ここはイメージを伝えるために拵た応急品だ。実際はもっと立派なものになる」
ガラス張りの扉から中を覗くと……、フカフカの絨毯が貼られた室内に、数名の獣族の姿があった。フリフリのエプロンを身に付け、ソファーや椅子で思い思いに寛いでいる。
「……」
「ま、ともかく入ってくれ」
扉を開くと、鈴音が聞こえた。
振り返った獣族達が立ち上がり、エプロンの上で手を揃えた。
「……イラッシャイマセ」
ぎこちないお辞儀で二人を迎え、つけ忘れていた「……にゃー」が後を追った。
「帰る」
踵を返したモーゼルの肩を掴んだ。
(何をしようとしとるのかは知らんが、感情を込めるフリぐらいせい!)
(まあまあ、そう焦るな。まだ慣れてないんだ)
帰ろうするモーゼルを引きずり戻した。
「で……なんなのじゃ、これは? これが異世界の癒やしとやらか?」
「そうだ。猫カフェだ。
本物は、猫を眺めながら読書をしたり、茶を飲んだり、時には猫と戯れ……という具合に過ごすんだがな、ここではなんと猫が茶を入れてくれる。もちろん、気に入った娘がいればブラッシングなどのスキンシップも可能だ」
「ほーん……。じゃあの」
肩に手を回し、帰ろうとするモーゼルを引き寄せた。
(ここまで来たんだ、話しぐらい最後まで聞いて行けよ。話を聞いた上で、気に入らないんならそれでいいんだ)
(……)
(お前、獣族と人のハーフは見たか?)
(それがなんじゃ?)
(どう思った?)
(まあ……夢のある姿をしておったな。大人になるのが楽しみだ」
そう言って、モーゼルはだらしなく頬を緩めた。
(俺は、あの夢の生き物を獣人族という新たな種族として確立したいんだ)
(ふーん、それとこのふざけた小屋がどう関係する……)
(ともかく獣族のハーフを大量に誕生させねばならない。ここに男どもを通わせ、彼女達に射止めてもらう。という算段なのだが……)
ジークは獣族の面々を振り返った。
(たった今お前も見ただろ? 色気の欠片もないあの接客……。あれではせっかく寄ってきたカモをみすみす逃してしまう)
(……)
(そこでだ、男を惹きつけ、その気にさせる……この町でお前ほど娼館に入り浸り、そういった手練手管に精通しているのは他にないだろ?)
(ワシにこいつらを指導しろと?)
(どうだ? やってくれないか?)
(一体ワシになんのメリットがある?)
(お前にしては鈍いじゃないか。俺は何がしたいと言った?)
(こやつらのハーフを新たな種族に……)
(なあモーゼル、光源氏計画は順調か?)
――ふと、モーゼルは目を見開いた。
(お前は今、とてつもないチャンスを目の前にしているんだぞ?)
ジークは近くのソファーに腰を降ろし、隣に座る獣族にブラシを当てた。
「新たに誕生する種族が、これからこの町でその種族の伝統や文化を築いてゆくわけだ」
ブラシを当てながら、ふと尋ねた。
「なあ、お前はモーゼルと風呂に入れるか?」
「なんだ、洗ってくれるのか?」
っと、彼女は嬉しそうに返した。
「誰かに手入れをしてもらう事を前提の洗い場もあった方がいいか?」
「可能ならそういう場所も欲しいな」
「要望があれば遠慮なく言ってくれ。全てに応えられるかは分からないが、善処する。皆にも要望を聞いておいてくれるか?」
「分かった。後で皆にも聞いてみるよ」
彼女はブラシの動きに合わせるように尻尾を揺らし、心地良さそうに目を細めた。
「さて……、俺はそろそろ行かねばならない」
ジークは席を立ち、扉に手を掛けてモーゼルを振り返った。
「今すぐ返事をしろというわけじゃない。いつでも自由に見に来てくれ。その上で、気が向いたら声をかけてくれ」
「ではな」と小屋を出るジークの肩を、モーゼルが掴んだ――
◆
「――本当に良いのか? 彼女達の指導と風呂の両方は流石に手が回らんだろ? 風呂は俺がやる、どちらかと言うと接客スキルを上げる方が重要なんだ。やるならそっちに注力してほしいんだが……」
「まあまあ、落ち着け。ワシはもう二つも建てた実績があるんじゃ。安心せい」
「それはそうだが……本当に大丈夫か?」
「大丈夫じゃ。任せろ」
「……分かった」
じゃあお前に――と、言いかけて、ジークは首を振った。
「いや、やはり風呂は責任を持って俺が作る。なんでも盛り込むと約束してしまったからな……。連中はきっと色々要求してくるぞ?」
「大丈夫じゃ大丈夫じゃ、ワシに任せろ。お主は新しい従業員の確保の心配でもしておれ。ほれ、例のトンネル工事でも手伝ってやったらどうじゃ?」
「実はそっちで手一杯なんだ……、そう言ってもらえると助かる」
「こっちの事はワシに任せて、存分に注力すると良い」
「それはありがたい。では頼んだぞ、モーゼル」
「ああ、任せろ」
弛んだ笑顔を向けるモーゼルと握手を交わし、店を後にした。
「さて……と、風呂問題は解決。これで心置きなくトンネル工事に注力できる」
(スカウトチームの編成、各所へのトンネル開通の宣伝……忙しくなるな)
鼻唄交じりに道を歩き、チラと店を振り返った。
「……」
今回は違う。あいつが勝手に勘違いしたんだ。都合の良い妄想に囚われ、現実を見失ったんだ。
ハーフの子供らが服を着ているという事実も見失っているのだろう。
連中の見た目はほぼ人だ。子供の内ならまあそういう事もあるかもしれんが……。物心付けばお前と風呂になど入るわけないだろ。というか、お前の都合の良い教育を、圧倒的多数の良識人が許すわけないだろ。
ま、頑張ってくれ。
◆
――それから約三年。
トンネルは無事開通し、今日でまる一年だ。先程、開通一周年の記念式典を終えてきたところだ。
開通を目前にダンジョンが発生したりと悶着あったが、今となっては良い思い出だ。酒を飲む度に、工事に従事した者達がその話で盛り上がる。式典のスピーチでも良いネタになってくれた。
そしてこっちも……。
ジークは、三階建てに大きく改装された猫カフェを見上げた。
「まさかここまでヒットするとはな……」
素直にモーゼルの手腕に関心しつつ、逆に覇気を失っていったモーゼルの事が気にかかった。
(後で様子を見に行くか……)
ここ最近は特に元気がない。
――扉を開くと、ぶら下げられた鈴が揺れチリチリ澄んだ音色が響いた。
「……」
正面のカウンターには誰も居ない。一先ずカウンターへ進むと、左手の扉が開いた。
「あ、ジーク。いらっしゃいませなのにゃ〜」
顔を突き出す彼女の向こうに、混み合う店内の様子が見て取れた。
「相変わらず繁盛してるな」
客として来たわけではない事を読み取り、彼女はスルリとこちらへ体を移して扉を閉めた。
「トンネルが出来てからグングンお客が増えて、最近は予約しないと入れないにゃん。ジークもお客として来るんなら予約してにゃ」
「ああ、そうする」
エルフ領との交易が始まると、多くの人々がこの町を訪れるようになった。結果、ここの客も激増した。
なんせ、この世界で最もフレンドリーで、かつツチノコレベルのレア種族と戯れる事ができる場所はここだけだ。初めて町を訪れた者は、必ずと言って良い程この店に立ち寄る。
それに加え、おそらくこの世界で最もレアな奴とも会える。
「サルナは居るか?」
「カウンターの奥に居るにゃ。今度は客として来てほしいにゃ」
長い尻尾で鼻先をサラリとくすぐり、上目遣いな笑みを残して彼女は戻って行った。
「……」
ブルリと首を振り、カウンターへ入った。
「ジーク。何かご用ですか?」
奥の扉を開くと、ソファーに寝そべり本を読んでいたサルナが顔を上げた。
「居るのなら出てこい」
「ジークだと分かってましたから」
サルナはニコニコと微笑み、本に目を戻した。
「それで、ご用は何ですか?」
ため息を漏らし、近くの椅子に腰を下ろした。
「トンネルの方が一区切りついたからな、今後は湖の護岸工事とこっちに力を入れる。最近モーゼルの様子もおかしいしからな、奴の負担を少し減らそうと思ってな」
「そうですか」
店は繁盛し、僅か二年でハーフの人口も爆発的に増えた。目論見通りで大変喜ばしい事であったのだが……それが大きな問題ともなった。
種違い、父親不明が多過ぎたのだ。しかし、元々獣族は女のみのコミニティで生活し、子供はコミニティ全員で育てるものであり、母が誰で父が誰であるかなど重要ではないらしい。
しかし、その辺の感覚を矯正するのは難しく……現在はこちらで管理をしている。
それを任せているのがサルナだ。獣族達は、全員俺の直轄部隊のような位置づけで、サルナは俺の代理を努めていた事もあり、彼女の言う事であれば彼らは素直に従った。
その為、こちらはサルナに任せ、俺はトンネル事業に注力してきた。
まあ、店の警備という意味でもサルナは適任だった。町の連中は、コイツのネジの飛び具合をよく知っていた為この店でおいたをする者はなかったし、外から来た連中もコイツのヤバさを知ると大人しくなった。
尤も、獣族達は漏れなく我が町の特殊コマンド部隊の構成員だ。サルナが居なくてもこの店で問題を起こせる奴などいない。いたとしたら、是非とも傭兵として雇い入れたい。
「二号店の方は順調か?」
「ええ。予定通り来月中にはオープン出来ると思いますよ」
「そうか」
席を立ち、机に置かれた二号店の図面を眺めた。
「不足はないか? 必要な物があればモーゼルへ言え」
「はい」
返事を返し、サルナはジッと俺を見つめた。
「なんだ?」
「ジークに聞きたい事があって」
「聞きたい事?」
「はい。何時までこれを続けるのですか?」
「増え方次第だが……店の方は関係なく続ける予定だ」
「そうではなくて、何時までこういう事を続けるのですか?」
「こういう事? それはどういう意味だ?」
「ジークの目的は、理想の住処と理想のお嫁さん探しでしたよね?」
「……」
バットで頭をフルスイングされ、脳ミソから思考という思考が消し飛んだ。そんな気分だった。
そうだ……すっかり忘れていた。俺の本来の目的は――
「手段と目的がすり替わってませんか? 私はこのままでも構いませんけど……、ジークはこれで良かったのですか?」
「……」
「まあ、理想のお嫁さんの方は、意外と近くに居たりするかもしれませんよ?」
……今にして思えばだが、多分サルナはこの台詞を言う口実にこんな話をしたのだろう。
しかし俺はというと……腹を突上げる虚しさに押され、適当に話を切り上げトボトボと店を出た。
ニコニコと微笑むサルナへ何と返したのか……よく覚えていない。
フラフラと彷徨い……森を切り拓き今に至る町の記憶をそこに重ねた。
(なんという事だ……)
何時からそうなっていたのか……俺のではない誰かの理想を叶えているという自身の現状に気が付き、何度も何度も深いため息漏らした。
何もする気になれず……フラフラと歩き回り、気がつけば夕刻になっていた。
(帰るか……)
テラスで椅子を揺らしながら飲んだくれようと家へ帰ったのだが……。
先客がいた。我が家なのに、先客がいた。
「……」
脇に酒瓶の詰まった箱と書物を積み上げ、ロッキングチェアに持たれるモーゼルの背があった。
「……」
しかし、最早ここは俺の家だと突っ込む気力もなく、代わり大きなため息を漏らした。
「お前が酒とは珍しいな」
「……」
隣に腰を下ろし、箱から一本引き抜いて封を切った。「ポンッ」っと小気味よい音が響き、甘い香りが漂った。
「やはり俺はこっちだな」
我が町で採れた果実で造られた我が町の酒だ。ドワーフ達は蒸留酒が好みらしく、トンネルの次は新たな酒の開発に情熱を傾けている。
「それで? 人の家のテラスで飲んだくれている理由はなんだ? ったく……俺がそうしようと思っていたのに、何というタイミングだ」
「ワシは……、悟った」
「……何を?」
脇に積み上げた光源氏計画実践と考察に手を置いた。
「これを成せる者は、クズじゃ。これを成した時、ワシは人でなくなる」
「……」
自嘲するように鼻を鳴らし、酒瓶を手に取った。
「始めた時から薄々は感じてはおった。じゃが……内に渦巻く肉欲でねじ伏た。この欲を満たせるのであれば、クズ呼ばわりされたところで痛くも痒くもない。今までと何が違う? そう思っておった……」
グビグビと酒を煽り、身を起こしたモーゼルは、両手で顔を覆って項垂れた。
「あの目じゃ……。あの輝く瞳が、ワシに聖人であれと言うておる……」
「……良いじゃないか。そのまま聖人として過ごせ」
俺としても、このまま淫魔モーゼルは封印して聖人モーゼルへジョブチェンジしてほしい。
「ワシとてそう思った。もしかすると、ワシは生まれ変われるのやもしれん。そう思った……」
おそらく、その言葉に嘘はない。たしかに、最初は下心見え見えだったが……ある時から様子が変った。
特にここ最近は、本来の目的を忘れたんじゃないかと思う程によくやっていた。
学校では、良き教師である同時に良き教育者として振舞っていた。獣族達に接客スキルを与え、彼らと獣人達の面倒を実によく見ていた。本当によくやってくれた。
「……ワシには無理じゃ。無理じゃった……」
モーゼルはグビグビと酒を飲み干し、ジークへ掴みかかった――
「もう限界じゃ!! 娼館じゃ!! 娼館を作ってくれ!!」
口の端に泡を為、唾を飛ばしてまくし立てた。
「もう無理じゃ!! このままでは正気を失ってしまう!! ワシは人でなくなってしまう……!」
「……」
モーゼルは膝を折り、ヘナヘナと崩れ落ちた。
「……今更何を言っておるのかと自分でも思う……。過去の行いを否定するつもりはない。
……じゃがここでは違う。分かっておる……分かっておる……! 結果的にそうなったというだけで、ワシの本質は何ら変わっておらん……」
「……」
「しかし、だからと言うてワシを信頼する者達を裏切る事はできん……!!
たのむ……! たのむ……たのむジーク……! ここでは、ここでだけは……」
メソメソと泣き出したモーゼルを見つめ、大きく息をついた。
「……分かった」
「当然じゃな……。今は人口の回復が最優先じゃ……。
……娼館なぞ建てておる場合ではない。かまわんさ、お主を恨んだりなぞ――」
ハッと顔を上げ、ワナワナと顎を震わせた。
「ま……まことか……?」
「ああ。だが娼館は作らない。代わりに、お前に休みをやる。半年――いや一年、娼館巡りでもしてこい。それだけの資金も用意する」
「まままままことか……?」
「ああ。これまで、お前は本当によくやってくれた。これはその報酬だ。お前が留守の間、その穴は俺がフォローする。存分に欲を満たしてこい」
コクコクと頷くモーゼルへ鋭い声で付け加えた。
「ただし、この町にいる間は、如何なる時も聖人で居ろ」
「分かった。約束する」
鼻息荒く頷いた。が、同時に何やら腑に落ちぬ様子でジークを見つめた。
「……しかし、ちと気前が良すぎんか?」
「まあ、最初に約束した研究設備は諦めてもらう」
「それはもうどうでも良いわ」
「それで、いつから休暇に入る? 今からでも構わんぞ」
「それは有り難いが……お主の方は大丈夫なのか? 自分で言うのもあれじゃが、ワシの仕事を掛け持つとなると、お主といえど流石に……」
「大丈夫だ。俺が忙しいのは生まれつきだ。それに……」
ジークは町を見渡し、何か諦めたような……穏やかな笑みを浮かべた――
◆
「たしかに……。お主はお主以外の誰かの理想をばかりを叶えておったな」
「がむしゃらに町を育てる内に、いつの間にか本来の目的を忘れていた。サルナに指摘されて、ようやく本来の目的を思い出した」
「それで? これからどうするのじゃ? 権力、武力、財力は手にした。それらに任せ、好き勝手始めるのか?」
「たしかに、サルナに指摘された時は愕然としたさ。町を歩き、俺は一体何をしてきたのかと心底呆れた。だが……」
茜さす町を見渡し、モーゼルを促した。
「見ろ、この景色を。この景色は、俺達が作った」
「……そうじゃな」
「これが少し変わる度に、町の連中が幸せそうに笑い、俺の心を満たした」
「それを壊す事はできんのう」
「……ああ。そしてこれは止められない。最早俺の生き甲斐だ」
二人は微笑み、同時にため息を漏らした。
「金と権力に任せて好き勝手に過ごすか……」
「そこに食い込んでハーレー厶を作るか……」
「泡銭の使い方じゃのう」
「なんとも薄っぺらい……。己の貧弱な発想力に呆れる他ない」
暫くの間笑い合い、モーゼルは膝を打って立ち上がった。
「それじゃ、ワシは遠慮なく休暇に入らせてもらうとするかの」
「いつ出発するんだ? 近くの町までサルナに送らせる」
「今夜立つ」
「今夜? 朝にしたらどうだ? 当分留守にするんだ、皆へ挨拶ぐらいしていけ。留守にする理由は俺が適当に説明しておく」
「それで、『旅の安全を』だとか、『路銀の足しに』などと言うて何か渡されでもしたらどうするんじゃ? どんな顔をして受け取ればいい?」
「それもそうだな……」
「夜の内にひっそりと立つ。その後の事は頼む」
「分かった――」
そして、モーゼルは旅立った。
のだが……。
結果から言うと、モーゼルは娼館巡りをすることなく一月程で帰ってきた。
「魔族侵攻」という知らせを持って……。
抗魔戦争の始まりだ――




